大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎18



「どうしたの!その顔!」

配送に来た森田さんの顔を見て叫んで駆け寄る。

左目のすぐ下にガーゼが貼ってあって、目も少し赤く腫れてる。

びっくりして心臓が痛くなった。

森田さんは気まずそうに少し笑って下を向く。
俺の声に驚いたのか、床掃除をしてた西尾が小走りに戻ってきた。

「ケガ、ねえ、どうした?」

下から覗き込むと、森田さんはとりあえず荷物を下に下ろす。

やだやだ。森田さん。

心配で頭が真っ白になる。

「喧嘩を…止めてみた」

森田さんはまた、恥ずかしそうに笑ってほっぺを指でかいた。

「ケンカ?」
「うん」
「誰の?」
「…知らない人たち」
「なんで?」
「いや…なんとなく」
「大丈夫なの?痛い?ケガ、他は?腫れてるし…ガーゼの下、ひどいの?」

知らないうちに思いっきり眉間にシワが寄ってたみたい。森田さんはふっと笑った。

「大丈夫。もう、痛くないです」
「…そっか」

様子を見てた西尾も安心したのか掃除に戻って行った。

「びっくりしたー…あとで詳しく教えてね?大丈夫なんだよね?」

うん、と言って森田さんは伝票を差し出した。
サインして返す。そしてまた、顔を見上げる。
綺麗な目。

かわいそうに。痛いだろう。誰だよ。誰のせいだよ。ふざけんな。

森田さんが一瞬俺を見て、耳元に口を寄せた。

「今…倉庫、誰かいますか」

息を吸い込んで固まる。思い出すのは、告った次の日に倉庫で後ろから抱きしめられた時のこと。

でも俺の体は勝手に動いて、森田さんから受け取った荷物を持って倉庫へ向かう。
森田さんもついてくる。

ああ。だめだ。こんなの、だめだ。仕事中。店だし、こんな、こんな気持ちは、今は。

倉庫に入った途端、森田さんが俺の肩を抱く。
たった今ダメだと思ったばかりなのに、ダンボールをそこらへんに雑に置いたその腕で森田さんを自分の方へ引き寄せる。

すぐ近くに、西尾がいるかもしれない。

「ねえ…ほんとに大丈夫?」

ガーゼの貼られていない方のほっぺを撫でながら、小さな声で聞く。すぐそばに森田さんの顔がある。

「大丈夫」

森田さんの声も小さい。でもちゃんと聞こえる距離。

「…やだよ…ケガとか…」

しないで。俺がイヤだから。ケンカなんかほっときなよ。

そんな自分勝手な気持ちを森田さんにぶつける。

森田さんはコクリとうなずいた。

森田さんの顔がさらに近づいて、俺も動く。
森田さんの唇は乾いていた。俺の肩を抱く手に力が入るのがわかって、体が少し熱くなる。

触れるだけのキスが何度か続く。
遠くでキッチンスタッフが何か言うのが聞こえた。

ああ。店だ。俺、何してんだ。

「…岡崎さん」

熱い吐息と一緒に森田さんが俺を呼んで、その瞬間、仕事がどうでもよくなりかける。
クビになったって、別の店探せばいいだけ。

唇がまたくっつく。もっと。森田さんの首を、頭を撫でる。もっと。

西尾の声も聞こえて、また現実に戻った。

「だめ、森田さん…もう行かなきゃ…」
「もう少し…」

森田さんは俺の後頭部を押さえて舌を入れてきた。

「あっ、んん…っ」

膝から崩れ落ちそうになる。舌と舌が触れ合って、体がびくつく。

だめだ、すげー感じる。やばい。

くちゅ、ぴちゃ、といやらしい音が狭い倉庫でやけに近く浸透してしまう。
森田さんの息が荒くなって、それを聞いて細いあえぎ声が漏れた。
腰が動きそうになる。

だめ。

「んっ…ん…」

だめだ。

「森田さん…っ」

唐突に、森田さんの舌が離れて、俺は一度ぎゅっと目を閉じた。

「大丈夫?」

森田さんの声にうなずいて、「先に出て。あとで家行くね」と言う。
森田さんは何か言いかけて、でも結局何も言わずに、少し赤い顔をして倉庫から出て行った。

壁にもたれて深呼吸しながら、後悔が押し寄せる。

俺さっきなに考えた?
店、クビになってもいいって?
他探せばって?
確かにそうだけどそれは最低の結果だ。店長に迷惑かけたくない。見損なわれたくない。
そんな形で仕事辞めたくない。

森田さんは罪深い。それに簡単に流される俺はもっとだけど。

ずるいよ。森田さん。なんなの。あの人どういう人よ。

でも好きだ。ああいうとこも、ほんと、たまんない。
あんな顔してなんかのきっかけでスイッチ入ったらエロいとか、もうずるすぎる。

でもちょっと、ちゃんとしないと。
引っ張りあってどこまでも落ちそうだ。
だめだめ。

「よし。仕事」

倉庫を出ながら、それにしても森田さんはとんでもないな、と俺はニヤついてしまうのだ。



仕事を終えて、いつもより少し急いで森田さんの家に向かう。
森田さんは起きていて、昼間貼ってあったガーゼは取れてる。
傷じゃなくて、青あざだ。

「ああ痛そう…ねえケンカってなに?」

部屋に入るなり聞いて、自分でもちょっと落ち着けと思う。

どかっと森田さんの前に座ると、森田さんも起き上がって、俺たちは至近距離で向かい合う。

「外で…うるさくて…なんか…若い感じの人たちが…」

森田さんはなぜか恥ずかしそう。

「関係ないって思わなかったの?殴られたの?そいつらちゃんと謝った?それ昨日?腫れ引いてないし、冷やした?病院行かなくていいかな、大丈夫なの?あーまじイヤなんだけど」
「女の人の、手が当たって」
「女?!」
「…男女で…」
「痴話喧嘩かよ、もう勝手にやれってそんなの」
「とにかくなんか…女の人が、興奮してて…暴れて、男の人は、放置しようとするし…なだめてる間に…」
「森田さん」
「…はい」
「……もう…」

いつの間にそんなことに関わろうとするようになったの!と叫びそうになる。
知らないけど。森田さんのことなんかまだ全然知らないんだけど。
そういう人?そんなことする人なの?人とは関わらないんじゃないの?

「俺が誰かとケンカしててもおんなじように止めてくれる?」
「と、止めます、し、そんなの…駄目、痛いから、守る、か、守れるか、わからないけど、いや、俺は、」

真顔で焦りだした森田さんの頭の中が突然カオス。

ヤキモチとか、くだらねー。
俺が笑うと、森田さんも体の力を抜いて少し笑う。

優しい人。

「そういえば今日新人の子が」

何かがのどに引っかかってたけど、森田さんのそばにいるとその小さな痛みを忘れた。
それはそのまま溶けてなくなるだろうと、俺は思っていた。









他人の喧嘩を止めるなど、自分でも驚いた。
岡崎は怪我を心配して、その夜何度も俺の顔を撫でた。

自分から見ず知らずの他人に関わろうとしたのには、岡崎が深く関係している気がした。
絡まって硬く小さくなっていたものを、岡崎が少しずつ解いてふわふわとまとめてくれているような感覚が、ずっと続いている。

何を返せるだろう。何をしてあげられるだろう。
そんなことを考えながら、しかし毎日、岡崎に対する邪な感情は高まるばかりだ。

店で制服を着た岡崎を見ると、どうにも触れたくて仕方がなくなる。
たくさんの人の目に触れるであろうその職場に、俺は醜く嫉妬しているのだ。
我慢しなければいけない、ここでは他人でいなければいけないと思う反面、同僚や後輩の全員、客の全員に牽制したい、岡崎を世界一必要としているのは自分だと見せたくて仕方がなくなる。

おかしい。
コントロールが効かなくなっている気がした。
恐ろしい。

岡崎がはっきり止めないのをいいことに、自分でも気づかないままエスカレートしていくのが、怖くて仕方ない。




『ごめん。今日ちょっと友達に誘われてさぁ。これからメシ行ってくる』

深夜、仕事終わりらしい時間に、岡崎は電話で俺に謝った。

「わかりました」
『明日は行くね』
「うん…待ってます」

心が急激にしぼんでいくような感覚を抱きながら、電話を切った。

岡崎は友達が多い。それは元から、俺と出会う前からそうだったのだ。
仕方がない。どうしようもないこと。

第一、あんなにキラキラした綺麗な人を、自分だけで独占していいわけがない。
初めからわかっていたことだ。

並べて敷いていた岡崎の布団を畳んで部屋の隅へやり、自分の布団に戻ろうとしたところで、飾ってある岡崎の写真が目に入った。

この笑顔も、本当は俺に向けられたものではない。

そう思うと、また一人に戻った気がしてうすら寒くなった。

岡崎は明日、本当にまたここに来てくれるだろうか。
今日を境に疎遠になったら。
部屋に増えた彼の私物を、どうしたらよいだろう。
返すのを口実に、また会ってもらえるだろうか。
そしたら、その時、どんな風に話をすれば。
いや。求めては駄目だ。元々生きる世界の違う人だ。

考えたくないことを山ほど考えて、一度は畳んだ岡崎の布団を敷き直し、気温が高いのにも構わずそこへ潜り込んだ。
何かとんでもない罪を犯しているような最低な気持ちで、うつらうつらしながら朝を迎えた。



汗でベトベトした体は後回しにして、岡崎の布団のシーツを洗濯機に押し込んでスイッチを入れる。

勢いよく流れ込む水をぼんやり見つめながら、今日、できれば岡崎に会えますようにと願う。

会えるのなら触れられなくていい。自分のものでなくていい。
ただ、真っ暗だった自分の道にまばゆいほどの光をくれたあの人の笑顔を、一度でいいから今日も見られますように。

そして、会えたら、色々なことを謝りたい。その勇気を、自分が持てますように。









久しぶりに会うそいつらは、中学の同級生とその仲間、のそのまた仲間、みたいなボヤッとした集団だ。

宅飲みしてるとこに仕事終わりで行ってみると、酔いきったやつらが10人でバカ騒ぎをしてた。

「あーあーなにこれカオス」
「久しぶりだなー!」
「岡崎今仕事終わり?ヘビーすぎね」
「お前なにその髪。似合わねー」
「うっせ」
「岡崎変わんねーな」

そう言って笑う1人を見てなぜか森田さんを思い出す。
なんでだっけ?

そこらへんにあったビールを開けると見事にぬるかった。

まっずい酒を飲みながら、バカ騒ぎには加わらずに笑顔でかわす。
適当に聞いてあいづちでもうっとけば成り立つ関係だ。
そうだそうだ。こいつらとは、そういう付き合い。
だんだん思い出してくる。どうやって友達作ってたか。

別につまらなくはない。結構楽しい。バカだなーって笑って、俺の方は最近こうだって話して、変わんねーアホーって笑われて。

森田さん、寝たかな。

そこで唐突に思い出す。
ちょっと背が小さくて小顔のこいつは、森田さんが持ってって飾った写真の、俺の隣に写ってたやつだ。
そんで、切り取られて捨てられたやつだ。

思い出したらおかしくて、あぐらをかいてるそいつを後ろから羽交い締めにした。

「は?何だよ」
「相変わらずちっさいねーお前は」
「はぁ?伸びたんだよこれでも!」
「嘘ついちゃイヤ!マメみたいなくせに!」
「クソが!」

こうやってふざけて、別になんでもない時間を過ごして、笑って話して酒飲んでフラフラんなって。

そんなのより、俺は森田さんと静かに話してたいんだなーと、ちょっと切ない気持ちになった。

ぬるいビールを、それから3本空けた。



「ただいまー」

森田さんが仕事に行く時間にギリギリ間に合うように帰った。
会いたくて。
行ってらっしゃいだけして久しぶりに自分の家にでも帰るか、と考えて靴を脱いでいると、出てきた森田さんが持っていたシーツをバサっと取り落とした。
洗濯後のいい匂いがする。

「どしたの」

あまりにも暗い表情だったからびっくりして聞くと、遮るようにぎゅっと抱きしめられた。

岡崎さん、岡崎さん、と苦しげに俺を呼びながら力を込められる腕のなかで幸せを感じる。

「どーした。寂しかった?」

笑いながら言ったのに、森田さんは泣きそうな顔をして、俺を壁に押し付ける。

「んは、っ、ん…ぁ」

とろけるようなキス。激しくて優しい。
脚の間に膝を入れられて、俺はすぐエロい気持ちになる。

いや、でも、森田さんもう仕事行く時間。

「ん、もりたさ、んんっ、仕事…ね…遅れる…んんっ」

やべえ。どうすんの。

「…遅れて…行く…」

森田さんも興奮してて、途切れ途切れにそう言った。

だめ。ダメだよそんなの。

「岡崎さん…」

激しく舌を絡ませながら、性急に服を捲り上げられ、乳首に吸い付かれて胸が反る。

「あぁんっ」

同時に森田さんの両手が下におりてカチャカチャとベルトを緩められ、ジーンズを下ろされる。

「だ、だめっ、森田さん、んっ、ほん、ほんとに、遅刻…しちゃ、ああっ!」

勃起した俺のをパンツの上から撫で回しながら、もう片方の手で自分の下をおろす森田さん。
どうしたんだろう。何かおかしい。って、性欲まみれの頭ん中で、引っかかって一瞬吐きそうになって。

「ねえ、森田さん…!」
「岡崎さん、お願いします…ごめん…俺は…最低で…」

森田さんが本当に泣きそうな気がして顔を見ると、森田さんは小さな声で言った。

許してください、って。

意味がわからなくて、体だけが熱くて、森田さんがひざまづいて俺のを咥えて舐めてドロドロにするのを見てた。

森田さんはフェラしながら辛そうな顔をして、自分のを扱いてる。
ああ、相変わらずでけえ。エロい。

「ああっ、すげえ…気持ちいい…」

考えたいのに、森田さんを止めて抱きしめて話を聞きたいのに、仕事行きなって叱りたいのに。
俺の体は森田さんのフェラを感じることと森田さんのオナニーで興奮することで一杯だった。

「あぅ、ああ…あっ、あっ、ふ…んん、」

森田さんの頭を片手で引き寄せて深く突っ込む。気持ちよくて天井を見上げる。
おかしくなりそうだ。のどの奥が締まって先っぽがキュンキュンした。

「あぁ…ねー…もりたさん…っ、俺の精液飲める?」

腰を動かしながら聞くと、森田さんは小刻みに何度もうなずいた。

「あーまじたまんねえ、イく、イくよ…ああ、は…森田さん、森田さんイく!イくっ、ああ、あ、っん…!」

服のすそを手でたくし上げたまま、森田さんののどの奥に出す。
ほぼ同時に森田さんも静かにイって、微かに体をこわばらせた。

苦しそうな森田さんの口からペニスを抜いて、指をつっこんで開けてみる。
本当に飲んでた。

「ごめん…マズかったでしょ」

森田さんはぼんやりした顔で首を横に振って、手もペニスも拭かないで部屋着におさめてしまった。

そのあとなんとなく気まずくてあんまり話もしないで、森田さんは着替えてシーツだけ干してさっさと仕事に行ってしまった。

出て行く前、今日の夜はお願いだから来てほしい、わがままを言って本当にすみません、と俺に言った。
森田さんは一回も俺の目を見なかった。

パタンと静かに閉まったドアを見たまま固まる。

なんかが、おかしいことになってる。

自分が電話で言ったこと、今日帰ってきてからしたことを思い出して考えてみる。

森田さんの考えてることが全然わかんなくなっちゃった。昨日までは大体わかってたつもりだったのに。

なんとなく部屋の奥に目をやる。
いつもちゃんと畳まれてるのに、珍しく布団が敷きっぱなしになっていた。

その奥の俺の写真が、写真立てごと伏せられている。

「…そんなに寂しい思いさせたのかなー」

俺が来ないってわかってたはずなのに、布団は並んで2組敷いてあって、どっちにも寝たあとがあって、俺の布団のシーツがはがされてる。

胸がズキズキ痛んで立っていられなくなって、俺はその場にへたり込んだ。

ねえ森田さん。
どんなこと考えてた?
1人で寝て、またマイナスなこと考えた?

昨日、ここにいればよかったよ。あんないつでもできるアホな集まりなんか断ってここに、森田さんのそばにいればよかった。

とても真面目な大人の男の人が、仕事に遅れてもいいって言って俺に触れた。
大好きな人が「許してほしい」と言って泣きそうな顔をしていた。

どうしたの。何があったの。何を考えちゃったの。

俺はいつも森田さんに言いたいことを言って、森田さんはいつもそれを真面目な顔で受け止めてくれる。
でもどうしても、俺が森田さんを守らなきゃっていう気持ちが日々ふくらんでいく。

物理的には仕方なくても、精神的に、森田さんを1人にしちゃダメだ。それはしないって、絶対しないって思ってたのに。

座り込んで頭を抱えながら、部屋に残った森田さんの気配をしばらくそのまま感じていた。






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2015.5.6
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