大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎2



休みの日は何してますか。

何日か前に来たこの短いメールに、俺はまだ返事を返していない。





 *





「はぁ」

最近、ため息をついてばかりだ。
悩むのが大嫌いだから、嫌なことを忘れるのは得意だ。だからそんなことは珍しい。

「森田さん、死んでんじゃねえの」

仕込みで串に鶏肉をぶっ刺しながら独り言を言う。

メール見たかなぁ。メールしないとは言ってたけど、見て満足して終わらないように、短文の質問形式にしたのに。

ほんとに返信ないとか。
ま、仕方ねえな。そういう人なら、笑って受け入れるだけだ。



開店1時間前、森田さんが納品に来た。

「毎度です」
「森田さん!生きてたー!」

森田さんは、憂鬱な気持ちを無理矢理無表情にしましたみたいな顔をしている。

「メール見ました?」
「……はい」
「はい、じゃなくて!ほんとに返信しないんだね。あ、でもいいのいいの。俺そういうの、大丈夫なタイプだから」

べらべらしゃべったら、森田さんの顔に疑問符が浮かんだ。

「酔ってメアド教えたこと、後悔してる?」
「はい」
「素直だねー。森田さん」
「……サインお願いします」
「スルーも得意」

いいな。今日の森田さんも。つれないけど。

俺は完全に仕事の手を止めた。他の業者なら、釣り銭用意しながら対応とか当たり前だけど。

「ねえ、休み、何してるんすか」
「…サイン」
「サイン?いや待って!完全スルー無くね?待って、わかった。はいかいいえで答えられる質問するから、5問答えて。そしたらもう黙るから」

俺も眼鏡のしかめ面をスルーして質問を考える。
つか、考えなくても自動で出てきた。

「インドア派だよね多分」
「……はい」
「ゲームする?」
「いいえ」
「ネットは?ラインやってる?」
「いいえ」
「ですよね…じゃあ本読む?」
「はい」
「お」

趣味がいっこ見つかった。

「漫画?小説?」

森田さんは困った顔をした。
待てよ、機械じゃねえんだから別に「はいいいえ」で答えらんない質問来てもフリーズすることないじゃん。

「森田さんは漫画を読みますか」
「いいえ」
「小説か!じゃあ図書館行ったりは?」
「…サインお願いします」

あ。質問。5問の約束だったから?
ねえ。俺結構かわいそうじゃない?

諦めて伝票にサインする。

「森田さん、一緒に図書館行きたいなー。静かで好きでしょ」

森田さんは伝票を受け取りながら視線をさまよわせた。

「邪魔しないから。絶対。例えば、森田さんが図書館にいるうちの1時間だけ俺が居たりとかさー。話しかけないから」

言いながら、だんだん馬鹿らしくなってきた。

なんでこんな固執しなきゃなんないの。なに必死にアピってんの。
めんどくせえな、ノンケ。

「…明日。元町の図書館でよければ」

冷めかけたところにうまく、焼けた石を放り込まれた感じ。

俺の目をちっとも見ないで帰っていく後ろ姿を、俺はまた「いいなー」と思っているのだった。





 *





岡崎は、本当に図書館に来た。

手首についた金属のブレスレットがちゃりちゃりと音をたて、それは静かな図書館に響く。

「森田さん、何読んでんの」
「……太宰治」
「ああ。人間失格的な?」

的な?
的な、なんだろうか。

考えていると、岡崎はそれ以上話しかけてはこないで、自分も本を読み出した。

ちらりと窺うと、それに気づいた岡崎が、ちょっと綺麗な笑顔で表紙を見せてきた。

それは捨てられた犬の運命を描いた、実話に基づく児童書だった。

岡崎は最初こそキョロキョロしたり髪をいじったりして落ち着かなかったが、段々集中して読み始め、俺がふと見た時には眉間にシワを寄せてその本を読みふけっていた。

岡崎はそれを1時間きっかり読むと本棚へ戻しに行き、じゃあまた店でね、と小声で言ってへらりと笑って本当に帰ってしまった。

おかしなやつだ。
何が楽しいのだろう。

そして俺はギクリとした。

本当に少し頭がおかしいのかもしれない。
そうだ。それならわかる。俺みたいな、楽しくもなんともない人間に近づく意味が。
そう考えると、理解できない言動が多いのも納得がいく。

いきなり危害を加えられたりするかもしれないと思い、薄ら寒くなった。

俺と岡崎、どちらが力が強いだろう。





 *





本読んでる森田さんの横顔は、凛としていてすごく良かった。
図書館から歩いて店に向かいながら、図書館の森田さんのことを思い出す。

あー。すげえ。
良かったな。

森田さんの周りの空気だけ澄んでいて、バカな自分の頭が少しだけすっきりするような気がした。

あー。あーあ。
なんかちょっとムラムラした。綺麗な目しちゃって。

今まで森田さんのこと、なんかすげえなぁとか、地味だけど仕事する姿勢がいい感じとか思ってたけど、図書館にいる森田さん見て、ヤってる顔想像しちゃった。

騎乗位で俺が上に乗りたい。
とかー!
ダメダメ。やめよう。相手はノンケだ。
だからもうこれはオナネタにするしかない。

つか、なんで今日俺仕事なんだよ。








「えー、じゃあ店長しばらく来ない系?」
「らしいっすよ。いつも副店みたいなことしてんの岡崎さんだから、臨時の責任者にするつもりって」
「はー?ねーわー」
「後でまた電話するっつってましたよ。岡崎さんと直で話すって」

店長が入院したらしい。店に行ったら、俺の次に店員歴の長い西尾が教えてくれた。

店に電話入れれるくらいだからそんなでけえ病気とかじゃないんじゃないすか、と、俺より頭の弱い西尾は言った。

悶々としながらキッチンの人たちと相談してたら、店長から俺宛に電話が来た。





 *





「岡崎の頭おかしい説」が俺の中でどんどん膨らみ、以後十分気を付けようと誓ったあの図書館の日以来、岡崎からの連絡は一切なかった。
店に納品に行っても別の店員が応対に出て、岡崎にはあれ以来会っていない。

正直、ほっとした。
俺に構うことにやっと飽きたのかもしれない。
俺に構ったって楽しいわけがないのだ。俺はとにかく静かに目立たず生きていたいタイプだし、岡崎はそれと正反対の生き方をしているだろうから。

それにしても、どんな気持ちで俺に近づいたのだろう。
それに、なぜ俺が図書館を好きだとわかったのだろう。

人間相手にそんなふうに興味や関心を抱いたことがなかったから、単純に不思議に思った。

それからもう1つ。

自分の外見や女性にしか興味が無さそうに見えた岡崎が読んでいたのが、児童書ながら結構重めの内容のものだったことが、妙に記憶に残っていた。





 *





店長が入院してから1ヶ月。

その日も長い1日が終わって、夜遅いにも関わらず、俺は電話をかける。

7回目のコール音で相手が出た。

『……もしもし?』
「広樹?ごめん、寝てた?今、家?」
『…正浩?うん、今ね、あっくんち』
「あー…ごめん。またにする」
『どしたの?』
「いやー。ちょっと仕事疲れたからかけてみただけ。また今度ゆっくりな。あきくんによろしくー」
『大丈夫?』
「大丈夫大丈夫。おやすみ」

彼氏の家でまったりしていただろうに、心配そうな声を出してくれた友達を安心させようと思ったら、気持ち悪いくらい明るい声が出た。

通話を切ってため息をつく。

ああ。イヤだイヤだ。
本当に俺、悩むのは嫌い。
暗いのとかまじ無理。

でもさすがにキツいな。
今まで任されていた仕事に加えて店長が抜けた穴も埋めなきゃならない。
西尾たちもよくやってくれてるけど、人に頼むより自分でやった方が早いことが多くて、結局ちゃっちゃとこなしてしまう自分が悪いんだ。

店長には恩があるし、今は病気治すのに専念してほしい。そのためにも、今は俺ががんばってないと。

違う。
違うんだよ。
最近キッチンで鬼のように仕込みやってるから、森田さんに全然会ってない。

仕事が終わるのは深夜だし、昼過ぎに起きてから出勤するまでの僅かな時間は森田さんが忙しく仕事してる時間だしで、メールも電話もできない。週1の休みは全然起きられないし。

ま、メールしても返事はないんだろうけど。

とにかく圧倒的に森田さんが足りない。

家に帰ってほとんど倒れるみたいにして眠る瞬間、本を読むあの横顔を、眼鏡の奥の真面目そうな目を思い出す。
毎日。

ちょっとムラムラしながらも発散する体力は残っていなくて、俺の言葉に戸惑う顔に癒されながら眠る。
毎日。毎日だ。

会えないと、ますます好きになったりするのかな。
そんなふうに現実逃避をしながら、ちょっと笑えなくなってきたストレスを散らす。









「疲れてんな。正浩」
「あー……まぁねー」
「そんな忙しい?意外と期待されてんのな、お前」

ホテルのベッドに寝転びながら、半分閉じかけた目蓋をこする。

服を着るのも面倒で全裸のままゴロゴロしていたら、幸二さんがシーツをかけてくれた。

「痩せた?」
「少しね」
「でしょ。抱き心地が違った。疲れてる時に悪かったな」
「いやー、いいよ。俺も溜まってたし。……幸二さん、奥さんとヤってる?」
「まあ、それなりに」
「ふぅん。いいなー」
「いいって何?俺と結婚したい?マンション買ってやろうか?」
「ふはは。始まった」

笑ったら少し元気が出たので、体を起こして立ち膝になり、パンツを穿く。



幸二さんは、高校卒業の頃に出会ったセフレ。

まだ40歳くらいだけど会社の社長とかやってて、金はあるし綺麗な奥さんはいるしでっかい犬は飼ってるし子どもはいないしで、もうやりたい放題だ。

たまに呼び出したり呼び出されたりして会う。お互いにそういう相手にはあまり困っていないけど、なぜか幸二さんとはずっと切れない。頻繁に会うわけじゃないけど。



「何。いいなって」

幸二さんとの関係みたいなのは本当に楽。
お互い、本気になったり独占したくなったりしない、楽しいだけの関係。俺と結婚したいかっていうのは、幸二さんがよく言う冗談だ。

俺は一生それでいいと思ってた。

「好きな人、できたっぽい」

俺の返事を待っていた幸二さんは、それを聞いて軽く目を見開いた。

「それが森田さん?」
「えー?なんで知ってんの?」
「お前今日、俺のこと1回そう呼んだよ」

愕然。

「うわーやらかしたよ。幸二さんごめん」
「いいよ。かえって燃えた。でも正浩にしては珍しいミスだね。で、ヤったの?」
「一生無理だわ。超真面目などノンケだもん」

真っ黒で全然いじってない感じの髪をして、俺の髪を、なんだそれはって目で見てくる森田さん。

会いてえな。

「何で知り合った人?」
「店に来る業者」
「かっこいいの?」
「イケメンとかそういうんじゃない。いい感じだけど」
「いい感じって何だ。何が好きなの?」
「んー……んーと……」

何がって言われると。

「仕事に真面目なとことか?」

幸二さんは、意外、と言った。

「それ、すげえ普通だね。お前、そういう人がいいんだ」

そうだね。普通だ。森田さんはすごく普通だ。

そして、媚びないで、群れないで、1人でも淡々と静かに生きていける人だ。

それがすごく良く見える。
できない人には絶対できない生き方だ。
俺はすぐに誰かに寄りかかったり合わせたりしちゃうから。

幸二さんは、考え込んだ俺を見て笑った。

「お前のその綺麗な顔でもだめか」
「だめだめ全然だめだね。むしろ人間として嫌われてる系」
「そんなに色気のあるタレ目なのに?」
「タレ目関係ないからー」

幸二さんは笑いながら俺の肩にキスをした。

「がんばれって。応援してやる」
「んー」

何をどうがんばれば、森田さんに俺を知ってもらえるんだろう。

「めんどくさい。いろいろ」

うつ伏せで思わず呟いた言葉を、幸二さんは聞き流してくれた。





 *





「森田さんー!やべー!まじ久しぶり!生きてた!」
「毎度です」

久しぶりに見る岡崎の顔は、なんだか疲れていた。
それでも、綺麗な顔いっぱいに笑顔を浮かべて必要以上に俺に近づく。

「…あー」

眉を下げて吐息のようなものを吐き出し、岡崎は真顔になった。
そして俺の頭から唇まで、ゆっくり視線を動かしていって、それからまた目を見て少し笑った。

そんな表情にも生気が感じられない。
何かあったのだろうか。

「あれー?」

目の前、視線の少し下にあるその顔に、今度はまた満面の笑みが広がる。

「珍しくね?森田さんが俺の顔見てる」

茶化された気がして腹が立った。ただ、心配しただけなのに。
感情は飲み込んで、目を逸らして伝票を突き出す。

「はいはいサインねー」

軽く言って横を向いた岡崎の体は、前にも増して細くなった気がした。

体調が悪いのかダイエットだか知らないけれど、これだったらいきなり襲いかかられても止められると、俺は少し安心した。





 *





もう、決定的だ。

疲れて疲れて体も心もカチカチになっていたけど、森田さんの顔を見たら嬉しくて、俺はちゃんと笑えた。

仕事のこと全部忘れて、俺の頭の中は「うわぁ森田さんだ」という言葉で満たされた。

森田さんだ森田さんだ、あの森田さんだ、と思いながら髪の毛や眼鏡の目や鼻や唇をじっとりと見つめていたら、あの森田さんなのになぜか俺の顔を見返してきた。

至近距離で目が合って、キュンとしすぎて胸が痛かった。
こんなに好きだったっけ。

会えない間、もしかして美化されてんじゃねえの、本物見たら意外と醒めたりして、とか考えてたけど違った。

会ったらもっと好きになった。

どうしたらいいの、これは。
嫌われてるっつーのに。

苦しいな。
だから嫌だったのに。
本気になるのなんか。









それからまた何日か、アホみたいに働いた。

その日も深夜に帰宅した俺は、限りなくゼロに近い可能性と戦ってまで、森田さんに電話をかけた。

疲れが限界だった。
また明日仕事だと思ったら、死ぬほど眠いのに寝たくなくて、怒ったのでも呆れたのでもいいから森田さんの声が聞きたかった。

でも、空しくコール音が響くだけで、留守電にすらならない。

もういいよいいよ、明日も仕事行って死んで来よう。
そう思ってベッドに倒れた。
着替えるのも風呂も面倒だ。明日でいいや。



意識が無くなりかけた頃、掴んだままだった携帯が鳴った。

「もしもし森田さんですか!」

相手が何か言う前に叫んだ。
ディスプレイの文字は見た。
森田誠吾、の表示。

森田さんはしばらく何も言わなかった。
それでも俺にはわかる。向こうにあるのは森田さんの沈黙だ。それならずっと感じていたい。
そう思って俺も何も言わずにいた。

『岡崎さん?』

今度は嬉しくて叫びそうになる。
名字を呼んでもらった。それだけで。

『なにか』

森田さんは森田さんらしくしか話さない。
感動的だ。

「あのー、何も」
『……は?』
「森田さん、何してたの。寝てた?」
『……本、読んでた』
「あー…ああ、そっか」

嬉しい。森田さんのこと、少しずつわかって。

「ごめんねー。こんな時間にほんと」
『……本当に、何の用事もないんですか』

怒らせたかな。

「ないこともないけど……森田さん、かけ直してくれたんだ」

森田さんは少し黙ってから言った。

『この間、疲れてそうだったから。……倒れて動けないから救急車呼んでとか、そういうんだったら大変だと思ったから。……すごい時間だし』
「……優しいね」

優しい優しい優しい。

それがあまりに染み込んでしまって、俺の心はあっという間にふんわりした。

『じゃあ、切りますよ』
「ああ、切る?もう」

名残惜しそうな声は出たけど、もう充分すぎるくらい満足していた。

『明日仕事ですし』
「俺も」
『……寝ないの?』
「……森田さんが寝るなら、寝る」

だってもう、俺はカサカサじゃないから、明日もちゃんとがんばれるから。

『……用事はないんですね?』
「あったんだけど、もう大丈夫になったよー。ありがとう、森田さん」

森田さんはまた黙った。

この間会ったとき、俺が疲れてるの、わかったんだ。
それから、俺がもし倒れて森田さんに助けてって電話したら、助けてくれるんだ。

『……用がない電話は苦手なので、もうやめて下さい』
「うん。そうする」

好きです。

危ない。
うん、そうする、好きです、って、リズムに乗って思わず言っちゃうところだった。

『じゃあ』
「はい。おやすみなさい」



電話を切ったあと、嬉しさやドキドキや寂しさや虚しさで、しばらく寝られなかった。





 *





真夜中に携帯が鳴った時は心臓が止まるかと思った。

見ると岡崎で、非常識な時間の電話にまた、腹が立った。

岡崎は見た目で判断するなと言ったけど、中身だって見た目通りだ。
だから嫌なんだ。
俺は着信を無視して本を読み続けた。

でもふとこの間の岡崎のやつれ方を思い出し、ひょっとして具合が悪いのかと思った。
大して仲も良くない人間に助けを求めるくらい余裕がない状況なら見過ごせないと、折り返してみてまた失望した。

用事がないのに電話をしていい時間ではない。

俺は珍しくはっきりと、嫌なことを嫌と言った。
岡崎はそれをすんなり受け入れた。それを謝り、その上俺にありがとうと言ってきた。

何がしたいのか、さっぱりわからない。
やはり頭が、と眉をひそめつつ電話を切る。


岡崎は弱気な声を出していた。
こんな時間にごめん、と言った。
そして俺のことを、優しいと言った。

かわいそうな犬の本を読んでいた。

仕事をがんばっていた。



布団に潜り込んで、俺はそんなことを考えた。

言動の意味はわからないけれど。
岡崎は、そういう人間なんだと、俺はただ思った。






-end-
2013.3.9
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