吉丁八本

「そろそろ行かなきゃ」

翔(しょう)くんが壁の時計を見ながら言って、俺はとたんに心細くなる。

「もう行くの?」
「ここも行かなきゃだろ?客、待ってんじゃないの?」
「…まだ時間ある」
「仕方ないなぁ。心(こころ)は」

翔くんはそう言うと、呆れたように笑って、もう一回抱きしめてくれた。
一生、ベッドで翔くんと抱き合っていられればいいのに。
離れるのがイヤで力いっぱい抱きついた俺の背中を、翔くんはぽんぽんしてくれる。

「今日は予約あるの?」
「わかんない…多分…あるけど…」
「ここは売れっ子さんだからね」

こんなかわいい子が来てくれたら俺ノンケでも一瞬で勃起するわ、と言って、翔くんはキスをしてくれた。
うれしい。

「翔くんは?明日の朝帰ってくる?」
「うんー。多分ね。先輩たちが帰してくれたら」

また、先輩たち。

「…何時ころ?」
「わかんないよ。帰る時連絡するから。ね?もう行くよ」

そう言うとするっと起き上がって、翔くんは手早く着替え始める。
俺の腕はからっぽになった。

「心、ごめん。5万借りていい?持ち合わせ無かった」

翔くんは、お金が入ってる引き出しに手をかけながら、俺を見る。

「いいよ」
「返すから」
「いいよ、そんなの」
「ごめんな、本当」

のろのろ起き上がりながら、今日の下着と洋服を頭の中で選ぶ。

「じゃあ行ってくるね。仕事がんばれよ」
「あっ、待って、行ってらっしゃいのちゅして」

親を追いかけるヒナって、こんな気持ちじゃないかな。
さびしい、さびしい、さびしい。
立ち止まって振り返った翔くんは、完璧な笑顔でキスをしてくれる。
それからすぐに出て行ってしまった。
さびしくて泣きそうな気持ちを飲みこみながら、俺も支度を始める。
翔くんはもともとお客さんだ。
かっこいい顔してて、モデルの仕事に誘われたこともあるって言ってた。
優しくて、怒ったりしなくて、いっつもテンションが同じだから、すごく癒されて、3回呼んでもらって好きになった。
テンションが同じってとこがすごく大事。
急に怒ったり泣いたりしない。安心できる。
翔くんには、家がない。
だから今はうちに住んでる。
仕事をする時もある。ポスティングとか。キャバクラのオープニングイベントのスタッフとか。
でもすぐ辞めちゃう。多分、優しすぎるからだ。
それで、その間は使う分だけお金を貸してあげて、でも働いたらちゃんと、少しずつ返してくれる。
ちょっとずつでごめんって、すごく何回も謝りながら。
俺はそんなの、どうでもいい。翔くんが仕事で傷ついて帰って来るほうがイヤだから、お金なんかあるから、だから、ずっとうちにいてくれるほうがいいのにって思う。

最近、翔くんは、前の職場の先輩とかいう人たちと、たくさん飲みに行くようになった。
3日帰ってこなかった時は、心配しすぎておなかを壊しちゃった。仕事にならなくて大変だった。
俺は、ゲイの人相手の出張ホストをしてる。



仕事のしたくをし終わって事務所に連絡したら、聞きおぼえのある名前で予約が入ってて、タクシーでシティホテルに行った。
そのホテルは繁華街にあって、キラキラした小さなライトがたくさん壁についてた。
ああ。あのおじさんか。前も、ここに泊まってた。仕事でこっちに来た時に呼んでもらったんだった。
大丈夫。変な人じゃなかったと思う。多分。
部屋番号はメモしてある。これから飲みに出るらしき人であふれたフロントを素通りして、でかいエレベーターに乗った。

「ココ!」
「上山(かみやま)さぁん。久しぶり」

部屋のベルを鳴らしたら、大げさに腕を広げながら上山さんが出てきて、迎えてくれた。

「ココちゃん、まだホストやってたんだね」

孫に会ったじいちゃんみたいな顔してる。

「やってるよ。お客さんいるうちはやるよー」
「ココちゃんかわいいから、誰かに買われて辞めてるかと思ったよ」

まさか。江戸時代じゃあるまいし。

「ダメ元で電話してよかった」
「ありがと」

指名されるのはうれしい。意味があることだ。
源氏名はココ。
心は本名で、そこから取ったけど、お客さんには「ココアが好きだから」って言ってる。
Sっぽい人には「ココアっていう犬を飼ってたから」って言う。
なんとなく、Sの人はそうするとうれしそうにする。
上山さんはMっぽいから、ココア好きの方を言ったと思う。
それとも、ココナッツが好きだって言ったかな。
ドーナッツのココナッツのやつは、好き。

「晩ご飯は?食べた?」
「食べてないの」
「どうしようか」

これは、ごはんが先か、セックスが先かってことだから、どっちでもいい。どっちかと言うとセックスが先の方がいいけど。

「最上階にフレンチが入ってるから、先に食べようか。明日の9時まで予約したんだけど、それでOK?」
「うん。ココ、今日は上山さんだけ。うれしい」

上山さんは満足そうに笑った。
俺は頭の中で「今が夜の10時だから」とお金の計算をした。
11時間。しかもそのうち何時間かは寝る時間だ。
ラクしてたくさん稼げる。わーい。
翔くんとステーキ食べに行こう。
翔くんはお肉が好きだから。
柔らかくておいしいお肉をいっぱい食べさせてあげられる。
うれしくって笑っちゃって、上山さんがそれを見て笑った。
よかった。
がんばるぞ。

フレンチはおいしかった。
ホストをしてても、同伴とかアフターで行くごはんやさんは色々で、ラーメンのときもあるし、牛丼のときもある。
フレンチのマナーは事務所の人が教えてくれた。
俺が、そういうお客さんに気に入られるようになってからのことだ。
だから、うちのホストがみんな習うわけじゃない。

「夜景、キレイねー」

本当にキレイだった。
上山さんはニコニコしていた。
シャンパングラスはガラスが薄くて割れそうでこわい。
デザートのラズベリーシャーベットと生チョコまでしっかり食べてから、上山さんが「行こうか」と言った。

「ココちゃん…」

上山さんは鼻息をふんふん鳴らしながら、俺の体をなめまくった。
全身がでろでろだ。

「かみやまさぁん…きもちいいよぉ…」

あしを思いっきり広げて、手を後ろについて、上山さんがなめるのをずっと見てた。
上山さんのちんぽはもうたってる。でもやっぱり、年だからかな、あんまり元気がなさそうにシュンとして見えた。

「ねえ、もういれてよ、ほしいぃ」

ローションを取ってうつ伏せになって、おしりのあなを広げたり閉じたりして見せてあげる。
上山さんは「おお、よしよし、そうしてやろうなぁ」と言ってローションのふたを開けた。
本当におじいちゃんみたいだ。
コンドームごしに、50歳くらいの男のひとのちんぽにこすられる俺の体。

「あぁん」

ひたすら、あぁん、と言うことに集中する。
上山さんはがんばっている。

「あぁん、あぁん」

はあはあ、ココちゃん、はあはあ、と、上山さんががんばって、だからいつの間にか俺も心の中で「がんばって、上山さん、もう少し、射精するまでがんばって」と応援していた。

「はあ、ココちゃん、ココ、ココ、」
「あぁんあぁん、あぁん!あぁん!」

相手がいきそうなのを感じると、声をたくさん出すことにしてる。
お客さんとのセックスでは出そうと思わないと声が出ない。
翔くんとする時は、イヤになるくらい出るのに。
ぬうっ、という声が聞こえて、上山さんがベッドに倒れた。
心配になるくらい汗をかいてて、俺は自分がいくのも忘れて、顔をのぞきこんでしまった。

「大丈夫?」
「…ココちゃん…大丈夫だよ…はは、少し疲れてしまって」
「ココも疲れた…寝る?」
「そうだね…少し寝ようか」

このまま9時まで何もしなくてもいいなぁ、と思いながら、コンドームを取ってふんにゃりしたちんぽをティッシュで拭く。
ちょっとだけなめてあげたら、上山さんはすごく嬉しそうに笑った。
それから上山さんと自分の上に布団をかけた。
上山さんが腕を出してくれたから、遠慮なくまくらにさせてもらった。
翔くんは今ごろ、楽しくしてるかなぁ。
俺のこと、思い出したりしてくれるかなぁ。
そうならいいなぁ。
俺はすぐに、ぐっすり眠ってしまった。

ココちゃん、と呼ぶ声で目がさめる。

「おはよう、ココちゃん」
「…おはよ…今何時?」
「5時半」
「5時半?まだ朝だ…」
「もう朝だよ。起きて支度をしなさい」
「ええー?早いよ…」
「ココちゃんに、おいしい朝ごはんもちゃんと食べさせてあげたいから」

上山さんたら本当におじいちゃん。
早起きすぎる。

「知ってる?ホテルの朝ごはんは10時頃までやってるよ?」
「知ってるさ。早く食べて、もう一回しよう」

あー。そうだそうだ。仕事だったんだっけ。
起きて熱いシャワーを浴びると、ちゃんと仕事のことを思い出した。
ごはんはバイキングだったけど、あんまり食欲がなくて、焼きたてのくるみパンとオムレツだけにした。
上山さんは「もっと食べなさい」と言いながら、ごはんと味噌汁と梅干しと温泉たまごと魚と肉とポテトと煮物とつめたいおそばとサラダとつくだ煮とウインナーと、最後にグレープフルーツも食べた。
すごい。
ココは上山さんを見てるだけで満足だよ、と言ってあげた。
くるみパンはとてもおいしかった。

部屋に戻って「あぁん大会」をもう一回して、上山さんは汗だくになったからシャワーを浴びて、そうしたらもう9時前になってしまった。
ふしぎなもので、俺はそうなると少しさびしくなってしまう。
上山さんにはもう一生会わないかもしれない。
お客さんと別れる時はいつも、誰でも、そう思う。

「上山さん。次はいつ来るの?もし来たら、ココのことまた呼んでくれる?」

だからそれは、営業じゃなくて本心からの言葉になる。
上山さんは、来年もまた来るから、絶対にココちゃんを呼ぶよ、と言った。
ほんもののおじいちゃんと別れるみたいで、泣きそうになった。
上山さんは分厚いおサイフからお札を出して、俺にくれた。
それから、お土産だよと言って、和紙の箱に入った和三盆糖のお菓子をくれた。
それから俺に向かって、ありがとう、と言った。
さようならをして、俺はホテルの部屋を出る。
ホテルの前にはお迎えの車が来ていた。
黒いミニバンだ。
乗り込んで事務所の人にお金をわたす。
わたしながら、セックスを2回したことと、オプションは何もなかったことを伝えて、自分の取り分をもらう。
まあ、セックスを何回したかは言わなくてもいいんだけど。
何回しても同じだから。
俺は時間で買われているから。
「フレンチおいしかった」と言うと、事務所の人がいいなと言った。
だから、くるみパンもおいしかったことは言わなかった。
その頃にはもう、上山さんと別れる時のさびしさはどっかに飛んでってしまって、なんにも残っていない。
和三盆はあんまり好きじゃないから、事務所の人にあげた。
すっきりとした気持ちで、俺は家に送り届けられる。

その日の夜、俺の出勤する時間になっても、翔くんは戻ってこなかった。
電話も通じない。
あきらめて、なるべく心配しないようにして、お客さんに呼ばれたホテルに向かう。
本当はいますぐ探して歩きたい。
誰かに傷つけられてないか。
先輩とやらにいじめられてないか。
悪い人に襲われてないか。
お金はあるんだから、外に出なければいいのに。
そう考えてから、違う、働きに出てるわけじゃないから、翔くんはお金のために出かけるわけじゃないんだと気づいた。
お金を遣うために出かけるんだ。
そうか。
ううん。
じゃあどうしたらいいんだろう?
着いた場所は街外れのラブホテルだった。

佐藤、というその人は、ものすごく暴力的な人だった。
多分30歳くらい。
小綺麗な格好をしていて、スポーツをしていそうな体格だ。
俺の髪を引っ張ってフェラをさせて、えづく顔が最高だって言った。
よだれが汚ねえって言ってほっぺをつねられた。
ちんぽはガッチガチだった。
首輪も持ってた。
SMは、オプション料金がかかる。
受け付けるホストとできませんって言うホストがいる。
俺はやる。だからまあ、いいんだけど。
首輪をされて、ベッドにくくりつけられて、背中と頭を踏まれた。
ギャグを噛まされた時は、ちょっとこれは危ないかもしれないと思った。
ギャグ自体はいいんだけど、ギャグの前にハンカチを入れられて、完全に声が出なくなったから。
なにされるか、少し不安になったら、後ろ手に縛られて目隠しもされて犯された。
2回目は耳栓もされた。
自分のうなり声しか聞こえなくて、ぐるぐるといろんな体位をさせられて、わけがわかんなくなった。
ここで死んだら翔くんのおうちとごはんがなくなっちゃう、どうしようと思った。
引き出しにはまだお金が150万くらいあるし、銀行にもまだあるから、当分大丈夫だと思うけど。
でもあんまり先輩たちと遊んでると、早くなくなっちゃうから気をつけてねって、それだけ最後にいいたいなぁと思った。
耳栓と目隠しが外されて、ギャグも外されて、ハンカチを口から出すと、佐藤さんは汚ねえって言って俺のほっぺを殴った。
平手で。パチンと音がして、少し痛かった。
それで、正常位でもう一回犯された。
レイプしてやる、お前なんか犯してやる、感謝しろ、お前なんか俺くらいしか相手にしねえんだ、と言いながら。
いろいろ忙しいセックスで、3時間はあっという間だった。

佐藤さんは、お金を床にバサって置いた。
拾って帰れ、と言われたので拾ってたら、立たされて乱暴に抱きしめられた。
そこで初めて名前を聞かれた。
なんでココなのって聞かれてココアという犬の話をしたら、ふぅん、って言われた。
もうセックスが終わったからそんなことはどうでもよかったのかもしれない。
よかった?と聞いたら、無愛想な声で、よかったよ、と言われた。
また呼んでくれるか聞くと、必ず呼ぶと言われた。
うれしい。

迎えの車に戻って、3回セックスしたこととSMのオプションがあったことと、疲れたから指名がないなら今日はもう帰りたいことを伝える。
床から拾ったお金は料金より少し多かったから、事務所の人とこっそり山分けした。

「ほっぺ殴られたの。腫れてる?」

事務所の人はほっぺを優しく撫でてくれた。
もう痛くない。

家に帰ると、翔くんがいた。
シャワーを浴びたところみたいで、スウェットのズボンに上半身は裸だ。

「翔くん!」

靴を脱ぎ散らかして、部屋の真ん中で翔くんに抱きつく。

「ここ、お疲れさま」

抱き返してくれる翔くんの匂いをかぐと、頭がマヒするみたいな気がした。

「昨日は?どこにいたの?先輩たちと?」
「そう。先輩たちが返してくれなくて。麻雀やってた」
「電話もつながらなかったんだよ?」
「ごめん。音切っててさ」
「…心配した」
「ごめんな。心。好きだよ」

いいの。全部いいの。

「ねえ。しよう?」
「今から?ここ、お客さんとして来たんじゃないの?」
「お客さんとはした。でも翔くんとはしてないよ」

翔くんは「はは」と笑った。

「そうだな。俺とはしてないね」
「おとといしたっきりだよ?」
「そうだね」

翔くんは俺をベッドに運ぶ。
俺にのしかかってキスしようとしたところで、翔くんは止まった。

「心、ほっぺどうしたの?赤い」
「お客さんに殴られた」
「かわいそうに…痛い?」

翔くんがほっぺを撫でてくれた。

「痛いの。いたいよ、翔くん」

翔くんの胸におでこをごしごしして甘えてみる。

「俺がここのこれからを全部、買ってやれればいいのにな」

囁くみたいに言って、翔くんはすごく激しくキスをしてきた。
いいの。お金なんかいいの。
俺の未来なんか買ってくれなくていい。
それより、俺が翔くんを買いたい。
翔くんがどこにも行かないって、そう言ってくれるなら、俺はいくらでも払う。

翔くんとセックスして、うとうとしてた。
翔くんの声が少し離れたところで聞こえる。
電話をしてるみたい。

「…うん…大丈夫ですよ……明日行くから……」

先輩かな。

「うん…はい…がんばります……」

翔くん。

「翔くん」

大きな声で呼んだ。
あわてて電話を切る気配。

「心?起きた?ごめん。先輩と電話してて」
「うん」

翔くん。

「翔くん、俺のこと好き?」

翔くんは、すごく優しく笑う。かっこよくてドキドキする。

「当たり前だよ。大好きだよ。ここ」
「俺も。俺も好き。翔くん」
「心。一緒に寝ようね」
「うん。寝よう?」

ベッドに入ってきた翔くんの匂いをたくさんかいだ。

「ここ。明日俺、仕事行くから。皿洗いだけど。先輩が紹介してくれて。だから俺、がんばってここにお金返すから」

翔くんは真剣な目で俺を見てる。

「がんばってね。でも、ムリしないでね」
「ありがとう。心」

いいの。全部いいの。
俺も明日、仕事だから。
さびしいけど、仕事してくるから、いいの。

翔くん。

「やめたくなったら、やめていいから」

そう言うと、翔くんはぎゅっと抱きしめてくれた。

「心…俺、心がいてくれないと無理だよ。愛してる。愛してるよ…」

小さなその声を聞いて、苦しいくらい、幸せだと思った。






-end-
2015.3.15
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