大きな声では言わないけど

番外の番外・10年前の光景 リクエスト小説 
(森田と岡崎がもっと昔に出会っていたらというほっこり系パラレルです)



ここに来るのは、3年振りだ。
視界は開けていて、空は青く、広い川はゆっくりと大らかに流れている。

同じだ。高校を卒業する直前、友人たちと見た光景と。
気分は正反対だけれど。

履歴書や自己啓発の本や筆記用具が詰まった書類鞄を草の上に投げ出して、リクルートスーツが汚れるのにも構わず土手にどかりと腰を下ろす。

草のにおいが鼻をくすぐる。

就職活動はなかなかうまくいかなかった。
今日の面接も、失敗した。
面接官の目をまっすぐ見られなかったし、声も思ったより小さくなってしまった。

きっと駄目だろうなぁ。
何社受ければ決まるかなぁ。
半ばヤケになりながら、草をブチブチとちぎった。

実家暮らしだから、家に帰れば母親がいて、面接はどうだっただの明日はどうだのうるさいことはわかりきっている。
それが若干煩わしくて、寄り道をしてしまった。

あと1時間もすれば日が落ち始める。平日のこんな時間に河川敷にいる人たちというのは、一体何をしている人たちなんだろう。

ゆっくり歩いているおじいさん。
犬の散歩をしているおばさん。
小さな子を遊ばせているお母さん。
ふざけ合って笑っている男子高校生4人組。

自分と同じ境遇の人はいそうにない。

小さくため息を吐いたところで、左手の少し離れた場所に、学ランで眼鏡をかけた男子学生が1人でやってきた。
彼は俺と同じように草の上に座って鞄から文庫本を取り出し、読み始めた。

ちょうど視界に入る位置だったのでなんともなしに見ていると、どこからか小学校高学年くらいの男の子が走ってきて、彼の右隣に勢い良く座った。

「まった怖い本読んでるし!暗い!」

当事者でない俺でもガツンと衝撃を受けるくらいにはっきりと「暗い」と言われた学ランの彼は、何のリアクションも見せずに淡々と本を読み続けている。

「ねぇアメ食うー?」

小学生のブルーのランドセルはボロボロだ。草の上に放り投げられたそれは、傾斜のある土手で少しだけ転がった。

「今日のはねー、オレンジといちご。どっち?」
「…あなたは?」
「俺いちごがいいからオレンジやるー」

なら聞くなよ、と内心つっこみながら、2人の関係性を想像する。

兄弟か?でも学ランの彼は小学生のことをあなたと呼んだ。
学ランは高校生に見えるので、友人にしては年が離れている。

小学生は気安く、学ランの本を覗き込んでいる。

「今日はなんのとこ?」
「…主人公の、友達が、死んだ」
「うえー。また死んだの。暗い」
「まだ、もう何人か、死ぬ」

おいおい小学生に物騒な話をするなよ。

ボソボソと話す学ランに対し、小学生は構うことなく、うわー、ははは、と明るい声で笑った。

「…この間は、大丈夫だったの」

学ランが聞くと、小学生が少しうつむいて、うん、と答えた。

「やっぱねーちゃんに怒られた」
「…ちゃんと、話した?本当は、弟が、壊したって」
「話してない。めんどくせーしー。でもあとで弟がねーちゃんに言った。ごめんなさいしてた」

アメの包装をといて中身を口に入れ、小学生はゴミをぽいっと捨てた。

「だめ。捨てたら」

学ランがぽそっと言うと、小学生は「めんどくせー」と言いながら素直にゴミを拾う。

「あとで、捨てるから」

小学生は学ランが差し出した手にゴミを乗せ、それから思い切り、その手のひらを叩いた。

ぱしーんという音が響く。

「痛い?」
「そうでもない」
「これできる?こやって音出すやつ」

小学生がまた学ランの手を取ろうとしたので、学ランはゴミをポケットにしまってから、改めて手を差し出す。

ぱしーん。

それにしてもいい音が鳴る。

「どう、やってるの」
「知らね。練習した」

練習か。小学生って意味のないことを練習するんだよな。

学ランは自分の手で真似てみるものの、ばす、という鈍い音しか出せていない。

「ヘター!森田、へた!あはは」

小学生が学ランを呼び捨てにして笑った。

学ランは、何度かやってみて諦め、それからちらりと小学生を見た。

「…よく、覚えてたね、名前」

小学生はまた学ランの手を取ってぱしーんとしながら、こくりと頷いた。

「森田は覚えてない?俺の名前」
「覚えてる。まさひろ、でしょ」

ぱっと顔を上げ、隣の学ランを見上げたその顔は見えなかったけれど、きっとうれしいんだろうと、その背中からありありと窺えた。

「森田のさー、お兄ちゃんと弟はさー、森田と仲いい?」
「…普通」
「ふーん」
「…あなたのところは?」
「ねーちゃんは、弟と仲いい。俺だけケンカしてる」
「…真ん中は、不遇な時代が、あるから…まあ、仕方ない」
「ふぐうって?」
「大人になったら、わかる」
「森田だって大人じゃないくせに!」

小学生に言われて黙ってしまう学ランが若干心配だ。

「森田、そんなんじゃモてないよー」
「…モてない」
「そうだよ。暗いのばっか読んでるしさー。もっと友達とハンバーガー食べたりするじゃん高校生は。ねーちゃんはしてるよ、中学だけど」
「ハンバーガー…」

なんだろう。この2人は。

お互いの兄弟の話をしているからやはり兄弟ではないし、名前を覚える覚えないの話をしているから親戚でもない。最近付き合いが始まったような。

なんて、平和な世の中だ。
世代の壁を超えて通じ合っているように見える2人のその他愛もない会話を聞いているうちに、明日もなんとかなる、ぼちぼちがんばるか、という気持ちになって、幾分視界が明るくなった気がした。

突然、電子音が鳴り、小学生が慌ててボロボロのランドセルを漁る。
中から出てきたのは子ども用の携帯。

「もしもし。…今、川んとこ。…うるせーブス……やだ!やだ、食べる!帰る!今!」

学ランは、生意気な小学生を静かに見守っている。

「俺帰るね。ねーちゃんがご飯抜きとか言うし」
「あなたも、女性に、その、ブスとかは、ダメだよ」
「いいの。ねーちゃんはいいの。ムカつくから」

ランドセルを背負って傍らに立ち、小学生は一瞬、名残惜しそうに学ランを見た。

「森田、明日もいる?」
「……いる」
「えーまたいるの?ハンバーガー食べにいかないの?」

小学生は嬉しそうに言う。
きっと本当は学ランに会いたいのだ。

学ランには、ここに来る理由がないのかもしれない。
でもあんなに嬉しそうにされたら、来ないとは言えないのかもしれない。
もし来なければ、今は少し家に居づらいらしいあの小さな友人の心を傷つけるかもしれないと、気を遣っているのかもしれない。

「ここに、いるよ」

学ランは答える。

「じゃあまた明日ね!」
「…雨じゃ、なかったらね」
「ん!ばいばい森田!」

小学生が後ろを向いたので、顔がはっきりと見えた。
態度と反対に、たれ目でかわいらしい顔をしていた。

土手を駆け上がって去って行く小学生を見えなくなるまで見送って、学ランは小学生に渡されたアメをゆっくり口に運んだ。
しばらくぼうっとしてから立ち上がり、小学生とは反対の方向へと去って行った。

やっぱり、あの子のためにここに来るのかな。

いいな。俺にもそういう人が、無条件に優しくしてくれるような人がいればいいのに。

なんだか少し感傷的になりながら、自分も立ち上がる。

空を見れば、浮かんだ雲が桃色に染まり始めていた。

書類鞄を持ち、スーツの裾を払って土手を登る。

明日も面接、頑張ろう。
次にここに来る時には、胸を張れるように。







2014.10.29
マルイさまへ
48/84ページ
スキ