あなたたち、狙われていますよ。

「柏木さんてすごい。何でも1人で完璧にできちゃうような感じですよね」

何かの飲み会で隣になった時、鳴海にそう言われた。
そんなことは断じてないと言うと、鳴海はふにゃりと笑った。

「できる人はみんな、そう言いますよ」

お前はどの視点からものを言っている、と軽く頭を叩くと、またへにゃりと笑う。
酔った鳴海はいつもふにゃふにゃになるのだ。

「僕は優秀な先輩について行くので精一杯です。役立たずの後輩で、全く、はぁ」

ため息をつく鳴海に、俺は敢えて言葉をかけずに放置した。

「柏木さん」

無視されたことに対してか、鳴海は不満そうな声を出す。普段は絶対にこんな態度をとらないのに。

「ねえ柏木さん!」
「なんだよ」

返事をすると、あは、と笑う。
目の周りが赤い。強くないくせにそんなになるまで飲んで。
襲われるぞ。俺に。

「僕は柏木さんについて行きますよ、柏木さんのことなら何でもわかるようになります」
「…お前、飲みすぎだから」

酔った後輩のためにウーロン茶を注文する。
だったら、お前に対する俺の気持ちにも気づいてみろ。

「その上で俺について来るって言ってみろよバカ野郎」
「にゃんでふか、かひわぎはん」

鳴海の頬をつまみながら、俺も相当酔っていると密かにため息をついた。



「戻りました……」
「お疲れ」

外回りから戻った鳴海に、パソコンの液晶から視線を逸らさないまま声をかける。
まだ入社1年目の後輩の、明らかに元気のない声が気になったが、俺からは聞かない。
見積書の作成を続けていると、鳴海がすぐ隣に突っ立ったままであることに気づいた。

「なんだ」

座ったまま見上げると、眉を下げた鳴海と目が合った。

「どうだった?赤木社長のとこ」
「……駄目だって言われました」
「それで?そのまま帰ってきたのか」
「お前じゃ駄目だって言われて…柏木さんから連絡ほしいって」
「お前は伝令じゃねえんだぞ。そう言われてはいって返事して帰ってきたのかよ」

鳴海はますます眉を下げる。

「話を続けようとしたんですけど、柏木さんと話をするの一点張りで全然聞いてもらえませんでした……すみません」

割と大きな取引先である会社の赤木社長は、偏屈なことで有名だった。
ガチガチだったその頭を、鳴海の前任の俺が2年かけてゆっくり解凍した。だから、俺が赤木社長に気に入ってもらっていることは俺を含めてうちの会社のほとんどの人が周知していることだ。

「まぁな。あの人は難しいけど」
「一度話してみていただけませんか。すみません、力不足で」

完全にしょげかえっている鳴海を見て、俺の中には甘い感情が沸き上がる。
気が弱くて、真面目で、一生懸命な後輩。
よしよし、かわいいな。
俺が全部引き受けてやるから安心しなさい。
泣かなくていいから。
泣いてないけど。
泣かせたい。
と、そこまで考えたところで、俺の沈黙を怒りと勘違いした鳴海が一層辛そうな顔をして、すみませんと言った。

「わかった。連絡入れるから」
「お願いします」

鳴海はやっと自分の席につく。
すぐに赤木社長に電話を入れる。

「社長。株式会社サワムラの柏木です」
『ああ。柏木くん。久しぶりだね、元気?』
「はい、お陰様で。社長もお元気そうですね」

赤木は電話の音が割れるほどでかい声でガハハと笑った。

『君はバリバリやってるんだろう』
「いえ、細々と馬車馬のようにひっそりバリバリやっています」

赤木はまたでかい声で笑う。
かわいい鳴海を苛めやがって。笑ってんじゃねえよ。

「早速で申し訳ないのですが、本日うちの鳴海が伺ったと思うのですが」
『来た来た。なんだか話がよくわからんから帰したよ』

くそジジイが。
と思いながらも声だけで微笑む。

「なんとかもう一度チャンスを与えてやってくれませんか。赤木社長のところを任せようと思わせるくらいにはやる気のあるやつなんです」
『柏木くんは来ないの?』
「私なんかより、鳴海の方が真面目に社長のお相手ができますよ」

そこでわざと声を落とす。

「かわいがってる後輩なんですよ。あんまり苛めないで下さい」

隣の席の鳴海が肩をビクつかせた。
鳴海を苛めていいのは俺だけだ。
ハゲ親父はすっこんでろ。

『まあ。柏木くんがそう言うなら』
「ありがとうございます」

次、鳴海を苛めたら、残りの髪を全部引っこ抜いてやるからな。
という気持ちを込めて少しだけ雑談に付き合い、丁寧に電話を切った。

「柏木、声は笑ってるのに顔が怖すぎる。せっかくの美貌が完全に黒い」

向かいの席の宮園さんが微笑みながら言う。

「宮園さんの微笑みの裏にある毒の方が怖いですけど」
「俺は愛のある毒しか吐かないよ」

俺だって鳴海には愛しかないですよ。
と思いながら、コーヒーを淹れようと立ち上がる。

「あの、柏木さん」

鳴海が立ち上がって俺を見た。

「すみません、ありがとうございます」
「ちょっと来い」

鳴海は黙って俺のあとをついて来る。

「いいか」

紙カップにコーヒーを注いでから鳴海を見ると、鳴海は俺をまっすぐに見上げていた。

「赤木社長は話し好きだ。商談の前にたっぷり好きなことを話させろ。何でもいいから話を振りまくれ。特に好きなのは野球と美味いものの話。お前は若いから、知らないので教えてくださいキラキラっていう顔で聞けば得意になって話すから。そのうち、何の話だっけって逆に話振られたら仕事の話に持ち込め」

鳴海は少し口を開けて俺を見ていたが、一瞬遅れて笑顔になった。

「ありがとうございます。やってみます」
「まあ、あの人はちょっと特殊だから。聞いてもらえるまで時間はかかるかもな。あんまり気にするなよ」

コーヒーメーカーやウォーターサーバーのあるこの一角はパーテーションで仕切られている。
誰も見ていないのをいいことに頭を撫でると、鳴海は困ったような顔で下を向いた。
そんな顔も愛しくて、いつまででも撫でていたくなる。

「柏木さん!」
「今日の夜なんですけど空いてます?」
「ご飯行きましょうよ!」

俺の癒しタイムを邪魔したのは事務の女3人組だ。今すぐ叩き潰してやりたい。

「今日は無理」
「えー明日は?」

永遠に無理だと言ってやりたいが、この3人組を敵に回すと社内で非常にやりづらくなる。

「宮園さんにも聞いてみて。どうせ誘うんだろ」
「はーい!」

3人組がいなくなると、鳴海がまた俺を見上げる。

「相変わらずモテますね」
「女がいない手近な男に飯おごらせたいだけだろ」
「違いますよ。だって柏木さんは本当に綺麗だし」
「綺麗?俺が?」

俺が?綺麗?それ、お前の意見なの?

「そうですよ。スタイルもいいし……宮園さんも綺麗だし、どうしてお2人は彼女がいないんですか?信じられないですよ」

なんだ。宮園さんもか。ふん。つまんねえな。

「鳴海は?彼女、まだできないの?」

俺はからかうつもりで鳴海に聞く。鳴海は真面目な顔で答える。

「全然できません。仕事できるようになってからって神様が言ってるのかも」

ごめんな鳴海。鳴海はゲイだって噂を社内に流してるのは俺だよ。本当にお気の毒だな。

「柏木さん?なんでニヤニヤしてるんですか?」
「何も」

俺が手に入れるまでは、誰のものにもなるな。



「柏木、今日夜空いてる?」
「空いてない。ってことになってます」
「ああ。だんご?」
「はい」

俺と宮園さんの間での隠語。事務の女3人組の呼び名。だんご。
いつもモチモチとくっついて団結しているからだ。

「俺と約束あったってことでいいよね」

宮園さんは爽やかな風が吹きそうな笑顔で言う。
鳴海が言うように、宮園さんは確かに綺麗な顔をしている。
仕事中、毒気など微塵も感じさせないこの人の本性を知っているのは、社内では恐らく俺だけだ。



「どう?鳴海は」

宮園さんが生ハムとチーズをフォークで刺しながら俺に聞く。

「どうって。どういう意味でですか」

薄いグラスに注がれたビールを飲んでから宮園さんに目をやると、宮園さんはまた優しげに笑う。

「あの子の仕事ぶりに興味はないよ」
「宮園さんの後輩でもあるんですけどね」
「教育係は柏木でしょ」

かつて俺の教育係だった3年先輩の宮園さんは、ふふ、と笑いながらワインを飲む。

「落とせそうかって意味」

宮園さんは俺の鳴海への気持ちを知っている。

「まだ全然わかりません」
「力ずく、っていうのは無し?」
「とりあえずまだ理性は残ってます」
「会社のデスクで、っていうのはやめてよ?偶然見たりしたら地獄」

宮園さんは独特の静かな声で言って、また爽やかに笑う。
店員が、牛肉のタタキわさびソースです、と言って皿を置いていく。
静かでスタイリッシュなこのダイニングバーは、宮園さんのお気に入りだ。

「宮園さんはどうなんですか」

え?と首を傾げてニコリと笑うこの仕草に、どれだけの人が騙されているのだろう。

「塚本、落とせそうなんですか」
「落とせそうかはわかんないけど、まあ多分そのうち勝手に落ちてきて、社長と俺に挟まれて苦しむことになるんじゃないかなぁ」

この人は。本当に。

「社長にバレたらまずくないんですか」
「バレないようにやるし、バレたら甘えるネタになるし」
「社長が構ってくれないから若いのに手出しちゃったんですよぅもぅ、ってことですか」
「それ、鳴海の話し方みたい」

ふふ、とまた優しく笑うこの人は、異常なほど女にモテるくせに全く女を受け付けない生粋のゲイで、自分の会社の社長とデキている上に社長秘書をしている塚本にも手を出そうとしている。

「あんまり遊びすぎると社長に見限られて仕事も恋人も失いますよ」
「そうだねぇ。そしたら塚本を手に入れてから転職するまでだ」
「楽しそうですね」
「鳴海を愛でてる時の柏木ほどじゃないよ」
「鳴海はちょっと反則なくらいかわいいですからね」
「それは知らないけどね。そうだ。今度4人で飲みに行こうよ」

宮園さんは上品な仕草で肉を食べた。

「4人って」
「塚本と鳴海」
「鳴海と塚本って仲いいんですか」
「どっちでもいいじゃない」
「宮園さんはただ塚本と飲みたいだけですよね」
「否定はしない。でも柏木だって鳴海と飲みたいでしょ?」
「鳴海を飲みたいくらいの感じですね」
「ははは。俺は塚本にしゃぶらせて飲ませたい感じ」
「最低。俺だって鳴海に飲ませたいですけど」
「柏木も最低」

無邪気に笑う宮園さんは、下ネタを言っても爽やかだ。

「酔わせてお互い持ち帰ろうよ」
「宮園さんの考えることはいつも底辺ですね。ご自由に。俺は、お持ち帰りはちゃんと心を手に入れてからにします」
「うそ!柏木の鳴海への気持ちってそんなもんなの?」

本当に驚いたような顔をする宮園さんは、人間としての何かが壊れているに違いない。

「それより明日はだんご会じゃないですか」
「そうだね」

あいつらと飲むくらいなら帰って鳴海のことを思い出しながら1人寂しく眠ったほうがマシだ。

「そんな顔しないで。俺も柏木もあの子たちと仲良くしてるから仕事がスムーズに行くじゃない」
「それは間違いないですね」
「社長も言ってたよ。柏木とお前でもっと営業引っ張れって」

俺と宮園さんは営業成績のツートップだ。

「もう十分じゃないですか」
「何が?成績?」
「いや、仕事はもっとがんばりますけど。だんご会が」
「まあねぇ。でも誘ってくれるからね」
「なんで鳴海は俺を誘ってくれないんですかね」
「明日、鳴海も連れて行けばいいんじゃない?」
「それは無いです」
「どうして?」
「だんごには触れさせません」

あんなモチモチの中に飛び込ませてたまるか。

「ああ。ゲイってことになってるしね、鳴海」

宮園さんは楽しそうに笑った。



次の日、それぞれ外回りに出る宮園さんと俺が一緒に駐車場へ向かう途中、正面から塚本が歩いてきた。

「あ、愛しい人が」

宮園さんは、純情な高校生みたいな顔をして塚本を見た。

「塚本、おはよう」

爽やかな笑顔で手を振る宮園さん。
塚本は入社4年目。神経質そうに眼鏡を指で押し上げる。宮園さんは、塚本は本当に肌がきれい、といつも言っている。

「おはようございます」

近づいてきた塚本は宮園さんを見て、すぐに目を逸らした。
嫌な予感がする。

「社長、今日忙しそう?」

宮園さんが無邪気に聞く。

「……今日は、夕方は少しお時間があるかと」
「そっか」

宮園さんは塚本の耳に両手を当てて、内緒話のジェスチャーをする。

「あとで行きますって言っておいて」

それを聞く塚本の顔を、俺は直視できなかった。

「宮園さん、本当に悪魔ですね」
「なにが?」

塚本と別れて駐車場へ向かいながら、さっきの顔を思い出す。

「塚本はもう落ちてるじゃないですか」
「そう?」
「わかっててわざと塚本に社長の話をするんですね」

必死で無表情を装っていた塚本の顔に一瞬浮かんだのは、明らかに嫉妬だった。
うっすら笑っていた宮園さんは、真顔で前を向いた。

「わかんないよ。塚本が誰を想ってあんな顔するのか。俺じゃないかもしれない」
「……え」

まさか塚本、社長のことを?

「そっちですか?!」
「わかんない。まだ探り中。ね、だから」

宮園さんは車のドアを開けながら邪気のない顔で俺を見た。

「4人で飲みに行こうよ」
「柏木さん!すみません、お待たせしました!」

今日は俺の外回りに同乗する予定の鳴海が、必死の形相で駆け寄ってきた。
全力疾走してきたのか額が全開になっている。その姿に、ほんの一瞬理性が飛びかけた。
俺の胸に飛び込んできて、「柏木さん、抱いてください…」と目を潤ませる鳴海を想像してしまう。

「宮園さん。それ、1週間以内に行きましょう」
「はは、うん、そうしよう。鳴海、柏木に殴られないようにがんばってね」
「あっはい、宮園さん、行ってらっしゃい」

鳴海に手を振って爽やかに駐車場を出ていく宮園さんを、並んで見送る。
俺も毎朝、鳴海に行ってらっしゃいって言われてえな。

「鳴海」
「はい」

運転席に座って、助手席の鳴海を見る。

「お前、料理する?」
「はい。少し。変わったものは作れないですけど」
「得意料理は?」
「肉じゃがです」

イエス!
心の中で叫ぶ。

「エプロンとかすんの?」

鳴海は、え、と言って恥ずかしそうに笑った。会社の車であることを忘れて襲いかかりそうになる。

「どうしてそんなこと聞くんですか…?しますよ、エプロン」

むしろエプロン以外の布は身に着けるな、と思いながら、俺は車を発進させた。



無事にだんご会を切り抜けたその週の金曜の夜、俺と宮園さんは難なく鳴海と塚本の拉致に成功した。
鳴海はともかく、課の違う塚本は最初、宮園さんの誘いに訝しげな表情を浮かべたが、結局は淡々と乗ってきた。
何を考えているのかよくわからない。
場所はこの間とは違うが、またまた宮園さんお気に入りのワインバーだ。
居酒屋は男を落とすのに向かない、と宮園さんは言う。
男は居酒屋ではリラックスしすぎるから、と。
少し緊張感がないと、自分を口説いているのが男だって冷静になられて失敗する、と。
宮園さんが狙った獲物を逃すところなんか、想像もつかないけれど。

「塚本、何飲む?」

メニューに視線を落とす塚本の横で、宮園さんはニコニコしながら塚本の横顔を見ている。

「ワインバーだから、いろんなのが揃ってるよ」

塚本はちら、と宮園さんを見てまたメニューに視線を戻した。

「……すみません。ワインはあまり得意じゃないんです」
「そうだったの?ごめんね。だったら別の店にすればよかったな」
「……いえ」
「じゃあ、ワイン使ったカクテルとか、あと海外のものだけどビールもあったはずだよ」

宮園さんが、狙った男の好みをリサーチし損じる訳がない。だから多分、これは何か裏がある。

「柏木さん柏木さん」

スーツの裾を微かに引かれて、首を痛めそうなくらい勢いよく隣を見ると、鳴海がバツの悪そうな顔をして俺を見上げている。

「ワイン、どれが何だかさっぱりなんですけど…」

大丈夫だ。どれを飲んだってお前のかわいさは揺るがないから好きなものを飲みなさい。それより今の、裾をクイクイするやつをもう一回やれ。

「俺もよくわからん」
「そうなんですか?」
「でもお前は酒弱いから、宮園さんおすすめのカクテルにしておけば」
「はい。そうします」

ほんとにお前は素直だな、押し倒すぞ。

結局、塚本はビール、鳴海がカクテル、俺と宮園さんはワインを片っ端から、ということになり、その店自慢の窯焼きピザを食べながら、パッと見は爽やかだが下心満載の食事会が始まった。

「鳴海、具合が悪くなったら言えよ」
「はい。でもこれ、おいしいので多分大丈夫ですけど」
「いいや心配だ。なんなら家まで送るから」
「そんな!柏木さんにそんなことしていただいたら…」

いただいたらなんだ。
『我慢ができなくなって僕、積極的になっちゃうかも…うっふふ』
くそ!鳴海!
抱き締めて唇に舌をねじ込みたい欲求を抑えるために、俺はワインを一気にあおった。
妄想中の俺を見て爽やかに微笑んだ宮園さんは、隣の塚本に向き直る。

「塚本、仕事はどう?前居た経理とは全然違うでしょう?」

塚本は入社後、経理に配属され、3年勤めて異動になった。社長の秘書になってまだ日が浅い。

「……そうですね」

塚本は眼鏡を押し上げる。

「でも、何かを管理するという仕事は楽しいです」

塚本の話し方には無駄がない。きっとプライドが高い。
宮園さんは塚本を、かわいくて堪らないという目で見ている。

『逆に管理される側の悦びを与えてあげてそのプライドを粉々にして、もうどうなってもいい、だからお願い宮園さん俺だけを見て、って泣いて縋らせてやりたいなぁ。この手で』

と、俺はアフレコのように勝手に宮園さんの思考を想像する。

「適応力があるんだね」

宮園さんは包容力を湛えた笑みを浮かべてまっすぐに塚本を見る。
塚本はまじまじとその顔を見つめ、唐突に視線を逸らした。
だめだ。これはもう時間の問題だろう。
塚本は宮園さんに落ちる。
途端に興味を無くした俺は、隣でキョロキョロしながらカクテルに口をつけている鳴海に全神経を集中させる。

「うまいか」
「はい」
「好きか、ピザ」
「はい!僕は普段安い居酒屋のとか、冷凍のしか食べないから、こういうのすごくおいしいです」
「お前、居酒屋とかよく行くの?そんな弱いのに?」
「そんなに弱くないですよぅ」

すでに少し酔い始めている鳴海は、いつもは緊張の浮かぶ表情や話し方をだいぶ緩めている。

「鳴海、柏木と飲み比べでもしたら?」

宮園さんが鳴海に言う。
ふと塚本を見ると、少し顔を赤らめていた。
酒が回ったのだろうか。

「えぇ?柏木さんは強いからとても勝てませんってぇ」
「記憶なくすくらいまで飲ませてやろうか。帰りは送ってやるから」

ベッドの中までな。

「なんでですか!まだもうちょっと飲みますよぅ!」
「おい話聞いてんのか。酔うのが早すぎる…」
「そんなことより柏木さん!」

緩んだ顔で見上げるかわいい鳴海を脳裏に焼き付ける。明日のオカズをゲット。

「柏木さんは、仕事ができるしすっごい美形だし優しいしかっこいいし背高いし優しいし、めっちゃくちゃモテるじゃないですかぁ」

だから、それはお前の意見なのか?詳しく説明しろ。俺のどこが優しいしかっこいいのか。2回言ってしまうくらい俺は優しいか。

「どーして彼女がいないんですか。作らない主義なんですか?」
「いや。好きな人が恋人になってくれるなら、喜んでなってもらう」

お前、なる気ある?
じとっと見つめると、鳴海はポワンとした顔で笑った。

「ああ、そうなんですか。一途なんだ。かっこいい、柏木さん。男って感じ。キリッてしてる」
「そうかそうか。よくわかってるな、偉いぞ鳴海」
「柏木さんは、すぐに何でも手に入れちゃえるんだと思ってました。何でも持ってる完璧な先輩だって思ってました。ずっと」

そうだな。欲しいものは大体手に入れてきた。
でもどうしてなのか、一番欲しいものだけが手に入らないよ。
今欲しいのは、鳴海だけだ。
抱きたいよ、ああ、抱きたい。
食いたい。
むしゃぶりつきたいよ俺はお前に。
その首筋を噛みたい。
痛い、でももっと噛んで下さい、って言わせたい。

「でもきっと大丈夫ですよ柏木さん!柏木さんならどんな人でも好きになっちゃいますよ!」
「そう思うか?」
「はい」
「絶対?」
「絶対!」

言ったな鳴海。後悔するなよ。

「じゃあ賭けをしよう」
「賭けですか?」
「俺の好きな人が俺の恋人になってくれればお前の勝ち。お前の言うことを何でも聞いてやる。もし俺がフラれたら、お前が俺の言うことを聞け」
「はい。いいですよ」
「それ、どっちにしろ柏木しか得しないね」

宮園さんの横槍は無視して俺は鳴海に微笑みかける。

「約束だからな」
「わあ。柏木さんが笑った。綺麗な顔、ほんとに」

酒を飲んだ鳴海には、いつも翻弄されてばかりだ。

「鳴海、はいこれ。ドイツのソーセージだよ」

宮園さんが唐突に鳴海にソーセージを薦める。

「おいしいから、ちょっと外側を舐めてから食べてごらん」
「おい。宮園さん」
「舐めるんですか?変わった食べ方ですねぇ」

悪乗りした宮園さんを止めるも、酔った鳴海は素直に宮園さんの言うことを聞いてソーセージを舐めた。

「鳴海、やめなさい。お行儀が悪いぞ」

その姿をしっかり記憶してから、油がついてテラテラと妖しく光っている鳴海の唇を紙ナプキンで拭いてやる。
鳴海は俺の目を見ながらされるがまま口を拭われて、それからありがとうございますと言って笑った。
なんてエロい一連の流れだ。
宮園さんは楽しそうに声を上げて笑っている。
そんな風に笑う宮園さんが珍しかったのか、塚本がその横顔をチラチラ見ている。

「塚本も舐める?」

宮園さんは、ちょっと鋭い目をして塚本に言った。
ソーセージの薦め方としては大きく間違っている気がするが、塚本はその目付きの方に気をとられてしまったらしい。
宮園さんの表情はすぐに元の優しい笑顔に戻り、冗談だよ、と言って塚本の頬を指で撫でた。
塚本は何でもないような顔をして、グラスに残ったビールを一気にあおった。

「塚本、そんな飲み方したら悪酔いするよ?飲み慣れてないだろ、外国産のビールとか」

それが狙いか。悪酔いさせる方向で動いているわけだな。本当に今日、塚本を持ち帰るつもりだろうか。
塚本は宮園さんを軽く睨んだ。

「どうして今日ここに、俺を呼んだんですか」
「どうしてって」
「社長の情報なんか俺は持ってないし、社長に近づくなっていう牽制なら全然必要ないですから!」

塚本が荒れ出した。
ただ一人、社長と宮園さんの関係を知らない鳴海がポカンとしている。
宮園さんが塚本の顔を覗き込む。

「塚本、落ち着いて」
「……すみません。帰ります」
「そう。送るよ」
「必要ありません」
「何をむきになってる?塚本らしくないな。後輩がびっくりしてるよ」

宮園さんが優しくなだめるように言うと、塚本はハッとしたように鳴海を見た。

「おいで塚本。ちょっと頭を冷やそうな」

微笑みをたたえた宮園さんに支えられて立ち上がった塚本の足元はおぼつかない。
塚本を支えた宮園さんは手洗いへと消えた。

酒だけであんなになるだろうか。まさか薬を盛った?いやいや、いくら宮園さんでもそこまではしないだろう。

とは思えない。
あり得る。
戦慄。

「柏木さん、塚本さんどうなっちゃうんですか…」

鳴海が震え声で呟いた。

「さあ」
「宮園さんに怒られてしまうんですか。宮園さんってどんなふうに怒るんですか。大丈夫でしょうか」
「大丈夫じゃないか。きっと酔いを醒ましに行ったんだ」

別の意味では大いに心配だ。
塚本が今頃、宮園さんに何をされているかなんて一切考えたくない。

そんなことより。

「鳴海。出るぞ」
「えっ、でも」
「会計は気にしないでいいから」

明日宮園さんに2人分の金を払うとして。

「え、いいんですか。ご馳走さまです。じゃなくてあの、宮園さんたちは」
「少し頭がすっきりして帰ってきた塚本が俺たちと顔を合わすのは気まずいだろ。さっきあんな感情的になったんだから」

適当に理屈をこねると、鳴海は「ああ」と言って素直に席を立つ。

先に2人が帰る旨を店員に伝えて店を出る。

「お前、まだ時間大丈夫?」
「はい!大丈夫です」

嬉しそうに見えるような顔をした鳴海を見て、もう少しでビルの陰に連れ込みそうになる。

お持ち帰りは賭けの結果が出てから、と必死で自分をなだめ、少し歩いてから適当な居酒屋に入った。



「ああ。やっぱり僕はこういうお店が落ち着きます。貧乏性なのかなぁ」
「俺もそうだ。宮園さんが特殊な人種なんだよ」
「ですよねぇ!宮園さんってなんか、王子様みたいですもんね」

王子様ね。

王と肉体関係を持ちながら、罪のない家来を地獄に叩き落とそうと策略を巡らす王子。体も心も捕らえようとじわじわ追い詰めている。

天下を取るのには必要な悪なのか。

「宮園さんが王子様だとしたら、俺は何?」

2人掛けの席で正面からじっと見つめると、鳴海は焼き鳥をくわえたまま首を傾げた。

「鳴海、危ないから串を口から出しなさい」

心配しなくても、いつか別のものをくわえさせてやる。

「柏木さんは……」

鳴海は串を放すとまた首を傾げる。

俺は?お前にとって何なの?

「執事!」
「執事?!」

俺も家来か!

「だって、柏木さんは頭がよくて、僕の失敗とかもすぐフォローしてくれるじゃないですかぁ。で、怒ってくれるし慰めてくれるし、みんなのことちゃんと見てるし冷静だし、仕方ねえなとか言いながら本当は優しいし、何でもできる執事です!それに」

鳴海はまたふにゃりと笑う。

「宮園さんと2人でいると、執事と王子様の秘密の恋みたいに見えるし。本当に仲良しさんですよね。近づき難いくらいですよ」
「……へえ」

明日から宮園さんと飯行くのやめよう。

そんなことより気になったことは。

「お前の中で俺って随分高評価だな」
「だって本当ですもん!一番尊敬する先輩ですし。やっぱり僕は柏木さんについて行こうっと」

よし、じゃあ今すぐ俺の家までついて来い。

「帰るか」
「え…もうですか?」

その残念そうな顔は何だ。襲えっていうサインか?

「まだ居たい?」
「柏木さんの仕事の極意とか、もっと伝授してくださいよぅ」
「そういうのはな、人から聞いたって意味ねえんだよ。お前が自分で見つけろ」
「あは、かっこいい、柏木さん」
「……体になら教えてやってもいいけど?」
「からだ?すみません、えっと、どういう意味ですか?」

メモ帳とボールペンを取り出そうとする鳴海を止める。

こいつには、はっきり言葉にしないと何も伝わらないだろう。
そこが最高にかわいいのだが。

「お前、今まで何人と付き合ったの?」
「え……」
「今はいなくても、過去何人かいただろ?」

鳴海は決して目立つ方ではないが、性格はまっすぐだし、顔も体型も普通だ。

だから何の気なしに聞いたのに、鳴海は途端にテーブルに突っ伏した。

「鳴海?」

呼び掛けると、地の底から響き渡るような唸り声が聞こえた。

「鳴海、どうした」
「そうですよ!どうせ童貞ですよ僕は!」
「え?ちょっとお前何を」

…何だと!

「付き合ったことなんかないですよ!風俗だって怖くて行ったことないし!」
「お前!なんでそんな大事なことを尊敬する先輩に黙ってたんだ!」

そんな耳寄り情報を!
童貞!鳴海が童貞!
最高の組み合わせじゃないか!

鳴海は俺に怒鳴り返されて一瞬で小さくなった。

「すみません、あの、そんなことまで報告と相談が必要だと思っていなくて…」
「ばか野郎!お前のことは何でも教えろ」
「はい…すみません…」
「ただし、課長や宮園さんには言うな。俺だけに報告しろ。俺だけにお前の全てを見せろ。わかった?」

宮園さんの真似をして、優しく微笑む。

「あ、はい」

鳴海もつられたのか笑顔になる。

「そうかそうか。お前は童貞なのか。ははは」

あまりの衝撃告白にテンションがおかしくなって思わず笑うと、鳴海は恨めしそうに俺を見た。

何。そのかわいい顔は。口が尖ってる。キスするぞ。

「そんな綺麗な顔した柏木さんには信じられないかもしれないですけど、僕みたいに普通に生まれついたら別に不思議なことじゃないですよぅ」
「そんなことはないだろう」

お前の場合その原因はおそらく、その類い稀な鈍感力にあるのでは。

「そうなんですって!」
「少なくとも、全くモテないようには見えない」
「じゃあ!柏木さんが僕の童貞を奪ってくださいよぅ!」

は、ちょっと、お前何言ってんのかわかってるのか、いや、いやいや、ちょっといろいろ整理させろ、いろいろ確認が必要だと思うが。

お前それ誘ってんの?そして童貞を奪うってことは俺が掘られる側なの?

「冗談ですよぅ。柏木さん、固まってますよ?」
「ちょっと、考えさせてくれ」

俺は掘られる側になるなんて考えたこともない。鳴海を思い出してヌく時だって、俺が突っ込むところしか想像しない。

だが万が一、鳴海がどうしても突っ込む側がいい、それならヤってもいいと言ってきたら俺はどうする?
どうすればいいんだ。

「鳴海、今日は帰るぞ」
「あ、はい」

タクシーで鳴海を送るというおいしいシチュエーションも、今の俺には全く響いてこない。

「柏木さん、大丈夫ですか?具合悪いですか?」

横から鳴海が心配そうに顔を覗き込んでくる。

かわいいやつめ。

「よかったら…僕の家で少し休んで行きますか?」
「いや大丈夫だ。ちょっとまだ考えがまとまらん」
「…考え?」

鳴海が自ら罠へ飛び込むようなことを言ったが、ぐっと堪えて自分を律する。

掘られる側がこんなに憂鬱とは。その覚悟もないままに鳴海を襲うなど、真っ当な人間の所業ではない。

俺は滝に打たれる修行僧のような面持ちで鳴海を送り、まっすぐ帰宅したのだった。














週明け。会社の書類保管庫にて。
宮園さんが爆笑している。

「そんなの、その時考えなよ、別に鳴海はネコいけるかもしれないのに」
「…本当にその通りで」
「童貞は奪ってやれないけど処女はもらってやるからな、ズブ、でいいじゃない」
「…その顔で卑猥な擬音はやめて下さい」

宮園さんは笑いすぎて涙を浮かべている。



あの日の俺は、鳴海と2人という空間に柄にもなく舞い上がっていたのか、相当酒が回っていたらしい。

帰宅して酔いが醒めてくると、どうしようもない後悔に襲われた。

自然な流れで鳴海が俺を自宅に誘ったのに!
なに滝に打たれてんだこのアホが!

大体、俺は掘られるなんて絶対に受け入れられない。

俺は鳴海を抱く。
以上。



「宮園さんはどうだったんですか」
「ああ、塚本?」
「さぞかしお楽しみになられたんでしょうね」

宮園さんは爽やかに笑う。

「何もしてない。近くで見てもやっぱりきれいな肌だったけど」
「…嘘でしょう?」
「本当に。トイレで背中をさすって、俺はできる後輩は好きだよって言って軽く手を握ったくらい」
「どうしたんですか。病気ですか」

本気で心配になる。
あの、狙った男は即完食で知られる宮園さんが。
知っているのは俺だけだが。

「失礼だね。人を性欲の塊みたいに」
「違うんですか」
「違いますよぅもぅ」
「……鳴海の真似ですか。似てませんよ」
「気が変わった」

宮園さんは一瞬、いたずらっぽく笑った。

「本当はあの日持ち帰って襲っちゃおうと思ってたけど、塚本って思ったより純粋で脆そうだったんだよ」

そう言う顔は、まるで塚本を先輩として普通に心配している様に見える。
逆に怖い。

「だからゆっくり落とすことにした」
「おお。怖くて震えますね」
「家に誘われたのに断って帰っちゃう腑抜けより良くない?」
「社長はどうするんですか」

さらに声を落として聞くと、宮園さんはうぅん、と唸った。

「しばらくは二本立てで行くけど、その先はまだ考え中。塚本がどんなふうになるかによるね」
「刺されないように気をつけて下さいね」
「社長はそんなにバカじゃないし、塚本がそんなに危なくなるまで俺が気づかないと思う?」
「思いません」

宮園さんはふふふと楽しそうに笑った。

「柏木はほんと、いい後輩に育ったなぁ」
「宮園さんに誉められても全然嬉しくなくなってしまいましたけど」

人間として悪い見本の総集編のようなこの先輩は、仕事の面では俺が一番尊敬するライバルだ。

俺と宮園さんは今日も明日も明後日も、仕事に打ち込みながら愛しい人を手に入れるべく奔走する。

待っていろ鳴海。
いつか真っ白なシーツの上で恥ずかしそうに、下さい、って言わせてやるからな。










-end-
2013.4.5
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