吉丁八本

今日のお客さんは初めての人で、ホテルで顔を合わせた瞬間、緊張してるのが伝わって来た。
細身でふつうにおしゃれな感じの人だ。大学生くらいに見える。

「こんにちは。ココです。呼んでくれてありがとう」
「どうも。……たくまです」
「たくまくん、まず、お話する?」

たくまくんみたいな人は最初に少しお話した方がそのあと楽しいみたいだから、俺はそう言ってみた。
するとたくまくんは、緊張したままの顔でうんと言った。

「今日、外、寒いねぇ」
「は、うん」
「ホテルは暑いね」
「うん」

コートを脱ぐ。

「たくまくんは今日お休み?」
「うん」
「どうして俺のこと指名で呼んでくれたの?」
「あ、ああ……」
「言いたくなかったらいいよ?」

俺がベッドに座ると、少し離れたところにたくまくんも座った。

「……写真見て、年下だろうなと思ったから」
「年下が好きなの?」
「いや……」

年上としか寝たことがないけど、年下と寝たらなんか変わるかと思って、と、あんまり話したくなさそうに、たくまくんは言った。
たくまくんは何を変えたいんだろう。
そして多分たくまくんは俺より若い。
シャワーを浴びるのも、浴び終わってから抱きしめるのも、たくまくんはあんまり乗り気じゃないように見えた。
それで、何をしたいか聞いたら、もう少し話がしたいと言われた。
お互いに下着だけをつけた格好で、ベッドの枕に頭を乗せて向かい合った。話がしたいと言ったのに、たくまくんは無言のままだった。
まだ緊張しているのかもしれない。
それに、なんだか、居心地も悪そうだ。

「たくまくん、甘いものは好き?」
「……普通」
「ここの向かいにクレープ屋さんあるよね。クレープ食べたい時ね、あそこの、オレオが入った生クリームとイチゴのやつ食べるんだ」
「へえ」
「生クリーム、好き?」
「……普通」
「たくまくん、キスしていい?」

だんだん距離をつめていた俺は、たくまくんの唇を見ながら言う。でも、たくまくんはうんと言わなかったしキスもしなかった。

「抱きしめてもいい?」

ただ、そう聞かれた。

「もちろんいいよ」

たくまくんの腕にすっぽりおさまると、俺もたくまくんの背中に腕を回した。
しばらくそのまま無言の時間が続いて、だんだん眠くなってくる。
ただ、セックスがしたくて呼ばれたのではないということだけわかった。

「ココちゃんは」

しばらくしてからたくまくんが言った。

「知らない男とセックスして、どんな気持ちなの」

たくまくんの口が耳元にある。

「気持ちいいよ」
「どんな男でも?」
「……よくない時もある」

正直に言うとたくまくんは初めて笑った。

「ココちゃん、仕事のこと、誰かに話したことある?」
「たくさん話すよ。みんな知ってる」

翔くんも、先輩たちも、お店の人もみんな知ってる。
たくまくんは「そうなんだ」と言ってまたしばらく黙った。そして、少し息を吸い込んでからまた口を開いた。

「性転換、しようと思ったことある?」
「たくまくんは、女の子になりたいの?」

そう言うと、たくまくんは俺をぎゅうっと抱きしめた。同じくらい抱きしめ返してあげる。

「そうかもしれない」

とても小さな声でたくまくんは言った。

「たくまくんは女の子で、俺は?」

たくまくんが何をして欲しいのか、ちゃんと聞きたい。

「……ココちゃんも、女の子の役、できる?」

俺はうれしくなってしまった。

「できるよ!」

たくまくんがくすくす笑ったので俺も笑った。

「俺がたくまくんに女の子の名前つけてあげよっか」
「……うん」
「じゃあね、きなこちゃんだよ」
「きなこ?」
「そう」
「なんで?」
「きなこちゃん、かわいくない?」
「くしゃみが出そう」
「かわいくないかなぁ」
「かわいい」

たくまくんはもう緊張していないみたい。

「きなこちゃん、おっぱいさわっていい?」
「……うん……」
「ん……」
「っ、あ、んんっ」
「おっぱいきもちい?」
「うん……っ、ココちゃん……あ……」
「きなこちゃんも、ココのおっぱいさわって?」
「……うん」
「んんっ」

それから時間ギリギリまで、きなこちゃんと俺はおっぱいを触ったりキスしたりして過ごした。それ以上のことはしなかった。
そして帰りがけ、きなこちゃんは言った。

「ココちゃん、俺と友達になってもらうこととかって、やっぱり難しい?」
「友達?」
「うん」

友達。友達。胸のあたりがほんわりする。そしてどんどんうれしくなってきた。

「ココもきなこちゃんと友達になりたい」

そんなことを言ってくれるお客さんは初めてだった。
きなこちゃんは笑う。

「ココちゃんといる時だけきなこになれるんだと思ったら、他の時間も頑張れる気がする」
「ほんと? だったらうれしいな。でも他の時間も、きなこちゃんでもいいと思うよ。ココはきなこちゃんかわいいと思う」

ありがとうと言ってきなこちゃんはまた笑った。きらきらしててかわいい。
友達からお金をもらうのはなんだか変なので最初にもらったお会計をどうしようか迷っていると、きなこちゃんは「今日はまだ友達じゃなかったから」と言って持たせてくれた。
連絡先を交換してから、俺たちは別れた。

それから何回か、きなこちゃんと外で会った。昼間か夕方、カフェでお茶したり、ハンバーガーや牛丼やクレープを食べたり(きなこちゃんは本当は甘いものが大好きだった)、買い物をしたりした。
だんだんきなこちゃんのことをわかっていって、とてもうれしかった。
ある日、一緒に100均で買い物をしていたら、きなこちゃんがネイルコーナーで立ち止まった。カラフルな小ビンがたくさん並んでいた。

「きなこちゃんネイルするの?」
「……一回してみたい」
「この色は? こっちもかわいい。きなこちゃんきっと似合うよ。うちで塗ろう」

そして、そのままきなこちゃんがうちに寄ることになった。
翔くんはいなかった。
きなこちゃんが買ったのは、うすいピンク色と、重ねてつける少しきらきらした透明のやつだ。
二人ともネイルなんかしたことがなかったから、爪からはみ出したりして大変で、たくさん笑いながらやっと十本塗り終えた頃には一時間たっていた。
外がうす暗い。

「きれい」
「かわいいね」
「うれしい」
「よかったね」

きなこちゃんがうれしそうで、俺はとても幸せな気持ちになった。
ドアが開く音がして翔くんが帰ってきたので、俺は立ち上がって飛びついてしまった。

「翔くん!」
「ただいま。……誰?」
「……たくまです」

きなこちゃんは小さな声で言った。初めて出会ったホテルでの自己紹介と同じだった。
きなこちゃんだと紹介しない方がいいんだなと思って、友達だと説明したら、翔くんは「こんにちは」と優しく言って、バスルームへ入って行った。

「……ココちゃんの彼氏?」
「そうだよ。翔くん」

そう言うと、きなこちゃんは深く二回うなずいた。
きなこちゃんが帰るという時になって初めて、ネイルを落とすものがないと気づいて、二人でコンビニに行った。そこになければ少し離れた薬局にいこうと思っていたけれど、コンビニにあったのでそれを買って、駐車場の隅でうすいピンク色を落とした。
つーんとにおいがした。
ネイルを落としてもきらきらした笑顔のまま、きなこちゃんは帰って行った。

一人で家に戻ると、翔くんが布団の中から「おいで」と言ったので、うれしくなってとなりにもぐりこむ。ボディソープのにおいがした。髪の毛もまだ少し濡れている。

「仕事、行かないでよ」

翔くんがそんなことを言うのは初めてでびっくりした。

「俺、仕事休む?」
「……どっちでもいい。心が決めなよ」

怒ってるのかな。翔くんがこういう言い方をすることはあまりないので少し怖くなって動けないでいると、翔くんは深呼吸してから俺に謝った。

「ごめん心。俺イライラしてる。心が仕事行っても行かなくてもそれは変わらないから、気にしなくていいよ。ごめんね」
「俺、仕事行くから、翔くんは先輩のところに行ったら?」
「先輩ね」

翔くんは鼻からふんっと息を吐いた。

「もう、俺の居たい場所なんか、どこにも無くなっちゃった」

翔くんが泣いちゃうかと思ったけど翔くんは泣かなかった。

「そっか、でも、俺の家にはずっと居ていいよ。翔くんが居たくなくても、居ていいよ」

居たくなくても家はあった方がいい。外は雨が降るし、虫もいる。暑いし寒い。変な人もいるし。俺は翔くんがいてくれる方がとてもいいから、その方が二人とも得なんだ。
翔くんは少しの間俺の顔を見ていた。そしてふふ、と笑った。

「なにそれ。心ってすごいね」

翔くんは、いつもみたいに優しく笑って、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「ねえ心」

翔くんの胸に耳をくっつけたまま翔くんの声を聞く。

「まだ少し時間ある?」
「うん、あと10分くらい」
「しよ。急ぐから」

翔くんは俺の返事を待たずに、俺のズボンとパンツをずり下げた。翔くんの手が温かくて、俺はすぐに気持ちよくなってしまう。
翔くんはいつも明るいし優しいから、悲しいことや辛いことがあるんだってあんまりわからない。でも、俺だって毎日色々あるんだし、翔くんだって色々あるに決まってるんだ。
翔くんが三回してくれたから、結局、一時間遅刻した。




-end-
2019.1.21
5/5ページ
スキ