安達さん、シット。

今日は安達さんがうちにいません。
どうしたことだろう。

「安達さんがいなきゃおかしいみたいな気がしているけど…そんなことないんだ、元々僕は一人暮らしなんだった」

安達さんの強引なやり方は、一種の洗脳に近いかもしれないなどと考えました。

「安達さんってカリスマ的な魅力があるもの…フフ」

一人照れ笑いをしつつ、僕は朝食の食器を洗いました。
そうするうち、ちょっぴり寂しいような気がして、会いに行こうかどうしようか迷った挙句、僕はいつものお礼にシチューを作って持って行こうと決めました。
それから買い物に行き、少し奮発して牛肉を買って、ビーフシチューにすることにします。

「人参はあったから…おイモさんと、玉ねぎを…」

その間もずっと、安達さんのことが頭から離れません。

「早く行かなきゃ」

急いで帰って、お鍋に具材を入れて煮込み、ルーを入れます。
味見をしてみると、不味くはないのですが、なんとも、何か、どこか足りないようなものに仕上がってしまいました。
それでも僕は早く安達さんに会いたくて、大鍋を抱えてお隣の安達さんを尋ねたのでした。
呼び鈴を押すと、安達さんが扉を開けてくれました。

「ああ…みっちゃんかい…来てくれたの」
「安達さん!…体調でも悪いのですか?」

安達さんは顔色も悪く、なんだか覇気もありません。

「いやね…大したことは無いんだが…ところでそれは?」
「ビーフシチューを作ったんです。もしよかったら一緒に食べませんか」
「なんという事だ…!みっちゃん、愛しているよ」

安達さんは感極まったような顔で僕を鍋ごと抱き締めました。

「みっちゃん…私を許して欲しい…どうか…どうか…」
「安達さん…?」
「私はこんなに君のことだけを想うのに…体は言うことを聞かないのだよ…ひどい話だ…まだまだ若いと思っていたが、耄碌(もうろく)したのかもしれん」

安達さんのそんなに辛そうな声を、僕は初めて聞いたのです。
一気に不安が押し寄せます。

「安達さんどうしたのですか。僕でよければ、その、話を…」
「ああ、そうだね。君にも大いに関係のある話なわけだから…」

そう言って安達さんは、お入り、と僕を招いてくれました。

「いい香りだね。ビーフか。一緒に頂こう」
「あの、でも、安達さんが作ってくれるみたいに上手にできなかったので。味を見てもらえますか」

僕は安達さんの家のキッチンにシチューの鍋を置き、蓋を開けました。

「どれどれ」

安達さんは、スプーンを出してシチューをすくい、口へと運びました。

「君、これ、赤ワインを投入したの?」
「していませんけれど…」
「ふむ。そうかい。みっちゃん、ワインは何から出来るかご存知かな?」
「ええと、ぶどう…?」
「ご名答!さすがみっちゃん!愛しているよ!」

安達さんは大げさに僕を抱き締め、そしてそっと放しました。

「ぶどうは香りが良く甘いだろう?だからね、こういった煮込み料理に用いると、アルコール分が抜けて甘さと香りが残る。それにより、結果的に味に深みが出るという寸法だ。ビーフシチューには赤ワインが欠かせないと、私は信じている」
「なるほど…!安達さんって物知りなんですね」
「いやぁ照れるね」

安達さんが嬉しそうに微笑んだので、僕は、早くいつもの安達さんに戻りますようにと願ったのです。

「今から入れるのではいけませんか?」
「いや、これはこれで美味いよ。何しろ、みっちゃんが作ってくれたシチューなのだからね。さあさ、皿を出そう」

安達さんと僕は一緒にテーブルにつき、シチューを食べました。
安達さんは3回もおかわりをしてくれて、僕は嬉しくって顔が熱くなってしまいました。
それでも、安達さんはまだ塞ぎ込んでいるように見え、心配は増すばかりです。

「安達さん。今日は一体どうしたのですか」
「みっちゃん…聞いてくれるかい…私は本気で悩んでいるんだ…」

安達さんはそう言って、僕の首筋に顔を埋めました。

「当たり前ですよ安達さん。僕にできることだったら何でもしますっ」

僕はなんだか正義感に溢れてしまい、安達さんの背中を一生懸命撫でました。
反応がないので心配しかけると、スーハースーハーと音が聞こえます。

「みっちゃんの匂い…」
「嗅がないでください」
「はぁ…」

聞えよがしにため息をつかれますが、解せません。

「実はね」
「はい」
「私は…っ」

言葉を切った安達さんが心配になり顔を覗き込むと、本当に悔しそうに下唇を噛んでいました。

「公衆便所の臭いに反応してしまったんだ…!」
「……いろいろと詳しく聞きたいです」
「そうだよ今から話すとも…」

安達さんの声は今にも泣き出しそうでしたが、僕はその続きに少し嫌な予感がするのです。

「僕はみっちゃんを抱く時、ああ、セックスをする時という意味でだが」
「わかりますから大丈夫です…」
「君に風呂に入らないよう頼んでいるでしょう?」
「僕は嫌なのに…」
「私はそうでなければいけないと思うんだよ。石けんの香りに君の何が写る?私はみっちゃんを愛しているのだから、みっちゃんそのものの香りが嗅ぎたいんだ。素材の味が生きている方がおいしいのは料理もみっちゃんも同じだ。だからペニスも」
「安達さん、そのお話、長くなりますか?」
「ひどいね!自分から聞くと言っておいて!」
「だってなんだか雲行きが」
「とにかくまああれだ、ペニスの匂いだって密かだったりあからさまだったりはすれど絶対に嗅ぐようにしているからそりゃ天使のようなみっちゃんだってどうしてもお手洗いには行く訳だしかわいいかわいいペニスからだっておしっこが出るわけだからその香りがしてしかるべきだということまではわかるかい?」
「口を挟めないように一気に言いましたね…」

僕の脳が処理しないうちに、安達さんは話を続けます。

「最近はもうみっちゃんのペニスを経由して君のおしっこの匂いを嗅いだだけで私は即戦力の臨戦態勢に持ち込めるようになったわけだがそれが災いして公衆便所のどこの誰のものだかわからんあの悪臭を嗅いでまさかそんなことがと思うだろうが私は私は…!」
「落ち着いてください安達さん」
「私は…そう…きっと脳が勘違いして…ああ…無念……!だがみっちゃんを抱いている時の勃起とは雲泥の差だったことだけは信じてほしい!みっちゃんの時の勃起を『取引先に対する社畜の平謝りくらいの動き』と例えるならば、……ああ…そんなことはどうでもいいね…」

うつくしい安達さんは、本当に悔しそうな、悲しそうな目で僕を見ました。

「みっちゃん……愚鈍な私をどうか許して……」
「安達さん…」

それは、僕にはとても微笑ましいお話に思えたのです。

「安達さん。世の中には、好きな人ではない女性のおしりを見て楽しむ方や、好きな人ではない女性のお胸を見て喜ぶ方が、たくさんいますよ」
「うん?うん。そうだね。理解しがたいことだ」
「それなのに安達さんは、僕のことだけを思って…僕は感動してしまいました。安達さんは随分その…あの、…僕のことを、気に入って下さっていて…フフフフ」

僕は嬉しくて途中で笑ってしまいました。
安達さんはそれを見て、段々表情を柔らかくしました。

「ああみっちゃん。君はやはり間違えて地上に下りてしまった天使そのもの」

ぎゅっと抱き締められて、僕はもう、どうしようもなく幸せな気持ちになったのでした。

「では、本家を嗅がせていただこうか…パンツを脱いでご覧」
「よかった…安達さん、いつも通りですね」





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2014.12.4
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