大きな声では言わないけど
番外 森田と岡崎11
森田さんと、手を繋いだまま向かい合って、多分もう30分くらい経った。
俺は森田さんの指を握ったり、生命線の長さを見たり、爪の形を観察したり、とても忙しかったけど、森田さんは黙ってされるがままになっていた。
「足痺れてきた」
「大丈夫?」
そんなことにすら心配そうな顔をする。
だめだ、ほんと、もう。
「好きだよ、森田さん」
止まらない。
森田さんは、少し眉を下げて俺を見た。
「そんな、そんなふうに、言わないで、あんまり」
どうして?だって、好きなんだし。
でもちょっとしつこくしすぎたかな。
そしたら森田さんは言った。
「ちょっと、ドキドキして……苦しくなってきました」
「そんなんさっきの俺の方が心臓ぶっ壊れそうだったし!」
「そう、か……」
「森田さん」
覗き込むようにしたら、森田さんはふいっとそっぽを向いた。
「森田さん?」
視線を追いかけて、わざと視界に入る。
「あの、」
「森田さーん」
「……ちょっと」
「照れてるの?」
「というか」
完全に下を向いてしまう。
「なんか、これは……すみません、失礼なこと、言いますけど」
うん、と言って続きを待つ。森田さんは、俺が丹念に調べた方の手を、もう片方の手で何度も撫でた。
「岡崎さんは、モテると思うし、俺が、もし、本気、というか、ちょっともう抜け出せなくなってから、その……」
ああ。
「すぐ誰かに乗り換えないか、心配?」
「いや、そういう、なんか、意味ではない、んですけど」
「でも心配なんだ」
「……いや」
森田さんが、ばっと顔を上げたので、少し驚く。
「すみません…今の、なしで」
「なしで」
「…なしで」
「大丈夫?」
「もう、多分、どっちにしろもう……無理です」
俺と森田さんの話す言葉が、どんどん重なって絡まって、太く、長く、厚くなっていくみたいに。
「多分、もう、俺は……実は、結構前から、岡崎さんのものになってしまって……」
探り合いながら、確かめ合いながら、積もっていくみたいに。
「認めるのが、怖かっただけで……俺は、岡崎さんのこと、だけ、特別で、仕方が無い」
ああ。もう。
絡まって絡まって、離れられなくなればいいのに。
「だけど」
だけど?
ふいに時計を見た森田さんにつられる。
「……そろそろ、送りましょうか」
時計は12時をさしていた。
「だけど、が気になるんだけど」
「今度、また」
「えー。なにその予告編」
「車、出しますね」
「大丈夫。1人で帰るよ。森田さん、明日も仕事だもん。ゆっくり寝て」
「でも」
「今日はね、幸せに浸りながら、ニヤけながら1人で帰ることにするー」
森田さんが少し笑う。
なんて、なんて幸せな。
「もしね、もし明日ふられても、俺は何億回だって、森田さんにありがとうって言うよ」
俺は1人、森田さんの家を出た。
優しい顔をした、大好きな人に見送られて。
*
まだ信じられないような気持ちで、岡崎の顔を思い出しながら、冷蔵庫から水を取り出す。
一連の流れを思い出して、キスの件で顔が熱くなって、思わずペットボトルを取り落としそうになる。
全部夢だったのではないかと思えてならない。昨日までは、これは友情にまつわる感情だと思っていたのに。男にキスをされても嫌ではなかった。それどころか。これは、どういう。
岡崎は友人も多く、会話の中に、誰かと来たとか誰かと食べたとか、そういった話がよく出てくる。それを、俺はなんとも苦しいような切ないような気持ちで聞いていた。それに気づいたのがつい最近だった。
嫉妬だ、俺は岡崎の隣にいる誰かに嫉妬をしている、と思い至り、鳥肌が立つほど気味が悪かった。男に嫉妬する、なんて。と思ったが、岡崎が言ったように、男相手にも恋愛感情が芽生えたりすることがあるのなら。
岡崎は、森田さんのものになりたいと言った。
本当に、どこまでも、奇特な人だ。
好きだと。俺を。岡崎が。
俺は?俺の気持ちは?
俺の気持ちは、好き、という次元ではない気がした。怖くなった。
どこまで。どこまでなら、してもいいのだろう。何をしたら、引かれるだろう。
境目。俺にとって一番難しいのは、境目を見極めることだ。
岡崎が、女と飲みに行くと言い出したら?友達と旅行に行くと言い出したら?
考え始めるそばから、もう胸が苦しい。
岡崎のことを思えば、我慢くらいいくらでもできる。でも、苦しいだろう。思ったことを言わないのは良くない、でも、言い過ぎても良くない。
その加減を、俺はわかるだろうか。間違えないだろうか。
ここまで考えて、いっそ全て夢だったらいいと思った俺は、本当に臆病者だ。
*
「もしもし?森田さん?」
家に着いたとメールをしたら、電話がかかってきてびっくりした。
『お、お疲れ、さまです……』
「ぎこちな!」
うける。かわいいなぁ。
信じられない。キスしたよ、さっき、俺はこの人と。
「どした?」
『…あー……』
どうした。
「大丈夫だよ、言っても」
何を言っても。
『………はい』
「なんか言い忘れ?」
森田さんの沈黙。森田さんだけが生み出せる空気。
『俺が、なんか、気に障ることをしたら、』
「教えろっていうやつ?」
『…そう』
「大丈夫、言うよ。まあなんかあったらね。ないと思うんだけど、でもあったらちゃんと言う」
『うん』
「うん」
『…ありがとう』
「こちらこそ」
『1人になったら、急に、怖くなった』
「何が?」
少し色あせた畳。窓から見える古びたビル群。
綺麗な目をした森田さんは、あの部屋で何を考えたんだろう。
『いや……いろいろ、自分の、気持ちが』
「森田さんの気持ち」
『なんか、すみません、うまく言えない』
もどかしい。森田さんの顔が見たい。
「会いたい」
『……俺もです』
本当に?森田さんも会いたい?
苦しい。こんなに、胸が。膨らみすぎた気持ちを解放して、まだ俺は、こんなに。
森田さんの気持ちってなんだろうって、会ったらきっと全部理解できるのにって、俺はなぜか自信たっぷりに思う。
『明日、仕事ですよね』
「うん。あー、くそー全力で休みてー」
『次の、あの、もし嫌じゃなければ、次の約束、とか、しても…できますか』
「できたい」
やべー。日本語機能が全然働いてない。お互い。
「あーねーもう、森田さん、もうね、死にそう、好きすぎて」
電話ってもどかしい。
『お、……ありがとう、ございます』
「くそー戻りてー森田さんちに」
ベッドに倒れてジタバタする。森田さんが少し笑う。俺はシフトを思い浮かべて絶望する。
「次の休みは1週間後ですね…ちくしょ…」
『配送で、会える?』
でも、この状況って、一体なんだろう。
「森田さん、俺に会いたいとか思ってくれんの」
『……思った…思いました』
「いいんだ、じゃあ」
『ん?』
手に変な汗をかいている。
「あのね、つまりね、俺はこれからも森田さんに会いたいとか好きとかキスしてとか言ったりしていいの?」
『あ、の、そのこと、ちゃんと、会って話す。から、次の約束、しましょう』
つまりは今はまだ宙ぶらりんだ。まあ仕方ない。森田さんも混乱してるみたいだし。
「1週間待てるかな、その日森田さん仕事終わるの待ってていい?」
『いや、明日』
「明日は、」
『明日、岡崎さん、仕事終わったら、もう、何時でも構わないので、うちに、来れたり…しない、ですよね、眠いか…』
尻つぼみになる森田さんの声。
うわあ。それは。もう。
「できますね、それ超いいですね。森田さんはいいの?疲れないの?」
『大丈夫。もしよければ、あの、遅くなったら、寝てもいいですから、うちで』
不純な欲望が頭をもたげる。森田さんちにお泊まり。いやいや、考えすぎだし。前なんか膝枕で寝たんだし。いやでももう好きって言った後なんだから。シャワー浴びてから行こうかな。いやいやしかし。
落ち着け俺。
「じゃあそうしよう。ありがとう」
『いえ、こちらこそ』
明日、仕事になるかなあ。
おやすみを言おうとした。
『岡崎さん』
「はい」
『やっぱり……俺』
「……うん」
怖い。ふられる?咄嗟に思ってツバを飲み込んだ。
少しの沈黙の後、森田さんは言う。
『俺が、岡崎さんのものに、なったほうがいいですけど、やっぱり、岡崎さんも……やっぱ……俺のものに、したい、とか、愚かなことを、考えました。それで…なんか、怖いような気がした……自分が』
こんなに、言葉にならない感情を、俺は今まで知らなかった。
ただ、出たのはため息。透き通った色の。
森田さんの、綺麗に澄んだ目を思い浮かべる。早く。早く会いたい。
「うれしい」
『……やっぱり、だめだ、すみません、ちゃんと明日、会ってからと思ったけど……電話、苦手で』
「知ってるよ」
『…じゃあ…明日、また』
「うん。おやすみ」
『…おやすみ』
電話を切って、幸せのため息をつきながら思う。
森田さんは本当は、無口ではないんだ。
ただ、思ったことを言うことにすごく迷いがあるんだ。
俺がどう思うか、すごく気にしてる。相手が傷つかないか、それによって自分も傷つかないか、いつも考えてる。
待っててよ、森田さん。
もし森田さんが俺のものになってくれて、ぎゅっとしたりキスしたり、できるようになったなら。まあそうなるように俺はこれから超がんばるわけだけど。
俺が、俺が絶対、何があっても、絶対に森田さんを、守ってあげる。
なんだか力がみなぎってきて、腹筋を100回してから寝た。
「西尾」
「はい?」
「はらが筋肉痛なんだからそのヤバい顔やめろ」
「普通の顔ですから!」
「えー変顔してんじゃねーの」
「岡崎さんひでえ」
開店直前、西尾をいじって遊ぶ。あーくそ、まじで腹いてぇ。
「毎度です」
「森田さん!」
昨日の今日なのに、森田さんは普段通りの無表情だ。
「紙ナプキン」
「ごめんねー急に」
「いや、大丈夫ですけど。この間、納品したと思いますけど」
「そうだっけ?待って、倉庫見てくる。一緒に来て」
店に来てもらうためだけに追加発注をあげた。俺最低。今回だけなんで許して下さい、と、いろんな人に謝る。
倉庫っつってもちっさい物置のような小部屋に2人で入る。狭い。
でもここで、俺のこの恋は始まったんだよ、とか。バカか。
通路から見えないように、身を寄せて、森田さんにちょっとくっつく。
はずだった。
「……岡崎さん」
気づいたら森田さんに後ろから抱きしめられていて、首筋に森田さんの吐息が。
なんだ、この状況は。
だめ、だめだめ、俺、だって俺、お願い、ほんとやばいから、とパニクってたら、森田さんがそのままの体勢で言う。
「すみません……」
「ちょっ、と」
「自分でも、自分がよく、わからなくて」
「わかった、わかったから、森田さん、ちょっと待って」
森田さんがすっと離れていく。足の力が抜けてしゃがみ込みそうになる。
俺はこれから仕事で、森田さんも仕事で、あと何時間かは普通にちゃんと働かなきゃならないんだから、森田さんとここで、一回バイバイしなきゃなんだから。
どうしよう。帰りたい。今すぐ仕事なんか放り出して、どっか行って抱きしめたい。俺だって抱きしめたい。どさくさに紛れてキスだってしたい。したいのに。ずるい。なんて人。
「…すみません…やりすぎました」
森田さんを見たら、真っ赤になって明らかに落ちこんでいる。
「違う、待って森田さん」
「いや……俺が、悪いから」
「違うって、待って」
くそー、形勢逆転してやる。ここで。
「もっとしてほしくなっちゃうから、また後で続きしてね」
どうだ。聞いたか森田。
若干ドヤ顔になってたかもしれない。森田さんはさらに真っ赤になって、ではまた後で、と言って帰って行く。
結局ナプキンどころではなくなった。そんなもんどうでもよすぎ。どうせいつか無くなるんだから。
「森田さんて意外と行動派?まじ焦るわ」
帰り道、思わず独り言を言いながら森田さんの家まで歩く。
ほぼ上の空で閉店を迎え、着替えもそこそこに、でもしっかり制汗スプレーはぶっかけまくって店を出た。
深夜2時。
行っていいかってメールしたらすぐに、どうぞと返事が来た。起きてたの。待っててくれたの。
うわまじなにこれ。
「付き合って、は、いないけどー、ちょっと、ぎゅっとされる関係ではある。あふふ」
ああ、どうすんの、今日が初夜だったりしたら。
いやいや。とりあえずいっぱいぎゅーだろー。
つか、森田さんって性欲あんの?
謎すぎる。迫っても大丈夫?まだ付き合ったりもしてないけど、まあ、気持ちはおいおいだ。まずは俺にたくさん触っても大丈夫になれ。
あー。
なにこれー。テンション変になるわ。体がもたない。
「ぴんぽーん」
「う、お、こんばんは…」
「どうもこんばんは」
ドアを開けてくれた森田さんは、眼鏡で、部屋着で、でも寝起きじゃない。
大好きな森田さんだ。
玄関先で俺が幸せに浸っていたら、森田さんが俺に頭を下げた。
「すみません」
「へ?何が?」
「昼間…店で……あんな」
「いいよ、てか、ね、入っていい?」
じっと見つめたら、森田さんがどうぞと言った。
「あ、布団?」
なぜだ。布団が2組敷いてある。
「なにこれ!どしたの?俺が寝るから?」
「いや……もう…すみません…ほんと、遅くに」
「いや、押しかけたの俺だしね」
つか。布団。並んでるけど。これは。
「お客さん用の布団とかあるんだねー」
「いや、買ったんですけど、今日」
「買ったの!」
「疲れてると思ったから」
「優しい」
少し、おもしろい方向に優しい。
「はい、これお土産ね」
「あ、ありがとう」
途中で買った水と菓子パンを手渡して、とりあえず布団の脇に座る。
森田さんの部屋は、布団が2組で結構いっぱいだ。
「わー、お泊り会だね」
「仕事、お疲れ様」
「森田さんもね」
「はい」
「あー、なんか落ち着く。いいね、布団。なんか部屋着持ってくればよかった」
何気無く言ったら、少し離れたところに座った森田さんがガサガサと袋を差し出す。
「パジャマ、でも、よければ…あの、嫌なら、無理に着なくて、いいので」
開けると、水色の、本物の、正真正銘のパジャマだ。タグもついている。
「…買ったの?」
「あ、あの、すみません、好みとか全然…わからないし…とりあえず、今日だけ、」
近づいて、右手で頬を撫でる。少しビクつく森田さん。昼間、自分はあんなことしたくせに。
「優しいね、大好きだよ、そういうとこも」
見つめると、森田さんは目を泳がせる。構わず抱きついてみる。森田さんはじっとしていた。
「キスしたい」
見上げて言ってみると、また目を泳がせる。
「かわいい」
ほら、どうだ。抵抗してみろ。
「その、かわいいっていうのは、どういう」
「そのままだよ。かわいいんだよ、森田さんが」
「かわいいのは、岡崎さんですよ」
なんだと。聞き捨てならないんだけど。
俺の目を見ない森田さん。
「どうして…岡崎さんだけ……こんな、特別に、見えるのか」
「本当?」
森田さん。ねえ。本当なの?
「俺も、それ、俺もなんだけど。森田さんのこと、特別でしかたない。もっとそばで森田さんの顔見たい。触りたい。ねえ、キスしていい?」
どうしよう。歯止めがきかなくなってきた。今まで我慢してた分が全部一気に出ちゃいそう。押し倒したい。エロいことしたい。
「ちょっ、と、待って、ちゃんと、しないと」
何かと思って動きを止めると、森田さんは大きく息を吸った。
「あのう」
伏せられた視線が一瞬、俺を捉える。
「俺と…つ、付き合っ……て、下さい」
息が止まった。まさか、まさかでしょ、森田さんの言葉?本当に?
「つ、付き合うって、森田さん、まじで言ってんの、意味わかんねんだけど!」
「…はぁ……」
「はぁじゃねーだろ森田さん本気なの?死ぬ!殺される!喜び殺される!」
布団に倒れこむ。
「よろこ……付き合うとか、もしかして…そういうことじゃ、ない感じですか」
「そういうことに決まってんじゃん何言ってんの!」
ばっと起き上がると、完全に混乱した顔の森田さんが視界に入る。俺もだけど!
「キスとかできるの?俺と」
森田さんは少し考えて、OKをもらえたなら、と言った。
「付き合って、もうこちらこそ頼みますので、ハグもキスももう何でもして下さい、ぜひお願い」
言って、腕を広げる。森田さんは一瞬迷って、ぎこちない動きで俺に触れ、それから、ぎゅっとしてくれる。
ああ。夢なの。これは。
初夜だ、これは初夜の予感!布団あるし!キャー!奪われる!
森田さんが、俺をぎゅっとしたまま話し出した。
「昨日は、混乱して…頭が回らなくて…」
うん。
「でも、昨日、岡崎さんが帰って行って、1人になって…もうここに、岡崎さんがいない…いなくて……」
うん。
「もし、もしも、今日で、岡崎さんと会えるの、最後だとしたら、とか、考えたら……苦しくなって…俺と、一緒に、もっと……いてくれたらとか……すごく、わがまま…勝手なことを、思って」
森田さんの考え方。森田さんらしい。少し後ろ向きな。でも、それを俺に、言葉に出してちゃんと伝えようとしてくれる。一生懸命、考えながら。
真剣な、真摯な声をしているこの人。
「好き、とかより、重い、めんどくさいかもしれない。俺の気持ちは」
「うれしいよ。森田さん、俺をいっぱい束縛してよ」
「束縛…多分、得意です」
「うはは、そうなの。やきもちやき?」
「多分。すごく」
「えー、うれしいって。ほんと」
ほんとう。やばいよ、もう。
「ねーキスして」
「ほんとに…俺で……あの、岡崎さん」
森田さんがキスもしないで離れていく。
「岡崎さん…本当に、付き合ったり、したこと、ないんですか」
「ああ……」
どう言ったらいいのか。正直に言うしかないか。引かれないか、少し怖い。けどまあ、仕方ない。俺の人生。
一瞬嘘をつこうかとも思ったけど、森田さんには受け入れて欲しいと、そういう気持ちもあった。
「ちゃんと付き合ったことはない。俺、ちゃんと真剣に好きになるのも森田さんが初めて。だけど、セックスはしてた」
森田さんは、布団の上にあぐらをかいて、微動だにしない。
「セフレがいた。ずっと。寂しくてダメでさ。…軽蔑する?」
幸二さんの名前は出さない。あの人は俺のいろんなとこを埋めてくれてたんだって、今は思う。
「いや…岡崎さんは、モテると思うし」
「モテなくても、ネットで出会えるからね、性癖特殊でも」
「性癖が、特殊」
「ちょ、リピートやめて」
「すみません…」
「森田さんさ、オナニーはしないっつってたけど、好きな子とセックスしたいとかは思うの?」
森田さんは、少し手を動かしながら答える。
「いや…まあ…昔は…でも別に、できなくても、関係ないです、岡崎さんなら」
どういう意味かわからなくて少し考えると、森田さんが重ねて言う。
「そういうこと、なくても…大丈夫、俺は」
「えー」
俺はしたいんだけどなー。森田さんたら淡白。
「セフレ、とか、いたことも、別に、気にしないし…いや…なるけど…」
なるか。やっぱ。
「岡崎さんは、女の子と、そういうことできなくても、いいんですか、もう」
「いやー俺は女の子としたいと思ったことはないんだよね」
「ああ…」
「森田さんこそ、男相手だけど大丈夫?」
「俺は、岡崎さんが、いいと思うので…」
「……なにそれかわいい」
「すみません…」
そろそろ押し倒すか。待てよ、とりあえず着替えよう。
その場で服を脱ぎ始めたら、森田さんが明らかに動揺した。
脱いで、そのまま押し倒す?
いやいや、待て。落ち着け。バカ、ちょっと、なに。
おっきしたんだけど。
「森田さん」
「……はい…」
「諸事情のためトイレで着替えてくるね」
「あ、はい」
こそこそトイレで着替えて戻る。
「似合う?」
聞くと、森田さんが気まずそうに俺を見た。
「すみません…」
「なにが?」
「俺…反応、おかしかったですか」
「え?」
反応がおかしいっつーか、俺のが反応しちゃったって感じだけど。
「てかね、タグ取んの忘れた」
「取りましょうか」
「お願いしますー」
首筋のところをつまんで、ハサミを持った森田さんに差し出す。
ぷちん、と音がして、森田さんの息が一瞬、耳にかかる。
「っ…」
ぴくっとしてしまって、森田さんがそれに気づいたみたいで、えってなってる。
そうだな。ちょっと試してみよう。
「森田さん、俺ね」
森田さんの顔を見る。
「すっごい、感じやすいの」
森田さんは一拍ぽかんとして、それからぶわっと動揺した。
かわい。
「だから、ちょっとふうってされただけでも、いやんってなっちゃうのね?」
森田さんが、あ、あ、って言ってる。
「どんだけ敏感か、ためしてみる?」
あからさまに誘うと、森田さんは持ったままのタグをいじった。
「ごめん…そういうつもりでは…なかったけど……」
「いいんだよ?俺は別に。だってもっと触りたい」
「触るのは、俺も平気、というか、なんか安心…だけど、なんか…嫌味ったらしく、感じたなら、ごめんなさい」
嫌味?何が?
ちょっと、さっきから話が微妙に噛み合ってない感じがする。
「森田さん、俺とセックスするとか、想像できる?」
「いや、本当、いいんです、しなくて」
「してもいいってこと?」
「や、俺は、岡崎さんが、いいので…」
あれ。もしかして、これさ、もしかしてこの人、知らないのか。
「森田さん」
「はい?」
「男同士でもセックスできるんだけど」
森田さんが固まって動かない。たっぷり30秒見つめ合う。
こんなに俺の顔見てくれるようになっちゃったなんて、とぼんやり考えていたら、森田さんがぼそりと言った。
「し、手術するってことですか」
流しに置いてあったビニール袋から、ベーコンマヨロールがぼてっと落ちた。
*
あのね、別に手術して取ったりつけたり穴開けたりしないから、安心してね。
森田さんにも俺にも、ほら、あるでしょ。後ろってか、この辺に、入れられそうなとこが。ね?わかる?
そんな顔しないで。全然平気。入るよ。つーかすげー、いいの。人によるけど、俺はね。
幸せーな気持ちになるよ。
別に森田さんのそこになんかしたりしないから。それも安心して。俺に、森田さんが突っ込む方向で大丈夫だからね。まあ、できれば、だけど。実際タチの方がむずいって言う人もいるし。あ、タチって、入れる方。
さっきセフレいたって言ったのも、女だと思ってたんだね。なんか話噛み合ってないような気がしてたんだけど。俺女とやったことねーよ。相手、男だよ。
森田さん?大丈夫?具合悪い?
いきなり言われても意味わかんねーか。
でもね、俺は森田さんみたいに、エロいことしなくてもいいって思ってないの。
俺はしたい。
今すぐとは言わないってかそんな青ざめられたら言えねーけど。
そういうこともできんだなって、それは一応覚えといて。
俺は、森田さんにもっとくっつきたいよ。
ね、森田さん?大丈夫?布団に横になったら?
岡崎が次々に衝撃的な新世界の話をするので、混乱して目眩がする。
*
ちょっと。すごくね。言葉だけで人を倒す俺。
かわいそうな森田さん。んもう。子どもみたい。どこまで汚れてねーんだよこの人は。どやって結婚生活してたわけ。だって元妻とはやってたんでしょ?どうやってたわけよ。教えろ、少し。
「どうしよ、森田さん、大丈夫?」
「いや…大丈夫…あの、ほんと大丈夫だから……岡崎さんも、寝ませんか」
「うん。寝ようかな、じゃあ」
森田さんが仰向けになっておでこに片腕を乗せている。俺は電気を消してから、その横に敷かれた布団に入った。
森田さんが用意してくれた新しい布団。
さらさらと軽い感じが心地いい。
すぐ横に、森田さんの気配。
全然眠くねーんだけど。
「ねー、一緒に寝ちゃダメ?」
「い、っ……」
「ごめんごめん。今度にする」
焦ることない。だってもう森田さんは俺のものになったんだから。夢じゃないんだから。
「……岡崎さん」
森田さんが俺を呼ぶ。ボソッと。
「ぬ?」
「楽しいですか、俺といて…退屈じゃ、ない…?」
不安なんだね。ああ。かわいい。
俺の持っている全てを使って、この人を守る。
「楽しいし、幸せでたまんない」
どんなに、こんな時を夢見て諦めて苦しくなって忘れてを繰り返したか、森田さんは知らないもんね。
そんなことは知らなくていいから、俺といる時は、楽になってくれればいい。
そうしていつか、俺がいなきゃダメになればいい。欲張りすぎ?
森田さんはもぞもぞと布団から手を出して、俺の方へ差し出した。
「嫌、じゃ、なければ……手を、触って下さい」
森田さんと手を繋いだ。
隣り合った布団で、少し離れたところで向かい合って。
いつかもっとたくさん触ってもらおうと思って我慢して、ぎゅっと握ると、あっちからも同じ力が返って来た。
ほんとに、幸せで死ぬと思った。
緩む口元を隠すように布団に隠れて、俺はすぐ眠りについた。
*
幸せでたまんない。
岡崎が言った。
その瞬間、腹の底を鷲掴みされたような心地がした。
落ちる時のような、呻きそうになるような。
そしてそのあと、手を繋いだ。
少し、ドキドキした。
思わずもう片方の手も伸ばして引き寄せそうになり、ぐっと我慢をすると、岡崎がくすりと笑う気配がした。
横に誰かが寝ていることに慣れなくて暗闇で目を開けていると、岡崎の寝息が聞こえてきた。
健やかな。平和な。
少し前に聞いた、衝撃的な男同士の所作についての話は忘れて、俺も眠った。
はずだった。
*
物音で目が覚める。窓の外が少し明るくなってきている。
「森田さん?」
あれ、いない。
起きると、森田さんは台所で水を飲んでいた。
「喉かわいたの?」
起き上がって森田さんの背中に近づき、後ろから腰に手を回してみる。
「お、岡崎さん」
「まだ寝れるよねー。ねえ、一緒に寝よう?」
森田さんの後頭部におでこをごしごししながらちょっとしつこく甘えてみる。
「岡崎さん」
絶対絶対抵抗されるか、岡崎さんちょっととか言われるかだと思ったのに。
振り向いた森田さんに、ぎゅってされた。
「どしたの」
「変な夢…見た」
「どんな?」
「……変な」
森田さんはそれ以上夢のことを教えてくれなくて、でもその代わり、一緒に寝てもいいって言ってくれた。
かなり渋々だったけど。
なんでよ。
ちょっとワクワクしながら、平静を装って先に森田さんの布団に入る。
うわー。
「早く。来て」
横になって手を伸ばして、もたもたしてる森田さんの足の甲をぽんぽんして催促。骨がくっきり出てる、でかい足。
「森田さん足のサイズ何センチ?」
「28」
「でかぁ」
「岡崎さんは?」
「森田さん早く布団入ってよ」
「…岡崎さんは」
森田さんは1センチずつ進んでいる。おいー何時間かかんの。
「森田さん。フェラしていい?」
ふぇ、と言った森田さん。
固まる森田さん。
「ダメかー。それも今度ね、そうそう、明日仕事だしね。ほら早く寝るよ、布団入って早く」
いちいちかわいくてたまらん。すごい振り回されてる、俺に。かわいそうに、と思ったら声だして笑えた。
「…お邪魔、します…」
森田さんは自分の布団なのに、大変申し訳なさそうに俺の横に入って来た。セックスの挿入の時も、同じこと言ったりして。
「…なんで微妙に間あけるわけ」
「…ど、……」
「ど?」
「……寝られない…こんな…近い……」
「ショックー!森田さんひどくね!傷つくわー!まじで」
「あっ、いや、そういう意味では」
かわいい。焦ってる。照れてる。恥ずかしがってる。
俺は勝手に間を詰める。
「わかった。こうなら大丈夫?」
店で不意にされたみたいに後ろから抱けるように、森田さんに背を向ける。少しすると、森田さんが体をくっつけて、片手で抱きしめてくれた。
「幸せだよー」
今なら笑顔で死ねる。
おやすみ、と言う声がとても近くて、照れ笑いで頷くのが精一杯だった。
*
手をかけたのはいい。
そのまま微動だにできなかった。
岡崎からはなんだか爽やかな香りがした。仕事からまっすぐ来たはずなのに。
綺麗な人は、汗をかいたりしないのだろうか。
おやすみと言われておやすみを返すと、岡崎は「くふふ」と笑った。
同じ布団に、岡崎が。すぐそばに。
俺の、腕の中に、綺麗な顔をした、男がいる。
どうしてこんなことになっているのか、全くわからなかった。少し前までは関わりのなかった人が、こんなに近くに。
どうしようもなく安心するような、今すぐに隣の布団にお帰りいただきたいほど居心地が悪いような。
すぐに寝息を立て始めた岡崎を抱くようにしたまま、一睡もできず、朝を迎えた。
*
「わぁ」
後ろで動く気配がして、目を覚ましてすぐ振り向くと、森田さんとがっつり目が合った。
ちけえ。
「おはよーダーリン」
だ、と言って固まる森田さんは、なんだかやつれている。
「森田さん」
キスしてくれればいいのに、と思ってじっと見てみるけど、森田さんは目をそらしてばっかりだ。
なんか、俺キモい。
いい加減にしよう。
「あ、昨日買って来たパン食う?」
「…はい…」
もそもそ起き出して顔を洗いに洗面所へ。
「洗顔貸りていい?」
「あ、はい…あと、」
森田さんが、新品の歯ブラシを出してくれた。
「タオルも…」
袋を開けようとする森田さんに抱きつく。
「森田さんと一緒のでいい」
「はっ、いや、だめです」
「なんで?」
「……いやいや、だめです」
「気つかいすぎー。いいじゃん」
ぶわーっと顔を洗って、新品のタオルを持ったままそばでオロオロしている森田さんを無視して森田さんと同じタオルで顔を拭く。
森田さんが、あぁ、って言った。
パンを食べながらぼーっとして、しきりにあくびをする森田さん。
これから運転なのに。心配。
「ごめんね、昨日遅く来たから」
「いえ、違って、俺、少し、緊張とかして、たし…」
「森田さんと一緒に寝て幸せだった」
森田さんはなんとも言えないような顔をした。
俺も俺だ。こんな、思ったこと全部口に出てしまうような性格じゃないはずなんだけど。
自分がキモくて苦笑いしてたら、すぐ目の前に、森田さんのTシャツが見えた。
「……森田さん?」
「岡崎さん……」
ぎゅっとされて、頭もなでっとされて、それから。
「また…来て、くれますか」
鳥肌が立って、涙まで出そうになる。
それ、俺が。
俺がずっと、望んできたことだ。
願って祈って、叶わなくて、それでも。
それでも、俺は、あなたに惹かれて仕方がなかったんだから。
「今日も来たい。明日もその次も、毎日、森田さんに会いたいよ」
森田さんと俺は簡単に次の約束を結んだ。
別れがけ、森田さんはとても言いにくそうに言った。
「少しずつ、岡崎さんの、綺麗な顔に慣れて、さわれるように、なるから……少し、待ってて…もらえれば」
エロいことできそうってこと?と速攻で言い返すと、森田さんは真っ赤になった。
こんな顔をするくせに、一緒に寝るのだってすごく渋るくせに、森田さんはたまに勢いよく俺をぎゅうっとする。
その瞬間、ああ、俺は今この人に必要とされてるって、全身で感じる。
こんなの、初めてだ。
その日俺は、岡崎さんの綺麗な顔、という言葉を思い出しては、普段の倍くらいの声量でドリンクオーダーを繰り返した。
*
昨日の夢。
岡崎の服を脱がせて、身体中にキスを落としていく夢。
俺はこの先、大丈夫だろうか。
-end-
2014.4.18
森田さんと、手を繋いだまま向かい合って、多分もう30分くらい経った。
俺は森田さんの指を握ったり、生命線の長さを見たり、爪の形を観察したり、とても忙しかったけど、森田さんは黙ってされるがままになっていた。
「足痺れてきた」
「大丈夫?」
そんなことにすら心配そうな顔をする。
だめだ、ほんと、もう。
「好きだよ、森田さん」
止まらない。
森田さんは、少し眉を下げて俺を見た。
「そんな、そんなふうに、言わないで、あんまり」
どうして?だって、好きなんだし。
でもちょっとしつこくしすぎたかな。
そしたら森田さんは言った。
「ちょっと、ドキドキして……苦しくなってきました」
「そんなんさっきの俺の方が心臓ぶっ壊れそうだったし!」
「そう、か……」
「森田さん」
覗き込むようにしたら、森田さんはふいっとそっぽを向いた。
「森田さん?」
視線を追いかけて、わざと視界に入る。
「あの、」
「森田さーん」
「……ちょっと」
「照れてるの?」
「というか」
完全に下を向いてしまう。
「なんか、これは……すみません、失礼なこと、言いますけど」
うん、と言って続きを待つ。森田さんは、俺が丹念に調べた方の手を、もう片方の手で何度も撫でた。
「岡崎さんは、モテると思うし、俺が、もし、本気、というか、ちょっともう抜け出せなくなってから、その……」
ああ。
「すぐ誰かに乗り換えないか、心配?」
「いや、そういう、なんか、意味ではない、んですけど」
「でも心配なんだ」
「……いや」
森田さんが、ばっと顔を上げたので、少し驚く。
「すみません…今の、なしで」
「なしで」
「…なしで」
「大丈夫?」
「もう、多分、どっちにしろもう……無理です」
俺と森田さんの話す言葉が、どんどん重なって絡まって、太く、長く、厚くなっていくみたいに。
「多分、もう、俺は……実は、結構前から、岡崎さんのものになってしまって……」
探り合いながら、確かめ合いながら、積もっていくみたいに。
「認めるのが、怖かっただけで……俺は、岡崎さんのこと、だけ、特別で、仕方が無い」
ああ。もう。
絡まって絡まって、離れられなくなればいいのに。
「だけど」
だけど?
ふいに時計を見た森田さんにつられる。
「……そろそろ、送りましょうか」
時計は12時をさしていた。
「だけど、が気になるんだけど」
「今度、また」
「えー。なにその予告編」
「車、出しますね」
「大丈夫。1人で帰るよ。森田さん、明日も仕事だもん。ゆっくり寝て」
「でも」
「今日はね、幸せに浸りながら、ニヤけながら1人で帰ることにするー」
森田さんが少し笑う。
なんて、なんて幸せな。
「もしね、もし明日ふられても、俺は何億回だって、森田さんにありがとうって言うよ」
俺は1人、森田さんの家を出た。
優しい顔をした、大好きな人に見送られて。
*
まだ信じられないような気持ちで、岡崎の顔を思い出しながら、冷蔵庫から水を取り出す。
一連の流れを思い出して、キスの件で顔が熱くなって、思わずペットボトルを取り落としそうになる。
全部夢だったのではないかと思えてならない。昨日までは、これは友情にまつわる感情だと思っていたのに。男にキスをされても嫌ではなかった。それどころか。これは、どういう。
岡崎は友人も多く、会話の中に、誰かと来たとか誰かと食べたとか、そういった話がよく出てくる。それを、俺はなんとも苦しいような切ないような気持ちで聞いていた。それに気づいたのがつい最近だった。
嫉妬だ、俺は岡崎の隣にいる誰かに嫉妬をしている、と思い至り、鳥肌が立つほど気味が悪かった。男に嫉妬する、なんて。と思ったが、岡崎が言ったように、男相手にも恋愛感情が芽生えたりすることがあるのなら。
岡崎は、森田さんのものになりたいと言った。
本当に、どこまでも、奇特な人だ。
好きだと。俺を。岡崎が。
俺は?俺の気持ちは?
俺の気持ちは、好き、という次元ではない気がした。怖くなった。
どこまで。どこまでなら、してもいいのだろう。何をしたら、引かれるだろう。
境目。俺にとって一番難しいのは、境目を見極めることだ。
岡崎が、女と飲みに行くと言い出したら?友達と旅行に行くと言い出したら?
考え始めるそばから、もう胸が苦しい。
岡崎のことを思えば、我慢くらいいくらでもできる。でも、苦しいだろう。思ったことを言わないのは良くない、でも、言い過ぎても良くない。
その加減を、俺はわかるだろうか。間違えないだろうか。
ここまで考えて、いっそ全て夢だったらいいと思った俺は、本当に臆病者だ。
*
「もしもし?森田さん?」
家に着いたとメールをしたら、電話がかかってきてびっくりした。
『お、お疲れ、さまです……』
「ぎこちな!」
うける。かわいいなぁ。
信じられない。キスしたよ、さっき、俺はこの人と。
「どした?」
『…あー……』
どうした。
「大丈夫だよ、言っても」
何を言っても。
『………はい』
「なんか言い忘れ?」
森田さんの沈黙。森田さんだけが生み出せる空気。
『俺が、なんか、気に障ることをしたら、』
「教えろっていうやつ?」
『…そう』
「大丈夫、言うよ。まあなんかあったらね。ないと思うんだけど、でもあったらちゃんと言う」
『うん』
「うん」
『…ありがとう』
「こちらこそ」
『1人になったら、急に、怖くなった』
「何が?」
少し色あせた畳。窓から見える古びたビル群。
綺麗な目をした森田さんは、あの部屋で何を考えたんだろう。
『いや……いろいろ、自分の、気持ちが』
「森田さんの気持ち」
『なんか、すみません、うまく言えない』
もどかしい。森田さんの顔が見たい。
「会いたい」
『……俺もです』
本当に?森田さんも会いたい?
苦しい。こんなに、胸が。膨らみすぎた気持ちを解放して、まだ俺は、こんなに。
森田さんの気持ちってなんだろうって、会ったらきっと全部理解できるのにって、俺はなぜか自信たっぷりに思う。
『明日、仕事ですよね』
「うん。あー、くそー全力で休みてー」
『次の、あの、もし嫌じゃなければ、次の約束、とか、しても…できますか』
「できたい」
やべー。日本語機能が全然働いてない。お互い。
「あーねーもう、森田さん、もうね、死にそう、好きすぎて」
電話ってもどかしい。
『お、……ありがとう、ございます』
「くそー戻りてー森田さんちに」
ベッドに倒れてジタバタする。森田さんが少し笑う。俺はシフトを思い浮かべて絶望する。
「次の休みは1週間後ですね…ちくしょ…」
『配送で、会える?』
でも、この状況って、一体なんだろう。
「森田さん、俺に会いたいとか思ってくれんの」
『……思った…思いました』
「いいんだ、じゃあ」
『ん?』
手に変な汗をかいている。
「あのね、つまりね、俺はこれからも森田さんに会いたいとか好きとかキスしてとか言ったりしていいの?」
『あ、の、そのこと、ちゃんと、会って話す。から、次の約束、しましょう』
つまりは今はまだ宙ぶらりんだ。まあ仕方ない。森田さんも混乱してるみたいだし。
「1週間待てるかな、その日森田さん仕事終わるの待ってていい?」
『いや、明日』
「明日は、」
『明日、岡崎さん、仕事終わったら、もう、何時でも構わないので、うちに、来れたり…しない、ですよね、眠いか…』
尻つぼみになる森田さんの声。
うわあ。それは。もう。
「できますね、それ超いいですね。森田さんはいいの?疲れないの?」
『大丈夫。もしよければ、あの、遅くなったら、寝てもいいですから、うちで』
不純な欲望が頭をもたげる。森田さんちにお泊まり。いやいや、考えすぎだし。前なんか膝枕で寝たんだし。いやでももう好きって言った後なんだから。シャワー浴びてから行こうかな。いやいやしかし。
落ち着け俺。
「じゃあそうしよう。ありがとう」
『いえ、こちらこそ』
明日、仕事になるかなあ。
おやすみを言おうとした。
『岡崎さん』
「はい」
『やっぱり……俺』
「……うん」
怖い。ふられる?咄嗟に思ってツバを飲み込んだ。
少しの沈黙の後、森田さんは言う。
『俺が、岡崎さんのものに、なったほうがいいですけど、やっぱり、岡崎さんも……やっぱ……俺のものに、したい、とか、愚かなことを、考えました。それで…なんか、怖いような気がした……自分が』
こんなに、言葉にならない感情を、俺は今まで知らなかった。
ただ、出たのはため息。透き通った色の。
森田さんの、綺麗に澄んだ目を思い浮かべる。早く。早く会いたい。
「うれしい」
『……やっぱり、だめだ、すみません、ちゃんと明日、会ってからと思ったけど……電話、苦手で』
「知ってるよ」
『…じゃあ…明日、また』
「うん。おやすみ」
『…おやすみ』
電話を切って、幸せのため息をつきながら思う。
森田さんは本当は、無口ではないんだ。
ただ、思ったことを言うことにすごく迷いがあるんだ。
俺がどう思うか、すごく気にしてる。相手が傷つかないか、それによって自分も傷つかないか、いつも考えてる。
待っててよ、森田さん。
もし森田さんが俺のものになってくれて、ぎゅっとしたりキスしたり、できるようになったなら。まあそうなるように俺はこれから超がんばるわけだけど。
俺が、俺が絶対、何があっても、絶対に森田さんを、守ってあげる。
なんだか力がみなぎってきて、腹筋を100回してから寝た。
「西尾」
「はい?」
「はらが筋肉痛なんだからそのヤバい顔やめろ」
「普通の顔ですから!」
「えー変顔してんじゃねーの」
「岡崎さんひでえ」
開店直前、西尾をいじって遊ぶ。あーくそ、まじで腹いてぇ。
「毎度です」
「森田さん!」
昨日の今日なのに、森田さんは普段通りの無表情だ。
「紙ナプキン」
「ごめんねー急に」
「いや、大丈夫ですけど。この間、納品したと思いますけど」
「そうだっけ?待って、倉庫見てくる。一緒に来て」
店に来てもらうためだけに追加発注をあげた。俺最低。今回だけなんで許して下さい、と、いろんな人に謝る。
倉庫っつってもちっさい物置のような小部屋に2人で入る。狭い。
でもここで、俺のこの恋は始まったんだよ、とか。バカか。
通路から見えないように、身を寄せて、森田さんにちょっとくっつく。
はずだった。
「……岡崎さん」
気づいたら森田さんに後ろから抱きしめられていて、首筋に森田さんの吐息が。
なんだ、この状況は。
だめ、だめだめ、俺、だって俺、お願い、ほんとやばいから、とパニクってたら、森田さんがそのままの体勢で言う。
「すみません……」
「ちょっ、と」
「自分でも、自分がよく、わからなくて」
「わかった、わかったから、森田さん、ちょっと待って」
森田さんがすっと離れていく。足の力が抜けてしゃがみ込みそうになる。
俺はこれから仕事で、森田さんも仕事で、あと何時間かは普通にちゃんと働かなきゃならないんだから、森田さんとここで、一回バイバイしなきゃなんだから。
どうしよう。帰りたい。今すぐ仕事なんか放り出して、どっか行って抱きしめたい。俺だって抱きしめたい。どさくさに紛れてキスだってしたい。したいのに。ずるい。なんて人。
「…すみません…やりすぎました」
森田さんを見たら、真っ赤になって明らかに落ちこんでいる。
「違う、待って森田さん」
「いや……俺が、悪いから」
「違うって、待って」
くそー、形勢逆転してやる。ここで。
「もっとしてほしくなっちゃうから、また後で続きしてね」
どうだ。聞いたか森田。
若干ドヤ顔になってたかもしれない。森田さんはさらに真っ赤になって、ではまた後で、と言って帰って行く。
結局ナプキンどころではなくなった。そんなもんどうでもよすぎ。どうせいつか無くなるんだから。
「森田さんて意外と行動派?まじ焦るわ」
帰り道、思わず独り言を言いながら森田さんの家まで歩く。
ほぼ上の空で閉店を迎え、着替えもそこそこに、でもしっかり制汗スプレーはぶっかけまくって店を出た。
深夜2時。
行っていいかってメールしたらすぐに、どうぞと返事が来た。起きてたの。待っててくれたの。
うわまじなにこれ。
「付き合って、は、いないけどー、ちょっと、ぎゅっとされる関係ではある。あふふ」
ああ、どうすんの、今日が初夜だったりしたら。
いやいや。とりあえずいっぱいぎゅーだろー。
つか、森田さんって性欲あんの?
謎すぎる。迫っても大丈夫?まだ付き合ったりもしてないけど、まあ、気持ちはおいおいだ。まずは俺にたくさん触っても大丈夫になれ。
あー。
なにこれー。テンション変になるわ。体がもたない。
「ぴんぽーん」
「う、お、こんばんは…」
「どうもこんばんは」
ドアを開けてくれた森田さんは、眼鏡で、部屋着で、でも寝起きじゃない。
大好きな森田さんだ。
玄関先で俺が幸せに浸っていたら、森田さんが俺に頭を下げた。
「すみません」
「へ?何が?」
「昼間…店で……あんな」
「いいよ、てか、ね、入っていい?」
じっと見つめたら、森田さんがどうぞと言った。
「あ、布団?」
なぜだ。布団が2組敷いてある。
「なにこれ!どしたの?俺が寝るから?」
「いや……もう…すみません…ほんと、遅くに」
「いや、押しかけたの俺だしね」
つか。布団。並んでるけど。これは。
「お客さん用の布団とかあるんだねー」
「いや、買ったんですけど、今日」
「買ったの!」
「疲れてると思ったから」
「優しい」
少し、おもしろい方向に優しい。
「はい、これお土産ね」
「あ、ありがとう」
途中で買った水と菓子パンを手渡して、とりあえず布団の脇に座る。
森田さんの部屋は、布団が2組で結構いっぱいだ。
「わー、お泊り会だね」
「仕事、お疲れ様」
「森田さんもね」
「はい」
「あー、なんか落ち着く。いいね、布団。なんか部屋着持ってくればよかった」
何気無く言ったら、少し離れたところに座った森田さんがガサガサと袋を差し出す。
「パジャマ、でも、よければ…あの、嫌なら、無理に着なくて、いいので」
開けると、水色の、本物の、正真正銘のパジャマだ。タグもついている。
「…買ったの?」
「あ、あの、すみません、好みとか全然…わからないし…とりあえず、今日だけ、」
近づいて、右手で頬を撫でる。少しビクつく森田さん。昼間、自分はあんなことしたくせに。
「優しいね、大好きだよ、そういうとこも」
見つめると、森田さんは目を泳がせる。構わず抱きついてみる。森田さんはじっとしていた。
「キスしたい」
見上げて言ってみると、また目を泳がせる。
「かわいい」
ほら、どうだ。抵抗してみろ。
「その、かわいいっていうのは、どういう」
「そのままだよ。かわいいんだよ、森田さんが」
「かわいいのは、岡崎さんですよ」
なんだと。聞き捨てならないんだけど。
俺の目を見ない森田さん。
「どうして…岡崎さんだけ……こんな、特別に、見えるのか」
「本当?」
森田さん。ねえ。本当なの?
「俺も、それ、俺もなんだけど。森田さんのこと、特別でしかたない。もっとそばで森田さんの顔見たい。触りたい。ねえ、キスしていい?」
どうしよう。歯止めがきかなくなってきた。今まで我慢してた分が全部一気に出ちゃいそう。押し倒したい。エロいことしたい。
「ちょっ、と、待って、ちゃんと、しないと」
何かと思って動きを止めると、森田さんは大きく息を吸った。
「あのう」
伏せられた視線が一瞬、俺を捉える。
「俺と…つ、付き合っ……て、下さい」
息が止まった。まさか、まさかでしょ、森田さんの言葉?本当に?
「つ、付き合うって、森田さん、まじで言ってんの、意味わかんねんだけど!」
「…はぁ……」
「はぁじゃねーだろ森田さん本気なの?死ぬ!殺される!喜び殺される!」
布団に倒れこむ。
「よろこ……付き合うとか、もしかして…そういうことじゃ、ない感じですか」
「そういうことに決まってんじゃん何言ってんの!」
ばっと起き上がると、完全に混乱した顔の森田さんが視界に入る。俺もだけど!
「キスとかできるの?俺と」
森田さんは少し考えて、OKをもらえたなら、と言った。
「付き合って、もうこちらこそ頼みますので、ハグもキスももう何でもして下さい、ぜひお願い」
言って、腕を広げる。森田さんは一瞬迷って、ぎこちない動きで俺に触れ、それから、ぎゅっとしてくれる。
ああ。夢なの。これは。
初夜だ、これは初夜の予感!布団あるし!キャー!奪われる!
森田さんが、俺をぎゅっとしたまま話し出した。
「昨日は、混乱して…頭が回らなくて…」
うん。
「でも、昨日、岡崎さんが帰って行って、1人になって…もうここに、岡崎さんがいない…いなくて……」
うん。
「もし、もしも、今日で、岡崎さんと会えるの、最後だとしたら、とか、考えたら……苦しくなって…俺と、一緒に、もっと……いてくれたらとか……すごく、わがまま…勝手なことを、思って」
森田さんの考え方。森田さんらしい。少し後ろ向きな。でも、それを俺に、言葉に出してちゃんと伝えようとしてくれる。一生懸命、考えながら。
真剣な、真摯な声をしているこの人。
「好き、とかより、重い、めんどくさいかもしれない。俺の気持ちは」
「うれしいよ。森田さん、俺をいっぱい束縛してよ」
「束縛…多分、得意です」
「うはは、そうなの。やきもちやき?」
「多分。すごく」
「えー、うれしいって。ほんと」
ほんとう。やばいよ、もう。
「ねーキスして」
「ほんとに…俺で……あの、岡崎さん」
森田さんがキスもしないで離れていく。
「岡崎さん…本当に、付き合ったり、したこと、ないんですか」
「ああ……」
どう言ったらいいのか。正直に言うしかないか。引かれないか、少し怖い。けどまあ、仕方ない。俺の人生。
一瞬嘘をつこうかとも思ったけど、森田さんには受け入れて欲しいと、そういう気持ちもあった。
「ちゃんと付き合ったことはない。俺、ちゃんと真剣に好きになるのも森田さんが初めて。だけど、セックスはしてた」
森田さんは、布団の上にあぐらをかいて、微動だにしない。
「セフレがいた。ずっと。寂しくてダメでさ。…軽蔑する?」
幸二さんの名前は出さない。あの人は俺のいろんなとこを埋めてくれてたんだって、今は思う。
「いや…岡崎さんは、モテると思うし」
「モテなくても、ネットで出会えるからね、性癖特殊でも」
「性癖が、特殊」
「ちょ、リピートやめて」
「すみません…」
「森田さんさ、オナニーはしないっつってたけど、好きな子とセックスしたいとかは思うの?」
森田さんは、少し手を動かしながら答える。
「いや…まあ…昔は…でも別に、できなくても、関係ないです、岡崎さんなら」
どういう意味かわからなくて少し考えると、森田さんが重ねて言う。
「そういうこと、なくても…大丈夫、俺は」
「えー」
俺はしたいんだけどなー。森田さんたら淡白。
「セフレ、とか、いたことも、別に、気にしないし…いや…なるけど…」
なるか。やっぱ。
「岡崎さんは、女の子と、そういうことできなくても、いいんですか、もう」
「いやー俺は女の子としたいと思ったことはないんだよね」
「ああ…」
「森田さんこそ、男相手だけど大丈夫?」
「俺は、岡崎さんが、いいと思うので…」
「……なにそれかわいい」
「すみません…」
そろそろ押し倒すか。待てよ、とりあえず着替えよう。
その場で服を脱ぎ始めたら、森田さんが明らかに動揺した。
脱いで、そのまま押し倒す?
いやいや、待て。落ち着け。バカ、ちょっと、なに。
おっきしたんだけど。
「森田さん」
「……はい…」
「諸事情のためトイレで着替えてくるね」
「あ、はい」
こそこそトイレで着替えて戻る。
「似合う?」
聞くと、森田さんが気まずそうに俺を見た。
「すみません…」
「なにが?」
「俺…反応、おかしかったですか」
「え?」
反応がおかしいっつーか、俺のが反応しちゃったって感じだけど。
「てかね、タグ取んの忘れた」
「取りましょうか」
「お願いしますー」
首筋のところをつまんで、ハサミを持った森田さんに差し出す。
ぷちん、と音がして、森田さんの息が一瞬、耳にかかる。
「っ…」
ぴくっとしてしまって、森田さんがそれに気づいたみたいで、えってなってる。
そうだな。ちょっと試してみよう。
「森田さん、俺ね」
森田さんの顔を見る。
「すっごい、感じやすいの」
森田さんは一拍ぽかんとして、それからぶわっと動揺した。
かわい。
「だから、ちょっとふうってされただけでも、いやんってなっちゃうのね?」
森田さんが、あ、あ、って言ってる。
「どんだけ敏感か、ためしてみる?」
あからさまに誘うと、森田さんは持ったままのタグをいじった。
「ごめん…そういうつもりでは…なかったけど……」
「いいんだよ?俺は別に。だってもっと触りたい」
「触るのは、俺も平気、というか、なんか安心…だけど、なんか…嫌味ったらしく、感じたなら、ごめんなさい」
嫌味?何が?
ちょっと、さっきから話が微妙に噛み合ってない感じがする。
「森田さん、俺とセックスするとか、想像できる?」
「いや、本当、いいんです、しなくて」
「してもいいってこと?」
「や、俺は、岡崎さんが、いいので…」
あれ。もしかして、これさ、もしかしてこの人、知らないのか。
「森田さん」
「はい?」
「男同士でもセックスできるんだけど」
森田さんが固まって動かない。たっぷり30秒見つめ合う。
こんなに俺の顔見てくれるようになっちゃったなんて、とぼんやり考えていたら、森田さんがぼそりと言った。
「し、手術するってことですか」
流しに置いてあったビニール袋から、ベーコンマヨロールがぼてっと落ちた。
*
あのね、別に手術して取ったりつけたり穴開けたりしないから、安心してね。
森田さんにも俺にも、ほら、あるでしょ。後ろってか、この辺に、入れられそうなとこが。ね?わかる?
そんな顔しないで。全然平気。入るよ。つーかすげー、いいの。人によるけど、俺はね。
幸せーな気持ちになるよ。
別に森田さんのそこになんかしたりしないから。それも安心して。俺に、森田さんが突っ込む方向で大丈夫だからね。まあ、できれば、だけど。実際タチの方がむずいって言う人もいるし。あ、タチって、入れる方。
さっきセフレいたって言ったのも、女だと思ってたんだね。なんか話噛み合ってないような気がしてたんだけど。俺女とやったことねーよ。相手、男だよ。
森田さん?大丈夫?具合悪い?
いきなり言われても意味わかんねーか。
でもね、俺は森田さんみたいに、エロいことしなくてもいいって思ってないの。
俺はしたい。
今すぐとは言わないってかそんな青ざめられたら言えねーけど。
そういうこともできんだなって、それは一応覚えといて。
俺は、森田さんにもっとくっつきたいよ。
ね、森田さん?大丈夫?布団に横になったら?
岡崎が次々に衝撃的な新世界の話をするので、混乱して目眩がする。
*
ちょっと。すごくね。言葉だけで人を倒す俺。
かわいそうな森田さん。んもう。子どもみたい。どこまで汚れてねーんだよこの人は。どやって結婚生活してたわけ。だって元妻とはやってたんでしょ?どうやってたわけよ。教えろ、少し。
「どうしよ、森田さん、大丈夫?」
「いや…大丈夫…あの、ほんと大丈夫だから……岡崎さんも、寝ませんか」
「うん。寝ようかな、じゃあ」
森田さんが仰向けになっておでこに片腕を乗せている。俺は電気を消してから、その横に敷かれた布団に入った。
森田さんが用意してくれた新しい布団。
さらさらと軽い感じが心地いい。
すぐ横に、森田さんの気配。
全然眠くねーんだけど。
「ねー、一緒に寝ちゃダメ?」
「い、っ……」
「ごめんごめん。今度にする」
焦ることない。だってもう森田さんは俺のものになったんだから。夢じゃないんだから。
「……岡崎さん」
森田さんが俺を呼ぶ。ボソッと。
「ぬ?」
「楽しいですか、俺といて…退屈じゃ、ない…?」
不安なんだね。ああ。かわいい。
俺の持っている全てを使って、この人を守る。
「楽しいし、幸せでたまんない」
どんなに、こんな時を夢見て諦めて苦しくなって忘れてを繰り返したか、森田さんは知らないもんね。
そんなことは知らなくていいから、俺といる時は、楽になってくれればいい。
そうしていつか、俺がいなきゃダメになればいい。欲張りすぎ?
森田さんはもぞもぞと布団から手を出して、俺の方へ差し出した。
「嫌、じゃ、なければ……手を、触って下さい」
森田さんと手を繋いだ。
隣り合った布団で、少し離れたところで向かい合って。
いつかもっとたくさん触ってもらおうと思って我慢して、ぎゅっと握ると、あっちからも同じ力が返って来た。
ほんとに、幸せで死ぬと思った。
緩む口元を隠すように布団に隠れて、俺はすぐ眠りについた。
*
幸せでたまんない。
岡崎が言った。
その瞬間、腹の底を鷲掴みされたような心地がした。
落ちる時のような、呻きそうになるような。
そしてそのあと、手を繋いだ。
少し、ドキドキした。
思わずもう片方の手も伸ばして引き寄せそうになり、ぐっと我慢をすると、岡崎がくすりと笑う気配がした。
横に誰かが寝ていることに慣れなくて暗闇で目を開けていると、岡崎の寝息が聞こえてきた。
健やかな。平和な。
少し前に聞いた、衝撃的な男同士の所作についての話は忘れて、俺も眠った。
はずだった。
*
物音で目が覚める。窓の外が少し明るくなってきている。
「森田さん?」
あれ、いない。
起きると、森田さんは台所で水を飲んでいた。
「喉かわいたの?」
起き上がって森田さんの背中に近づき、後ろから腰に手を回してみる。
「お、岡崎さん」
「まだ寝れるよねー。ねえ、一緒に寝よう?」
森田さんの後頭部におでこをごしごししながらちょっとしつこく甘えてみる。
「岡崎さん」
絶対絶対抵抗されるか、岡崎さんちょっととか言われるかだと思ったのに。
振り向いた森田さんに、ぎゅってされた。
「どしたの」
「変な夢…見た」
「どんな?」
「……変な」
森田さんはそれ以上夢のことを教えてくれなくて、でもその代わり、一緒に寝てもいいって言ってくれた。
かなり渋々だったけど。
なんでよ。
ちょっとワクワクしながら、平静を装って先に森田さんの布団に入る。
うわー。
「早く。来て」
横になって手を伸ばして、もたもたしてる森田さんの足の甲をぽんぽんして催促。骨がくっきり出てる、でかい足。
「森田さん足のサイズ何センチ?」
「28」
「でかぁ」
「岡崎さんは?」
「森田さん早く布団入ってよ」
「…岡崎さんは」
森田さんは1センチずつ進んでいる。おいー何時間かかんの。
「森田さん。フェラしていい?」
ふぇ、と言った森田さん。
固まる森田さん。
「ダメかー。それも今度ね、そうそう、明日仕事だしね。ほら早く寝るよ、布団入って早く」
いちいちかわいくてたまらん。すごい振り回されてる、俺に。かわいそうに、と思ったら声だして笑えた。
「…お邪魔、します…」
森田さんは自分の布団なのに、大変申し訳なさそうに俺の横に入って来た。セックスの挿入の時も、同じこと言ったりして。
「…なんで微妙に間あけるわけ」
「…ど、……」
「ど?」
「……寝られない…こんな…近い……」
「ショックー!森田さんひどくね!傷つくわー!まじで」
「あっ、いや、そういう意味では」
かわいい。焦ってる。照れてる。恥ずかしがってる。
俺は勝手に間を詰める。
「わかった。こうなら大丈夫?」
店で不意にされたみたいに後ろから抱けるように、森田さんに背を向ける。少しすると、森田さんが体をくっつけて、片手で抱きしめてくれた。
「幸せだよー」
今なら笑顔で死ねる。
おやすみ、と言う声がとても近くて、照れ笑いで頷くのが精一杯だった。
*
手をかけたのはいい。
そのまま微動だにできなかった。
岡崎からはなんだか爽やかな香りがした。仕事からまっすぐ来たはずなのに。
綺麗な人は、汗をかいたりしないのだろうか。
おやすみと言われておやすみを返すと、岡崎は「くふふ」と笑った。
同じ布団に、岡崎が。すぐそばに。
俺の、腕の中に、綺麗な顔をした、男がいる。
どうしてこんなことになっているのか、全くわからなかった。少し前までは関わりのなかった人が、こんなに近くに。
どうしようもなく安心するような、今すぐに隣の布団にお帰りいただきたいほど居心地が悪いような。
すぐに寝息を立て始めた岡崎を抱くようにしたまま、一睡もできず、朝を迎えた。
*
「わぁ」
後ろで動く気配がして、目を覚ましてすぐ振り向くと、森田さんとがっつり目が合った。
ちけえ。
「おはよーダーリン」
だ、と言って固まる森田さんは、なんだかやつれている。
「森田さん」
キスしてくれればいいのに、と思ってじっと見てみるけど、森田さんは目をそらしてばっかりだ。
なんか、俺キモい。
いい加減にしよう。
「あ、昨日買って来たパン食う?」
「…はい…」
もそもそ起き出して顔を洗いに洗面所へ。
「洗顔貸りていい?」
「あ、はい…あと、」
森田さんが、新品の歯ブラシを出してくれた。
「タオルも…」
袋を開けようとする森田さんに抱きつく。
「森田さんと一緒のでいい」
「はっ、いや、だめです」
「なんで?」
「……いやいや、だめです」
「気つかいすぎー。いいじゃん」
ぶわーっと顔を洗って、新品のタオルを持ったままそばでオロオロしている森田さんを無視して森田さんと同じタオルで顔を拭く。
森田さんが、あぁ、って言った。
パンを食べながらぼーっとして、しきりにあくびをする森田さん。
これから運転なのに。心配。
「ごめんね、昨日遅く来たから」
「いえ、違って、俺、少し、緊張とかして、たし…」
「森田さんと一緒に寝て幸せだった」
森田さんはなんとも言えないような顔をした。
俺も俺だ。こんな、思ったこと全部口に出てしまうような性格じゃないはずなんだけど。
自分がキモくて苦笑いしてたら、すぐ目の前に、森田さんのTシャツが見えた。
「……森田さん?」
「岡崎さん……」
ぎゅっとされて、頭もなでっとされて、それから。
「また…来て、くれますか」
鳥肌が立って、涙まで出そうになる。
それ、俺が。
俺がずっと、望んできたことだ。
願って祈って、叶わなくて、それでも。
それでも、俺は、あなたに惹かれて仕方がなかったんだから。
「今日も来たい。明日もその次も、毎日、森田さんに会いたいよ」
森田さんと俺は簡単に次の約束を結んだ。
別れがけ、森田さんはとても言いにくそうに言った。
「少しずつ、岡崎さんの、綺麗な顔に慣れて、さわれるように、なるから……少し、待ってて…もらえれば」
エロいことできそうってこと?と速攻で言い返すと、森田さんは真っ赤になった。
こんな顔をするくせに、一緒に寝るのだってすごく渋るくせに、森田さんはたまに勢いよく俺をぎゅうっとする。
その瞬間、ああ、俺は今この人に必要とされてるって、全身で感じる。
こんなの、初めてだ。
その日俺は、岡崎さんの綺麗な顔、という言葉を思い出しては、普段の倍くらいの声量でドリンクオーダーを繰り返した。
*
昨日の夢。
岡崎の服を脱がせて、身体中にキスを落としていく夢。
俺はこの先、大丈夫だろうか。
-end-
2014.4.18