吉丁八本

「あっ、ココちゃん…!」

ホテルの部屋で待っててくれたのはまーくんだった。

「まーくんだ!久しぶりだねぇ」

まーくんは松本っていう名字だったんだ。予約名だとわからなかった。
でも顔を見たらちゃんと思い出した。このいい人そうな、弱そうな感じの、ひょろっとした、うすい顔の。
まーくんは閉めたドアのすぐ前で俺をぎゅーっと強く抱いた。

「会いたかった…ココちゃん…」

切ない声で言ってくれるから、なんだか恋人に会ったみたいな気がする。
だから俺もなるべく強く抱きしめ返した。

「まーくん」

まーくんに呼んでもらうのは3回目だ。
前は確か1年くらい前。その前はそのまた1年くらい前。

「ココちゃん、俺のこと覚えててくれたの」

まーくんは俺を見下ろして、もともと下がってるまゆげをもっともっと下げて笑った。

「うん」
「嬉しいよ…ねえ、ほんとに会いたかったんだ」
「ありがと。まーくん今なにしてるの?お仕事してるの?」

前は確か、なんかのバイトを辞めさせられたって言ってた。

「うん。今ね、パンの工場で働いてる」
「ええ?!パンの工場?!」

パンの工場って、パンの職人さんしか働けないんだと思ってた。

「すごいねまーくん!パンを作るの?」
「そうだよ」

まーくんは少しほこらしげだ。

「ええ、すごいねすごいね。パン食べほうだい?」
「うん、まあ、賞味期限が今日のやつとか、形が変で売れないやつとかだけど」
「いいなぁ」
「ココちゃんパン好きなの?今度持ってきてあげるよ」
「ほんとう?!ココ、まーくんの作ったのがいいな」

なんだかうれしくなってにこにこ笑っちゃった。
まーくんがまた近いうちに俺を呼んでくれたらいいなぁ。
まーくんは少しさびしそうに笑って、実は今日も時間がないんだ、と言った。

「予約、1時間だもんね」
「そう…ごめんねココちゃん、俺、あんまりお金がなくて…」
「そっか。じゃあ急がなきゃ」
「ココちゃん…」

またぎゅーとされて、今度は脚にちんぽをこすりつけられた。

「ココちゃん、あの…え、エッチなこと、していいんだよね…」

まーくんが俺の仕事を何だと思っているのかはいまだに謎だ。
そういう仕事なのに。

「うん。セックスするけど、シャワー浴びないと。あとうがいとかも」
「う、うん、そうだね、ごめん」
「でも時間ないから一緒にシャワーする?」

そう聞くと、まーくんはすごくうれしそうにしてくれた。

古いホテルで、なかなかシャワーの温度が安定しなくてやきもきした。
まーくんの時間とお金がこんなとこで使われちゃう。
2人で並んでお湯をかけ合って、まーくんのちんぽはもう爆発寸前みたいになっててかわいい。

「まーくん、ここでフェラしてあげよっか」

ひざまづいてまーくんの膝にキスをする。

「あっ、ココちゃん…」

まーくんは真っ赤になった。

「あっん、おっきくなってる…」

ぱくっとくわえる。

「あ、ココちゃん、ダメだ、俺、」

まーくんはすぐにもぞもぞし出した。

「い、イっちゃうよ、今すごい溜まってて、俺、」

え、と思った時にはもう、俺の口の中は精液でいっぱいになっていた。
ごっくんして見上げたら、まーくんが半分目を閉じてはあはあしていた。
ちんぽはみるみるうちにしぼんでいく。
ああ、せっかく呼んでくれたのに、終わってしまった。

「まーくん、ベッドでたくさんお話ししよう?」

シャワーを止めると、まーくんの息づかいだけが聞こえてきた。
急に寒くなって、バスタオルを取って2人でくるまった。
1時間はあっという間で、少しお話ししたらもう終わりの時間が来てしまう。
まーくんがお財布からお金を出したけど、少し足りなかった。
まーくんはとても焦ってしまった。

「あれ、おかしいな、絶対入れたはずなのに」

上着やズボンのポケットも探すけど無いみたいで、お金をちゃんと払わない人を事務所の人がどんなふうにするか何回か見たことがある俺もちょっとドキドキしてくる。
お金はやっぱり足りなくて、そうこうしてるうちに約束の時間が過ぎて、迎えの車で乗りつけた事務所の人が俺に電話してきた。
これに出ないと部屋まで上がってくるから、仕方なく出て「ごめん時間忘れてた」と言って電話を切った。
泣きそうになっているまーくんに手を伸ばしていい子いい子してあげる。

「大丈夫。俺がなんとかできるよ。まーくんは心配しないでね。あと、おいしいパン作ってね」

まーくんは最後にまた俺をぎゅーっとした。

車に戻って、フェラだけだったことを伝えてお金を渡す。
ホテルを出る前に自分のお財布から五千円札を出して足したのがすぐにバレた。
そういうことして何になるんだ、って怒られた。
一枚だけ折り目が違うからだって。まーくんのお金は確かに全部一緒に折られてたたまれていた。
車を降りてお金を回収しに行こうとする事務所の人に抱きついて止める。
歩いてる人が何人かこっちを見てすぐ目をそらした。

「俺がいらないって言ったの、ごめんなさい」

なんで、と聞かれて、俺が失敗してフェラですごく早く終わっちゃったから、と必死で説明したら、事務所の人はため息をついて車に戻った。
お前は時間で買われてるんだから、何回ヤろうが客がすぐ射精しようが料金には関係ない、わかってるはずだ、こういうことは本当なら絶対許されないぞ、ってまた怒られた。
今日のやつは二度と相手させないから、と言われて、まーくんの優しい顔とか、がんばってパンを作ってることとか、まだ小学生の弟がいることとか、そういうの思い出した。
思い出して、なんだか涙が出た。
事務所の人には、なんでお前が泣くんだって言われた。
だって、俺のお客さんだもの。
俺を指名してくれる人だもの。
もう会えないのかと思うと悲しかった。
せめて今日セックスしてあげられればよかったのに。

「ねえ、お願いだからもう一回だけ会わせて。かわいそうなことしないで。まーくんのお金たくさんもらいたくない」

泣きながら頼んだら、何言ってるのかわかってるのかってまた怒られた。
自分でもよくわからない。
お前は自分の仕事のことだけ考えてろ、あとは俺たちの仕事だから、って、今度は優しく言われた。
車は、俺を家に送る途中で他のホストを拾った。無口で俺より年下だけど、結構人気がある人。たまにこうやって一緒になるとじろっと見てくるから、俺は少し緊張して目を合わせないようにした。
流れる夜景を見ながら、すごくすごく、翔くんに会いたくなった。

家に帰っても翔くんには会えなかった。
電話も出ない。
それでもまだ元気でいられたのは、先輩が俺に電話番号を教えておいてくれたからだ。
翔と連絡取れない時にかけてこいって言って。
だからかけた。
だからかけたのに、電話口でそう言うと先輩は、「翔がいない時かけろって、取り次ぐって意味じゃねえよ」って笑った。
じゃあどういう意味だったんだろう?
でもとにかく今日は翔くんが先輩の家にいたから替わってもらえた。

『心?』

翔くんの声だ。翔くん。

「翔くん、今ね、仕事終わったの」
『そっかぁ。お疲れ様』
「うん」

翔くんの声を聞くと全部忘れた。
幸せ。
それで少し、さびしい。

「翔くんいつ帰ってくる?」
『うーん、わかんない』
「そうなの…」

さびしい。

『先輩がうちにおいでだって』

それで一気にさびしくなくなる。

「いいの?」
『心がいいならおいで。今日は他の人もいるけど』
「うん。行く」

翔くんに会える。

先輩のうちに着いたら、翔くんと先輩とあと2人お客さんがいた。
4人で麻雀をしてて、タバコの煙がモコモコしてた。

「え!これが翔のこころ?」

笑顔でそう言って「俺、コウだよ」と自己紹介してくれたのは、茶髪で甘い系の顔をした人。
その隣の、黒髪を後ろでしばった人はサイトウさん。すごくガタイがいい。
サイトウさんは何もしゃべらなくて、麻雀を続けてる。
2人とも先輩の友達だって翔くんが教えてくれた。
先輩がりんごジュースをくれたので、ありがとうを言って翔くんの隣に座った。

「誰が勝ってるの?」
「先輩」
「なあなあこころ?こっちおいで、俺の隣においで」
「お前男もいけんの」
「いや無理だけど。なんか女の子みてえじゃん。まじうちの店の子よりかわいい。な、サイトウもそう思わねえ?」

先輩とコウさんが話してるのを聞きながら、翔くんを見た。
翔くんは笑ってる。
翔くんが笑ってるのが好きだ。
平和な気持ちになって、すごくうれしくなる。

「心は翔のこと大好きだから無駄だって。な」

先輩が言うのでうなずいたら、コウさんが唇をぎゅむっとして翔くんを見た。

「でも翔全然大事にしてねえじゃん。放置じゃん。こころ、こいつのどこがいいの?金もねえし仕事もしよらんしさぁ」
「たくさんあるの。好きなところ」
「ふぅん…なんかムカつくなてめえは」

コウさんは丸めたティッシュを翔くんに投げた。
翔くんはまた笑った。
そのまま麻雀大会は続いて、俺はいつの間にか寝ちゃってた。
起きたらお昼で、俺はベッドに寝てた。

「あれ…?」
「こころ、起きた?ナオキがベッドに運んだんだよ。寝顔かわいいからもう少しで犯すとこだったわー、はは」

コウさんが笑ってる。
先輩はナオキっていうんだ。
部屋を見渡すと、翔くんとサイトウさんがいなかった。

「翔くんは?」
「知らね。あいつすぐ1人でどっか行くからさ。俺らも把握しきれねえよ。な」

コウさんと先輩が目を合わせて笑った。
翔くんいないのか。どうしよう。帰ろうかな。今日も仕事だし。
ベッドに起き上がったらコウさんが隣にくっついて座った。
先輩は離れたとこでイスに座ってタバコを吸ってる。

「なあなあ、こころさ。こころとヤりてえ時ってお前に直接言っていいもんなの?」

コウさんは俺の肩に手をかけた。

「やめとけって。そいつその辺の女買うのの倍くらいかかんぞ」

先輩がタバコをくわえたまま言う。

「まじで?いくらよ?」

コウさんが先輩と俺を見比べた。

「こないだね、値段上がったの。3万3千円になったよ」
「はぁ?時間?」
「1時間」
「クソ高え!」

コウさんは上を向いて叫んだ。

「えーすごくね?なんなの?うまいの?なんかすげえ特技あるとか?客どんなやつらよ?」
「うんと…」

すぐ思い出したのはまーくんだった。

「パンやさんとか」
「は?パン屋?そいつんとこのパン食いたくねえな…」

コウさんはなんだか元気がなくなっちゃった。
先輩は煙を吐き出しながら笑ってる。

「とにかく」

コウさんが手に力を入れたから肩がちょっと痛くなった。

「どうすればいいの?直接お前に予約入れていいの?」
「うん」
「お前ほんっとにかわいーっつーかすぐ抱けそうまじで」

コウさんが顔を近づける。

「キスしていい?」
「…だめ」
「なんでよ?」
「今は仕事じゃないもん…」
「予約入れるからさー。キスくらい先にしてもいいじゃん」
「だめだよ」
「なんでよ」
「怒られる」
「誰も見てねえって。言わなきゃバレねえだろ」
「だめ」
「キスさせねえと犯すぞ」

コウさんは笑ってるけど少し怖い。

「やーめろ。あんま怖がらせんな。泣くぞ」

先輩が言ってくれて、コウさんは諦めてくれた。
泣かないけど。
まーくんのことでは泣いたけど。

「でもフェラすげーうまかったよ」
「は?やらせたの?お前自分だけふざけんなよ!」

コウさんが先輩のとこに行ってタバコを吸い始めた。
どうしようかな。帰りたい。
ベッドを出て、飲み残してたりんごジュースを手に取ると、先輩が新しいの開けなって言ってくれた。
けど別にのどが渇いてたわけじゃないから、水道のとこで中を捨ててゴミ箱に入れた。
先輩は結構、なんか、優しいな。
ただ、すーっとした目をしてるだけだ。

「あの、俺、帰るね」
「なんでよ。翔戻ってくるまでいれば?」

なんでよって、コウさんの口ぐせなのかな。

「仕事行く前にシャワーとか着替えとかあるし、うちでもうちょっと寝るから」

コウさんは、へえって言って、それから立ち上がった。

「俺車で来てるから送ってやるよ」
「いいの?」

うれしいなと思って返事をしたら、先輩が顔をコウさんに向けた。

「おい、変なことすんなよ」
「しねえよ」
「翔とこじれたらめんどくせえぞ。俺は知らねえけど」
「わかってるわかってる」

コウさんは玄関を出ていく。続こうとした俺の頭を、立ち上がった先輩がなでなでしてくれた。

「またな、心」
「うん。さようなら」
「また電話しろ」
「電話?」
「翔がいねえ時にな」
「うん。家に翔くんいなかったら電話するね」
「お前意味わかってんの?」
「ん?」
「なんで俺にはフェラしたのにコウのキスは拒否んの」

あれ。なんでだっけ。
出て行ったコウさんが戻ってきて「おい、なにしてんの、行くぞ」と言ってにこっと笑った。

コウさんの車はおっきいやつだった。

「車おっきいね」
「助手席乗りな」
「はい」

車の中も外も黒だ。

「あ、ごめんな、足んとこゴミあるわ」
「大丈夫」
「昨日アップルパイ食ったんだ」
「アップルパイ好きなの?」
「お前はりんごジュース好きなの?」
「普通」
「翔さあ、あいつこころのこと全然大事にしねーだろ」
「ううん。してくれるよ」
「ふぅん。なあ。今日これから予約できねえ?」

運転してるコウさんの話はどんどん飛んだ。

「事務所の人に聞かないと」
「何を?こんな時間から他の予約入んの?」
「あのね、お仕事する時、終わったら事務所の人が迎えに来てくれないとダメなの。だから、来れるかどうか聞かなきゃ」
「はぁーん。ちゃんと守られててお前も言うこと聞くんだ。心って稼ぎ頭?」
「かせぎがしら?」
「事務所の人に予定聞いてみ。1時間で終わらすから」

1時間。まーくんみたいになんないようにしないと。
事務所の人が電話に出なかったから、コウさんのおうちに行って待つことになった。
コウさんの部屋は物がたくさんあった。
コウさんがテレビをつけて、ざーってものをどけて、俺はベッドに座らされる。
すぐ横に座ったコウさんが、俺の頭をおさえて顔を近づけてきた。

「だめ」
「なんでよ」

まただ。
できるだけ抵抗する。

「翔とはすんだろ?」

だって、翔くんは、翔くんは。

「一回くらいいいじゃん」

コウさんは明るい顔をしたまますごい力であっという間に俺をベッドに押さえつけた。
殺されたらもう翔くんと会えない。

「殺さないで」
「は?殺さねえよ」

コウさんは、ふは、と笑った。

「ヤるだけだって」

優しい声を、ぎゅっと目をつむって聞いた。
唇が触れてむりやり舌が入ってきて、どうしようかと思ってたら俺の電話が鳴った。

「ん、む、でんわ…」
「…ん、出な。店の人か?」
「…うん」

事務所の人の許可が出たから、コウさんに住所を教えてもらいながら伝える。

「よし。これであと1時間な?」
「うん」
「…なんかがっついて無理矢理してごめんな。男相手とか初めてだからテンション上がってたわ」
「うん」

コウさんもいい人なのかもしれない。
一緒にベッドに入って、今度はちゃんと、お仕事をした。

「あー。すげえよかった」

にこにこ機嫌が良くなったコウさんにほめてもらった。
コウさんがしろって言うから腕枕をしてあげた。

「なんかさーお前ちゃんとプロだなー。アホっぽいのに」
「俺、アホっぽい?」
「ふは。怒った?」

コウさんは優しい顔で笑った。
女の子が好きそうな顔。あと、ちょっと強引で肉食な感じ。
きっとこの人はモテる。

「怒んないよ」
「なんか、男なのになー。変なの。すげえかわいい。そんでめちゃくちゃ気持ちよかった」

胸に抱きついてきたコウさんをなでなでしてあげる。

「コウさんは甘えっ子さんなの?」
「んー。好きな女にはね」
「へえ」

コウさんの髪の毛は茶色くて、ふわふわ。

「なあ。翔のことだけどさ」

コウさんは胸のとこから顔を上げて俺を見た。

「あいつ、こころみたいなかわいいのがこんな仕事しててよく平気だよな。そういう話になったりしねえの?」
「うん。翔くんは仕事がんばってねって応援してくれてる」
「はー。まあわかるわ、あいつね。クズじゃね」

翔くんはクズじゃない。
翔くんを悪く言われてちょっとムッてした。

「俺だったら絶対やめさせるわ。耐えられねえよ。普通。自分だけのでいてほしいじゃん。こころはそう思わねえの?」

帰りたい。
翔くんのとこに帰りたい。
うちにいたら、帰ってきてくれるかもしれないから。早く、帰りたい。

「そろそろ時間かな。行こうかな」

延長かけられたら嫌って言えないからどうしようと思ったけど、コウさんは笑顔で送り出してくれた。
またな、って言って。

俺のだ、って思われるのがこわい。
他の誰のとこにも行くな、って言われるのがこわい。
他の人と話したり笑ったりするのを許さないって言われるのが、こわい。
コウさんは自分の恋人がホストするのに耐えられないって言ったけど、俺は、執着されることに耐えられない。
だから。だから俺は、やっぱり翔くんがいい。
優しくて許してくれる人が、いいの。

その後、一回家に帰ったら、翔くんが家にいた。
おかえりって笑ってくれて、心の底からほっとして、まーくんのことを思い出して泣いた。
翔くんは心配して、俺の出勤時間まで、こころーって呼びながら抱きしめててくれた。
コウさんのことは、すっかり忘れてた。
先輩にフェラしたのは、翔くんとセックスしてる最中だったからだ。
そばに翔くんがいたからだ。多分。
俺には翔くんしかいない。





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2015.11.17
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