大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎17



深夜、仕事終わりでへとへとの体を引きずりうちに来てくれる岡崎は、やはり綺麗な顔をしている。

「はざーす」

その挨拶の原型が俺にはわからない。
だからとりあえず、俺はおかえりを返す。

「明日休みになった!なんと!」

そうか。それで今日はそんなに楽しそうなのか。

「新人が意外とできる子でさー。子っつーか年上だけど」
「それは」
「でも西尾がすげー先輩面すっからうっぜー」
「よかった」
「よくないよ、うぜーよ」
「あ、いや、新人さんが、できる人で」

少しでも岡崎の負担が軽減されればいい。

「女の人、だった?っけ」
「そうそうそう。平井はなんか嬉しそうにしてるなー、女一人だったし。俺の3こ上?主婦だって」
「まだ若い」
「ね。キッチンにもたまに入ってもらうかもって店長が言ってた」

ひとつ頷くと、布団に近づいてニコニコ笑いながら「つかれたっすー」とため息を吐く。

「お疲れ様」
「森田さんもね。ねー…、あ、やっぱ先に風呂。上がったらイチャつこうね」

何も言えない俺を残して、岡崎は浴室へ消える。

最近はうちの風呂を岡崎が使うことも増えたので、掃除をこっそり頑張っている。

部屋の隅へ目をやる。
岡崎用の布団は畳んだままだ。

自分の布団を敷くときに、迷って迷って、そして敷くのをやめた。

もし、もしも岡崎がいいと言うなら、くっついて、抱き締めて眠りたかった。
それを正直に伝えていいものか、我慢するべきなのか、判断がつかないまま岡崎が帰ってきてしまった。

まだ迷っている。
気づかないふりをしていれば、岡崎はこちらに来てくれるような気もする。
散々じっと我慢をしてから、でも嫌がられたら、と思うとやはりいても立ってもいられなくなり、起き上がって岡崎の布団に手を伸ばした。

「見て」

背後で声がして、どきりとしながら振り返る。

「ハタチの全裸」

そこには、風呂上りで一糸まとわぬ岡崎の姿があった。肌がしっとり濡れて火照っているのが見て取れる。
なぜか得意げなその顔を見て、かがみかけていた体勢から俺は尻餅をついた。
何も言えずに固まる。口が開いたままだったので急いで閉じた。

「ちょっと大丈夫なのー。反応薄い」

少し不満げに脱衣所に戻ろうとする岡崎が、何も言わない俺を何か誤解したのだと気づく。

「…岡崎さん!」

やっと出た声は、自分にしては大きなものだった。岡崎も驚き振り返った。

「ん、はぁい?」
「ちょっと…、あの…」

触れたい。

「どした?ちょっと待ってパジャマ着てくるし」

岡崎に触れたい。

その衝動はいつも俺を瞬時に支配してしまう。怖い程だ。

立ち上がり、少し怯んで前を隠そうとした岡崎にずんと近づいて、血色の良い唇に噛み付くようにキスをした。

「んー…」

岡崎が細い声を出し、俺の左手首をそっと掴んだ。
右腕で岡崎の肩を抱き、気がつけば息を止めたままキスをしていた。唇を離して荒い息を吐くと、岡崎がとろんとした目で俺を見た。

形のいい瞳。ふと我に返り、恥ずかしくなって目を逸らす。
綺麗に浮き出た鎖骨が目に入った。

「あー…森田さんー…目、逸らしちゃうの?続き、しないの?」

視線を追われて、さらに照れる。
すると岡崎は、俺の頬を両手で包んで固定した。

「見て…?俺のこと見て、森田さん」

岡崎の、少し掠れたような声が、俺を丸ごと包むような気がした。
さらに、囁くように彼は続けた。

「知ってる?好きな人を見ると、瞳の奥がハートの形になる人がいるんだって。…俺、なってる?森田さんのこと見て、ハートの形になってる?」

そんな話は聞いたことがなかった。でも岡崎の目は真剣だ。言われるままにその瞳を覗き込む。

岡崎の黒目は、少し色が薄い。自分とは、目の外枠も黒目のまるも、すべての大きさが違うような気がした。

綺麗だ。本当に。
ぼうっと見惚れていると、岡崎が魅惑的に笑う。目が少し細くなり、目尻が下がる。

「ウソだよ」

でもなっちゃうかも。ハートの形に。

言いながら、ゆっくり優しく俺の唇を噛んだ。
気持ちよくて、体が震えた。

岡崎のキスはいつも、丁寧だ。こちらまで優しい気持ちにしてくれる。

裸の岡崎の背中は、すべすべしていて温かい。岡崎にキスをされながら、また少しずつ、我を忘れていく。

「ケツ触って」

岡崎が言うと多少下品な言葉でも滑らかに聞こえる気がする。
両手を後ろに回して、大きく揉む。

「…あぁ…」

岡崎の口から漏れる小さな声。
その髪は、洗いたてでいい香りがした。

「濡れてる」
「え?」
「髪。…まだ、濡れてる」

そっと頭を撫でると、岡崎がホッとしたような顔をした。

「そんなのすぐ乾くよ。…焦った。女になったかと思った。こわ」

意味がわからなかったので、とりあえず耳をふにふにとつまんでみる。

「ん…ぅ…」

目を閉じた岡崎にキスをして抱き締めた。

「寒くない?」
「全然。…あつい」

あつい、と言いながら、微かに股間を擦り合わせられて腰が引ける。

「あ……」
「お、岡崎さん…」
「抱いて」
「抱く…」
「んふふ…抱く?」
「…はい…」

かわいいね、森田さん、と言って、岡崎がぎゅうと抱きついてきた。
この世の中で一番セクシーな人が目の前にいると思った。

自分の布団に寝かせると、岡崎が潤んだ瞳で見上げてくる。

「森田さんも服脱いで」
「あ、あぁ」
「服着てる森田さんに犯されるのもいいか」

柔らかい顔で「犯す」という表現を使う岡崎にびっくりしてしまう。

「そんな、ひどいことは、しない、犯すとか、しないよ」
「ああ…うん…いいの、そうだね、無理矢理しないもんね」
「岡崎さん、……」

好きとか愛しているとか、そういう言葉で、果たしてこの気持ちを伝えることができるのだろうか。
この気持ちは、なんと表現すればしっくりくるのだろう。

言葉が足りない。全然、足りない。



首筋をゆっくり舐める。
暑い、と言った岡崎の肌は少し塩辛い。
すべらかで、少しずつ上下する胸元は驚くほど平らだ。

俺は少し迷って、部屋着を脱ぐのをやめた。

岡崎に言われてバッグの中を探すと、ローションとコンドームが出てきた。
それを手に固まりかける。岡崎が少し笑いながらそっと取り上げて、俺がするから大丈夫だよ、と言った。

ごくりと喉が鳴って、そのまま岡崎の体に手を這わせる。

岡崎の優しさには際限がない。でもしつこくなく、さっぱりして、俺は岡崎の好きな清涼飲料を思い浮かべる。
日に何度も、それに救われる自分がいる。

少し手を動かすだけで岡崎はひくひくと体を震わせる。口から漏れる吐息と声に、自分の体が熱くなっていく。

触れながら、自分だけのものにしたいという邪な欲望と、そんなことはおこがましい、いやらしいことなどしないでただずっとこの人の綺麗な体を見ていたいという宗教じみた願いがせめぎあって、心が熱くなったり冷静になったりと忙しい。

それが動きにも出ていたのか、時折岡崎が、ここに触って、ここを舐めて、と優しく声をかけてくる。
それに救われながら、自分がその通りに動いて、岡崎が恥ずかしそうに顔を背け、声を出すのを見ていると、なんだかおかしくなりそうだった。

ならすからちょっと待って、と岡崎が苦しげに言い、俺は少しだけ体を離してそれを見ていた。

ローションを手に取った岡崎は、後ろに手を回してくちゅりと音をたて、艶めいた表情を浮かべる。
挿入の準備をしているらしいと気づいた時には、岡崎の手が俺の部屋着のズボンにかかっていた。

膝までパンツごと引き下ろされて、反応していた俺に、岡崎が丁寧にコンドームを装着する。

仰向けで少し脚を開いた岡崎に重なり、濡らされたそこに自分をあてがう。

少し入ると、岡崎がぎゅっと目を瞑った。くじけそうになるのを、目を閉じたままの岡崎に縋られて止められる。

やめないで、全部いれて、奥まで、と言い、岡崎はひとつ、息をゆっくり吐いた。
苦しい思いをさせているのだろうか。
自分の体のせいで。
以前の人もそうだった。

と、意識が他に行きそうになるのを振り払う。キスをして、舌を絡めながら腰を少しずつ進めた。
岡崎の呼吸は荒く、愛しい声が混じる。

しばらくゆっくり抽送を繰り返しているど、岡崎の体からも少しずつ力が抜けていき、俺の体は熱さを増した。
顔からぽたりと汗の雫が滴り、それが岡崎の口元に落ちた。
慌てて拭おうとした次の瞬間、岡崎は挑むような目つきで俺を見上げ、舌を出してそれを舐め取った。

動きが激しくなっていく。
すると岡崎が、森田さんの好きな体位、してよ、と言った。

岡崎の体を横向きにし、後ろから入れ直す。岡崎がひときわ大きく喘いで、俺はそのうなじに顔を埋めた。

岡崎の香りがする。

岡崎の脚を後ろから広げて、少し上を向かせる。
そうすると、自分の視界には岡崎の体が全開になって見えた。
岡崎からは自分が見えない。だから目が合わない。いくらでも見ていられる。
その状況が、俺には丁度よかった。

そのことに気づいたのは、結婚をしていた頃。
胸が痛くなる。

岡崎。
俺には今、この人が。この人しか。

脚を掴んでいた手に力が入った。すると岡崎が少し首をこちらに向けて、口を開いた。


「森田さん。前の奥さんのこと、思い出してもいい…から…、俺のことだけ、考えて」


それは矛盾しているようで、今一番、俺が言って欲しかった言葉だった気がした。

自分の記憶を岡崎で埋め尽くしたい。
他の人間の顔や名前を覚える、そのくだらない作業を全部やめて、岡崎のことだけを自分に刻みつけたい。

後ろに回そうと伸ばされる手も、その指先の形のいい爪も、腰を動かすたびに吐き出される吐息も、伏せられたまつげも、少し傷んでいるがいい香りのする髪も、全部、全部、どうしてか、水滴が次々に葉の上をすべり転がっていくように、俺は忘れていくのだろう。

足りない。
言葉も、記憶も。
岡崎を大切にするために必要なものが、この世には全く足りていないのに。
岡崎は次々に美しいものを俺に見せてくれる。
どうやって恩返しをしよう。
時間は限られているかもしれない。
俺はどこかで何かを間違えるかもしれない。
どうやって、この人を傷つけずにいられるだろう。

二人で果てるまで、俺はそんなことばかり考えていた。





暑かった。

部屋の電気と弱くかけていたクーラーを消し、窓を全開にすると、白み始めたその中空に、影の薄い月が浮かんで見えた。

並んで横になり、うちわであおぎ合って、セックスをしながら考えたことをぽつりぽつりと話した。

「忘れる、ねえ。それはしかたないから…新しい俺を見てればいいんじゃん?」

新しい、岡崎。

「忘れるそばから新しい俺がアホなこと言うから、それを笑って見ててくれればいいんじゃねー」

くっきりと笑うその顔の、美しさにまた、見惚れる。

森田さんはいろいろわけわかんねー心配のしすぎで病気になりそうだから毎年ちゃんと健診行ってよね、と言う。

岡崎の喉仏と鎖骨。何かとても有名な彫刻ほどの価値があるように見えて、指でそっとなぞる。

「あと、森田さんてやっぱ、エロい」

目を細くして抱きつく岡崎に、してやれそうなことを考える。
ともすれば暗くなりがちな俺の思考を、たった一言と綺麗な笑顔で振り払ってくれる岡崎に。

答えは出そうにない。
毎日、写真に飲み物を供える以外に。
何か。



岡崎が寝る前にネットで調べてくれた。

俺の好きな体位は、「窓の月」というらしい。







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2015.4.11
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