大きな声では言わないけど

番外 森田と岡崎



次の配達先は――あの店か。

その店にいる店員の顔が思い浮かんで、胃が痛んだ。

どうか今日は別の店員がいますようにと願いながら、俺は配達用のトラックのハンドルを握った。









「あーっ、森田さんじゃん!おつかれさまー」
「……どうも」

耳がピアスだらけのその店員は、俺を見かけるなりヘラリと笑いながら近づいて来る。

たれ気味の瞳は大きく、顔の造りが整っていて、俺はそれだけでもう劣等感を呼び覚まされる。
胃がキリキリした。

「サインお願いします」
「今日これだけー?」
「ですね」
「あーすげぇ。森田さん、今日もいいねー」

来た。
必要以上に近づいて、僅かに首を傾げながら俺を見て笑う。

この岡崎というチャラチャラした店員は、眼鏡がないと何も見えないしファッションにも疎いし愛想もなく見るからにつまらない風貌の俺をからかうのが好きなのだ。
本当に嫌な奴だ。

一刻も早くこの店を出たいと願いながら、頬に伸びてきた岡崎の手を避ける。

「……サインお願いします」
「サインねー。森田さんが下の名前教えてくれるならしてもいいよ。ね、名前は?」
「あの、急ぐので、」
「こら正浩、業者さん困らせんな。仕事しろ」

奥から出てきた強面の店長さんが岡崎の背中に呼びかけて、岡崎は店長さんに見えないように眉を吊り上げながら、あぁいと返事をした。

「今度教えてね、名前」

納品伝票にサインをする岡崎の髪の毛は金髪に近い茶色で、触らなくても傷んでいるのがわかる。

「はい、伝票」
「どうも」

差し出された伝票を掴むと、その手をさらっと触られて俺はびくついた。

「かぁわいいっ」
「………毎度です」
「またねぇ、森田さん」

小さく手を振る岡崎に、俺はどうしようもなく腹が立った。

人をからかって楽しむタイプの人間が、俺は一番嫌いだ。





 *





ああ。森田さんもう帰っちゃった。

割り箸とか串とかプラパックとか紙ナプキンとか、食品以外の備品関係の配達は多くて週2回しかないのに、森田さんは毎回すぐ帰ろうとする。

なんとか引き留めようとしていろんなことを聞くのに、滅多に目も合わせてくれない。

森田さんは多分俺より2、3コ歳上で、ものすごく真面目そうだ。

そして多分俺みたいな軽そうなタイプが嫌いだ。
話しかければかけるほど、嫌われていっている自覚がある。

それでも気になって、構いたくて、何か反応を返して欲しくて。
小学生のガキみたいだ。



最初は全然気にならなかった。
というかもう視界にすら入ってない感じ。

他の業者と何ら変わりない、ただバイト先でたまに会う人間。

その見方が変わったのは、たまたま誰もいない倉庫に森田さんが荷物を積んでいた時。

普段は店先に置いてもらって後は誰か店のやつが倉庫に入れるんだけど、その日は森田さんの配達が遅れて、プラスこっちは貸し切り開店直前で、しかも人手不足でてんやわんやだった。

森田さんは店長に断ってわざわざ奥まで荷物を運んだ。

俺が倉庫の前を通りかかると、馬鹿丁寧な手つきで段ボールを重ねる森田さんがいて、見ている俺に気づかずに彼は綺麗に、かつ迅速に仕事を終えた。

もし自分だったら誰も見ていない所で、しかもクッソ忙しい中、あんな仕事ができると思えなかった。

そこからだ。俺の森田さん贔屓が始まったのは。



森田さんは白いシャツを着ている。配送という仕事柄、もっと汚れてもいい服でいればいいのに、絶対に白シャツだ。
ボタンなんか一番上まで留めている。パンツインはしてないけど。

他のヤツがそんな格好してたら吹き出すとこなのに、森田さんが着てるとすごく清潔な感じがするのが不思議。

そう。森田さんにはいつも透明な清潔感が漂っている。チャラい俺に嫌悪感を抱いているらしいところさえも、その象徴な気がしてちょっといいなと思ってしまう。

仕事でついたのか、大人しそうな外見に似合わずちょっと筋肉質な感じとか、背も俺よりちょっと高いとか、何気に観察してて自分でもキモい。

でも好きとは違うような。
あきくんとかなっつくんとかと違って、抱かれたいとか抱きたいとかそういうのでもないような。

どう思われているかなんて関係なくて、なにか接点がほしくて。
無駄に話しかけてはいつも空振りに終わっている。





 *





「毎度さまです」
「ご苦労様です!」

良かった。今日は岡崎がいない。
出てきた女の店員に安堵しながら伝票を差し出して検品を頼む。

気が緩んでほっと息を吐いたと同時に、店の奥から声が聞こえた。

「おい平井!お前昨日シンク磨いたのー!これで!」

聞き覚えのある声は、いつもより尖っていてキツい。
平井というのは目の前の女の店員の名前だったらしい。

「まだ途中です、すみません!」

彼女は気まずそうな顔で返事をした。

あとでやりなおせよー、という声を聞いて思わず俺は呟く。

「……偉そうに」

外部の人間にはへらへらしてるくせに、後輩にはデカい顔をしてるんだな。
本当に嫌なやつ。

すると平井と呼ばれた店員は俺の方を見て笑った。

「岡崎さんとお知り合いですか」

俺の独り言を親密な関係から出た軽口だと勘違いしたのだろう。口ごもる俺に、彼女は言った。

「厳しいけど、とっても尊敬できる先輩ですよ」

まさか。あいつが?とても信じられない。
どうせ女の子相手に媚を売って、この素直で健気そうな子の彼氏の座を狙っているとか、そんなところだろう。

反吐が出る。





 *





「あーなになに、今日森田さん来てたのかよ」

別件で納品書確認してたら、森田さんとこのがあってがっかりした。
俺、会ってない。

サインからすると平井が受けたらしい。

くそ。森田さんがちょっといい女だなとか思っちゃってたらどうすんだよ。
平井、素直で真面目だから森田さんのツボかもしんないのに。

長い前髪の下で、更に眼鏡に隠れた一重のキレイな目が俺を嫌そうに見るのを思い出して、切なくなる。

やっぱこれって恋?
だとして、勝率何パーくらいあんの?
だって今もう既にマイナススタートだろ。そんでなんとかプラスに持ってったとしても、そっからさらにホモに転向させなきゃとか。

ああ、ノンケ相手とかめんどくせえから嫌なのに。

「いやいや、そんなことより焼酎の納品数確認だよ俺しっかりしろもう開店30分前だっつの」

フリーターの俺だけど、ここで働き初めてもう2年ちょい。
他のバイトまとめたり新人教育したり、シフトによってはちらっと副店長みたいなこともしてみたり。

「平井!今日の予約確認しとけよー」
「あっ、はい」

森田さんの相手を横取りされた腹いせに、平井に渇を入れた。





 *





最悪だ。
よりによって職場の飲み会が、あの岡崎のいる居酒屋だとか。

俺はなんて運がないのだ。
人見知りだからただでさえ飲み会は憂鬱なのに。
早く帰って1人になりたい。



小上がりを貸し切って20人前後の飲み会になった。

酒に弱い俺は、端の方で割と仲の良い何人かでかたまって、ちびちびとカシスオレンジを飲んでいた。

「失礼します。お鍋お持ちしましたので、セット致しますねー」

来た。あいつだ。

俺の後ろにある引き戸を開けて入ってきたのは岡崎で、その後ろから別の2人が鍋を持って続いた。

会社の皆の前でこいつにいじられるのは地獄だと思った俺は、奴の視界に入らないように体を小さくしてひたすらカシスオレンジを見つめていた。

「鍋から湯気が出てきたら出来上がりです。ごゆっくりどうぞ」

岡崎がよく通る声でにこやかに説明をして、引き戸のある俺の方に戻ってきた。

緊張で手の平に汗をかいた。

岡崎は俺の脇に膝をつく。
無視をきめこむ俺に、岡崎は小さな声で言った。

「森田さん、いつもお世話になってます。ごゆっくり」

声の感じが節度を保っていて、それでいてまるい。

拍子抜けした俺がちらりと顔を窺った時にはもう岡崎は立ち上がりかけていて、視線は交わらなかった。

その横顔を見て少し驚く。

そんな優しい顔ができるのか。
それともそれは営業スマイルか。

腹の底では何を考えているのかわからない。
だけどとにかくほっとして、そこからは少し、カシスオレンジが美味しくなった。





 *





やばい。まじやばい。
森田さんが店で飲んでいる。

会社の飲み会らしく、大人数での宴会の中で、森田さんは端の方でつまらなそうに、居心地悪そうに、なんとカシオレを飲んでいる。

カシオレとか。
酒、弱いのかな。

今日も白いシャツだ。

もう少し時間が経ったら、もしかすると酔った森田さんを見られるかもしれない。

他のテーブルのオーダーミスとか気をつけなきゃ。
全然集中できねえ。





 *





飲み会の途中、トイレに立った。

店は繁盛していて、廊下はかなり騒がしい。
飲み会を楽しめるなんて幸せな人が、世の中にはたくさんいるものだ。

途中、慌ただしくテーブルを片付ける平井という女の店員を見かけた。
空のグラスや皿を乗せたトレイを持ってキッチンへ下がって行く。

そのテーブルの脇を足早に通り過ぎようとして足を止めたのは岡崎で、持っていた布巾でテーブルを拭き、メニューや小皿や割り箸をスムーズに手早くにセットしていった。

その鮮やかな手つきに自分も足を止めていたことに気づき、俺は慌ててその場を離れた。

その直前、客に呼ばれて「はい、お伺いします」と姿勢を低くして返事した岡崎は落ち着いた笑顔を浮かべていて、それは傷んだ髪にちっとも似合っていなかった。

あんなんで、仕事は真面目にこなすのか。
真面目、というか、器用に。
まあ、人間何かしらできることがあるものだ。特に感心するようなことじゃない。

小さな動揺を無かったことにして俺はトイレへ向かう。





 *





森田さんがトイレに行った。

キモい。
なに、俺。
恋する女子高生かよ。
仕事しながら、森田さんの気配だけ全身で感じようとしてる。

今日はいつもと違って、取引業者ではなく客と店員の立場だ。
他の人もいるし、馴れ馴れしくしたら迷惑がかかるかも。

それに、森田さんは職場の飲み会だからか、あんまりリラックスしてないみたい。
人と関わるのとか、煩わしいと思ってそうだ。

話しかけたくて仕方がないけど、俺が話しかけたら更にストレスをかけそう。

自分の存在の無意味さにちょっと寂しさを覚える。
軽口叩いて笑い合えるような関係に、どうしたら持っていけんの?

いい。とりあえず忘れよー。
忙しいし。
平井の仕事中途半端だし。
あとでヤキ入れなきゃだ。





 *





部長が締めの挨拶をしている。
やっと終わる、つまらない時間が。

俺はウーロン茶で最後の乾杯を終わらせた。



靴を履いて皆がゾロゾロと出ていく。

忘れ物がないかさらっと座敷をチェックしてから自分も靴を履いていると、その脇に岡崎がそっと立った。

「森田さん、お疲れさまです」
「……どうも」

今日は絡んでこないと思っていたのに。
もう疲れているから本当にやめてくれ。

短い返事に目一杯拒絶を詰め込んだ。

「森田さん」
「じゃ」

呼ばれたのを遮るようにして歩き出す。顔は見ない。

「待って森田さん。俺と、」

その声に懇願するような必死な響きがあって、俺は思わず顔を上げた。

目が合うと、その整った顔は一瞬驚いてからヘラリと笑った。
たくさん開いたピアスが目につく。

途端に、俺は顔を上げたことを後悔した。

嫌だ。
俺はこいつが嫌いだ。

「俺はあんたに用はない」

酔っていたんだろうか。言わなくていいことを口走る。

お前が何を言おうとしたのか知らないが、俺にはどうでもいいことだ。

すると岡崎は、真剣な顔をして自分のピアスを弄った。

「待って。俺のこと、見た目だけで判断しないで」

なんだそれは、と思う。

見た目で判断したから何だと言うのだ。
俺はお前と関係ないんだからどうだっていい。
なんでそんなことをお前に指図されなきゃならないんだ。
大体、見た目で判断されるような見た目なのが悪い。

腹が立って頭がガンガンしてきた頃、岡崎はなおも真剣な顔を保ったまま、ふざけたことを言い放った。

「森田さん、俺と、友達になってくれませんか」





 *





は?
意味がわかんない。
俺、何言ってんの。
森田さんの顔にもはっきり書いてある。
ポカン、て。



珍しく俺の目を見てはっきりと拒否ってきた森田さんをそのまま帰したくなかったし、例えマイナスがマイナスを呼んでいても反応してもらえたのが嬉しくて、咄嗟に出た言葉。

見た目はこんなだけど、ちゃんと中も見て、触って確かめてほしい。
結構、気が合うと思うんだけど。



それにしたって。
友達、だって。

俺が森田さんに望む関係はそんなんじゃなかったはずなのに。

ん?そんなんじゃなかったんだっけ。
何だっけ、森田さんて。



「俺バカだからよくわかんなかったんだけど、もしかしてこの気持ちって、すごい尊敬、とかそういうのかも」

言ってから照れて笑ったら、森田さんはすごく嫌そうな顔をして言った。

「あんたみたいに遊んでそうな人とか、あんたみたいに陰で俺みたいなやつのこと笑ってそうな人とか、俺はすごく苦手なんで。友達とか無理だから。それだって軽い冗談なんでしょ?前から言おうと思ってたんだ。からかうのはもうやめて下さい」





 *





言ってしまった。
普段ならぐっと堪えて無言でかわすところを。

人に意見をし慣れていない俺は、こういう時必要以上にキツい物言いになってしまう。

さすがに怒り出すかと思って身構えると、岡崎はまた真剣そうな顔をする。

「冗談ではないですよ。俺はマジ。まあ断られるような気はしてたけど」
「嘘だろ。俺のどこにそんな価値あると思ったのか知らないけど。金もないし、あんたにとっていいことなんか無いよ」

捨て台詞のつもりで言って去ろうとしたのに、岡崎は更に俺に近づく。
なんだか今度は人懐こい笑顔を浮かべている。手首まで掴まれた。気味が悪い。

「自分のことそんな風に言ったらダメ。森田さんってマイナス思考?」

放っておいてくれと思うけど、手を振り払えはしなかった。

「少なくとも俺にはすっごく魅力ある人に見えるよー。仲良くなりたい。ほんとにそう思ってんだ。だからね、アド交換して、森田さん」

岡崎の懐の深さを見た気がした。

俺はかなり失礼なことを言ったのに、それをさし置いて俺にくれた言葉には優しさが見え隠れしていた。

いや。
やっぱり酔っているだけかもしれない。

俺は仏頂面で自分の携帯を出した。

「うお!まじでか!いいのー?森田さん赤外線して!」
「……俺メールとかしないから」
「全然いいってそんなの」
「電話も出ないかも」
「はは、それ意味無くね」

まぁいいや、と言いながら岡崎はヘラヘラ笑って携帯を操作する。

「もうね、知ってるってだけでいいわー、うわすげ、やべえ俺キモい」

岡崎の気持ちがまるでわからない。
でも、どうせすぐ飽きるんだろうと思ったら少し気が楽になった。
既に連絡先を教えたことを後悔しかけていた俺は、そのまま足早に店を出た。

後ろから、森田さんまじありがとー、という岡崎の声が聞こえた。





 *





森田さんの気持ちがどう変化した結果かはわからないけど。

ゲットしてしまった。

森田さんの、ケー番と、メアドと。

下の名前。

森田、誠吾。
せいご、だって。
すげえ似合う。
誠の字が既に完璧。
誠実の、誠だ。

ごりごりに堅そうなノンケなんて、どうやって堕とせばいいの。
そんなの初体験なんですけど。

元ノンケのイケメン彼氏とイチャイチャし放題の、双子の友人をちらっと思い出した。

まあな、とりあえず、友達、だからな。
難しく考えるのやめよう。
ラッキーラッキーだ。
マイナス思考っぽいところも、真面目さの裏返しみたいでちょっといい。俺、そういうのフォローすんの得意だよ。
きっと、きっと気が合うと思うよ。


いつもより数倍優しく後輩を指導してやりながら、ちょっと幸せに浸った。






2013.1.10
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