あなたたち、狙われていますよ。

「柏木、今日の夜、どう?」

その上品な顔でほほえみながら、耳元で密やかに、宮園さんは言う。

俺が女だったら失神しそうなセリフだ。

「空いてますけど」
「ちょっと面倒なことになって」
「まさか社長とですか」
「塚本も」
「……宮園さん、いつか殺されると思いますよ…」

本気で心配だ。

「違うよ、俺も不意打ち食らったんだから」

宮園さんは儚げにため息をつく。何をしても絵になる先輩。

「何ですか。俺かあいつかどっちかを選べって言われたんですか」
「それを言われるべきは社長だよ」
「は?」

宮園さんは、ランチ後のコーヒーを飲み干して立ち上がる。そして言った。

「塚本、社長にも手、出されてた」

昼ドラか!



「それで、社長室に入ろうとしたら、中から塚本が飛び出してきて」

宮園さんは憂い顔で言って、ワインを飲んだ。俺は手でチーズをつまみながら聞いている。
ああ。宮園さんのドロドロ三角関係なんかどうでもいい。鳴海に会いたい。

「しかも泣いてたんだよ。酷いよね。確かに塚本は繊細だけど、泣かせるなんて」

宮園さんは珍しく、怒りを露わにした。

「塚本はそのまま走り去ってしまったし、とりあえず社長を問い質そうと思って社長室に入ったら、社長はズボンのファスナーを上げたところで、俺を見て息が止まってた。ベルトは半分外してあったし、事後だと思って」
「嫌だ……こんな会社嫌だ……」
「それで、塚本を追いかけたんだよね。少し探したら、あの子トイレの手洗い場のすみっこでしゃがみこんで泣いてて」

あの、プライドの高そうな塚本が、個室に入りもしないで泣いていたとは。よっぽどだ。

「いやよっぽどでしょうね間違いなく」
「だよね。かわいそうに……俺の塚本を……」

塚本。逃げろ。

「それで俺が宥めて自宅で保護したんだ」

手遅れか。
塚本。何もしてやれなくて、すまん。

「言っておくけど、何もしてないよ」
「まさか!その弱味につけこんで襲ったんじゃないんですか」
「失礼だなぁ。落ち着くように暖かい飲み物と寝具を提供して寝かしつけて、栄養のある朝食を作ってあげただけだよ。社長のせいで手を出しづらくなった。あんなに傷つけて。本当、許せないな」
「宮園さん。目が怖いですよ」
「おかげで大事なものがはっきり見えてきたよ」

宮園さんはにっこり笑った。

「社長とは手を切る。塚本は、俺のものだ」
「まずいですね。宮園さん、今すごく機嫌が悪いですよね」
「全然?」

宮園さんはこれ以上ないくらいのさわやかな笑みを浮かべた。
怖くて吐きそうだ。最上級にキレている。

「今日まだ火曜ですね、明日も早いしなー」
「柏木、もう一軒……ね」

宮園さんはわざと色気のある表情をして囁く。怖い。怖すぎる。

「じゃあ、その代わり鳴海の話も聞いてくださいよ」
「えー、いらないんだけど」
「鳴海、あいつ今日もすげえかわいかったです。俺がフォローしなくても赤木社長と、って聞いてます?」
「はあ……社長に塚本の処女取られた……」

宮園さんのダメージはでかいらしい。

「ちゃんと見張ってないからそんなことになるんですよ。俺みたいにいつも隣にいなきゃ」

課が違うのだから仕方が無いが、わざとそう言ってやると、宮園さんはニコリと笑う。

「それについてはもう考えた」
「どういうことですか?」
「社長に、すっぱり後腐れなく別れてあげるから、塚本を秘書から外して」
「駄目です宮園さん」
「営業に回して下さいって」
「宮園さん!」
「……どうして駄目なの?」

宮園さんは拗ねたような顔をして俺を見つめる。腹立たしいほど綺麗な顔だ。
どうしてってそんなもの、会社の向かいの席で密かにとんでもない事が起きたら嫌だからに決まっている。
机の下で塚本にフェラさせながら平然と取引先に電話するとか、塚本が涙目だと思ったらおもちゃを入れられていたとか。
宮園さんならやりかねない。いや、やるだろう。絶対にだ。
でもそうは言えないので。

「塚本は営業向きじゃないんじゃないですか」

本当は向き不向きなんて言いたくないし、塚本はどんな仕事でもきっちりこなしそうだが。
宮園さんは眉を寄せながら優雅にワインを飲んだ。

「でもこれ以上社長のそばには置いておきたくないよ」
「まあそうですよね」
「俺の塚本なのに」

でも確かにね、と言って宮園さんは思案顔をする。

「それよりは、自分の出世を約束してもらった方がいいかな……自分のことは自分でできるけど、条件を出した方が社長が引け目に感じてくれるだろうから」

ものすごい自信だ。社長の力などなくても上りつめてやるという野心。優しい顔をして底知れない人だ。

「俺の鳴海は平凡でよかったですよ、誰にも取られないし」
「それがそうでもないかもよ」
「……どういう意味すか」
「怖いよ、顔。せっかくの美貌が」
「どういう意味ですか」

遮って聞く。さあ言え。さもなくば。
宮園さんは軽く溜息をついて微笑した。

「由梨が鳴海のこと気に入ってるらしいって、噂になってる」
「由梨さんが……」

絶望的な気持ちになる。

「だから、手を出すなら早い方がいいよ。鳴海、意外と年上にモテそうじゃない」
「由梨さんが……由梨さんが……」
「俺も柏木も、動く時が来たんだよきっと」

宮園さんが首を傾げて微笑む。
由梨さん。
可憐な女性を想像しそうなこの名前の持ち主は、ガタイのいい、営業企画課の男性社員だ。
宮園さんの同期で、由梨は苗字。
元ラグビー部で、肩の筋肉がもりもりだし、鳴海1人なら指2、3本で持ち上げそうな風貌。
声も大きいし、ガサツなイメージがあって、俺はあまり得意ではない。
もし、鳴海を狙っているのだとしたら。
くどそうなライバル出現にげんなりしながら、グラスに残ったワインを飲み干す。



「鳴海」
「はい」

翌日の午前中、一生懸命書き物をしている猫背気味の背中に呼びかける。
ぱっと顔を上げる、かわいい鳴海。

「せい月の年契資料まとまったのか」
「ねんけい…?…はっ!」

得意先の年間契約と聞いて一気に顔を白くする、かわいい鳴海。

「まさか手つけてないとか言うの、お前」
「……まさか……」

自分でも信じられないと言いたげな、かわいい鳴海。

「今すぐやれ。プレゼン来週だろ」
「そうでした……!」
「他の仕事置いといていいから。俺の方終わったら手伝ってやる」
「柏木さん……すみません……」
「終わったらメシおごれよ」
「はい、何でもします!」

何でも?お前絶対だな。どこ触っても少し抵抗しながら嫌がらないとか、できそう?ちょっとだけだから。
思わずポーカーフェイスを崩しかけると、向かいで意味ありげに微笑む宮園さんと目が合った。

「ギリギリで間に合わなそうなら俺も手伝うよ」

優しげな宮園さんの口調。

「とりあえず2人でやるんで。足りなそうなら声かけます」

言外に邪魔だと漂わせてやんわりお断りする。

「へえ……鳴海」
「はい」

宮園さんはニヤニヤしながら鳴海を呼ぶ。宮園さんのニヤニヤは、一般人の爽やかな微笑だ。

「柏木先輩は優しいねえ」
「はいっ!優しいです」
「いつか恩返ししないとね」
「はい、ぜひ」

鳴海がかわいい顔で俺を見る。いつかベッドで恩返しをさせてやる。



「このグラフ、バラせば?」
「ばらす……?」
「わかりづらくないか。去年のここだけ抽出して別グラフにすれば」
「なるほど!やります」

素直だ。かわいい。
金曜24時少し前。最悪、土曜日半日出れば終わるだろうという所まで来た。
華奢な肩にさりげなくタッチしたり頭を撫でてやったりして、俺にとっては貴重なイチャイチャタイムとなった。

「続き明日にするか?」
「あっ、はい、すみません…こんな時間だ…」

焦り出す鳴海。そうか。時間が経つのを忘れるほど俺との時間が楽しかったか。

「お前、明日の夜予定あんの?」

仕事終わりに2人で飲みに行こうと誘う絶好のチャンスを掴む。

「あ、明日、えっと…」

なのに、鳴海は歯切れが悪い。

「実は、あの、夕方までに仕事終わればって言ってはあるんですけど、由梨さんに誘われてて」
「……へえ」

忌まわしい名前に、俺はそれ以上言葉を繋げることができない。

「企画課と絡んでから、色々アドバイスもらったりしてて、優しいんです。もっと怖い人かと思ってたんですけど」

許さん。

「……明日、めし?」
「はい」
「俺も行く」
「え?」
「だめ?」

ぐいっと近づいて、できるだけ優しく微笑んでやると、鳴海は驚き、そしてぱあっと笑った。

「まさかそんな!だめな訳ないですよ、嬉しいです。一緒に行きましょう」

ああ。かわいい。俺の天使だ。

「じゃあ、今日はもう帰ろう。終電逃すし」
「はい、すみません、ありがとうございました」

むしろ終電を逃して2人でその辺のホテルに行くという手もあったか、と思いながら、帰路についた。



土曜日の午後を使って資料をまとめ、由梨さんとの待ち合わせ場所だという居酒屋に入る。
奥の席ででかい図体が立ち上がるのが見えた。

「鳴海!こっちこっち!」

うるさ。声でか。恥ずかしいからやめてほしい。
キリッとした眉毛と目元に、そこだけすっきり通った鼻筋、分厚い唇。ツンツン立てた髪の毛まで憎たらしい。
ついてきたことを若干後悔する。しかし、かわいい鳴海をあのガサツな先輩にどうにかされるわけにはいかないと気合いを入れる。

「ん?柏木も来てくれたのか!なんだ、いやぁ、嬉しいよ、座れ座れ」

大きく笑って俺の肩を叩く由梨さん。

「やめてくださいよ、肩が外れます」

叩かれた肩をさりげなく払う。

「バカ言え!外れるかよ!まあ、外れたら入れてやる。ラグビーでは日常茶飯事だからな」

ハハ、と笑う顔に殺意さえ湧きそうだ。

「由梨さん、あの、柏木さんを虐めないで下さい」

鳴海がオロオロしている。どうしてそんなにかわいいんだろうと真剣に考えた。
由梨さんの向かいに座った鳴海を守るように隣の席に着く。
鳴海と自分のビールを頼んでから、由梨さんの前にあるのがカクテル系のグラスだと気づく。

「由梨さんは何飲んでるんですか」
「オレンジジュース」

言葉を失う。気持ちが悪い。

「……なぜ?罰ゲームですか?」
「ぶはっ、何を言う。柏木は相変わらず面白いやつだな」

楽しそうに笑う由梨さんに、どんどんテンションが落ちる。

「柏木さん、由梨さんはお酒がダメなんですって。だから今日も、定食屋さんでいいって言ったんですけど、僕に飲ませてやりたいからって居酒屋に」

鳴海に飲ませる?そして何をする気だ。自分はシラフのまま連れ帰るつもりか。
卑怯だ!やり方が汚い!地獄に堕ちろ!

「鳴海。帰りは俺が送ってやるから安心して飲みなさい、俺が送ってやるから。俺が」

すぐさましつこく先約を入れる。

「そんな、大丈夫ですよぅ」
「嘘つけよ。ビールひと口で何だよその顔色は」

ほんのり赤く、甘く、とろとろし出した鳴海を思わず見つめた。
抱きたい。どうしたら俺のものになるだろう。

「柏木さんが優しい。えへへ」

そう言って照れたように笑う鳴海を、なんとしてもこの怪物から守らねば。

「鳴海は本当に柏木に懐いてるなぁ」

由梨さんがしみじみといった口調で呟く。
キッと睨みつけると、由梨さんは俺を見て笑った。

「かわいいか、後輩」
「あったりまえじゃないですか。俺がイチから育てたんですよ。よくがんばってるし、素直だし、心の底からかわいいですよ」

すると隣で鳴海が「くあ」と喉を鳴らした。

「柏木さん!そんな風に思ってくれてるんですかぁ!ああもう、俺死んでもいい!」
「わかったわかった。でもお前がいなくなると仕事が増えるから、死ぬな」

頭を撫でてやる。

「柏木さん、かっこいい!好きです!大好き!大尊敬です!」
「ははは、全く仕方のないやつだな」

由梨さんの存在をすっかり忘れて肩を抱く。

「俺だって大好きだよ」

耳に吹き込むように囁くと、くすぐったかったのか、鳴海は身をよじって笑った。
連れ帰ろう。そうしよう。いける。鳴海が酔ってへろへろしているうちにもう勢いで抱いてしまおう。

「おいおい、怪しいな!そういう、かっ、関係かよ!」

由梨さんが平静を装いながらも顔を引きつらせ、カミカミで茶化してくる。
ふん。知らん。誰だこのゴリラは。

「そういうわけで鳴海があれなんでもう帰りますね」
「ええっ?柏木さん、嫌だ、まだ飲みますよぅ…」

鳴海がなぜか拒む。かわいい顔をして。眉間にしわが寄っていたので、そこをちょんちょんとつついてやる。

「まだ飲む?大丈夫なの?お前」
「大丈夫ですってぇ。もっと飲む!もっと飲みます!へへ」
「まったく仕方ないな。具合悪くなったら俺に言えよ?」
「はい、柏木さんに言います!」
「そう。俺に。偉いなー鳴海、よしよし」

由梨さんの前で思い切りイチャつく。気持ちが晴れやかだ。

「鳴海。俺ちょっとトイレ行ってくるから。気をつけろよ、いろいろ」

由梨さんに睨みをきかせながら言う。

「あ、俺もトイレ」

なぜついてくる、と一瞬不快に思ったが、鳴海と二人きりにするよりはよっぽどいいので好きにさせる。
幸い男子トイレには小便器が二つあった。奥の方を使おうとその前に立つと、なぜか由梨さんに羽交い絞めにされる。

「くそ!…卑怯だぞてめえ…!」

鳴海のためにもここで命を落とすわけにはいかないと必死で抵抗すると、後ろの由梨さんが信じられない言葉を発した。

「柏木!頼む、聞いてくれ、ずっと好きだった、柏木、好きだ」
「は?何言って、ってちょっと放せよ!」
「無理……」

揉み合いになるが、体格差は埋まらない。背は同じくらいだけれど体の厚みが違いすぎる。
後ろにあった個室に押し込まれ、壁に押し付けられて向かい合う格好になる。

「なあ柏木……お前鳴海のことが好きなのか?うすうす気づいてはいたけどやっぱりそうなのか?付き合ってるの?いやそうでもいい、頼む、一回ヤらせて」
「最低だなこのゴリラ先輩が……」

抵抗しようにも、両腕を抑えられて脚も使って壁に貼り付けられて、形勢逆転が難しい。

「ゴリラでもなんでもいい……その顔で蔑んでくれて構わんから、なあ頼むよ……お前ほんと綺麗な顔してんな」
「うるさいです!黙れ先輩!」
「ああ綺麗だ……キスしていい?その綺麗な舌吸いたい。俺の唾液でべちゃべちゃにしたい」
「誰か来て!ゴリラがどっかから脱走してるよ!」
「お前後ろ使ったことある?」
「ねえよ!あるわけねえだろ!」
「絶対いいって、な、すげえよくしてやるから、な」
「無理!はあはあ言ってんじゃねえよ死ねクソ先輩まじ勘弁してください!」
「やべえ、すまん、興奮してきた」
「やだ!イヤ!やめっ!」

悪魔が首を押さえて顔を近づけてくる。
最悪だ。鳴海を狙ってるのかと思ってたのに俺だったのか。油断した。最悪。最悪。
ああ。俺はこんな狭くて不衛生な場所でこいつに犯されるんだ。
痛いだろう。だってこいつは絶対丁寧に解したりしない。いきなり汚ねえものをねじ込んでくるに違いない。それで勝手に腰振って勝手に中出しして、でも俺は誰にも訴えることができずに泣き寝入りして、そして月曜日、会社でまたこいつに会うんだ。
待てよ。
それより前に、犯された後で席に戻って鳴海に会わなければならないのか?
そんな……そんな……最悪だ。
そう思ったら、なんだかもう絶望的に悲しくなった。

「うっ、ううっ」
「は?柏木?泣いたの?おい、あ、ご、ごめん……」

ゴリラが慌てて離れ、俺はその場にしゃがみ込んだ。

「ううー」
「柏木…すまん、そ、そんな、泣くか、お前、ちょっと……まさか泣くとは……いや、悪かった……」
「うっ、あやまるくらいならっ、やめてくださいよ、うう……」
「すまん……柏木、立てるか?」
「触んな!……ちょっと……落ち着いてから出るんで……あ!鳴海になんかしたら、っ、ころしますからね!っ、うう……」

涙目で精一杯睨みつけてやると、なぜか由梨さんはニヤニヤした。

「な!なんですか!大声出すぞコラ!」
「いやいや!しない!しないから何も!落ち着け。自分より鳴海の心配なんだなと思って」
「俺だったからまだよかったですけど。相手が鳴海だったら俺はあんたを許しません」
「わかったからそんな人殺しみたいな顔すんなよ。鳴海にはちょっと酔ったみたいでって言っておくから。俺は鳴海には興味ねえよ」
「本当……?じゃあなんで今日鳴海を誘ったんですか」
「柏木とどんな仲なのか探るためだよ。あいつ酒弱いって聞いてたし」

鳴海には今度、他の誰かに飲みに誘われたら逐一報告するように言わなければ。

「それにしてもお前みたいな美人の泣き顔って壮絶だな。深みにハマりそうだよ……性癖変わりそう」
「ゴリラの性癖なんか知るか!ばーかばーか!」
「いやとりあえずさ……俺の気持ちだけは知っといてよ。あまりに綺麗だからいきなりこんなことしちゃったけど、いい加減な気持ちじゃないから」
「はいはい。力ずくでやろうとする性欲の強さだけはわかりましたから」

由梨さんは苦笑しながらトイレを出て行った。
俺は力なく立ち上がり、閉じた便座の上にちょこんと座った。
怖かった……。
宮園さんの裏の顔以上に怖いものがこの世にあるなんて思ってもみなかった……。
安心したのかまた少し泣けてくる。
ぐす、と鼻を鳴らしながら、携帯で宮園さんの番号を探す。
しばらく呼び出し音が続き、諦めようとした時に繋がった。

『はい』
「もしもし宮園さん……どうしよう……殺されるとこだった……ゴリラが……社内にゴリラが……」
『……ん、柏木?どうしたの?大丈夫?っていうかね、こっちがあんまり今大丈夫じゃないっていうか……まあいいか。せっかくだから柏木に声聞いてもらいます?』

ん。なんだ。宮園さん、誰かと飲んでるのか。

「あ、すみません、邪魔でしたか」
『いや。ごめん柏木、ちょっとこのままつきあって』

なんだ……。

『ほら、そんなに歯くいしばっちゃ駄目ですよ……最後なんだから、思いっきり声出したら?』

あ、やべえ、なんかダメな感じがする、圧倒的にダメな感じが。

「宮園さん……」
『謝ったって駄目ですよ……もう俺のことは諦めて下さい。ね。……これのことですか?それともこっち?抜いてほしい?……ふふ、どっちですか。はっきりして下さい社長』

うわもう笑うしかない。
そう思うけれどとても笑えない。
宮園さんと社長が最後の何をしているかなんて大体想像がつく。
しかも言葉責めを後輩に聞かせるという趣味のよさ。
さすがです。
宮園さんはブレない男だ。
呆然として電話を切る。

「普通の先輩がほしかった……一人でもいいのに……」

俺はもう一度鼻をすすって、深呼吸をした。



「あらあら、それは災難だったね、かわいそうに」

コロコロと鈴が鳴るようないい声で言われれるが、宮園さんの顔がこれ以上ないくらい楽しそうなので全く癒されない。
今日は柏木さんと一緒に得意先回りだ。その車内の会話は誰にも聞かせられないものとなっている。
宮園さんは助手席で姿勢良く座っている。長い脚が狭そうにダッシュボードの下へしまわれていた。

「まさか由梨が柏木狙いだったなんてねぇ」

俺が泣いたくだりは伏せてある。言えばどんなに愉しまれるかわからない。

「そんなかわいそうな後輩がかけた電話を返り討ちにしたわけですよ宮園さんは。社長と最後の何だったのか知らないですけど」

思い出すだけでムカムカする。

「いやぁ、社長が思ったよりすっぱり別れてくれなくてね。もうしないから許して欲しいとか言うから……じゃあ最後にセックスして良かったら元鞘に収まりましょうって一応言ってあげたんだ」

この人は爽やかに何を言っているのだろう。

「ちょっと道具を使って散々虐め倒して何度もイかせてあげて、最後に『塚本の気持ちを思ったら萎えた』って言って。まあ実際俺はイかないで萎えたから、社長もさすがに諦めついたんじゃないかなぁ」
「イかないで萎えるとかすごいですね……そんな繊細でしたっけ」
「いや。別にイけたけど。まあ、気合いで」

宮園さんは助手席の窓を薄く開けた。
外気が入ってくる。

「で、今日ね、俺は塚本に愛を告白することにしたよ」

穏やかな声だ。
まさか。そんな。正統な手段を使う宮園さんなんか宮園さんじゃない。

「宮園さん」
「ん?」
「愛を告白しながら犯すのはなしですよ」
「ふふ。わかってるよ。俺はそんな卑怯なやり方はしない。好きだって言ってから抱くよ」

この人の自信はどこから来るんだろう。断られることなんか想像もしないんだろう。
外見か。そうだ。この外見だったら性格なんか正直どうでもいい。
実際、塚本の運命はすでに宮園さんの手中にある。

「楽しみだな。塚本はどんな風に乱れるかな。ね。どう思う?」
「知りませんよ」
「そういえば鳴海とはその後どうしたの?」
「逆に心配されつつ、タクシーで送って終わりです。仕切り直します。衝撃がでかかったから」

宮園さんは、あらら、と言って笑った。
その日の帰りがけ、営業フロアに塚本が控えめに入ってきて、宮園さんの隣に立った。
気づいた宮園さんは、とても幸せそうな顔をして「塚本。どうしたの」と言った。
宮園さんは全般的にずるい。
フロアにはまだ俺も鳴海も残っていて、それを気にしたのか塚本が逡巡する気配を見せたので、宮園さんはすぐに立ち上がって塚本の肩に軽く触れながら2人で廊下に出て行った。

その夜。
家でその日の鳴海を思い出してムラムラしかけたところで電話が鳴った。
宮園さんだ。

「柏木です」
『あー柏木?今いい?』
「どうしたんですか」
『聞いてよ柏木』

珍しく宮園さんが興奮したような声を出している。

『今塚本と一緒なんだけど。今トイレ行ってていないんだけど』
「はい」
『塚本、処女だったよ』
「は?」
『社長とヤった時、塚本がタチだったらしいんだ』
「うわー」
『びっくりじゃない?!社長にぶちこんでって頼まれたんだって!』
「はぁ……」
『柏木が冷たいー』

宮園さんの拗ねて甘えた声に、俺は騙されない。

「塚本がよくそんなこと吐きましたね」
『飲んでるんだけど、酔ってすごく不安定で、弱音吐いたり強がったり泣いたり拒絶したりフワッフワなんだよ。ちょっと手を焼きそう』
「気持ちは伝えたんですか」
『まだ。これから家に連れて帰る。ああ。幸せ』

塚本の非処女疑惑が晴れたからか、宮園さんは非常に楽しそうだ。
よかったよかった。

「じゃあ俺これから鳴海とメールタイムなんで」
『鳴海とメール?なんで?』
「え?特になんでもないですけど」
『何してるーとか聞くの?』
「……駄目ですか」
『柏木ってガツガツしてそうで結構かわいいよね』
「なんですか」
『そんなんじゃ鳴海に抱かれちゃうよ』
「無いです」
『塚本戻って来たから、明日また話聞いてね』
「いやいいです」

電話を切ってから、鳴海に「何してる?」とメールをした。
すぐに返って来たメールには、写真データが添付されていた。

『由梨さんと定食やさんデート中です!』という文章と一緒に、由梨さんがかつ丼をかき込んでいる写真を受信する。

「鳴海ー!」

心のライフルを担ぎ、鳴海を迎えに定食屋へ車を走らせた。



「柏木さん……あの……」

ずっと黙ったままの俺が怖いのか、俺の車の助手席で鳴海は小さく呟き、そのまま言葉を飲み込んだ。
由梨さんの目の前から無言で鳴海を連れ去って、俺は今、自宅へ向かっている。
鳴海には何の説明もしていない。

「……すみませんでした……」

何が悪かったのかわかっていないくせに、というか全く悪くないのに、かわいい鳴海はしゅんとして俺に謝る。

「うちに寄れるか」
「柏木さんの?あ、はい、あの、いいんですか」
「ちょっと。話がある」

宮園さんと塚本も今頃どうにかなっているだろうか。

「うわあ!夜景が見えるんですねえ!素敵なマンション」

自宅に着くと、電気を消してあった部屋からは外の明かりが見えた。
鳴海がそのまま窓へ近づいたので、思い切って後ろから包み込むように鳴海の体を抱いてみた。

「え、あ、あの、柏木さん」
「鳴海」
「あ、はい…」

動揺している鳴海の耳へ、ずっと言いたかったことを告げる。

「好きだ」

ベッドは綺麗に整えてあっただろうか。と、意識がそっち方向へ行ってしまう。
鳴海は黙ったまま固まった。
顔を見たくなって、鳴海の体をくるりと回す。鳴海は泣きそうな顔をしていた。

「びっくりしたか」
「……はい……」
「かわいいよ」

驚いて俺を見上げた鳴海の唇に、素早くキスをする。

「あ……」

小さく声を出した鳴海の瞳に涙が溜まっていく。まずい!泣かせた!

「鳴海……」
「すみません……あの……本当なんですか」
「何が?」
「柏木さんが、その、俺のこと……あの、由梨さんはどうなるんですか」
「……ゴリラ?」

話が見えない。

「由梨さんがさっき、柏木はお前のことが好きなんだよって、でも俺は信じられなくて、冗談だと思ってて、そしたら由梨さんが、俺は柏木が好きで柏木もそれを知ってるから協力してほしいとかって言って……だからもし柏木に告白されても頼むから付き合わないでほしいとか……でもそしたら柏木さんが俺のこと迎えに来てくれて、その、今、俺のこと好きとか言うし……」

爆発しそうな怒りを押し殺しながらも、気になるのは鳴海の気持ちだ。

「鳴海はどうなの。俺と付き合える?」

鳴海が綺麗だと言ってくれる笑顔を浮かべて聞くと、鳴海はまんまるい目で俺をしばらく見ていた。

「でも……でも……」
「いきなりで悪かったけど。俺は真剣にお前のこと想ってるよ」
「……でも俺、由梨さんと約束しましたから!協力するって!」

ごめんなさい!と叫びながら鳴海が玄関の方へ走り出す。
待て!そんなの理由にさせない!あいつ本当許さない!本当に!絶対に!

「鳴海!」
「俺、俺!」
「鳴海、落ち着いて聞け。登場人物は3人。気持ちを通わせ合えるのは2人。3人とも幸せになれる道は無いんだ。由梨さんは俺を好きだと言った。でもその俺はお前が好きだ。いくらお前が由梨さんに協力したって、幸せになれるやつは誰もいない。わかる?」
「……はい」

鳴海は玄関の前で立ち止まった。

「お前の気持ちが知りたい。今は由梨さんは関係ない。鳴海」

前に回り込んで今度は正面から抱き締める。鳴海は抵抗しなかった。

「柏木さん……」
「うん」
「俺、柏木さんのこと、すごく綺麗でかっこいい人だと思ってました。ずっと」
「うん」
「仕事もできるし、優しいし……」
「それは前にも聞いたな」
「はい」

優しく笑ってやりながら、由梨さんにどういう仕置きをしようか考える。クソが。

「恋愛とか、そういうのは、今まで考えたことがなかったけど……でも、あの、柏木さん」
「うん」
「柏木さんが、柏木さんなら」
「うん」
「俺の……」

鳴海は俺を見上げ、これ以上ないくらいにかわいい顔で照れたように笑った。

「俺の童貞、奪ってくれますか!」
「うん……うん?」
「柏木さんなら俺、」
「あ、うん、ちょっと待ってね。鳴海。とりあえず、明日からお前は俺のものね?それで、由梨さんとご飯禁止ね?いい?それから、セックスについてはこれからゆっくり話し合おう」
「セッ……はい!」

素直なのが鳴海の美徳だ。いくらでも丸め込めるだろう。そうだ。タチは譲れない。と思う。多分。

「柏木さん、もう一回キスしてください」
「ん?ふふ、かわいいやつめ」
「柏木さんの方がかわいいですよぅ」
「お前の方がかわいいよ」
「そんなことないですよぅ」

何度か触れるだけのキスをしながら、鳴海が思っていたより積極的で驚く。
もし自分がネコになるとしても、実は結構情熱的にこう、結構、結構、いい感じに抱かれてしまうのでは、と想像して、足元がぐらぐらと崩れていくような恐怖を覚えた。







「あれ。今日営業の方は課長欠席なんだ」

佐野が小さな声で俺に囁く。

「ほんとだ」

会議室に入ると、営業課長の代わりに営業成績ツートップの宮園さんと柏木さんが座っていたので、俺と佐野は若干テンションが上がった。
2人ともイケメン、というより美麗な容姿の上に、仕事ができる。他部署含めて後輩の憧れの的なのだ。
営業企画課の俺たちは、営業課の人たちの向かい側、先輩であり今日の進行役の由梨さんの後ろの席に着いた。



「それは本来営業企画の仕事ですよね。俺たちは他で手一杯です。由梨さんも少しは働いたらどうですか」

営業の柏木さんの一言で、それまで若干緩んでいた会議室の空気が凍りついた。
企画案をおろそうと説明していた由梨さんの背中が固まる。
そんな中、柏木さんの隣の宮園さんだけが穏やかな微笑を浮かべていた。

「そこを、なんとか……なりませんかね」
「ならない」

会議中だから由梨さんも後輩に敬語を使うのに、柏木さんは先輩である由梨さんをまっすぐ睨みつけながらそれをタメ口でスッパリ跳ね除けた。
スッパリし過ぎて気持ちいい。思わず笑いそうになる。
普段は何でもスマートにそつなくこなしているイメージなのに。今日は機嫌が悪いのだろうか。

「じゃあ、そういうことでいいですか?お互い頑張りましょうね。それぞれの役割がありますから」

宮園さんがにこりと笑うと、それ以上誰も何も言えなくなった。

会議が終わると由梨さんが柏木さんに駆け寄った。

「なあ、柏木」
「触らないで下さい。筋肉が伝染る」

ものすごく冷たくあしらわれている。
ブフォ、と音がして振り返ると、佐野がふきだしたのを誤魔化していた。

「筋肉は伝染らないって!」

必死な由梨さんがおかしい。

「宮園からも何か言ってやってくれよ」
「無理だよ。何があったのか知らないけど、俺は柏木みたいに気が強くないし」

ふふ、と宮園さんが笑い、2人の王子さまは営業フロアへ戻っていった。

「ああ。今日みたいな毅然とした柏木さんもいい。抱かれてもいい」

佐野に言うと、俺は宮園さんがいいな、と返事が返ってくる。

「あの何考えてるかわかんない感じがいい。すげえ性癖曲がってそう。すげえ複雑な縛り方とか知ってそう」
「ずるいよ。なんであんな仕事もできてかっこいいの」
「俺、次の異動で宮園さんの下に行きたい」
「じゃあ俺も柏木さんのとこ行きたい」
「鳴海はいいよな……」
「あいつ柏木さんにすげえかわいがられてんの。なんで?」
「抱かれたんじゃねえの」
「はは。空しい。せめて彼女でも作ろう」
「合コンしよう」

俺と佐野の視線の先には、少し落ち込んだように見える由梨さん。
さっぱりしていて豪快で、ちょっとデリカシーに欠ける先輩だ。
親しみを込めて、俺と佐野は由梨さんのことを「筋肉布団」と呼んでいる。





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2015.1.15
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