姫は王子のもの。

選択授業が終わって友人と教室に戻りながら、本城はその日の放課後に姫野とデートをする約束を思い出した。気怠かった体があたたかいもので満たされる。
十中八九、甘いものを食べるだろうな。今日は暑そうだからパフェかアイスかな。
考えながら教室の前へ差し掛かった時、中から会いたくもない人間が出ていくのが見え、幸せな気持ちが一気に萎む。
向こうはこちらに背を向けていたので顔は見えなかったが、この学校にあんな銀髪は他にいないだろう。
本城は気持ちを落ち着けつつ教室に入った。

「本城くん」

席につくと、別の授業をとっていた野島が隣の席から声をかけてきた。

「1年生のタツキくんって知ってる?」
「あぁ……何かあった?」
「さっき本城くんを訪ねて来たよ。いないって言ったら、姫野先輩と仲いいんですねって、なんかニコニコしながら聞かれてうんて言ったら、本城先輩と友達だから今度一緒に遊びましょうねって」

吐き気がした。
姫野のことが気に入ったなら、なぜ直接アピールしないのだ。周りから固めていこうとするやり口が気に入らなかった。

「他には何も言ってなかった?野島、変なことされてないよね?」

見た目がかわいい男がタイプなら、野島も危ないと思った。

「ううん何も。……友達、じゃないの?」

野島は本城の態度から何かを感じたのか、不安そうな顔をした。

「いや、うん……あんまりよく知らない人なんだけど」
「そうなんだ……」

野島が真っ直ぐに見つめてくる。
日頃から野島は勘のいいところがあり、今もきっと多少気づいたことがあるのだろうと思ったので、本城も黙って見返した。

「僕、何でも協力するからね!」

眉間にシワを寄せながら珍しく強い口調で宣言する小柄な友人に、頼もしさを感じて微笑んだ。

その日の放課後、タツキはまた本城を訪ねてきた。本城は姫野を迎えに、もう教室を出るところだった。

「あ、本城先輩。もう帰っちゃうんですね」
「しつこいね。用があるなら今言える?なるべく短く端的に」

長身の金髪とそこそこ長身の銀髪が向かい合う光景は、若干注目を集めた。

「別に。仲良くしたいだけですけど」
「誰と?」
「誰とだと思います?」
「さあ。全然わからない」

2人の間に流れる冷たい空気に周りが侵食され始めた時。

「ああ、さっきの……タツキくんだっけ。どうしたの?本城くんは多分急いでると思うんだけど」

野島が間に入ってタツキを見上げた。わざとのんびりした声を出したのか、空気が少しだけ緩む。

「いえ、別に。じゃあまた今度」
「俺は別に話したくないけど」
「そうですか。寂しいな」
「思ってもないことを話すのが得意なんだね。感心する」
「心外ですけど」
「特技なんじゃないの」
「本城先輩もそういうの得意なんじゃないんですか」

2人の声は内容にそぐわず、やけに穏やかに響いて、聞く者を逆にぞわりとさせた。

「本城くん、ほらもう行かないと。タツキくんも、また今度ね」

野島が無理矢理2人を引き離す。
タツキは野島に軽く笑いかけてからその場を去った。

「ごめん。野島」
「ううん。本城くんは悪くないよ。なんかあの人、少し怖いね」

本城は、自分もタツキのことを多少怖がっているのだろうと思った。
話をしてもふらりとかわされ、向こうはぐいぐいこちらの領域に入ろうとする。暗黙のルールが通じない。
本城は野島に礼を言ってから、姫野の教室へ向かった。



「暑い」
「本当だね」
「イライラする。ほんとイライラするその金髪」

暑さへのイライラを地毛の金髪にぶつけられて、本城は苦笑する。
アイスクリームショップへ向かう途中。日差しが強い。
姫野の黒髪は熱をたっぷり吸収しそうだ。本城は歩きながら、自分よりずっと低いところにあるその頭を撫でた。

「本城の顔って暑苦しい」
「わぁ。ひどい」
「だって全然本城雪哉って名前みたいな顔じゃない」

確かに自分はハーフだが、姫野にそれを指摘されたのは初めてだった。本城の心はなぜか少し高揚する。

「じゃあ、なんて名前ならいいの?」
「……別に。別にどうでもいいけど」
「俺は姫野の名前すごく好きだよ。未琴の琴って響きが涼しい感じがしていいし。かわいい名前。姫野にぴったり」

姫野は無言で口を若干尖らせた。
照れてる。かわいい。俺の姫野。

「もし、姫野のこと好きだっていう人が現れて、俺とそいつが殴り合いのケンカになったらどうする?」
「見てる」
「止めないの?」
「止めない」
「どうして?」
「本城がどうやって勝つか見たいから」

本城は恋人のその言葉の意味を噛みしめた。

「俺が勝つと思う?」
「負けるの?俺がかかってるんでしょ?負けていいの?」
「よくない。全然」
「じゃあがんばってね」
「……うん。がんばる。だからちゃんと見ててね」

例え話のはずが、本城は思いの外言葉に力を込めてしまった。
姫野は眩しそうなしかめ面で本城を見上げてから、キャラメルリボンにナッツトッピングにしよう、と呟いた。

オープンカフェのパラソルの下でアイスを食べていると、姫野のクラスの中川と土屋が偶然通りかかった。
バンドをやっている中川とバスケ部の土屋。見た目で言えばこれ以上ないくらいチャラい組み合わせだった。

「中川おごって」
「嫌だよ」

2人は特に断りもなく姫野と本城の4人掛けの席に掛けながら言い合っている。

「じゃあ姫ひとくちくれ」
「え」
「はい、あーん」
「嫌だ。自分の買ってきて」
「ケチくせぇな」
「土屋、今日部活は?」

にべもなく間接キスを断られた土屋に、本城は聞く。

「今日体育館使えないから後で地区体行く」
「バレー部練習試合なんだって。あーピアス増やそっかなー」

中川はすでに2つ穴の開いた耳たぶを触る。隣から姫野がそこを覗き込んだ。

「痛くないの」
「一瞬だよ一瞬。ブチッと」
「本城の食わせて。何味?」

横から手が伸びて土屋が本城のアイスのカップをさらっていった。

「なんだっけ。なんかオレンジとレモンとか柑橘系の」

言いながら正面の姫野を見ると、彼は土屋が本城のアイスをスプーンですくうのを見ていた。
それから本城にしかめっ面を向けて睨んだ。

「あ」
「あ?あ」
「……あ」

小さく声をあげた本城に続き、本城の視線を追った他の2人も、その意味を悟って声をあげた。
自分のちょっとした嫉妬が顔に出てバレたことに気づいた姫野が焦って下を向き、それを見た他の3人が内心悶える。
その何とも形容し難い空気を破ったのは、のんきに間延びした声だった。

「本城せんぱーい」

本城は声のした方へは顔を向けず、咄嗟に姫野を呼んでしまった。

「姫野」

姫野は本城と本城を呼んだ声がした方とを見比べている。

「やっぱり本城先輩だ」

ニコニコと4人に近づく銀髪を、本城は無視した。

「いいな、アイス。俺もここで食べていいですか」

タツキは動じた様子もなく、吊り気味の目を細めて笑みながら言い募る。
本城以外の3人に、1年のタツキです、と言いながら最後に姫野へ視線を向けた。

「姫野先輩だ」

本城はタツキを見た。タツキの顔は無表情に近い。

「え」

知らない人間にいきなり名前を呼ばれて驚く姫野とタツキの視線が交わった。
その瞬間、タツキは首を傾げて優しげな目で姫野に笑いかけ、言った。

「先輩、本城先輩と付き合ってるんですか」

それを睨み付けながら、本城は立ち上がる。

「もう帰るとこだから」

本城の言葉に、姫野たち3人は戸惑いの表情を浮かべながらも後に続く。

「そうですか」

あっさり引き下がったタツキから引き離すように姫野の手を引き、背を向ける。

「本城先輩、やっぱり付き合ってる人いたんだ」

さして大きくはないがはっきり聞こえるように発音された言葉に、一番素早く振り返ったのは姫野だった。

「あいつ何なの?」
「なんか怖えな。本城つきまとわれてんの?」

その場から離れてすぐ土屋と中川が聞く。

「いや……」

あいつの狙いは姫野だと、今ここで中川たちに話すのはためらわれたし、何より実際につきまとわれているのは本城だったので、すぐには説明ができなかった。
斜め後ろを見ると、無言で手を引かれている姫野と目が合った。
タツキの意図するところが見え始め、本城は怒りで胃が熱くなるのを感じた。
本城に気があるふりをして姫野に近づこうとしている。それで姫野の不安を煽って付け入ろうという魂胆だろう。
あんなやつに引っ掻き回されてたまるか。
本城は歩くスピードを速めた。



 *



「なぁ中川、まじさっきの1年何だったんだろな」

土屋が言った。
姫たちとはすぐに別れた。事情は気になったけど、本城が話しづらそうだったので聞くのはやめた。
土屋が更に言う。

「本城すげぇ迷惑そうだったし。ストーカー?」
「なんだろね」
「俺たちも一緒にいたほうがよかったんじゃねえの?」
「土屋さ、姫と本城が手繋いでんのあんな近くで見たことある?」
「いや、初めてかも」
「なんでだと思う?」

土屋は物騒に見える目付きで俺をじっと見た。俺は自分でその問いに答える。

「いつもだったら、本城はともかく姫が照れて嫌がるからだと思うんだけど」
「ああ。そうかも」
「本城だってそういう姫が嫌がることは絶対しないと思う」

本城が隠れSなんじゃないかと思っている俺は、心の中で「みんなの前では」と付け足す。

「だな」

土屋は素直に頷いた。

「でも今日は姫が黙って手を引かれててさ。本城は静かにキレてるし」
「うん」
「今日はそれだけ2人とも動揺してたんだよきっと」

だから早く2人になったほうが良くない?誤解とかは早く晴らすに限んじゃん。
言うと、土屋は口を少し開けて頷いた。

「中川って頭いいな」
「知らなかったのか」
「人の気持ちわかるっつか。頭いいわけじゃなくて」
「そこ否定しなくていいって」

明日機会があったら、事情を聞いておこう。
姫が傷つくとこなんか、誰も見たくない。







何。さっきの。
誰、あいつ。
どういう意味。

『本城先輩、やっぱり付き合ってる人いたんだ』

聞きたいことはたくさんあって、胸が苦しかった。
でも、俺の手を握る力が痛いくらいに強くて、それは一向に弱まらない。振りほどいても離してもらえないと思えるくらいだ。
そのことに救われていた。
本城は何も言わずに俺の家の方へ向かっている。その背中を、俺は縋ってしまいそうな気持ちで見ていた。
そのまままっすぐ家へ向かうのかと思っていたら、本城は大型車の駐車場へ入っていく。うちまであと5分ほどの場所だ。
そこは重機のレンタル会社の駐車場で、同じロゴのついたクレーンやトラックが何台も停めてある。
人影はなかった。
本城は車と車の間に入って立ち止まり、俺の手を握ったまま振り向いた。
その顔が険しくて、俺は一瞬怯む。何か嫌なことを言われる気がした。

「姫野」
「……何」

手を放されてぞっとした次の瞬間、俺の体は本城に包まれた。

「あいつに何か言われても、絶対信じないで」

くぐもったような声は、本城の体から直接響いてくるようだった。背中に回された腕が痛いほどに俺を拘束する。

「何かって……何言ってくるの?」
「わかんない。わかんないけど」
「本城?」
「何か言われたら俺に確かめて。確かめるまで信じないで。約束して。お願い」

急に血が通ったからか手首から先の方がじんじんした。
2人の間に何があるのか知らされないまま本城がただ苦しそうで、俺は漠然とした不安を感じた。
もっと言葉が欲しかった。本城がもっとちゃんと言ってくれなきゃ、俺はあの言葉から逃れられそうもないのに。
『付き合ってる人いたんだ』
あれはどういう意味?

「そんなこと言われても……ねぇ何なの?」
「それから、あいつと2人にならないで。なりそうになったら逃げて。それで俺に連絡して」
「は?意味が」
「いいから!お願い……!」

こんな本城を見るのは初めてだ。いつも余裕があって穏やかで整然としていて。俺はそういう本城しか知らない。
何でそんなに焦ってるの?
俺は本城の腕から抜け出てその目を見上げた。

「ちゃんと言ってくれなきゃわかんない。何があったの?あいつ、本城のこと、好き、とか?」
「違う。俺じゃなくて……」

歯切れが悪い本城に痺れを切らし、ふざけた口調で言った。

「気をつけないと本城があっちに行っちゃうの?」
「そんなわけないだろ!」

大声を出され、呆気に取られてグレーの瞳を見返すと、その目が伏せられた。

「ごめん」

だんだん腹が立ってきた。煮え切らない本城の態度にも、あいつの思わせ振りな台詞にも。

「意味が全然わかんない。なんでそんなにイライラしてるの?その理由も俺には教えられないの?でもただあいつに気をつけてあいつの言葉を信じなきゃいいの?」
「ごめん。落ち着くから待って」
「別にいいよ明日で。俺もう帰るから」
「嫌だ、姫野、ちゃんと説明する、全部話すから、」
「今日はもう帰る」

背を向けると思い切り腕を引かれた。

「痛っ、ちょっと、」
「姫野!」
「うるさいなぁもう何なの?」

振り返って思わず言う。
本城が、俺の可愛いげのない言葉を聞いていつもみたいに苦笑いして、ごめんって言って強引にもう一度抱きしめてくれれば、俺は話を聞けたのに。素直に従ったのに。
俺が思いきり振り払ったせいで、本城は俺の手を放してしまった。
本城が申し訳なさそうな顔で躊躇したその一瞬、俺は本城を睨み付けて、背を向けた。
俺と本城の呼吸がバラバラで、それが少し寂しかった。

雨が降りそうだ。雨雲が、さっきまであんなに照っていた太陽を隠して、どんよりと暗くなってきた。
いつも本城を突き放して、わがままを言って、振りほどいて、わざとかわいくないことばかり言う。
本城はそんな俺の行くところに先回りして、抱き止めて、尚も逃げようとする俺に言う。
ねぇ姫野、好きだよ。
そうやって本城が受け入れるから、俺はこのままでそこにいられたのに。
本城があんな自信の無さそうな顔で俺を放したら、そしたら俺はどうすればいいの?
ぐるぐると考えながら俺は俯きがちに1人、家へと向かった。
本城が追いつけるように、わざとゆっくり歩いていた。

「姫野先輩」

いつの間に現れたのか、正面にさっきの銀髪が立っていた。
本城に言われたことを思い出す。
あいつと2人にならないで。逃げて。
それに抗いたい自分がいる。
何だって言うんだよ。こんなやつが。俺がこんなやつに負けるなんてあり得ない。
……少なくとも、本城への気持ちでは。

「そんなに警戒しないで下さいよ。本城先輩は?」

頬にポツ、と雨粒が触れた。

「誰なの?本城に何の用?」
「本城先輩って、優しいですか?」
「質問に答えて」
「俺にはあんまり優しくないんですよね……」

銀髪は俺に一歩近づく。

「本城の……何を知ってるの?」

俺は半歩後退る。
ポツ、ポツ、と雨が少しずつ頭を濡らしていく。

「姫野先輩、大事にされてます?」

不思議な目の色だ。優しそうな顔をしている。本城の言葉の意味を見失うくらい。
さっきもあった違和感を思い出して、姫野は相手のペースから抜け出す。

「なんで俺の名前を知ってるの」
「うちの学校で姫野先輩のこと知らないやつなんかいるかなぁ。女の子みたいにかわいい先輩がいるって噂で、実際見たら女の子よりかわいいと思いました」

姫野は寒気を覚える。

「からかわないで」
「からかってないですけど、本城先輩なんかやめませんか。俺の方が優しいですよ」

言っていることの意味がよくわからなかった。

「は……何を」
「えっちだって本城先輩は変態みたいでしょ?姫野先輩が嫌がることいっぱいしませんか?」

頭を殴られたみたいに目がちかちかした。どうしてそんなこと。
銀髪は、やっぱり、と言って笑った。

「姫野先輩。俺は達希。1年の、市井達希(いちいたつき)です。俺、本当は、」
「あ、いた!姫、こっちおいで。こっちこっち」

銀髪が今にも俺に触れそうな距離まで近づいた時、後ろから呼ばれて振り返ると、ボロボロのチャリに乗った中川と、その横に野島が立っていた。

「姫野くん、こっち来て!」

野島が珍しく怖い顔をしていて、俺はふと銀髪の顔を見た。
みんな少しずつ濡れている。
銀髪は、無表情で中川たちを見ていたけど、俺の視線に気付いて、呼んでますよ、と言って微笑んだ。
なんだろう、こいつは。何を考えているのか全くわからない。

「とにかく、本城をあんまり振り回さないでくれる?本城がイライラして俺にあたって面倒だから」

本城は俺のなんだから、とは言えなかった。本城の態度がおかしいから、俺にまで暗雲がたちこめている。
本当に腹立たしい。
たっぷりと見つめてから中川たちの方へ歩き出す。

「喧嘩しちゃったんですか。俺のせいだったり?」

背中にぶつけられた言葉にカチンときて振り向くと、想像とは違う優しげな顔が俺を見ている。
調子が狂うと思った時、俺と銀髪の間に野島が立ち塞がった。こちらに背を向けて、拳を握っている。

「姫野くんのことが好きなら、堂々と姫野くんと向き合ってよ。必要もないのにわざと人を傷つけるようなやり方は許せないよ。姫野くんと本城くんはすっごくお互いが好きで大事にし合ってるんだから」

野島が言った。震えた、それでも芯のある声で。
怒りを顕にする野島を初めて見た。
最初に言ったことの意味はよくわからなかった。だってこいつは本城を。
銀髪はびっくりした顔で野島を見ていたけど、野島が言い終わるとにこりと笑い、中川に一瞬視線を送った後で言った。

「そうですね、僕間違ってますね」

野島は拍子抜けしたのか、う、うん、と返事をした。

「じゃあそんなわけで俺ら行くから。1年は早くお帰りー」

中川が俺と野島を促す。

「姫野先輩、今度遊びましょうね、本城先輩も」

なおも言い募る銀髪を無視して、俺たちはその場を去った。



「土屋と別れたあと、姫たちのこと気になって本城に電話したらさ、今姫に逃げられたとこだって言うし。そんですげぇ落ちてるっぽかったから、俺が姫探すからお前は頭冷やせって言って、その辺にあった誰かのチャリ借りて走ってたら」
「それ盗んだって言うんじゃないの」
「後で返すから!そしたら野島に会って、2ケツで走ってたらすぐ姫が見つかったの」

中川が自転車を押して歩きながら俺の顔を見る。

「姫は勘違いしてるみたいだし、本城は自分でちゃんと説明するって言ってたけど、あの銀髪が気に入ってるのは姫だよ」

俺は驚いて中川と野島を交互に見た。野島は困り顔で少し笑った。

「そんで本城にいろいろ牽制したらしくてさ。さっき電話でさらっと聞いたけど。だから本城はあいつに苛立ってんだよ」

俺の胸に芽生えた感情は、安心だった。本城のイライラの原因や、銀髪が俺たちに近づいた理由がわかったから。

「本城に連絡してやんなよ」

中川に言われて、ふつふつと怒りが込み上げてきた。俺があんなよくわからないやつに惹かれるとでも思ったのか。
その時携帯が鳴り、見ると本城からの電話だった。

「出て」

中川に手渡す。

「え、何……本城じゃん。なんで」
「今話したくないって言って」
「うえぇ……もしもし本城?中川だけど。姫がさ」

中川が説明するのを聞きながら、野島がくすっと笑った。もういつもの大人しい顔に戻っていた。その横顔を見ていたら、野島がそれに気づいた。

「なんか少し本城くんかわいそう」
「俺だってかわいそうだし」
「そっかぁ。そうだね、大変だったよね。早く仲直りできるといいね」

野島がコロコロと笑う。
いつの間にか雨雲の隙間から光が差していた。







その翌日、遅刻ギリギリで教室に駆け込もうとした中川は、ドアの前で急ブレーキをかけた。

「……何この地獄絵図」

クラスメイトが抱き合ったり手を繋いだりして、みんなでそれを笑いながら見ている。当然男同士だ。キスをし出す者もいる。
異様なテンションが渦巻く光景に、中川は呆然と立ち尽くした。

「なかがわぁ」

気づいた阿部がクネクネしながら近づいてきて、中川はそれを避ける。

「みんなどうした……呪われたのか」
「違う違う!王子と姫ごっこだっつーの」
「は?」
「中川はいいものを見逃したよ。今日だけは余裕持って来るべきだったんだよ」

阿部が更に近づく。

「とにかく、ぎゅーっちゅーっ、だったんだってば。俺らもしようぜ。ぎゅーっ」
「やめろ」

抱きつく阿部を引き剥がして席に着くと、誰かに後ろから羽交い締めにされる。

「ぐぅ」
「……ごめん」

土屋の声だ。クラスのやつらがこちらを見てニヤニヤしている。

「ごめんね」
「なにが」
「昨日……ごめんね?」
「はぁ?」

机に伏せさせられて抱きしめられ、暑いし気持ち悪くて暴れる。体をひっくり返されて頭を固定された。すぐそばに土屋の顔がある。

「おい何なんだ」
「姫野、昨日ごめんね」
「姫野って、それ本城の真似か?あれ?そういえば姫は?」
「ばか野郎、姫は王子の元へ嫁いだに決まってんだろ」

土屋が言うと周りで、うえぃーと歓声が上がる。いやもう意味がわかんない。姫と本城の間に何が。

「や、めろ」
「逃げんな。キスだけだから」
「いやだぁ!」

全力で阻止したいが、体重をかけられているので不利だ。バスケ部で鍛えられた筋肉に心底腹が立つ。
中川は小声で最後の手段を使う。

「どうせ男にするなら野島にしてこいよ」

土屋は一瞬黙って視線を外した。いけるかと思ったのだが。

「じゃあ野島にするとこ想像してお前にしてみる」
「なんでだよ!」
「野島の唇は大事にするべきだろ、なんとなく」

先生土屋が気持ち悪いです!

「その組み合わせはちょっとチャラすぎる」
「くどい」

周りの笑い声に混じったそんな声を聞きながら、無理矢理唇を塞がれた。
意味がわからない。王子と姫ごっこって何。
どちらにしろ今日は俺の人生の黒歴史だ、と中川は思った。







姫野は、ぼうっとした頭のまま、本城に腕を引かれていた。そこに昨日のような荒々しさはなく、普段通りの本城の体温を感じた。
まだ、顔が熱い。
本城は屋上に向かっているようだった。

朝、姫野が教室に入ると、本城が教室に来ていた。阿部と話をしていたらしい本城は、姫野の姿を認めると笑顔を引っ込めてじっと見つめてきた。
姫野は多少の動揺を隠しつつ、自分の席にかばんを置いた。
教室には、クラスの4分の3ほどの顔触れが揃っていた。

「姫野」

本城に声をかけられ、なんだかとても懐かしいような気持ちになりながら、相手の出方を窺う。

「ごめんね」
「なにが」
「昨日のこと、ごめんね」

謝られて、いつものように意地っ張りが顔を出す。わざと返事もせずに、目も合わせなかった。
諦めて一度自分の教室に帰るだろうと思ったが、違った。

「姫野」

本城の声を、姫野は本城の腕の中で聞いた。
一瞬遅れて、そこが教室で公衆の面前だということに思い至る。周りがざわめくのを感じた。

「ちょっ!やめて!ばかじゃないの!」

本城を突き放そうと腕を突っ張ると軽くかわされ、次の瞬間キスをされていた。慌てて離れようとするも、本城ががっちり頭と肩を抱いていて動けない。
舌こそ入れられなかったもののそこそこ長いキスを受けて、姫野は恥ずかしさでどうにかなりそうだった。
一旦体を放されて、誰の顔も見られずただただ顔が熱くて、そんな中本城が微かに笑う声がして、優しく腕を取られ、そのまま2人で教室を出た。クラスメイトたちがどんな顔で自分たちを見ているかを気にする余裕はなかった。姫野は意地を張るような毒気を完全に抜かれていた。

屋上に出ると、晴天の下、風が吹いていた。
本城は壁際まで回り込み、姫野を座らせてから自分もその横に座った。体は完全に姫野の方を向いている。
姫野はそこで本城から、市井達希とどんなことがあったのかを聞いた。

「だから、なんか1人で勝手に焦ってたみたい。もう絶対1人になんかしないから」
「別に。大丈夫だけど……」
「でも、姫野をあいつに取られるとか思ってた訳じゃないよ。俺は姫野を誰にも譲る気ないから」
「……じゃあ何で」
「あいつが姫野に接触して、姫野がいらない傷を付けられたりするのが嫌だった。でもすごい接近してくるし。何考えてるのかわかんなくて気味が悪いし。だから焦った」

本城は姫野の髪を撫でた。その目に恥ずかしくなるくらい情熱が籠っていて、姫野はまともに見ることができない。

「でも姫野が俺のこと信じててくれれば、姫野は別に傷つかないよね。そう思ったらもう平気になった。友達もみんな、姫野のこと心配して協力してくれるしね」

本城は姫野に腕を伸ばして抱き寄せる。姫野はされるままになった。
やっと元通り。安心な腕の中。姫野は本城にばれないように、微かに笑んだ。
姫野の背中を本城の腕が支えて押し倒す。
姫野ははっとして起き上がろうとした。

「や、やだ、学校だし」
「たまによくない?すっごくしたい。今したい」
「いや、俺は嫌」
「お願い姫野。しよう?」

顔を背けようとしたが間に合わなかった。たくさんのキスが降ってきて、抵抗する気が少しずつ削がれていく。

「うわぁ、タイミング間違った」

他人の声で我に返り、姫野は焦って本城を押し退けようとした。本城は、声の主をちらっと見ただけでその存在を無視して姫野の体をまさぐり続ける。
姫野は必死で顔を動かしてそちらを見た。
屋上の扉の前で微笑む達希と目が合った。
姫野たちがいるところから5メートル程しか離れていない。

「いいなぁ、本城先輩は。姫野先輩とえっちなことできて」

信じられないことに、達希は立ち去る気配を見せなかった。扉に寄りかかってこちらを見ている。
本城も手を止めない。姫野は制服の前を開かれ、手首を固定されて舌を絡ませたキスをされ、まともに動くこともできなかった。

「いや……ん、ほん、じょう、や……やめて」
「見せてあげようよ」
「な、にを」

本城が姫野の耳に口を近づける。

「姫野と俺のセックス」

姫野は耳を疑った。ただ本城の息が少しだけ乱れていて、彼が本気で言っていることがわかる。
はだけた胸に手が這わされて、指が乳首を掠めた。

「いやっ……」

図らずも感じて声が出る。犯される。人が見ている前で、本城に。そう思った瞬間、姫野はぞくりと震えた。

「興奮してるの?見られて」
「あっ、あ」

本城が、姫野にだけ聞こえるように言う。姫野は理性が埋もれていくのを感じながら、それでも羞恥で涙が出た。

「泣かないで。気持ちよくしてあげるよ」

本城が囁いて、流れた涙を舌で掬った。

「えっろいなぁ、姫野先輩。すげぇ。生殺し。俺も交ざっていいですか」

達希の声は場違いなほど平和で、それが姫野の理性を引っ張り出す。

「やっ、やめて、ゆきっ」
「ゆきって呼ぶのは感じてる時だけだよね」

その理性を本城の舌や指がひきちぎっていく。
乳首の先を引っ掛きながら鎖骨をじゅっと吸われて、姫野は胸を反らした。

「あんっ」
「姫野先輩が感じやすい体質なんですか。それとも本城先輩が業師なんですか」
「ほら、見られてるよ、姫野のやらしい顔」

理性と欲望のせめぎ合いが加速する。わけがわからなくなった。乳首を熱い舌が這う。

「あっ!あぁ……はあっ」

本城の手が下に伸びて、下着の中で勃ちあがったそこに触れる。

「やだっ!だめ、やめて、もうやめて!」
「どうして?こんなになってるのに?」
「なんで……意地悪しないで……」
「かわいいよ。姫野。大好き」
「やばーい。姫野先輩まじでかわいい。本城先輩、ちょっとだけ交代しましょうよー」

本城が姫野の耳元で少し笑って、それからまた囁いた。

「姫野は俺だけのものだからね」
「じゃあもうっ、ぁ……やめて……見られるの、っ、イヤ……」
「嘘つき」
「あ゛ぁっ」

ベルトが外され隙間から入って来た手が、姫野のものに直に触れた。
姫野は恥ずかしくて本格的に嗚咽をこぼし始め、それでも自分の感度がいつもより高まっていることに気づく。

姫野のここ、ぬるぬるだよ。
見られるの、ほんとはすごくいいんでしょ?
好きだよ姫野。
感じるの?
もっと声聞かせてあげたら?
イくとこも見てもらったら?
淫乱。

姫野だけに届くように本城が囁き続け、姫野の迷いが焼き切れた。

「ああっ!ゆきぃ!もっとっ」

本城が乳首に歯を立てた。

「あーあ、だめだ。姫野先輩、俺のこと意識しなくなっちゃった。退散しよ。それにしても本城先輩は救いようのない変態ですね。姫野先輩かわいそう」

言い捨てたタツキを飲み込んでパタンと扉が閉まり、また2人になる。途端、姫野は本城に転がされ、うつ伏せにされた。

「早く姫野の中に入りたい」

本城が言う。姫野は思いきり体重をかけて無理矢理仰向けに戻った。

「ん?嫌?」
「……前から、して」

鼻をすすりながら姫野はやっとそれだけ言った。本城はくすっと笑って姫野の制服と下着を下ろす。
後ろを解されながらふと見ると、本城の背景がきれいな青空だった。

「まだ泣いてるの?」
「だって、酷い、あんなの……」
「興奮してたくせに」
「んんーっ、んー!」

指を増やされ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を子どものように大きく横に振った。

「あいつ大嫌いだけど、今日は役に立ったね」

本城は自分のものを取り出しながら言う。

「大好き。姫野。誰にも絶対に渡さないから」
「んああっ!!」

ずぐ、と腰が突き上げられる。すぐに引き抜かれ、また突かれる。

「ね、俺のものだよね」
「あっ!やぁ、やんっ、ああ!」
「どうなの?姫野は誰のもの?」
「ぃああっ待っ、っあ゛ぁ」

容赦なく打ち付けられて、本城の言葉が頭に入ってこない。

「感じすぎ。見られてたから?異常だね」
「あっ、ああっ」

思いきり脚を広げられて上から突き刺すように本城のものが挿入される。

「学校の屋上なのにこんな格好して」
「んっあっあぁんっ」
「さっきみたいに誰か上がってきたら見られちゃうよ。俺らのセックス」
「あーっ、やあっやだ、ん、ん、んっ」

揺すられながらまた涙が頬を伝う。
この屈辱が苦しいのか嬉しいのかも、もうわからない。
ただただ、もっと本城のそばにと願って手を伸ばして、本城の首を抱きながら必死に言葉を差し込む。

「っん、ゆき、の、もの、だから……俺……ああんっ!」

本城はそれを聞いて律動をさらに激しくした。部屋ですると耳につく結合の音は、屋上に吹く風の音に掻き消される。

「そうだ、そうだよ……っ…だからたくさん出してあげる」

本城の体がびくっと痙攣して、姫野より少し早く精を吐き出し、それを見て姫野も昇りつめた。
本城はすぐに姫野の体を拭き、制服を直して、姫野の隣に仰向けになった。姫野の右手が本城の左手に包まれる。
はあはあと、しばらくは2人ともただ息をしていた。
姫野は回らない頭で、もう授業始まってるな、と思った。
そこから連想ゲームのように、教室で本城にされたことや周囲のざわめき、さらに達希に見られたことまでを思い出して、思わずがばりと起き上がった。

「姫野?」
「……無理」
「え?」
「無理無理無理」

本城がゆっくり起き上がり、姫野の腰を抱いて顔を覗き込む。

「どうしたの?」

どうしたの、って。
姫野は本城を睨み付ける。

「明日から学校来られない」
「どうして?」
「あんなことされて恥ずかしくないと思う?!」
「あんなこと?」
「……教室で……」

ああ、と本城は笑う。そののんきな笑顔にイラつく。

「だってああでもしないと、姫野が俺の話聞いてくれないと思って」
「そんなことない」
「赤くなって、かわいかったよ」
「そういう問題じゃない」
「それに、姫野の友達はみんな優しいから大丈夫。からかったりしないよ」

本城は少し複雑な表情を浮かべた。

「市井に……見られたのは?」
「市井?」
「さっきの1年」
「ああ、あれ市井っていうの」
「市井達希って言ってた」
「ふぅん。だからイチか。あれも大丈夫だよ、多分言いふらしたりしない。けど」

本城は姫野の目を見た。

「すごく諦め悪そうだから、まだしばらく気をつけててね」

姫野は本城と目を合わせながら、そんなに心配ならずっと一緒にいてくれればいいのに、と思った。

「本城が守ってくれるんでしょ?」

本城は真剣な顔で、うん、と言った。
その顔を見て姫野は、また涙腺が緩むのを感じた。泣き癖がついたみたいで自分にイライラした。
市井みたいなやつのことで心配なんかしてほしくない。なんにも心配なことなんかないのに。俺が好きなのは本城なのに。
どんどん視界がぼやける。本城が心配そうな顔で姫野の体を抱き寄せて包み込んだ。
どうしたの、と問う本城に言う。

「昨日みたいに、俺を離したりしないで」

本当にごめんね、と囁いて強く抱きしめてくる腕の中は、自分だけがいていい場所だと姫野は思った。







昨日、人のいる屋上で姫野を抱きながら、本城は満たされていく自分を感じて怖くなった。
姫野を誰にも取られたくないという強い思いがありながら、もし万が一、姫野が他人に凌辱されているのを見つけたら、自分は憤怒とともにほんの僅かな興奮を覚えてしまうのではないか。
そういう自分の計り知れない欲望が、本城の最近の行動に迷いを生じさせていた。
あの日、姫野の手を離したのはわざとではない。が、力加減と意思にゆるみがなかったとは言い切れない気がした。そして、追いかけるのは簡単だったはずなのに、自分はそれをしなかった。
本城は自分が何を考えているのかわからなくなった。
姫野のこと、本当に本当に大好きで大切なのに。どうして全力で守ってやらなかったんだろう。
考え、悩みながら、本城は今日も姫野を迎えに行く。



「中川と土屋、喧嘩でもしたの?」
「いやぁ、喧嘩っつーか、痴話喧嘩?」
「誰と誰が痴話だ!お前、許さないからな……しばらくは許さないからな!」

姫野のクラスで、異様に土屋を避ける中川を見て土屋に聞くと、そのそばから中川が土屋に噛み付いた。

「中川が怒るなんて珍しいね」

本城が言うと、その中川の怒りの矛先が本城を捕らえた。

「半分は本城のせいだぞ!さっさと姫と新婚旅行にでも行けよ!」

理解できずに姫野を見ると姫野もこちらを見て、なぜか頬を染める。

「くっそ!姫も赤くなってんじゃねぇよ!いい!俺はもう帰る!」
「待てって。今日部活夜からだからそれまで一緒にいてやるから」
「っいらねぇよ!お前ばかじゃねえの!野島んとこ行けよ!」

物凄いやり取りをしながらなんだかんだで中川と土屋は2人揃って教室を出ていく。
それに続いて本城と姫野が廊下へ出ると、市井がいて2人は身構える。
それをかわして市井は中川を呼び止めた。

「中川先輩、ですよね。こないだはどうも」
「何。俺になんか用?」
「中川先輩もかっこよかったなと思って。目だけで俺を制した辺りキュンキュンしました」
「はぁ?」
「あ、俺、タチもネコもどっちもいけるんで、心配ないですよ」

中川の悲鳴を聞きながら、市井は後ろにいた姫野に笑顔で手を振り、去っていった。

「とりあえず……候補が何人かいるならちょっと安心だね」

呆気に取られながら呟いた本城と姫野の目には、俺は女の子が好きなんだと涙目で主張する中川と、それをニヤニヤしながら宥める土屋が映っていた。





-end-
9/19ページ
スキ