吉丁八本

待ち疲れて床で寝てた俺を起こしたのは携帯の音。
翔くんからの電話を、飛びつくようにして受けた。
昨日の夜からまるいちにち、連絡が取れなかったからだ。

「もしもし?翔くん?」
『あ、心?おつかれ』

連絡が取れなかったなんてウソみたいな平和な声に、一瞬でなごむ。

「翔くん、今どこ?」
『先輩んちだよ。心、今日お休みだよね』
「うん」

だから、翔くんと一緒に過ごせたらいいなと思ってた。
連絡取れてよかった。

『ごめんね。寝てた?』
「うん、寝ちゃってた」
『先輩が心に会いたいって言ってるんだけど、来れそう?』

気持ちが少ししぼむ。

「…俺に?先輩の人が?」
『うん』
「先輩の人のうちに行くの?」
『俺もいるし大丈夫だよ』
「うん…」

翔くんがくすっと笑った。翔くんのその笑い方は優しくて好きだ。

『怖い?』
「怖くない」

知らない人に会うのは慣れてる。

『よかった。ここ、ありがとう』

翔くんがそう言ってくれて、俺の中の少しだった嫌な気持ちがゼロになった。

「うん。いいよ」

翔くん。

『途中まで迎えに行くから。かわいい格好しておいでね』
「わかった」

翔くんがかわいいって思ってくれるような服。
俺はもうそのことで頭がいっぱいになる。
イエロー系の柄のハーパンと白いシャツにしよう。インナーのタンクトップは翔くんと買い物に行った時に翔くんが選んでくれたやつ。水色の。
心に似合うよ、って笑ってくれたやつ。
電話を切って着替えて、一緒に食べようと思って買ってきたピザを、冷蔵庫にしまう。
送迎の事務所の人に、宅配ピザやさんに寄ってもらって買った。
翔くんは、トマトとソーセージが乗ったのが好きだ。
翔くんが先輩に紹介してもらったお皿洗いの仕事は、一週間くらい行ったあと、行かなくなった。
来てほしいときに呼ぶって言われた、と翔くんは言ってた。でもそれ以来電話が来ないみたい。
だからまた最近、先輩の家に行ってあんまり帰ってこなくなっちゃった。
翔くん。会いたい。
仕事で疲れた時は特にそう。
昨日のお客さんはドMさんだった。
結構強めのSMを頼まれて、おしりに赤いロウソクをたらしまくったり足の指を口につっこんだりバイブを入れてあげたりすごく忙しかった。
一番こまるのは、言葉責めを頼まれること。
むずかしい。手を動かしながら言葉を考えなきゃいけないのが大変。
ドSの人にいやらしいことを言わされる時はむこうが言葉を考えてくれるからラクなのだ。
家を出る前にもう一度鏡を見た。
ほっぺに、フローリングのあとがうすくついていた。

待ち合わせたビルの前で、翔くんが待っていてくれた。
俺に気づいてすぐ笑顔で手を振ってくれて、俺はそれを見てうれしくて泣きそうになってしまう。
会えた。
翔くんに。

「こころー」

小走りで近よった俺を、呼びながら迎えてくれる。

「翔くん!」
「あ、どうしたの、これ」

翔くんはすぐ、俺のほっぺのあとに気づく。そっと撫でてくれた。

「床で寝てたらついちゃったの」
「ああ、なんだ、よかったケガじゃないんだ」

翔くんはにっこり笑う。

「まだ治ってない?恥ずかしい」
「ううん。もうほとんど消えてるよ。行こう」
「うん」

並んで歩き始めるとすぐ、翔くんは俺の方を見て、またにっこり笑う。

「かわいいよ」

俺の腰にやわらかくさわる手がとっても優しい。
褒めてもらえて、うれしい。

「中に着てるやつ、このあいだ買ったのだね」

うれしい。

すごく古そうなマンションに入って、少しカビくさいような暗い廊下を進むと、奥の方にあるドアを翔くんは開けた。
タバコの匂いがモワッとする。

「先輩」
「おう。来た?」

イスに座ってタバコを吸っていた黒髪の男の人が振り向いた。
Tシャツを着てて、首と二の腕のとこから刺青が見えた。

「心です」

翔くんが紹介してくれて、先輩が俺を見た。

「おーす」
「こんにちは」
「…へえ」

先輩は俺と翔くんを見比べて、目を細くして笑った。

「座んな」

部屋の中は結構散らかってて、どこに座ろうか迷って、翔くんが座ったベッドに並ぶ。
床にもうひとつ四角のテーブルがあって、その上には麻雀の道具が置いてあった。
俺は麻雀をやらないからよくわからない。
メンズファッション誌とえっちな本が何冊か、床に置いてある。

「なんか飲めよ。冷蔵庫開けていいよ」

先輩は、すーっとした目をしている人だ。少し怖い感じがする。
翔くんより背が高くて、翔くんより筋肉があるみたい。あと、焼けて肌が黒い。
翔くんが先輩に「さいとうさんは」って聞いて、先輩は「帰った」と言った。
翔くんはそれから冷蔵庫を開けて、ビールを出した。
先輩の前には飲みかけの缶と灰皿代わりのお皿が置いてある。
テレビがついてて、お笑いの番組をやってたけど、誰も見てない。
翔くんが渡してくれた缶を開けて、翔くんがごくごく飲むのを見てから一口飲んだ。

「男相手に売りやってんの、ほんと?」

いきなり聞かれたけど、きっと翔くんが先に話してたんだ。

「はい」
「どんな感じ?まあでも、翔と付き合ってんだもんな。元々そっちなの?」
「そう。かな…違う…かも、です」

敬語を使うのに慣れてないから緊張する。

「相手知り合いでもヤれんの?」
「知り合い?」

意味がわからなくて、翔くんを見る。

「いつもは知らないお客さんだろ?相手が知ってる人でも仕事できる?」

翔くんの言うことはわかったから、先輩に向かってうなずく。
知ってる人にしたいと頼まれたらきっとする。

「へえ。…翔、嫉妬とかしねえの」

翔くんは、はは、と笑ってなにも言わなかった。
それからは、先輩と翔くんが話してるのをしばらく聞いてた。
わかる話もあったし、わからない話もあった。
黙って飲んでたら、少し酔った。

「心?具合悪い?」

翔くんがすぐ気づいてくれる。

「悪くない」

首を横にふると、ちょっとくらくらした。

「酔ったか?弱いのな。横になれば?」

先輩も首を伸ばしてこっちを見てる。
二の腕のそでがまくられてて、刺青がもっと見えた。
あれは、痛いのかなぁ。
黒っぽい色がついてて、でもなんの絵かわかんない。

「翔くん、あれ、なんの絵?」

先輩の方を指さして聞いたら、翔くんはきょとんとした顔をした。
なんのことかわかんなかったみたい。

「あれ。先輩の、肩のとこの」

そう言ったら、翔くんはちょっと困った顔で先輩を見た。

「は?これ?」

先輩が立ち上がってこっちに来る。
怖い。怖いよ。助けて。翔くん。

「…やだ、ごめんなさい、ごめんなさい」

怖くて立って逃げようとしたら、フラフラしてまた座った。

「どした。まじ酔ってんの」
「そうみたいです」
「俺、怖えか」
「いや、そんなことないですけど」

違う。そっか。先輩か。翔くんの先輩だから、怖くないんだった。
まちがえた。
怖かったのは、翔くんの前に付き合ってた人だった。
いきなりキレて殴る人だった。普段はすごくおとなしいのに。それで、殴って、怖がるともっと殴って、もっと怖がると泣いて謝って、好きだよってたくさん言ってくれて優しくなって、それでまたなんかでキレて殴る。
腕に、青や赤の刺青があった。
それでまちがえたのかな。

「先輩、ごめん、なさい、俺ね、酔っぱらってまちがえた、人違いしました」

先輩、怒ったかな。
翔くんが俺の背中を撫でてくれた。
翔くんはいつも変わらない。優しい。ずっと優しい。
それがほんとに大好きで大事で、翔くんのためならなんでもしてあげたくなる理由。
先輩は、ふんって笑った。
それでゆっくり近づいて、翔くんと反対側の隣に座って、近くで刺青を見せてくれた。

「絵?」
「絵っつーか、モチーフ?トライバルっつーんだよ」

よくわかんなかったけど、近くで見ると、先輩の顔はあんまり怖くなかったし、声も優しい感じだった。

「首にもつながってるの?」
「こっからここまで繋がってる。見るか?」

先輩はTシャツをぬいで、頭をぶるぶるっとした。
右の二の腕から肩と首、そこから左の二の腕までつながった刺青を見せてくれた。

「さわってもいい?」
「いいけど」

先輩はまた、ふんって笑った。
近くで見ると、黒じゃなくて濃い緑だった。
さわった感じは他の肌と変わらない。
前のひととおんなじ。

「痛い?」
「痛くねえよ」
「描くときも?」
「おう」
「すごいね、翔くん、先輩強いね」

翔くんの方を振り向いたら、近くで目が合った。
翔くんは少し笑った。

「お前さあ、心?心さぁ」

先輩が俺を呼んだので振り向く。
まだ少しくらくらした。

「1時間いくらで抱かれんの」
「えっと、お客さんが払うのは、1時間3万円くらい。だから、普通は2時間で6万円くらい。この前、ちょっと高くしようかって事務所の人に言われた」
「まじか。高くね?女と相場違うの?」
「同じ事務所でも、みんなお金がちがうの」

事務所の人の話だと、俺は高い方みたいだ。
先輩が俺の口を見た。

「知り合い割引ある?」

また意味がわからなくて翔くんを見る。

「お客さんが知ってる人だったら、知ってる人だから安くしますよーってする?」
「…わかんない。事務所の人に聞かないと」

だいたい、お客さんのとこに行ったら知ってる人だったなんてことは今までない。

「翔」

先輩が翔くんを呼んで、翔くんが「はい」と言う。いいお返事。

「ヤってるとこ見して」

先輩は立ち上がってテーブルに戻って、タバコの箱をトントンして一本出した。
それでタバコに火をつけて、立ったまま壁にもたれてこっちを向いた。
翔くんを見たら、翔くんも俺を見た。

「心」
「うん?」
「できる?」

翔くんは申し訳なさそうな顔をした。
でも、断らない。やだったらやめていいよって言わない。
ってことは、するってこと。

「できるよ、翔くん」

かんたんなことだ。
翔くんは、「ベッド借ります」って先輩に言って、それで俺を横から抱きしめた。
耳にキス。それだけでとろけそう。

「こころ」

ささやき声が俺を呼んで、いきなり口にキスをされた。
舌も入ってきて、シャツをまくった手が胸をいじる。

「あぁんっ」

ええと。相手は翔くんだから、でも先輩が見てるし、でも先輩はお金を払わないからお客さんじゃなくて、だから、俺は今日はわざと声を出さなくていいんだっけ?
翔くんがすごく興奮してるのがわかった。キスしながら俺の手を持って、翔くんのちんぽに触らせる。
すごくかたい。
そこをなでてたら、はあって息して、翔くんは俺を押し倒した。
先輩の方をちょっと見たら、先輩もタバコの煙をふうっとしながら俺を見てて目が合った。
先輩は、何を見たいのかな。
見たいものを見せてあげたいけど。
ただ男同士のセックスが見たいのかな。
翔くんと手をつないでキスをしながら少しだけ考える。
いつもはゆっくりで優しい翔くんの手が、急いで俺の服を脱がせていって、耳のとこで聞こえる息もすっごく荒い。
こころ、ここ、って、すごくイヤらしい声でたくさん呼ばれる。
カチンって音がして先輩の方を見たら、先輩がジッポで新しいタバコに火をつけたとこだった。
上半身裸で立ったまま。さっきと同じ。
すーっとした目をして、また目が合った。
翔くんも少し、先輩の方を見た。それで、自分のパンツをおろす。
俺は持ってたローションで自分の方を濡らして待って、翔くんが覆いかぶさって俺のあしを開いて、それで。

「あっ、あぁんっ、翔くん…はぁ、あ、ああっ」
「こころ…」

人の前でするのもちょっといいなぁと思った。なんだか、翔くんのことを自慢してるみたいな気持ちになる。

「あっ、あんっ」

いつも、2人の時は翔くんにしがみつくけど、そしたらあんまり見えないかなと思って体を反らした。
しばらくそのままつながって、それから翔くんは一回抜いて、俺を抱き起こしてくれた。

「心、上に乗って」

翔くんはとろんとした目で俺に言って、ちゅっちゅっと音をたててキスしてくれた。

「うん」

ベッドの上に座った翔くんに乗って、そしたら翔くんがふわっと笑ってぎゅっとしてくれた。
中に入ってる翔くんのちんぽがぐいっと動いた。

「あ、ん」

膝をベッドにつけて、そしたら翔くんが下から突きあげてくれる。
俺はその時先輩の存在を忘れてた。
翔くん、翔くん、って思ってた。
だからいきなり後ろから首をつかまれて、びっくりしすぎて体がはねて、翔くんのが抜けた。
翔くんが先輩を見る。
先輩はベッドに座って、近くで俺の顔を見た。首はつかまれたままだ。

「俺もまぜろ」

先輩はそう言って、翔くんを見た。
すーっとした目。少しだけ怖い声だった。
翔くんは何も言わない。翔くんも少しだけすーっとした目になった。
先輩はベッドの上に立って、かちゃかちゃとベルトをゆるめてパンツの中からちんぽを出した。
まだ全然勃ってない。

「心。しゃぶって?」

俺の口にぬりぬりってちんぽをすりつけながら、先輩は今までで一番優しい声で言った。
翔くんの先輩は、やっぱり優しい人なのかなぁ。
お客さんにするみたいに、ていねいに、両手でちんぽを持ってペロペロ舐めた。
そしたら翔くんが下からまた突きあげてきて、うむって声が出ちゃう。
だんだん固くなる先輩のをがんばって舐めてたら、先輩が髪の毛をくしゃくしゃ撫でてくれた。
翔くんを見たら、翔くんはガンガン俺を突き上げながら先輩をチラチラ見てた。

「やべえ…イきそ…」

翔くんが小さい声で言って、俺の体をぎゅってして、首にたくさんキスしてくれる。

「心、ちゅうしよ」

翔くんが、横向いて先輩のを舐めてる俺の顔を翔くんの方に向けさせようとしたから、俺は先輩のを放してしまった。

「なんだよ、お前やっぱ嫉妬してんじゃねえの」

先輩が楽しそうに言った。
なんかすごく興奮しちゃった。やっぱり翔くんがいると俺はお客さんにするみたいに冷静にできない。
翔くんが舌を伸ばして俺の口の中をはじからはじまで舐めようとしてるみたいで、しかもすごく息が荒いし、突きあげもすごくて、俺はちょっとびっくりして口を離しちゃった。

「翔くん、先輩のおちんぽ舐めたいの?」

なんとなく聞いた。
俺が先輩のをしゃぶってて、それをすっごく見てたし、その後すぐキスしたし。
翔くんは、「え?」と言った。
先輩は、ふん、って笑った。
違ったのかな。

「彼氏とキス終わった?ならしゃぶって」

先輩がまた俺の口に突っ込んで、そしたら翔くんがすぐイった。

「あっ…は…はぁ…こころ…ああ、んん…」

おなかの中にたくさん出してもらって、それを飲みこむみたいにノドがごくごくしちゃって、そしたら先輩がちょっと苦しそうにした。
それから少しの間、ちゃんと集中してフェラする。

「やっぱうめえなぁ。お前、プロだもんなぁ」

先輩が俺の髪の毛をいじりながら言って、褒めてもらってうれしくてしゃぶったまま見上げたら、ちょっと笑って俺のほっぺをつんつんした。
翔くんはずっと、俺と先輩を見比べてる。
先輩がそれに気づいてまた笑った。

「翔。顔にぶっかけてやろっか」

翔くんはすこし体を動かしてから、小さい声で「好きに、して下さい」って言った。なんだか苦しそうな声。

「嘘だって。お前にはしねえよ。…心、顔射していい?」

翔くんはもうイって、相手は先輩だから。
俺は無意識にそう思って、お客さんにするみたいに上目遣いになって、「して、顔にいっぱいかけて」って言った。
先輩は無表情でシゴいて、少しだけ息をつめて、俺に顔射した。
翔くんがまたすぐ、俺の体をぎゅっとした。
俺は口にかかった精液を舐めて、先輩を見る。
先輩はなんにもなかったみたいな顔でベッドを下りて行って、またタバコを吸いだした。
そこで、先輩がお客さんじゃなかったことを思い出した。
なんだか、いろいろ考えてちょっとだけ疲れた。先輩は、友達でもお客さんでもないから、どうしていいのかよくわかんない。
先輩がティッシュを何枚か取って差し出してくれたから、顔を拭いて翔くんの上から降りた。
翔くんはいつもより元気がない。笑わないで、少し困ったみたいな顔で、隣に座った裸の俺を力いっぱい抱きしめた。

「心…」
「翔くんどうしたの?大丈夫?」

心配になって聞いたら、俺にだけ聞こえるような声で翔くんが言う。

「ここ、帰ったらもう一回しよう?」

おもいっきりうなずいた。
今すぐ帰りたくなってしまう。

結局翔くんはそれから、缶ビールをもう一本飲んだ。
俺はサイダーをもらった。
先輩は普通に俺や翔くんに話しかけたのに、翔くんはすっかり元気がなくなってしまった。
そんな翔くんを、先輩が何回か笑った。

「心はさっきイってねえよな」

先輩が俺に言う。サイダーでのどがぴりぴりした。

「うん」
「仕事の時、お前はイかねえの?」
「お客さんがどうしたいかで決まるのかなぁ」
「のかなぁ、じゃねえよ、毎日やってんだろが」

先輩は笑うと優しい顔になる。

「お客さんだけイけばいいときはイかないし、俺がイくの見たい人もいて、その時はイく」
「へえ」

イくの見たい人もいるし、精液かけられたい人もいるし、飲みたい人もいるし、俺が出したのを俺に飲ませたい人もいるし、おしっこが見たい人もいるし、他にもたくさんいろいろあるけど、説明が大変だから言うのはやめた。
翔くんは黙ってビールを飲んでいた。

先輩の家から帰って、それまで元気がなかった翔くんが、いきなり俺の肩をがしってつかんでびっくりした。

「翔くんどうしたの?」
「心」
「ん?」

翔くんは、しばらく口をモゴモゴしてた。でも何も言わないで、俺をベッドに倒した。

「心」
「ん」
「…もっかい…」
「うん。翔くん、しよう?」
「……ここ…」
「翔くん」

やっぱり翔くんと2人が一番いいと思って、すごく安心して笑っちゃった。
翔くんがその後、フェラしてほしいって言ったからしてあげた。
いつもより少しだけ、本当に少しだけ、翔くんは優しくなかった。
翔くん。
明日も明後日も、先輩のとこに行かないで、俺のとこにいてくれればいいのに。
翔くん。
何回も何回も、翔くんは好きだよって言ってくれた。
ぎゅっとされて眠って、もしかしたら翔くんが明日から先輩のうちに行かなくなるかもしれないって、ちょっと期待した。
でもやっぱり、次の日の夕方、翔くんは先輩の家に行くために出て行った。
さびしくって泣きそうになりながら見送る俺に、翔くんは言った。

「心の仕事が普通だったらよかったな」

それで、ごめんって言ってまた、翔くんは俺をぎゅっとした。
今日はなんだか俺より翔くんのほうが泣きそうに見えて、びっくりした俺を残して翔くんは出て行った。
どういう意味かわからなくて、もやもやして、のろのろ着替えながら考える。
普通の仕事。普通の。
電話がなる。
翔くんじゃなかった。
事務所の人が、今日のお客さんのことと、迎えに来る時間を教えてくれる。
考えてもしかたないんだ。今日もお客さんとえっちなことをして、それで、明日また翔くんに会えるのを楽しみにして、翔くんにおいしいごはんを食べてもらうために、がんばってお仕事をするんだ。
俺には、それしか、ないの。






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2015.7.31
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