姫は王子のもの。

「本城」

学校の廊下で呼ばれて振り返ると、ニヤニヤ笑う中川と阿部が立っていた。

「もう姫に誘われた?」
「姫野に?何の話?」

中川と阿部は、ははぁん、と顔を見合わせて更にニヤける。

「まだ勇気が出ないのかねぇ。もう明日なのに。ほんとかわいいな姫って」
「ヤバいね。ほんと堪らんね」
「何のこと?」
「いやいや俺らが言ったら台無しだから。よろしくな!」

だから何が、という本城の疑問は、昼休みの雑踏に掻き消された。

その日の放課後、姫野と2人並んで下校する本城の胸には、中川たちの言葉が引っ掛かっていた。
それでも自分から姫野に聞くことはしない。
ヘソを曲げられると何かが台無しになるかもしれないし、何かに誘ってくれるらしい姫野を堪能したいからだ。
それにしても、何かってなんだろう。
今のところ姫野に変わった様子は見られない。本城はいつも通りに姫野の家に寄った。

姫野はゲームをしている。
たまに話しかけても上の空で画面に集中していた。
中川たちの勘違いかとも思ったが、本城は一応カマをかけてみることにした。

「姫野」
「……なに」
「明日」

ぴくりと動いた姫野の肩を、本城は見逃さなかった。やはり何かあるのだ。

「やっぱりいいや」

姫野はちらりと本城を窺うと、ふん、と小さく息を吐いてゲームの世界へ戻った。
放置してみよう、と本城は内心わくわくしながら姫野を見ていた。







「どうしよう……」

姫野は自室のベッドに倒れ込んで枕を抱き締めた。
本城はついさっき帰ったところで、姫野は本城がいる間、あることが気になって全くゲームに集中できなかった。
翌日の土曜日、中川のライブに行こうと誘いたかったのに、どうしてもその勇気が出なかったのだ。
なんでも、明日のライブのメインのバンドがそこそこ有名らしい。

「前座で4バンド出るんだけど、これに選ばれるのなんてすげえことなんだから」
と中川は自慢気だった。

だからお願い、姫も来て、と哀願され、土屋や阿部に本城も誘ってみんなで行こうと言われた。
余裕そうな顔をして「本城誘って2人で行くから」と言うと、周囲がざわついた。
阿部が「姫、本城のこと誘えんの?」と揶揄するように言い、それによって姫野の意地っ張りに火がついたのだった。

「でも誘えなかった……明日なのに……」

姫野は半分泣きそうになりながら、携帯を手にして本城の番号を表示させたまま、もう15分も迷っている。
もう他の予定を入れちゃったかもしれない。
断られたら立ち直れないし、明日中川たちに合わせる顔がない。
怖い。でも早くしないと。
ちょっとお腹が痛くなってきた。
姫野は、自分はいつからこんなに弱くなったんだとため息をついた。

その時、姫野の部屋の窓ガラスが微かに音をたてた気がした。
耳をすます。
また、カツンと小さな音がした。
姫野の部屋は2階なので、恐る恐るカーテンを開けて下を覗くと、そこには本城がいた。
急いで窓を開ける。
本城は笑みを浮かべてそんな姫野を見上げている。薄暗い中でも、本城の金髪はほわりと浮き上がって見えた。

「……どうしたの?」

嬉しくて、ぶっきらぼうな声が出た。

「顔、見たくなって」
「さっき帰ったばっかりでしょ」

言うと、本城は笑いながら頷いた。
俺が誘いそびれたのをわかってるみたいな気がする。姫野は切ないような気持ちになった。
少しの間、無言で見つめあった。
見上げる本城の穏やかな顔がとても綺麗に見えて、姫野は半分見とれていた。

「じゃあ、帰るね。姫野、好きだよ」

外から2階までちゃんと届く声ではっきり言ってから、本城は手を振って歩き出した。

「ゆき、待って!」

姫野は急いで部屋を出て階段を降りた。







姫野は急いで家から出て来て、本城の目の前で急ブレーキをかけた。
さっきと逆に、見上げてくるその大きな瞳の中では、いろんな感情が混ざりあっているようだ。
最初は勢いがあったのが、だんだん迷いが生まれはじめて、結局言葉にはならない。
挙げ句、姫野の第一声はこうだった。

「……窓に何ぶつけたの」

笑ってしまいそうになりながら、本城は手の平を広げて見せる。

「石だと傷つくかもしれないから」

それは小さくて黒い木の実で、姫野の家の生け垣に生っていたものだ。
姫野は興味なさげにそれをつまむと、適当にぽいっと投げた。

「わざわざ出てきてくれたの?」

早く。早く言って、姫野。

「だって……別に」

そっぽを向いた姫野に、まだダメかと内心苦笑しつつ、本城は姫野の手を取った。

「少し散歩しよっか」

そう言うと、姫野は素直について来た。
ごく薄い月が出ていた。
行き先は決めないまま、学校とは反対方向へと歩く。
姫野は少し後を、手を引かれたままついてくる。

「もし一緒に住めたら、このまま朝まで一緒にいられるのにね」

本城は前を向いたまま言った。
どうして、違う家に帰らなければならないんだろう。こんなに離れがたいのに。
時間が足りない。早く大人になりたい。姫野をもっともっと知りたい。
そんなことを考えていると、姫野の冷たい手が本城の手を強く握り返してきた。
振り返ると、恥ずかしそうに見上げる瞳と視線が交わった。
本城は手を離して、姫野を抱き締めた。

「かわいいね、姫野」

黒髪に鼻を埋めて言うと、姫野が小さな声で言う。

「……今日は帰って、それで、また明日会えばいいんだから」

本城は胸が熱くなるのを感じた。心臓が音をたてている。

「慰めてくれるんだ。ありがとう」
「……別に」
「食べちゃいたい」
「意味わかんない」
「ねえ」

本当に本当に、離れたくない。

「ねえ姫野、明日も会ってくれる?」

我慢できなくなって、本城はラストパスを出した。

「……明日」
「うん」
「……明日は」
「明日は?」
「明日は、用事がある」
「何?俺は一緒に行っちゃダメな場所?」

早く。姫野、早く言ってよ。

「……いいよ、別に」
「行っていいの?」
「いいんじゃないの。……中川のライブだし……みんな来るし」

本城は心の底からがっかりした。
2人で、じゃないんだ。
だから中川がよろしくとか言ってたのか。

「じゃあ、みんなで行くんだね。なんだ、そっか」
「ち、違う」

思わず口にすると、姫野が焦ったように顔を上げた。

「2人で行くの」

少し眉根をよせて見上げながら姫野が言った。
本城は穴が開くほど姫野を見つめた。

「……嫌ならいい」

明らかに落ち込んだ様子の恋人の脇の下に腕を入れ、本城は子どもを抱っこするようにしてお姫さまを抱き上げた。

「やっ!何してるの!」
「だってもう、かわいくて」
「降ろして!」
「嫌だよ。抱っこしてたい」
「ちょっと!」
「ああ。俺、今日は別々の家に帰ってもがんばれそう」
「頭おかしいんじゃないの!」
「おかしいかもね」

確かに、姫野が毎日こんなにかわいいから、気が狂ってもおかしくはない、と本城は思った。



ライブハウスはとても混んでいて、人とすれ違うのも苦労する程だった。
本城は、小さな姫野を守るようにして後ろから腕を回し、チケットカウンターからライブハウスの中へと入った。

「本城!」

呼ばれて顔を上げると、少し離れた場所で中川たちが手を振っていた。

「中川だ。行こう。あっち」

姫野の背では見えていないだろうと思って後ろから声をかけると、姫野はコクリと頷いた。
どさくさに紛れてその髪にキスをする。

「すごい人だね」
「もう嫌だ……」

近づいて本城と姫野が言うと、中川が頷く。

「インディーズでは結構有名な人たちだから。観て損はないよ。絶対。リハ観たけど、すげえかっこいい」
「中川たちのバンドも楽しみにしてるから」
「俺らはおまけみたいなもんだし。がんばるけど」

1つ目のバンドが始まったので、本城は姫野を連れて移動した。
なるべく姫野がステージを見やすそうな場所を探して、姫野を後ろから抱き込むようにして立った。
姫野は背中を本城に預けて真っ直ぐステージの方を向いている。

「見える?」

耳に口を近づけて聞くと、姫野はうんと頷いた。

「キスしていい?」

すべすべした頬を見ながら聞く。

「バカじゃないの」

姫野は顔を横に向けて本城を睨んだ。

「赤くなってる。耳」
「うるさい」
「ごめん。……危ないから、俺に寄りかかっててね」

姿勢を戻して姫野の頭を撫でる。
ふと見ると、少し離れた場所にいる土屋がこちらを見ていて目が合った。
土屋は隣の野島に何かを耳打ちし、野島もこちらを見て照れたように笑った。
冷やかされたらしい。
姫野はそのやり取りに全く気づいていない。意外にもライブに夢中だ。
少し前まで、人前でくっついたりするの、すごく嫌がってたのに。
少し慣れてきたのかな。俺の好き好き攻撃に。
俺も姫野に影響されて、姫野も俺に影響されて、そうしていたら、いつかひとつになっちゃったりして。
本城は思わず頬を緩めて、姫野を支える腕に力を込めた。

確かにトリのバンドのライブは圧巻だった。
音楽にさして興味のない本城でさえ引き付けられて、姫野は完全に目と耳を奪われていた。
本城が後ろから首筋にキスをしても気づかないほど集中していて、ライブが終わった時には放心状態だった。

「姫?本城、姫どうしたの?疲れちゃった?」

ぼんやりした姫野を見て、ライブを終えた中川が心配そうな顔をした。

「あのバンドのライブに感動しちゃったみたいだよ。中川のバンドもよかった」

本城が言うと、中川は本城を軽く睨んだ。

「本城は全然俺らのライブ観てなかったじゃん」
「観てたよ」
「嘘だ!ステージから見えた本城は姫になんか耳打ちしたり姫を撫でたりキスしたりするのに忙しそうだった!ギター弾きながらでもちゃんと見えるんだからな!」
「お前のその友達への嫉妬はなんとかなんねえの?」

土屋が呆れ顔で中川に言う。中川は拗ねたような顔をした。

「まあまあ、中川元気出せよ。本城と姫の間に入れるわけねえだろ?その代わり俺が抱いてやるから」
「やめろ!土屋キモい!彼女できたくせに!バカ!」
「俺にも嫉妬かよ、泣くなって」
「泣いてねえし」

中川と土屋のやり取りを黙って聞いていた姫野が突然中川へ向き直る。

「中川もあのくらいかっこよくなって」
「え、あのくらいって?トリのバンドのこと?」

姫野が頷く。

「なってって言われても、あんなのなかなかなれるもんじゃ…」
「そしたら彼女できるんじゃないの」
「姫、残酷…どっちもできる気がしねえよ…」

完全に落ちた中川を、かわいそうにと笑いながら土屋が抱き締めた。



「土屋、彼女できたんだね」
「……ふぅん」
「中川もかっこよかったよね」
「……ん」
「高校生にしてはうまいんじゃないのかなぁ、中川たちも」
「……知らない」

帰り道、並んで歩きながら話しかけるも、姫野はまだ静かな興奮から抜けきれていないようだった。

「もう。姫野、聞いてる?そんなによかった?あのバンド」

姫野はこくりと頷く。

「また行こうね。2人で」
「うん」

姫野は少し嬉しそうに言った。

「2人でだよ?」
「……?うん」
「また俺とくっついてぎゅってしてライブ観てくれる?」
「え?」
「ほっぺとか首とかにキスしながら観てもいい?」
「だっ!な、なに……」
「今日もずっと手繋いだり抱き締めたりキスしたりして観てたんだよ。姫野は気づかなかったけど」

姫野は目をまんまるに開けて本城を見上げたあと、みるみるうちに頬を膨らませて下を向いた。

「なに、勝手に……本城のバカ」
「恥ずかしいの?」
「違う」
「じゃあキスして」
「は?するわけないでしょ」
「姫野がずっと構ってくれなくて寂しかったんだよ。してよ」
「し、知らない!」
「ケチ」
「ケチってなに!」

勢いよく見上げてきた姫野の唇に本城は素早くキスをして、愛しさに思わず微笑んだ。
また、行こうね。ライブ。



「じゃあ、また」
「……ん」

姫野の家の前に着き、向かい合う。

「帰したくないなぁ」

やっぱり、離れたくない。本城は微笑みながら姫野の髪を撫でた。
すると、姫野が口を開く。

「……明日」
「明日?」
「明日も、会う…」
「会うって……俺と?」
「うん」
「…ありがとう。姫野」

姫野がたまに、すごく欲しい言葉をくれるのは、どうしてなんだろう。

「姫野」
「ん」
「今度……うちに来る?」
「本城の、家?」
「そう。来たこと、ないでしょ」

呼んだことがないだけだけど。
本城の胸が少しだけ痛んだ。
姫野は行きたいって言ったことがないけど、それはどうして?
特に興味がない?
それとも。

「来たい?」
「びっくりした」
「何に?」
「俺を…呼びたくないんだと思ってた」

姫野は本城の胸のあたりを見ながら言った。
半分は間違い。もう半分は、正解。

「今度。呼ぶね」

ちゃんと、そろそろ、ちゃんとしなきゃ。
本城は囁くように言ってから、姫野と明日のデートの約束をした。
もう少し待ってて。
姫野に胸を張れるように、姫野を守れるように、ちゃんとするから。
ちゃんと、考えてるから。
姫野の小さな手を握って、本城は決意を固めた。





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2013.3.2
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