大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎5



岡崎に渡されたメモと自分の携帯を交互に睨みながら、入力を終える。
岡崎は、読みやすい字を書く人だ。

今度は、感情に任せて消したりすることの無いように。
向こうが飽きて、使わなくなることはあっても。

今日、納品に行った時、勇気を振り絞って連絡先を再度教えてほしいと言うと、岡崎は嫌な顔ひとつせず、「また入れといてね」と言ってメモを渡してくれた。

岡崎の連絡先を、俺の携帯はまた、記憶した。






 *






今日も焼き鳥の仕込みをしながら、森田さんの配送が来るのを待っている。
この間、消された俺のメアドとかを書いて渡した。メールで送るより、なんとなく、手書きで、残るものを渡したくなって。店の電話機の横に置いてあるメモ帳にさくっと書いて、破って。

ありがとう、と言ってくれて、安心した。
大丈夫。また、友達を始められる。

もし誘っていいなら、森田さんと遊びに行きたいんだけど。俺も今仕事が忙しくてなかなか時間がない。最高に睡眠不足。

オフの時間が俺と森田さんでは違いすぎる。森田さんも俺もシフト制だけど、森田さんは朝から夜まで。俺は午後から深夜まで。
まあ、シフトでよかった。これで休みの日が固定で別だったら最悪だ。

「岡崎さん、今日店長、開店時間はフルで出るって言ってましたよ」

西尾がわざわざ知らせに来る。
店長の体調は少しずつだけどよくなってきてるみたいで、元のいかつい感じが戻ってきてる。中身も、外見も。

「まじか」
「あんま混まなかったら岡崎さん早くあげてやるって」
「まーじで」
「ちょっと休んだほういいっすよ。岡崎さん休み少なすぎ」

深刻そうな顔で言う。
西尾はバカだけどこういうとこがかわいい。

「岡崎さん彼女できたんすか」
「は?」
「なんかここ3日くらいギラギラしてますよ」
「ギラギラってなにお前」
「いいことありました?」

いいことはあった。

『あなたがいい人だっていうのはわかった』

森田さんは、俺にとってあの一言がものすごくでかかったことを知らないだろうな。

「写メないんすか」
「なんの」
「彼女。何歳すか」
「あーないない。年上だけど」
「なにお前年上好きなの」
「ギャル系?」

適当に返事をしてたら、キッチンのスタッフも話に混ざってきた。

森田さんがギャル系。笑える。

「いやー俺は清楚な感じが好きですね。清潔感て重要じゃないすか」

なぜかみんなが笑う。

「清楚好きとか絶対変態じゃね」
「処女はいいことねえぞ」
「岡崎さんの彼女が清楚とかねえわ。絶対ギャルでしょ。しかも性格キツそう」

森田さん、女とやんのかな。つか彼女いたこととかあんのか。いや、今だって、彼女いるとかありえるから。

友達になれたんだから、聞いても、いいんだけど。
いいんだけど。

「毎度です」

森田さんの声。

「あ、俺出る」

串を放り投げて出て行くと、白いシャツの森田さんがいた。

「森田さん」
「お疲れ様です」

森田さんの表情は優しい。優しい?わかんないけど、無表情なんだけど、なんか、眼鏡の奥の目が前よりやわらかいような、そんな気が。
あー。やべー。好きだ。

「森田さん、ほんとに本、貸してくれる?」

伝票を受け取りながら下から顔をのぞきこんだら、森田さんは困ったみたいに目をそらしながらうなずいた。
俺より大きいくせにかわいい。
キスしてやりたい。
乗っかりたい。あーあ。

「つっても今忙しくて図書館で借りた本、あんま進んでないんだけど」
「……仕事、忙しい?」
「少しね」
「……ちょっと前から、なんか、顔色よくない、ですよね」
「…そうかしら」

思わずオネエ言葉になった。なんで。
つかなに。優しい。いつもと違う!

これが本当の森田さんだとしたら、俺はこれからもっと、森田さんを好きになる。
もっともっと、深追いしてしまうんだ。
幸せだけど、少し怖い気がした。

「森田さん癒してよ。今度、読書大会しねー」
「読書大会?」
「どっかでただ本読む大会」

森田さんは、大会、と言って少し笑った。
笑った。森田さん。

「森田さん公園好き?」
「……嫌いではない、です」
「天気いい日にさあ、公園でただ本読むの。静かな公園だったら、森田さん好きでしょ、どうよ」
「…岡崎さんは、それ、たのしい?」

森田さんは今度は、照れくさそうに首をかしげた。
ドキドキする。

「うん。すげー楽しみ。ね、連絡すんね」
「はい」
「出てね、電話」
「……がんばります」

ああ。かわいい。なにこれやばい。まじでやばい。

がんばります。
がんばります。

なぜかまた仏頂面に戻った森田さんが帰っていったあともその言葉を思い出しすぎて、俺は若干おかしくなった。フワフワと。













岡崎の顔色が気になる。疲れて見える。
仕事が忙しいのか、大変なのか、そんな余計なことを聞けるわけもなく、読書大会とやらに誘われた。
岡崎がその大会に参加して楽しめるのかが謎だ。

本当にそんなことをする気なんだろうか。気まぐれかもしれない。そう思って気持ちを落ち着けてみるものの、どこか浮ついた気分のまま、俺はトラックに戻った。

受け入れてみようと思った途端に怖くなる。信じていいのかわからない。それでも、岡崎は嘘をついたりしないような。

このくすぐったい思いがしぼむようなこと、例えば岡崎が自分に飽きるとか連絡が来ないとか、そんなことだって起き得ると、自分に言い聞かせた。
第一、岡崎が読書を始めたのは、ごく最近なのだから。

期待はしないでおこうと思いながら、エンジンキーを思い切り回した。













「正浩には本当に迷惑かけたな」

店長に呼び出されて謝られた。
店長はもともとガテン系の人で、強面だから店に変な客がつかない。
今でもたまに昔の仕事仲間が店に来るけど、みんながみんなごつくてムキムキだ。
店長も病気をして少しやせたけど、それでも眼光は変わらない。

「もう大丈夫なんすか」
「徐々にだけど、なるべくお前の負担減らすようにするから」
「いや、俺なりに、店長には世話になってるって感じてるんで」

店長がこの人じゃなかったら、こんなきっつい仕事とっくに辞めてる気がする。

「ボーナスやれるほどの余裕はないけど、他に内緒で有給を3日やる。あと、ほんの少しだけど、時給上げるから」
「まじすか、有給?昇給も?」

有給とか。飲食のバイトで有給とか。
森田さんに報告しないと。
公園、いつ行こう。森田さん、いつ休みかな。

「これからも頼むな。休み希望の日程考えとけ」

肩を強めに叩かれた。これ、懐かしい感じ。

「あざーっす」

はあ。なんかわかんないけど。よかった。気が抜ける。

森田さんと遊びたい。2人で。
でもその前に吐くほど寝たい。

その日は火曜で天気も悪かったからか、店長の読みが当たって店は暇で、俺は9時すぎに上がらせてもらった。







電話するの、なんでこんな緊張すんだ。

店を出て、軽く雨が降ってて、どっかで飯食おうと思って、森田さん誘ったらなんて言うかなって思って。
携帯片手にコンビニで、手に汗握ってんだけど。

森田さんはもう飯食っちゃったかもしんないな、と思ったらちょっと焦って、携帯を耳に当てる。

『はい』

森田さんの声がする。電話したんだから当たり前だけど。

「森田さん」

会いたい。好き。
言えないことばっかり。
下を向くと、雨で濡れた地面がコンビニの明かりを反射して黒く光っていた。

「出たね、電話」
『……出れた』

か、かわいい。なんだこの人。

「森田さん、仕事終わった?」
『はい。……岡崎さんは?』
「終わった、奇跡的に」

森田さんが少し笑った気配がした。

「もう飯食った?」
『今日、残業あって。……今から帰るから、まだ』
「まじで!飯行かない?」

少し間があく。
嫌かな。

「今度にするかー」

雨だからか。店長の言葉で気が抜けたからか。
押し通す力が出ない。弱気発言。

『あんまり遅く、ならなければ』
「いいの?」
『岡崎さん、今、どこですか』

コンビニの場所と、歩きだってことを伝えると、森田さんは、車で行きますと言って電話を切った。

どうしよう。森田さんと、2人で、飯。
どこに行こう。
何を話そう。
静かなところ。人が少ないところ。
それから、森田さんの好きな食べ物を聞こう。

森田さんの車は白い軽だ。結構年季が入っているっぽい。コンビニの駐車場に車を停めて降りてきた森田さんは、霧のような雨を避けるように少し俯いて、軒先にいた俺に近づいた。
うわ。森田さんが、俺を、車で迎えに来るなんて。そんな日が来るなんて。
夢みたい、とかそんな中学生みたいなことを言いそうになる。

「森田さん」
「……お疲れ様です」

これだけで、この一言だけで、この人は俺を幸せにしてくれる。一生届かないなんて、忘れそうだ。

「森田さん、何食いたい?酒は飲まないもんね」

森田さんはひとつうなずいて、岡崎さんは、と聞いた。
それが食べたいものについてなのか酒を飲むかについてなのかわからなかったけど、俺は若干ぼーっとしてしまって、返事が遅れた。

だって、急にこんな、こないだまで嫌われてる感じだったのに、急に、2人で飯。
誘ったのは俺なのに、今になって緊張して腹が痛くなりそうだ。

「……行きます?」
「どこにしようね」
「とりあえず……乗りますか、車」
「いいの?」
「この辺、店ないし……どっかに停めて、店、探してもいいし」

森田さんは、「そうしよう」と決めて先に歩き出す人ではないんだと思った。
森田さんの眼鏡に、うっすらと水滴がついている。

「じゃあ、お願いします」
「……はい」

森田さんの車の中には、なんにもなかった。レンタカーみたいに。
隣で森田さんが、軽く眼鏡を拭いた。

「駅の方、行きますか」

森田さんがエンジンをかけながら聞いて、俺はうんと返事をした。

森田さんはそれ以上喋らなかった。俺も何も言わなかった。

カーステはラジオだけで、それすら切られていて何も鳴っていない。
足元も汚れていないし、それでも完璧に綺麗なわけでもない。あらゆるところが長年使い込まれていて、できるだけ綺麗にしました、って感じ。

静かだ。
話したいことはたくさんあって、森田さんのことをたくさん教えてほしいのに、俺はなんだか満足してしまっている。

この車、森田さんみたいだ。静かで、清潔で。

コインパーキングに車を停めて、2人で少し歩いた。雨は上がっていた。
もうなんでもいい、どうせ食べたものの味なんかわからない、と思っていたら、森田さんがラーメン屋の前で立ち止まった。

結局その、客が1人もいないラーメン屋に入った。




「うまい」

醤油ラーメンを一口食べて、思わず言った。
どうして客が1人もいないんだ。

「俺、前にここ、来たことあって」

森田さんも醤油ラーメンをすすってから言った。

「よかった……ラーメン、って、好み分かれるから」
「きっと似てるんだね、好み」

うれしいな。

テレビでは、バラエティ番組がごく小さいボリュームで流されていた。
静かで、人がいなくて、うまいラーメン屋。奇跡的。

「ラーメン、醤油が一番好き?」

聞くと、森田さんはもぐもぐしながらうなずいた。
俺も。俺も醤油が一番好き。

「あと、何が好き?食べ物」
「なんでも……食べられれば」
「料理する?」

森田さんはラーメンに目を落としたまま、なぜかうっすら笑った。それで、首を横に振った。

「そうなんだ。俺も。あんまり得意じゃない」
「……一人暮らしですか、岡崎さん」
「そう。森田さんは?」
「ひとり」

うお。よかった。少なくとも彼女と同棲はしてないみたい。
よかったのか?わかんない。

「ねえ森田さん、餃子も食わない?」

森田さんがいいですよと言ったので、餃子を10個追加する。

「俺、餃子すげー好き」
「へえ」

森田さんは無表情だけど、怒ってない。機嫌が悪いわけでもなさそうだった。

「餃子はさあ、なんであんな食欲そそるんだろね。焼き目?あれがやべー。パリパリ系が好き」
「へえ」
「酢とラー油ってなんであんな醤油と仲いいのかね。あーどうしよ、ライスも追加しよっかなー」
「……結構、大食い?」
「仕事後はすげー食える」
「それは、わかる。でも、細いのに」
「俺?」

ちら、と俺を見て、すぐに目を逸らす。

「細いというか……スタイルが、いい……?」
「なんで疑問系?」

俺が笑うと、森田さんは下を向いてしまった。

「どしたの?」
「いや、あの、もし、体型のこと気にしてたら、すみません」
「えー、スタイルいいって言われて怒るやつなんかいなくね」

そう言ったら、森田さんは俺の顔を探るように見た。

「俺が気分悪くしたかもと思ったの?まったく優しいんだから。森田さん、そんな優しかったら損すること多くない?」
「……損」

森田さんの表情が一段階暗くなった。
あれ。マズったか。

「優しくすると、損、するんですかね」

呟いた森田さんは、残りのラーメンをずずずっとすすった。

「わかんない。俺は優しくないから」

俺は優しいふりをするのがきっと上手い。
いつでも一歩引いていて、笑っていてもどこかが冷えている。楽しそうにする周りに合わせて笑いながら、どうでもいい、なんでもいい、と思うことの多いこと。

餃子が来て、5個ずつ食べた。無言の時が流れる。
結局俺は、ライスを追加しなかった。

森田さんは俺を家まで送ってくれた。
名残惜しいけど、帰りたくないとは思わない。帰って、今日あったことを思い出して大事にしまっておきたい感じ。
有給や昇給の喜びが完全に森田さんと飯の喜びに飲まれた。結局、大した話もしていない。でも今日はこれでいいや。

「ありがと」

降りるとき、森田さんの顔を見たら、森田さんは落ち着かなそうに目を逸らした。

「また遊んでくれる?」

思わず聞いてしまった。
俺のこと、嫌じゃない?

森田さんはうなずく。
充分だ。本当に。今日はこれで。

「今度は晴れた日にね。公園行こうね」
「……岡崎さん」
「ん?」
「……俺が変なことしたら、教えてくれますか」

どういう意味かわからなくて戸惑う。
変なこと?

「そんなことしたら、相手に、嫌われる、みたいなこと、俺がしたら、教えてほしい。……岡崎さんが、嫌だと、思うことも」

森田さんの声は真剣で、俺は、どういうことなのか聞けなかった。変だ。こんなこと、普通出会ってすぐの人間に頼まない。少なくともそんな人に会ったことはない。何があった?森田さんの人生。

いいよ、と答えると、森田さんは俺の顔を見て、じゃあ、と言った。

車を降りて助手席側から森田さんを見る。

「またメールすんね」
「はい」

あ、そうだ。

「あと、前に俺といた友達が、森田さんと話してみたいって言ってて、よかったら今度みんなで」

森田さんは、俺の言葉の途中から微かに首を横に振っていた。

「俺、ほんと、そういうのは無理で……すみません、岡崎さんも、飽きたら連絡、くれなくていいから、無理してまで」

また始まった。森田さんの病気。

「なんなの、それ。森田さん、いつからその危険な考え方してんの。昔からなの?大丈夫。俺は」

あなたに理由は言えないんだけど。でも大丈夫、俺は森田さんを。

「裏切ったりしねーよ」

好きなんだよ。もっともっと近づきたいよ。知りたい。もっと笑ってほしい。俺だけに、とは言わないから。

森田さんは眉間にシワを寄せて黙った。

人間不信って、こういうことをいうのかな。すごい警戒心。子鹿さんみたい。
周りにそんな繊細なやついたことねーからわかんね。
そうだ。人間不信なんて、繊細で優しいやつがなるんだろう。

「太宰治って、人間不信だったのかなあ」

思いついて言うと、森田さんは目を丸くした。

「読書大会の時、森田さんの好きな本のこと教えてね」

きりがないから、ドアを閉めて車から少し離れる。
できるだけいい顔を作って、こっちを見ている森田さんに手を振ると、森田さんはうなずくように頭を下げて、車を出した。

森田さん。
もっと森田さんのこと、教えてね。俺に。
理解したい。どうしてあんな考え方するのか。わかって、大丈夫って言ってやりたい。

30歳のあの人の、好きな人を支えてあげられる人でいたいっていう気持ち、ちょっとはわかった。
だって叶わないんだから。愛されないんだから。せめて。
とか?
暗い。いやだいやだ。めんどくせ。そういうの。考えるのはやめる。
それに、あの人のあの気持ちは、そんな後ろ向きなものじゃなかった。俺がそれを理解できるようになるまで、あと10年かかるんだろうか。10年はもがき苦しめってことか。

とりあえず仲良くなろう。もっと、話そう。もっともっと、一緒に過ごせるようになりたい。






 *






裏切ったりしない、と岡崎は俺に言った。
岡崎はどうして、そんなことを言ったのだろう。
俺はそんなに、裏切られるのを怖がっているように見えただろうか。

優しくすると、損をするらしい。それから、岡崎は自分を優しくないと思っているらしい。

優しくするということは本当に難しくて、俺にはもう、その方法がわからない。
人といると、ふとした瞬間に、相手の気持ちを思いやる時がある。でも、それが正しいのか間違っているのかが、俺にはもうわからない。判断ができない。
こうした方が優しいだろうと思ってすることが、その人を一番傷つけることになりうる。
こんなのは俺だけなんだろう。
他の人はもっとちゃんと、もっと、普通に、していることだ。
岡崎も、普通に、それができる側の人間だ。

人を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。
岡崎といて、楽だと、安らかだと、少しでも感じた次の瞬間には、俺はそんなことばかり考えているのだ。

また眠れない夜を過ごす布団の中で、プライベートで誰かと食事をしたのは5年ぶりだったと気づいた。
岡崎の友人に会うのは怖い。それでも、岡崎とたまに、今日みたいに、少しだけ、会うのは。
会うのは、何だ。楽しい?嬉しい?
自分の、感情の変化について行けない。

この浮ついた気持ちを抱えて眠ると、きっと、俺はまた、あの夢を見る。




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2013.11.5
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