大きな声では言わないけど
番外 森田と岡崎9
「前田さん、ブチったらしいです」
「……は?」
店に着くなり西尾が申し訳なさそうに寄ってきた。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「まじで言ってんの?」
「昨日来なくて連絡つかなくて、今日も電話圏外らしいっす」
「……あのボケ」
俺は着替えながらシフト表を頭の中で広げる。
前田は、入って1ヶ月くらいのホールスタッフだ。26歳でフリーターだからシフトも結構入れてて、がんばりますとか言ってたような気がするけど、多分気のせい。
今日はいい。なんとかなる。明日は?明日は俺が休み。でも。
「求人出したかな、店長」
「今日出すって。明日なんすけど、」
「俺出るって言っといて」
「でも」
西尾を振り切るようにしてキッチンへ。仕込みの手伝い。
イライラする。西尾も店長も悪くないのに。あたりそうで怖い。
少し遅れてついて来た西尾は、空気を読んだのか、少し離れた場所にあるドリンクサーバーを静かに磨いている。
前田は調子いいこと言ってた。早く覚えます、みんなと仲良くやりたいです、たくさん出られます。
お前じゃなくてもいいけど、人手は足りねえんだよ、そんくらいわかんねーの。
あー。くそ。明日久々の休みだったのに。森田さん助けて。
「いっ、てえ」
「大丈夫すか!」
余計なことを考えていたら、焼き鳥の串が指に刺さった。
「大丈夫」
「岡崎、仕込み西尾と代われ」
「とりあえず止血してきな」
「すんません」
「岡崎さん、早く、早く手洗わないと」
「大丈夫だって」
キッチンスタッフは何があってもあまり動じない。30代とかが多いからか。一番慌てたのは西尾で、横から覗き込む青ざめた顔を見たら怒りも治まった。
「バカづら」
「ひどくねえすか!」
かわいい後輩だこと。
血は止まったけど、衛生上もう仕込みは手伝えないからホールへ。ちょうど店長がレジに金を入れるとこだった。
「釣り銭やりまーす」
「正浩、仕込みは?」
「手やっちゃった」
言われる前に言おう。
「明日俺出ますね」
「……大丈夫か」
「うす」
「悪い」
「次はいいの入るといいすね」
本当に神様お願いします。いきなり辞めないやつを下さい。
森田さんみたいにちゃんとした人を。
前田、森田さんより年上のくせにな。怒り再発。
「いい年しててもクズはクズすね」
「お前みたいな生き方してると、きっといつかご褒美がもらえる」
「えーまじで」
頷く店長の横で、俺は森田さんを想う。
森田さん。俺がんばってるからね。
次はいつ会える?
「毎度です」
「森田さん!」
今日会えた!ごほうび到来!
ダンボールを抱えた森田さんは、俺と目が合うと微かに頷いた。
「森田さん聞いてよー」
「何を」
ああ。森田さんの話し方。なんて森田さんらしいんだ。好き。好き。
「やっぱ今度」
森田さんは、一瞬止まって、ダンボールを床にそっと置いて、また俺を一瞬見て、止まって、目を逸らした。
「はい」
「今度、遊ぶ時にね」
「はい」
「伝票ね」
手を出すと、森田さんはすっと伝票を出さなかった。
「……元気、ですか」
「元気ー」
なんでわかるんだ、元気じゃないって。
「手、どうしたの」
「指の串焼き作るとこだった」
「あー……痛そう」
「だいじょぶだよ、たまにあるし」
「……大丈夫?」
森田さんに聞かれると、それだけで元気になる。前田のことなんか許してやる、いくらでも。前田よ、森田さんのおかげで命拾いしたな。
「大丈夫。森田さんの声聞いたら、元気出たから」
森田さんは無表情で首を傾げた。
もしかしたら、手に入れられなくてもいいのかもしれない。こうやって、友達やってれば。いつもこうやって、森田さんを間近に感じられるなら。
俺の幸せは、そういうことなのかもしれない。
なんて思ってみたけど。明日にはきっと、また森田さんが欲しくなって。
いつまでそのループが続くんだろうと、少し怖くなった。
「うわーやべー」
起きたら遅刻ギリギリの時間だったとかは別にいいんだけど。
「森田さんとヤる夢見たー!」
支度しながら独り言で盛り上がる。
昨日がんばったご褒美?これ。今日休み返上するから?
欲求不満かな。幸二さんと離れてから、誰ともヤってないし。会いたいな。誰かいないかな。
でも我慢。寂しいのなんか、みんな同じ。どうしても辛くなったら、森田さんに電話しよう。そう決めた。そうじゃなきゃ、幸二さんから離れた意味がない。
「だーれが、女紹介しろっつったんだよ」
「すんません、いや、言い出したのキッチン組ですから」
女の子をよけて西尾の首を絞める。
最近がんばり通しの正浩に女の子でも紹介してやれとか、なんか、勝手に話が進んでいたらしく。
キッチンの仲良くしてるスタッフ2人と西尾と俺で閉店後にクラブに来たけど、そこには知り合いの知り合いだとかいう女の子たちがいて、みんなででかいボックス席に入った。
疲れてる時の爆音は、子守唄効果がある気がする。眠い。
「岡崎くんあいてるの?」
「あいてるあいてる、ガバガバだから構ってやって」
ガバガバってちょっと。めんどくせえなぁ。カムアウトしちゃおうかな、ゲイだっつって。
ケツ使って男とセックスしてんだよ。わかる?君たちとは住む世界が違うのだ。
足絡めたり際どいとこ触ってきたり、なんかやべーのキメてんじゃないでしょうね、と心配になる女の子を適当にあしらいながら何杯か飲んで、トイレに立った。
1人ついて来ようとした子は巻いた。
トイレの帰り、店の外に出る。新鮮な空気。質の違う音。
疲れてるからか、酔いの回りが早かった。
知らない女の子たち。俺の性癖のこと知らない同僚たち。
誰といても、俺はぼっちだなーとか思った。安心できる場所が少ない。幸二さんを恨みそうになる。
めんどくさいめんどくさいめんどくさい。こんな俺めんどくさい。
だから、森田さんに電話をかけた。もう深夜だ。全然期待していなかったし、音で起こしたらと思うとすごく悪いと思ったけど、耐えられなかった。寂しくて死にそうだ。
お願い。出て。なんて時間にって、俺を叱って。
『……………もしもし』
ああ。完全に寝てた声だ。森田さんの寝起きの声。俺の耳はその瞬間から、車道の騒音も漏れ聞こえるクラブミュージックも拾わなくなる。
『……岡崎さん』
「…はい」
『ん……』
なんだなんだ今のため息は。眠そうな声。どうしよう、好きだ。今すぐそこに行きたい。間近でその声を聞きたい。
「森田さん」
想いを込めて名前を呼ぶ。俺が今、あなたにどれだけ会いたいか、伝わればいいのに。伝わればきっと、来ますかって言わずにはいられない、そのくらい、今、俺は森田さんに会いたいよ。
『……元気、ない?』
森田さんは非常識な時間より俺の声音を気にしてくれる。
「森田さん。会いたい」
言ってしまった。優しさにつけ込んだ。迷惑に決まってる。
『……どうしたの』
森田さんは駄目だと言わない。言ってくれなきゃ止められないのに。
「森田さんに会いたい」
『……今?』
聞かれて我に返る。
「ごめん、忘れて。ほんとごめん。また連絡すんね」
慌てて切ろうとした。もう自分が何を言い出すかわからない。
そしたら森田さんは言った。
『今、どこですか』
場所を言ったら、森田さんは、迎えに行きますか、と言った。
びっくりしてしどろもどろになる俺に、そんなに離れていないから、歩いて来てもいいですけど、と言った。
さらに混乱して俺は黙って、そしたら森田さんも黙った。
「明日、仕事でしょ?」
『まあ』
「怒らないの?すごい時間なのに」
『……怒られたくて、かけてきたんですか』
うん。それもある。
「でも会いたいのも本当」
『なら、どうぞ』
「え、えー、どうしよ、だって、明日も森田さん運転でしょ?寝とかなきゃじゃないの」
森田さんは黙る。
反省が押し寄せて窒息しそう。深夜に会いたいとかワガママ言って、その上OK出たら渋るとか。振り回しすぎ。
「ごめん」
悲しくなって謝った。なんでもするから、嫌わないで。友達をやめないで。本当はもっと近くに行きたい。俺に触ってほしい。大事な人になりたい。お前だけだって言われたい。
わかってほしいことと、言ってはダメなことの、境目が今はわからない。コントロールがきかない。こんな俺、嫌だ。
『そこから、ゆっくり、歩いて来て。途中で、会いましょう』
森田さんが言う。落ち着いた、平坦な声。何よりも優しい気がする、不思議な声と話し方。
「うんー」
甘えてしまうよ。どんどん甘えて、とけて、森田さんにべったりくっついてしまいそう。
『酔ってます?』
「酔ってないです」
『……やっぱり、そこで待ってて下さい』
唐突に電話は切れた。
「まさかー、迎えに来てくれるんじゃないよね」
勘違いしそうだからやめて、ほんと。どうなのこれ。友達にそこまでしてくれる?でも森田さんは友達とか少なそうだから加減がわかんないのかな。いや失礼だろ。でも嬉しい。会える。森田さんに会える。
まさかね、って50回くらい思った頃、目の前に森田さんが現れた。
「森田さん」
森田さんは俺の目を見なかった。でも少し笑った気がした。気のせい?
「目的は、達成されましたか」
「なんのこと?」
「俺に、会いたいとかいう、変な目的は」
森田さんは落ち着かない感じでクラブの入っているビルを見上げたりしている。
「まだ達成されませんよ」
足りない。
「家、行ってもいい?」
「……どうぞ」
「明日、森田さんが仕事行くまで、一緒にいて」
思ったより悲しそうな声が出た。森田さんはただ、ひとつうなずいてくれた。
*
「酔ったー!酔ったよー、森田さん」
岡崎は家に着くと、床に寝転がった。いつも気にしている髪型が乱れるのにも構わず、しばらくゴロゴロころがってから、仰向けになった。
すぐ横に、慌てて出たままの布団が敷きっぱなしになっている。
「森田さんの部屋だ」
岡崎がぽつりと言った。いつもは横に流している前髪が、片目を隠していた。
何があったのか、岡崎の様子は少し変だった。顔色も悪い。迎えに行って正解だった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、岡崎に差し出す。
「飲みますか」
「酒?」
「……水」
「水。森田さんの水」
岡崎はがばりと起き上がる。
「飲ませてー、口移しで」
あはは、と笑う。岡崎。
少し愛おしく思った。
弟みたいだ。小さな頃は一緒に遊んだ気がする。今はもう、ばったり会っても気付かないだろう。血の繋がった、あの男。
仲がいいままだったら、こんな感じだっただろうか。
「森田さん。難しいこと考えてる」
岡崎は俺の手からボトルを取って、水をごくごくと飲んだ。
「うまい!森田さんの水」
「別に、俺の水と、いうわけでは」
「森田さんも飲む?口移しする?」
わあわあ言っている岡崎を置いて、水を冷蔵庫にしまう。
「ねえ森田さん、膝枕してー」
岡崎は俺を座らせようと、俺の手を掴む。
大丈夫。岡崎だ。
引っ張られて座ると、岡崎は本当にその膝に頭を乗せた。
「うおー、恋人みたい」
「……恋人」
「膝枕だよ、恋人みたいじゃね」
「俺は、弟みたい、と、思いましたけど」
「弟かー」
岡崎は一瞬目を大きくして、それからまた笑った。
綺麗な顔だ。
「あー、幸せ」
岡崎は膝に頭を乗せたまま、目を閉じた。
「俺、このまま死んでもいい。ほんと、そう」
「おおげさな」
「おおげさなんかじゃないよ。俺、ずっとここに、いられないの」
岡崎の声はぼそぼそと小さくなった。それが問いかけなのか、嘆きなのか、断言なのか、判断がつかなかった。黙っていたら、岡崎が目をこすった。
「森田さん」
呼んだきり動かなくなり、そのうち、寝息が聞こえてきた。
風邪を引かないか心配になり、でも自分の布団は間違ってもかけてはいけない気がして、近くにあったカーディガンをたぐり寄せて、汚れていないか確かめてから、岡崎の胸にかけた。
最近ふと、おかしなことを思う。我ながら馬鹿馬鹿しくて失笑するけれど、どうしてそう思うのか、岡崎を目の前にして少しわかる。寝顔を見ながら、声に出した。
「今日の、岡崎さんは、女の子みたいだ」
放っておけない、と思うことがある。なにかから守らないといけないような気になることがある。
仕事も遊びも、限度を超えてしまわないか、誰かが見ていないと、この人は倒れるまで続けてしまうのではないか。それを、大丈夫という言葉とあの薄笑いで隠してしまうのではないか。
「誰か、岡崎さんのこと、ちゃんと、見てますか」
隠さないでいられる場所を、彼は持っているだろうか。
もしかしたら、あの、幸二という男が、その役目を果たしていたのかもしれない。岡崎に対する態度が、女性に対するそれに見えたことを思い出す。だとしたら、今は誰もいないのか。
俺が代わりをできるとは思えない。だけど。
岡崎さん。本当は何を考えている?本当は、何が欲しい?あなたの望むものは、今見ているものの中にありますか?
膝に乗った頭を少し撫でる。傷んだ髪が、岡崎のストレスを象徴しているようで胸が痛んだ。
岡崎は猫のように、手に頭を寄せてきた。
「…起きてる?」
聞くが、返事はなかった。
しばらくの間、そうして撫でていた。綺麗な寝顔を見ながら、女の子だから妹か、と思った。
*
本当はずっと起きてた。
膝枕してもらって、なんとも言えない気持ちになって。寝たふりをしたら、森田さんが何かを俺にかけてくれた。
そして言った。
岡崎さんは女の子みたいだって。
どういう意味?誰かが俺のこと見てるって、どういう意味?
寝てるふりの俺は、撫でてくれる手に捕まって動けなかった。そのまま、撫でられながら、いつの間にか眠った。
目を覚ますともう朝で、森田さんは俺の頭を膝に乗せたまま、上半身を布団の上に投げ出して眠っていた。
明日が来てしまって、森田さんから離れなきゃいけない時が近づいて。
だけど明日の次の次の次の日くらいには、また森田さんに会えるかもしれないから。
そうして望みを繋ぐ。今はそうやって生きられる。
「これ」
起きた森田さんは、本を一冊貸してくれて、それと一緒に何かの紙を俺に手渡した。
「なに?」
「俺の、シフト表、の、コピー」
開いてみると、本当にシフトだった。明後日が休みになっている。その次は5連勤。立ったままの森田さんを見上げると、その視線が泳いだ。
「なんで?」
「なにか、あった時とか、呼びたい時とか、の。参考に」
「……また、会いたいとか、言ってもいいの?」
信じられない思いで聞く。森田さんはうなずいた。
「休み合わせて遊ぼうって言ったりしてもいい?」
「……はい」
「いきなり、今からおうち行きたいとか、また図々しいこと言っちゃいそう」
「岡崎さんの…好きに、使えばいい。……誰かの代わりでも、いいし」
「森田さんの代わりを、誰もできないよ」
酒はもう抜けているはず。コントロールも戻ってきた。だから、精一杯の感謝の気持ちを伝えた。
「森田さんがいてくれて、幸せ」
森田さんは困った顔をする。
「おおげさ」
これでも少なく見積もって言ってるんだけど。まあいいよ、これ以上は言えないもん。
「シフト表なんかプレゼントされんの初めてだなー」
言うと、森田さんは目を泳がせた。
「すみません」
「俺、大事にされてる?」
ふざけて聞く。森田さんの困った顔をもっと見たい。そしたら森田さんは俺の心をまたわし掴みにするようなことを言った。
「俺には、他に、時間を割きたい人は、いないので」
仕事に行く森田さんに、家まで送ってもらって帰った。森田さんに行ってらっしゃいを言ったら、困った顔で3回くらいうなずいた。
なんて、かわいい人。
それから仕事まで、ぐっすり眠った。すっきりしすぎてしまって、前田が辞めたことも、女の子を紹介されて萎えたことも、すっかり、無かったことになった。
-end-
2014.1.11
「前田さん、ブチったらしいです」
「……は?」
店に着くなり西尾が申し訳なさそうに寄ってきた。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「まじで言ってんの?」
「昨日来なくて連絡つかなくて、今日も電話圏外らしいっす」
「……あのボケ」
俺は着替えながらシフト表を頭の中で広げる。
前田は、入って1ヶ月くらいのホールスタッフだ。26歳でフリーターだからシフトも結構入れてて、がんばりますとか言ってたような気がするけど、多分気のせい。
今日はいい。なんとかなる。明日は?明日は俺が休み。でも。
「求人出したかな、店長」
「今日出すって。明日なんすけど、」
「俺出るって言っといて」
「でも」
西尾を振り切るようにしてキッチンへ。仕込みの手伝い。
イライラする。西尾も店長も悪くないのに。あたりそうで怖い。
少し遅れてついて来た西尾は、空気を読んだのか、少し離れた場所にあるドリンクサーバーを静かに磨いている。
前田は調子いいこと言ってた。早く覚えます、みんなと仲良くやりたいです、たくさん出られます。
お前じゃなくてもいいけど、人手は足りねえんだよ、そんくらいわかんねーの。
あー。くそ。明日久々の休みだったのに。森田さん助けて。
「いっ、てえ」
「大丈夫すか!」
余計なことを考えていたら、焼き鳥の串が指に刺さった。
「大丈夫」
「岡崎、仕込み西尾と代われ」
「とりあえず止血してきな」
「すんません」
「岡崎さん、早く、早く手洗わないと」
「大丈夫だって」
キッチンスタッフは何があってもあまり動じない。30代とかが多いからか。一番慌てたのは西尾で、横から覗き込む青ざめた顔を見たら怒りも治まった。
「バカづら」
「ひどくねえすか!」
かわいい後輩だこと。
血は止まったけど、衛生上もう仕込みは手伝えないからホールへ。ちょうど店長がレジに金を入れるとこだった。
「釣り銭やりまーす」
「正浩、仕込みは?」
「手やっちゃった」
言われる前に言おう。
「明日俺出ますね」
「……大丈夫か」
「うす」
「悪い」
「次はいいの入るといいすね」
本当に神様お願いします。いきなり辞めないやつを下さい。
森田さんみたいにちゃんとした人を。
前田、森田さんより年上のくせにな。怒り再発。
「いい年しててもクズはクズすね」
「お前みたいな生き方してると、きっといつかご褒美がもらえる」
「えーまじで」
頷く店長の横で、俺は森田さんを想う。
森田さん。俺がんばってるからね。
次はいつ会える?
「毎度です」
「森田さん!」
今日会えた!ごほうび到来!
ダンボールを抱えた森田さんは、俺と目が合うと微かに頷いた。
「森田さん聞いてよー」
「何を」
ああ。森田さんの話し方。なんて森田さんらしいんだ。好き。好き。
「やっぱ今度」
森田さんは、一瞬止まって、ダンボールを床にそっと置いて、また俺を一瞬見て、止まって、目を逸らした。
「はい」
「今度、遊ぶ時にね」
「はい」
「伝票ね」
手を出すと、森田さんはすっと伝票を出さなかった。
「……元気、ですか」
「元気ー」
なんでわかるんだ、元気じゃないって。
「手、どうしたの」
「指の串焼き作るとこだった」
「あー……痛そう」
「だいじょぶだよ、たまにあるし」
「……大丈夫?」
森田さんに聞かれると、それだけで元気になる。前田のことなんか許してやる、いくらでも。前田よ、森田さんのおかげで命拾いしたな。
「大丈夫。森田さんの声聞いたら、元気出たから」
森田さんは無表情で首を傾げた。
もしかしたら、手に入れられなくてもいいのかもしれない。こうやって、友達やってれば。いつもこうやって、森田さんを間近に感じられるなら。
俺の幸せは、そういうことなのかもしれない。
なんて思ってみたけど。明日にはきっと、また森田さんが欲しくなって。
いつまでそのループが続くんだろうと、少し怖くなった。
「うわーやべー」
起きたら遅刻ギリギリの時間だったとかは別にいいんだけど。
「森田さんとヤる夢見たー!」
支度しながら独り言で盛り上がる。
昨日がんばったご褒美?これ。今日休み返上するから?
欲求不満かな。幸二さんと離れてから、誰ともヤってないし。会いたいな。誰かいないかな。
でも我慢。寂しいのなんか、みんな同じ。どうしても辛くなったら、森田さんに電話しよう。そう決めた。そうじゃなきゃ、幸二さんから離れた意味がない。
「だーれが、女紹介しろっつったんだよ」
「すんません、いや、言い出したのキッチン組ですから」
女の子をよけて西尾の首を絞める。
最近がんばり通しの正浩に女の子でも紹介してやれとか、なんか、勝手に話が進んでいたらしく。
キッチンの仲良くしてるスタッフ2人と西尾と俺で閉店後にクラブに来たけど、そこには知り合いの知り合いだとかいう女の子たちがいて、みんなででかいボックス席に入った。
疲れてる時の爆音は、子守唄効果がある気がする。眠い。
「岡崎くんあいてるの?」
「あいてるあいてる、ガバガバだから構ってやって」
ガバガバってちょっと。めんどくせえなぁ。カムアウトしちゃおうかな、ゲイだっつって。
ケツ使って男とセックスしてんだよ。わかる?君たちとは住む世界が違うのだ。
足絡めたり際どいとこ触ってきたり、なんかやべーのキメてんじゃないでしょうね、と心配になる女の子を適当にあしらいながら何杯か飲んで、トイレに立った。
1人ついて来ようとした子は巻いた。
トイレの帰り、店の外に出る。新鮮な空気。質の違う音。
疲れてるからか、酔いの回りが早かった。
知らない女の子たち。俺の性癖のこと知らない同僚たち。
誰といても、俺はぼっちだなーとか思った。安心できる場所が少ない。幸二さんを恨みそうになる。
めんどくさいめんどくさいめんどくさい。こんな俺めんどくさい。
だから、森田さんに電話をかけた。もう深夜だ。全然期待していなかったし、音で起こしたらと思うとすごく悪いと思ったけど、耐えられなかった。寂しくて死にそうだ。
お願い。出て。なんて時間にって、俺を叱って。
『……………もしもし』
ああ。完全に寝てた声だ。森田さんの寝起きの声。俺の耳はその瞬間から、車道の騒音も漏れ聞こえるクラブミュージックも拾わなくなる。
『……岡崎さん』
「…はい」
『ん……』
なんだなんだ今のため息は。眠そうな声。どうしよう、好きだ。今すぐそこに行きたい。間近でその声を聞きたい。
「森田さん」
想いを込めて名前を呼ぶ。俺が今、あなたにどれだけ会いたいか、伝わればいいのに。伝わればきっと、来ますかって言わずにはいられない、そのくらい、今、俺は森田さんに会いたいよ。
『……元気、ない?』
森田さんは非常識な時間より俺の声音を気にしてくれる。
「森田さん。会いたい」
言ってしまった。優しさにつけ込んだ。迷惑に決まってる。
『……どうしたの』
森田さんは駄目だと言わない。言ってくれなきゃ止められないのに。
「森田さんに会いたい」
『……今?』
聞かれて我に返る。
「ごめん、忘れて。ほんとごめん。また連絡すんね」
慌てて切ろうとした。もう自分が何を言い出すかわからない。
そしたら森田さんは言った。
『今、どこですか』
場所を言ったら、森田さんは、迎えに行きますか、と言った。
びっくりしてしどろもどろになる俺に、そんなに離れていないから、歩いて来てもいいですけど、と言った。
さらに混乱して俺は黙って、そしたら森田さんも黙った。
「明日、仕事でしょ?」
『まあ』
「怒らないの?すごい時間なのに」
『……怒られたくて、かけてきたんですか』
うん。それもある。
「でも会いたいのも本当」
『なら、どうぞ』
「え、えー、どうしよ、だって、明日も森田さん運転でしょ?寝とかなきゃじゃないの」
森田さんは黙る。
反省が押し寄せて窒息しそう。深夜に会いたいとかワガママ言って、その上OK出たら渋るとか。振り回しすぎ。
「ごめん」
悲しくなって謝った。なんでもするから、嫌わないで。友達をやめないで。本当はもっと近くに行きたい。俺に触ってほしい。大事な人になりたい。お前だけだって言われたい。
わかってほしいことと、言ってはダメなことの、境目が今はわからない。コントロールがきかない。こんな俺、嫌だ。
『そこから、ゆっくり、歩いて来て。途中で、会いましょう』
森田さんが言う。落ち着いた、平坦な声。何よりも優しい気がする、不思議な声と話し方。
「うんー」
甘えてしまうよ。どんどん甘えて、とけて、森田さんにべったりくっついてしまいそう。
『酔ってます?』
「酔ってないです」
『……やっぱり、そこで待ってて下さい』
唐突に電話は切れた。
「まさかー、迎えに来てくれるんじゃないよね」
勘違いしそうだからやめて、ほんと。どうなのこれ。友達にそこまでしてくれる?でも森田さんは友達とか少なそうだから加減がわかんないのかな。いや失礼だろ。でも嬉しい。会える。森田さんに会える。
まさかね、って50回くらい思った頃、目の前に森田さんが現れた。
「森田さん」
森田さんは俺の目を見なかった。でも少し笑った気がした。気のせい?
「目的は、達成されましたか」
「なんのこと?」
「俺に、会いたいとかいう、変な目的は」
森田さんは落ち着かない感じでクラブの入っているビルを見上げたりしている。
「まだ達成されませんよ」
足りない。
「家、行ってもいい?」
「……どうぞ」
「明日、森田さんが仕事行くまで、一緒にいて」
思ったより悲しそうな声が出た。森田さんはただ、ひとつうなずいてくれた。
*
「酔ったー!酔ったよー、森田さん」
岡崎は家に着くと、床に寝転がった。いつも気にしている髪型が乱れるのにも構わず、しばらくゴロゴロころがってから、仰向けになった。
すぐ横に、慌てて出たままの布団が敷きっぱなしになっている。
「森田さんの部屋だ」
岡崎がぽつりと言った。いつもは横に流している前髪が、片目を隠していた。
何があったのか、岡崎の様子は少し変だった。顔色も悪い。迎えに行って正解だった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、岡崎に差し出す。
「飲みますか」
「酒?」
「……水」
「水。森田さんの水」
岡崎はがばりと起き上がる。
「飲ませてー、口移しで」
あはは、と笑う。岡崎。
少し愛おしく思った。
弟みたいだ。小さな頃は一緒に遊んだ気がする。今はもう、ばったり会っても気付かないだろう。血の繋がった、あの男。
仲がいいままだったら、こんな感じだっただろうか。
「森田さん。難しいこと考えてる」
岡崎は俺の手からボトルを取って、水をごくごくと飲んだ。
「うまい!森田さんの水」
「別に、俺の水と、いうわけでは」
「森田さんも飲む?口移しする?」
わあわあ言っている岡崎を置いて、水を冷蔵庫にしまう。
「ねえ森田さん、膝枕してー」
岡崎は俺を座らせようと、俺の手を掴む。
大丈夫。岡崎だ。
引っ張られて座ると、岡崎は本当にその膝に頭を乗せた。
「うおー、恋人みたい」
「……恋人」
「膝枕だよ、恋人みたいじゃね」
「俺は、弟みたい、と、思いましたけど」
「弟かー」
岡崎は一瞬目を大きくして、それからまた笑った。
綺麗な顔だ。
「あー、幸せ」
岡崎は膝に頭を乗せたまま、目を閉じた。
「俺、このまま死んでもいい。ほんと、そう」
「おおげさな」
「おおげさなんかじゃないよ。俺、ずっとここに、いられないの」
岡崎の声はぼそぼそと小さくなった。それが問いかけなのか、嘆きなのか、断言なのか、判断がつかなかった。黙っていたら、岡崎が目をこすった。
「森田さん」
呼んだきり動かなくなり、そのうち、寝息が聞こえてきた。
風邪を引かないか心配になり、でも自分の布団は間違ってもかけてはいけない気がして、近くにあったカーディガンをたぐり寄せて、汚れていないか確かめてから、岡崎の胸にかけた。
最近ふと、おかしなことを思う。我ながら馬鹿馬鹿しくて失笑するけれど、どうしてそう思うのか、岡崎を目の前にして少しわかる。寝顔を見ながら、声に出した。
「今日の、岡崎さんは、女の子みたいだ」
放っておけない、と思うことがある。なにかから守らないといけないような気になることがある。
仕事も遊びも、限度を超えてしまわないか、誰かが見ていないと、この人は倒れるまで続けてしまうのではないか。それを、大丈夫という言葉とあの薄笑いで隠してしまうのではないか。
「誰か、岡崎さんのこと、ちゃんと、見てますか」
隠さないでいられる場所を、彼は持っているだろうか。
もしかしたら、あの、幸二という男が、その役目を果たしていたのかもしれない。岡崎に対する態度が、女性に対するそれに見えたことを思い出す。だとしたら、今は誰もいないのか。
俺が代わりをできるとは思えない。だけど。
岡崎さん。本当は何を考えている?本当は、何が欲しい?あなたの望むものは、今見ているものの中にありますか?
膝に乗った頭を少し撫でる。傷んだ髪が、岡崎のストレスを象徴しているようで胸が痛んだ。
岡崎は猫のように、手に頭を寄せてきた。
「…起きてる?」
聞くが、返事はなかった。
しばらくの間、そうして撫でていた。綺麗な寝顔を見ながら、女の子だから妹か、と思った。
*
本当はずっと起きてた。
膝枕してもらって、なんとも言えない気持ちになって。寝たふりをしたら、森田さんが何かを俺にかけてくれた。
そして言った。
岡崎さんは女の子みたいだって。
どういう意味?誰かが俺のこと見てるって、どういう意味?
寝てるふりの俺は、撫でてくれる手に捕まって動けなかった。そのまま、撫でられながら、いつの間にか眠った。
目を覚ますともう朝で、森田さんは俺の頭を膝に乗せたまま、上半身を布団の上に投げ出して眠っていた。
明日が来てしまって、森田さんから離れなきゃいけない時が近づいて。
だけど明日の次の次の次の日くらいには、また森田さんに会えるかもしれないから。
そうして望みを繋ぐ。今はそうやって生きられる。
「これ」
起きた森田さんは、本を一冊貸してくれて、それと一緒に何かの紙を俺に手渡した。
「なに?」
「俺の、シフト表、の、コピー」
開いてみると、本当にシフトだった。明後日が休みになっている。その次は5連勤。立ったままの森田さんを見上げると、その視線が泳いだ。
「なんで?」
「なにか、あった時とか、呼びたい時とか、の。参考に」
「……また、会いたいとか、言ってもいいの?」
信じられない思いで聞く。森田さんはうなずいた。
「休み合わせて遊ぼうって言ったりしてもいい?」
「……はい」
「いきなり、今からおうち行きたいとか、また図々しいこと言っちゃいそう」
「岡崎さんの…好きに、使えばいい。……誰かの代わりでも、いいし」
「森田さんの代わりを、誰もできないよ」
酒はもう抜けているはず。コントロールも戻ってきた。だから、精一杯の感謝の気持ちを伝えた。
「森田さんがいてくれて、幸せ」
森田さんは困った顔をする。
「おおげさ」
これでも少なく見積もって言ってるんだけど。まあいいよ、これ以上は言えないもん。
「シフト表なんかプレゼントされんの初めてだなー」
言うと、森田さんは目を泳がせた。
「すみません」
「俺、大事にされてる?」
ふざけて聞く。森田さんの困った顔をもっと見たい。そしたら森田さんは俺の心をまたわし掴みにするようなことを言った。
「俺には、他に、時間を割きたい人は、いないので」
仕事に行く森田さんに、家まで送ってもらって帰った。森田さんに行ってらっしゃいを言ったら、困った顔で3回くらいうなずいた。
なんて、かわいい人。
それから仕事まで、ぐっすり眠った。すっきりしすぎてしまって、前田が辞めたことも、女の子を紹介されて萎えたことも、すっかり、無かったことになった。
-end-
2014.1.11