大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎20



岡崎さんが落ちてる。
めずらしい。
岡崎さんはいつもいろんなこと軽くかわして、強いのに。

「今日上がんの遅くなりそうっすね」

話しかけてみても、「だな」と返事をする笑顔が痛そう。
ドリンク持ってすぐキッチンから出て行っちゃった。

原因はひとことでは言えない。でも元凶はあの新人だ。

俺はあいつは最初からうさんくさいと思ってたんだ。
ダンナいるくせに岡崎さんにいい顔してた。
岡崎さんは否定するけど絶対気があった。
平井も気づかなかったって言ってたけど俺は絶対そうだと思う。

「岡崎さんって罪な男っすよね」

キッチンで調理してた店長に言ったら他のキッチンスタッフにケツ蹴られた。

「なーに言ってんだお前は。早くサラダ盛れ」
「盛ってますって!今盛ってますよー」
「にっしー焼きおにぎりあがるよー。5番」
「うぃす」
「あれ?串盛りは?」
「こっちこっち!」

忙しい。

「平井、焼きおにぎり」
「あ、はい」
「5番」

平井が持とうとしたサラダと焼きおにぎりの皿を、岡崎さんが横からひょいっとかっさらう。

「キッチンさん、西尾手あいてるからなんかやらせてー」
「え!今サラダ盛ったんすよ!」
「揚げ物手伝え」
「えー暑いからやだな」
「早く来い」
「早く行け」

岡崎さんがにやっと笑ってまた出て行く。
平井は仕事を取られて止まってる。

「平井、次串盛り」
「あ、はい」
「1番かな?カラシ忘れんなよ」
「はい」

声をかけると真面目にやるけど、このちょっとニブい感じが平井だ。それがいいところだ。なのにあの主婦。

主婦はヤサクって名前だ。どんな漢字か忘れた。

キッチンスタッフが衣をつけた鶏肉を油に落としながらムカムカがよみがえる。

店長は俺と岡崎に、悪いやつじゃねえんだ、許してやれ、って言った。
新人だから早くお前らと仲良くなりたいんだろ。方法はちょっとアレだったけど、って。

ヤサクは、岡崎さんに平井の悪口を言った。
平井はヤサクより年下だけど先輩だ。だからちゃんとしなきゃなんねえのに。

平井さんってぼさっとしてますよね。
と言って、岡崎さんに笑いかけた。嫌な感じの笑い方だった。

ひどい言い方だ。ぼさっ。
平井はぼさっとしてるけど、かわいいからいいんだよ。

後ろで聞いてた俺がむすっとしてたら岡崎さんがヤサクに言った。

「一緒に仕事してる仲間の悪口とか、俺は受け付けねーから他でやって」

冷たい声で。冷気まじすごかったから。

多分岡崎さんは見た目がああだから、軽いノリで一緒に笑ってくれるとか思ったんだろう。

ヤサクはビビって仕事に戻ったけど、店長もそれを聞いてて、見てて、「それが平井のいいとこなんだよ。仲良くなればもっと好きになるぞ」と普通の感じでヤサクに言った。

岡崎さんはその店長の言葉を聞いて、なんか落ち込んじゃった。

岡崎さんが気にするとこじゃねえのに。
俺は岡崎さんがかっこいいと思ったのに。




「フェー。まじ疲れたー」

上がったのは夜中の3時だった。

隣で着替える岡崎さんは迷いなく上半身の裸をさらす。
平井は先に帰ってるからいいけど。
ヤサクは新人だからもっと前に上がってるし。

つか岡崎さんスプレーしすぎ。

「岡崎さんそれいい匂いっすね」
「使う?」
「いいすか」

うお。冷たくて死ぬ。でも岡崎さんと同じ匂いだ。イケメンうつんねえかな。

「あー腹減った」
「俺も」
「何もしてねーのに?」
「しましたって!」

へへ、と笑う岡崎さんはちょっと元気が戻ったような感じ。

「俺は岡崎さんのすること、全部まじ賛成っすから」

言い捨てて逃げる。
恥ずいし。
でもほんとだ。
俺は岡崎さんがどんだけやばいか、知ってるし。











帰りが遅くて多少心配し始めた頃に、岡崎は帰って来た。

窓の外の空は白んで、朝の気配だ。

シャワーも浴びずに、俺の布団のすぐ横、畳の上にごろりと転がった。

「お疲れ様」
「はぁ…もう…」

仰向けになり、腕で顔を覆った岡崎は、盛大にため息をつく。

「…どうしたの」
「今日森田さん休みだよね?」
「うん。岡崎さんも」
「うん。俺も休み。なんか楽しいことしようね」
「はい。しよう」
「海行く?」
「いいよ」

よっしゃ、と起き上がり、岡崎は俺の隣に潜り込んだ。

「今日一回家帰ったんだ。シャワーも浴びてきた」
「…どうしたの」
「起きたらゆっくり話す。つかグチらせてー」

俺の腕を上げ、その中に体をねじ込んで、ふふ、と笑った。

「ほら。いい匂いでしょ」

そう聞かれて、思わずその首筋に鼻を埋めた。
確かにボディソープかシャンプーか何かの香りがした。

「あん、えっち」
「えっ、ち、じゃない…」

森田さんで安心したー、と呟いて、岡崎は眠った。
深く深く眠っているのを見て嬉しくなり、眠気がうつる。

何かあったのか。
こんなにポジティブな人が、こんなに疲れてしまうなんて。

ゆっくり休んでまた元気になれますようにと、岡崎の体を自分の腕の中に隠した。

海へ向かう車の中で、岡崎の話を聞いた。
後部座席には、タオルにレジャーシートにビーチサンダル、着替えのTシャツ。

助手席でちんまりと座っている岡崎は、いつもより体も声も小さいような気がした。

「そんでね、店長が屋作に言ったの聞いてさー、俺全然まだまだだったと思って。あれじゃ屋作が孤立するもん。やっぱまだ副店はつとまんないよー。店長はすごい」

しょぼしょぼと言う。

「つい言っちゃっただけなんだ。別に屋作のこと嫌いじゃないし。でも平井はがんばってるから。とろいんだけど、どんだけ叱っても素直に聞くし、考えて仕事するようになったし。俺も西尾もそれ知ってるから、なんかカッとなって」

こんなに弱音らしい弱音を吐くのは珍しい。
強がる気力もないのかもしれない。

黙った岡崎は、フロントガラスの向こうに何を見ているのだろう。

まだ20歳。
その年で、みんながうまくいくようにと考えられるだけでもすごいことなのだと、本人は自覚していない。

この人はこれから先、もっともっと伸びるだろう。
仕事をできるようになるだろう。

「次、笑って話せれば、大丈夫なんじゃないですか」
「屋作と?」
「うん」
「そっかー」

そだね、辞められたらまじ困るからさー、と言って、岡崎は少し背筋を伸ばした。

「なんか西尾にもなぐさめられたしまじ最悪」

岡崎の後輩は、岡崎をよく知っているのだろう。
少し安心で、同時に少し、苦しい。

「岡崎さんは、これから、なんか、夢とか、ありますか」

夢とかわかんねえ、と言ってから、でも、と顔をこちらに向ける気配があった。

「俺ね、いつか自分の店とかやってみたい。居酒屋楽しい」

これを言う岡崎の顔を、正面から見たかった。
運転中では叶わない。

「できる。岡崎さんなら、大丈夫」

確信を持って、俺は言う。

「ええー、まだわかんねえけど」

金もまだ足りねー、ってか店やるとか最初どんくらいかかんの、わかんねー。

岡崎はそれでも、楽しそうに言った。

いつか岡崎の夢が叶う時、自分もそばにいて力になれるならいい。
そんな将来の景色に、岡崎が自分を組み込んでいるかはわからないけれど。

でも、俺が勝手に思っている分にはいい。ばれない。

夢。ささやかな夢。思うことでひとり、胸をあたためることができる。

久しぶりに、体の中で小さな種が芽吹いた気がした。




夏休みで賑わう海水浴場を、眩暈を覚えるような気で横目に見ながら車を停める。
ものすごい人混みだ。

「混んでますね」
「つかこれふつーだから!森田さん、具合悪くない?いけそー?」

俺が頷く前に、すでに岡崎のエンジンがかかっているのがわかる。
楽しそうだ。
岡崎が楽しいなら、来てよかった。心からそう思った。

靴からビーチサンダルに履き替え、熱い砂の上を並んで歩き始める。

「海が、好きなんですね」
「うん。夏でしょ。海でしょ。焼き鳥食おう。焼きそばの方が好き?いやカキ氷が先かー」
「…焼きイカ」
「えーやだー!やわらか動物は食った気しねーからまた今度」
「やわらか…動物…」

軟体動物のことか。

あはは、と笑う岡崎。
今日も、綺麗な笑顔。

人と人の間に無理矢理レジャーシートを敷き、少しの荷物を置いて、とりあえず波打ち際へ向かう。

人をかき分け、人をよけ、子どもを踏まないように歩いていく。
何人かの人が岡崎の顔をじっと見た気がして暗澹とした気持ちになる。

「手、つなご」

小さな声が耳に届くと同時、左手の中指と薬指を握られた。

あ、あ、あ。

「お、おか、」

声がひっくり返る。

「ちょっとだけ」

岡崎はそう言うと、にっと笑って見せた。
それだけで胸が苦しくなる。
俺を、どうにでもしてほしい。

岡崎は俺の半歩前を行き、うまく人の間を進む。
ようやく海水が見えた。

視界が真っ青だ。
じゃぶしゃぶと音を立て、波の中に立つ。

「意外につめてー!」
「本当だ」
「わー」

視線を下げると、透明の水の中に、岡崎の裸足と俺の裸足が並んでゆらゆらして見えた。

岡崎のビーチサンダルは黄色。
俺のは、黒。

岡崎の足の甲は、俺のより白い。
骨が浮き出て、骨格が見えて。
そして、美しいくるぶし。
くっきりとした足首。

一気に視線を上へ戻す。

岡崎は笑顔で俺を見ていた。

「森田さん俺もうすげー元気んなったよ」

だからありがとね、ほんと、ありがとね。

礼を言いたいのはこちらだし、俺は何もしていない。
恐縮しつつも、どうしてこんなに幸せなのか、この人が笑うことがどうしてこんなに嬉しいのか、考えた。

手を繋いだままだったことは、すっかり忘れていた。

結局、暑くてカキ氷を買うことになり、岡崎は「トロピカルフルーツ味」という珍妙な色のカキ氷を選んだ。

「それ、おいしいですか…」
「微妙」
「…あ、あ…ご愁傷様で…」
「森田さんはすげーメロンって感じした」
「そうですか」
「おいし?」
「うん…普通の、メロン」
「あは、だよねー」
「でも、冷たくて、いい」
「うん」

レジャーシートに並んで座った。
岡崎が突然Tシャツを脱いで上半身裸になる。
岡崎の方を全く見られなくなった俺を見て、彼が明るく笑った。

「そだ。森田さん、誰かに写メ撮ってもらおー」

そう言うと岡崎はキョロキョロと辺りを探し始めた。

「……えっ」

写真に、俺も写るのか。

「いや、岡崎さん、俺は、いい」
「頼むって。俺、ひとりで祀られてんのさびしい」
「別に、祀っては、ないけど…」
「祀られてんじゃん。お供え物あるしさー」

そうなのか。俺は岡崎を祀っていたのか。
それでは本格的に宗教だ。

岡崎は、岡崎と同じような髪の色をした、同じような年齢の男を捕まえて携帯を渡した。

「すんません、写メおねがいしていっすか」

腕を引っ張られて、海をバックに立たされる。

「いや、岡崎さん」
「いいからいいからいいから」
「岡崎さんだけで」
「笑って笑って笑って笑って」
「無理、無理」
「お願いお願いお願いお願い、もりたんもりたん、もりもり、お願い、ごっちゃんお願いお願い」

ぶふ、と、思わず笑ってしまい。
その瞬間を、撮られた。




「あっちでさー、ビーチバレーの大会やってね?」

一緒に写真を撮ってしまったことにびくびくしながらシートに座り直すと、岡崎が遠くを見ながら言った。

「そうみたいですね」
「森田さんってなんかスポーツやってた?」

岡崎も再び座る。

「いえ。本ばっかり、だったんで」
「そか」
「岡崎さんは」
「サッカー少しやってた。小学生ん時ね」

その時、少し離れた場所で大きなゴムボールを打ち合っていた高校生くらいの集団の中から、ボールがこちらへ飛んできた。

岡崎に当たると思ってとっさに手を出し、それは俺の手の甲に当たって跳ね返って行った。

「びっくり、したね…大丈夫?」

聞くと、岡崎は俺の顔を穴が空くほど見つめた。

「…岡崎さん?」

俺の声で我に返ったらしい岡崎は、そのまま両手で顔を覆ってしまった。

どうしたのかと声をかけようとした時、岡崎が小さな声で言う。

「かっこいい」
「……何が…」

まさか、ボールを取りに来たあの高校生か。

「森田さんに決まってるじゃん。勘弁して」
「お、…俺…なに…」
「勘弁してよまじで…心臓壊れる…あー…」

立てた膝に顔をつけ、表情を隠すようにして、岡崎は俺の方を覗いた。

ちょっと耳貸して、と囁くので顔を近づけると、俺の耳に両手をつけ、内緒話の仕草をする。

「森田さんって、ちょーイケメン」

また岡崎が、意味のわからないことを言う。











海で一緒に写真を撮った。
森田さんちに帰る途中で2枚プリントして、俺だけだった写真立ての中身を入れかえようとしたら、森田さんに止められた。

飾りたいなら新しい写真立てを買うから、それはそのままにしてほしいって。
その岡崎さんの顔がすごく好きで、その写真はこの家にあるものの中で1番大事だから、って。

森田さんはほんとに、かっこいい人だ。
理由とかうまく説明できないけど、誰がなんと言おうと、ほんとに、かっこいい人だ。

もう1枚は、俺の家に飾る。
もうあんまり帰らなくなっちゃったけど、それでも、俺だって俺んちの中で1番大事なものがこれだって、いつでも森田さんに言えるように。


うれしそうな俺に腕をつかまれて、視線をそらしながら笑う男のひと。
Tシャツを着た背の高い、メガネの、年上の男のひと。





-end-
2015.8.4
56/84ページ
スキ