姫は王子のもの。

「最近ね、姫野くんたちの教室に、よく市井くんが来てるって」

朝、席につくと同時に、隣から野島が話しかけてくる。

「土屋くんが言ってたよ。……大丈夫かな、姫野くん」

野島の声に比べると、気をつけるように言っておくよと応えた自分の声は他人事のようだな、と本城は思う。

「僕、市井くんに変なこと言っちゃったから」
「変なこと?何を?」

初耳だ。

「姫野くんが好きなら、無駄に他の人を傷付けてないで姫野くんと堂々と向き合いなさいって」

野島らしい。本城は穏やかな気持ちになる。

「それはとっても正論じゃない?」
「でも正論が正しいとは限らないし……」
「禅問答みたい」

本城が笑うと野島も笑った。

「そもそもあいつ、中川目当てかもしれないし」
「中川くん?そうなの?」

野島に生返事を返しながら、自分の欲望がもう後に引けないところまで来たような気がした。



「っ、…は、…」

自分の部屋で自慰をしながら思い浮かべるのは。

「……姫野…」

姫野だということに、以前から変わりはない。
ただ、想像する状況が違う。本城の頭の中で、姫野は手を伸ばしてくる。助けて、と言いながら。

『本城、ったす、けて、』

「ひめのっ……」

姫野が涙をこぼし出す。
かわいい。泣いてる姫野。

『やっ!やだ!本城助けて!……犯、される…』

市井の手が、知らない誰かの手が、姫野をめちゃくちゃに弄るところを想像すると、堪らなく興奮した。
本城のぺニスは先走りでぬちゅぬちゅと音をたてた。

『やだ!やめて!挿れないで!ひ……やあっ!!いやっ』

嫌がる姫野を誰かが押さえ付け、無理矢理挿入して激しく腰を振る。
はあはあという自分の呼吸と、姫野を犯す誰かの呼吸が重なる。

『だめ!中で、出しちゃ…うぅっ、だめ、だめぇっ…ああぁっ!』

嫌がる姫野は顔を背けて泣いている。

「っん…!…は、あぁ…」

顔射されて汚された姫野の顔を思い浮かべると同時に、本城はびくびくと射精した。
堪らなく興奮するのに、終わったあとは激しい罪悪感に襲われた。



「ここが全然、どうしたらいいかわかんない…」

姫野のベッドに凭れる本城の、その脚の間に座って本城に寄りかかる姫野は、ポータブルゲーム機でゲームをしている。
本城からは、姫野の後頭部とほっそりした首筋、その向こうのディスプレイが見える。

「阿部に聞いてみれば?」
「阿部はこれやってない」
「ふぅん」
「中川はやってるけど俺より進んでないし」
「ネットで調べたら?」
「嫌だ」

本城は姫野に付き合ってたまにやる以外はあまりゲームをしないので、姫野が何に困っているのかよくわからなかった。
そっと横顔を窺うと、大きな目が伏せられて憂いを帯びているように見える。ぷくっとした頬が更に膨らんでいて、唇は少しだけ開いていた。
今すぐ押し倒して犯したい。
ゲームしてるから待つけど。今はまだ。
本城は微笑んで体勢を戻す。
無意識になのか、たまに擦り寄ってくる体がいとおしくて堪らない。
暇なので、目の前の黒髪に顔を埋めて息を吸い込んだ。

「いい匂い」

くぐもった声で言うと、姫野が首を捩って逃げた。

「やだ、やめて」
「どうして?」
「嫌だから」
「いい匂いなのに。姫野の匂い」

今度は首筋にキスをする。最初は抵抗しなかった姫野も、3度、4度とちゅうちゅう音を立てられると流石に邪魔だったらしい。

「やめてってば」

本城はそれを無視して舌でつう、と舐めた。

「んっ…」

すぐにかわいい声を洩らす姫野から、そっとゲーム機を取り上げる。

「や、今…」
「俺とゲームとどっちが大事?」

取り上げたゲーム機を後ろのベッドの上に置き、姫野の耳に言葉を吹き込む。

「なに、言ってんの…」
「ねぇ姫野、どっち?」
「…知らない…」
「えー?酷くない?最低」

座って後ろから抱いたまま、本城は自分の硬くなったものを姫野の後ろにさりげなく押し当てた。

「んんっ」

姫野はそれに気付いたらしく、少し体を捻って後ろの本城を濡れた目で見上げた。

「何?」

本城は何もわからない振りをする。
姫野は目を逸らして本城の胸に擦り寄った。本城は何も言わず、更にものを擦り付ける。
ん、ん、と小さな声で喘ぐ姫野を醒めた目で見下ろすと、本城は姫野の体を放した。

「いいよ、ほら、ゲームの続きしなよ」

姫野は信じられないと言いたげな顔で見返してきた。それを受け流して携帯を取り出し、それに目を落とした。
姫野は本城を見つめたまましばらく動かなかった。本城は姫野に意識を集中しつつ、携帯を弄り続ける。

「…本城」
「んー?」
「……ねぇ」
「なに」
「…怒ったの…?」

笑みが浮かびそうになるのを堪えて、なおも視線を上げないでいると、姫野がそっと本城の手から携帯を奪った。
本城はやっと顔を上げてやる。

「なに」
「…本城が」
「俺が?」
「本城の方が…大事」

いつになったら姫野は俺の魂胆に気付くようになるのだろう、と本城は内心ほくそ笑む。

「本当?」
「うん」
「じゃあ、ごめんなさい、は?」

え、と言って見上げてくる姫野に、真面目くさった顔で繰り返してやる。

「酷いこと言ってごめんなさい、未琴は悪い子なのでお詫びに雪哉のおちんちんをいっぱい舐めます、は?」
「は…?」

途端に赤くなった姫野の手を、自分の股間に導く。
そこはずっと勃ち上がったままで、姫野に触れられてぴくりと反応した。

「ほら、早く言わないと許さないよ」
「やだ、待っ…舐める、から、」
「だめ。言わないと」

本城は姫野を床に座らせたまま、自分はベッドに掛けた。

「俺のを下着から出して」

姫野は本城を見上げてから、のろのろとジッパーを下げ、下着の隙間から本城のものを外に露出させた。

「言って。はい。酷いこと言ってごめんなさい、」
「…ひどいこと、言って、ごめんなさい…」

黒い髪を撫でる。

「未琴は悪い子なので」
「……俺は」
「ちがう。未琴は」
「………み、ことは」

壮絶だ。自分のことを名前で呼ぶ姫野は壮絶だ。
本城は姫野の両頬を片手で挟んでぷにぷにと弄り、逸らされた視線を自分に戻した。

「ちゃんと俺を見て。未琴は悪い子なので」
「…みことは、わるい子、なので」
「お詫びに雪哉のおちんちんをいっぱい舐めます」
「……おわびに…ゆき、の、お、…ちんち、ん、を……いっぱいなめます…」

はあ、と満足げなため息を洩らした本城は、どうぞ、と言いたげに後ろに手をついて姫野を見た。
姫野は本城の顔を見ず、その股間に顔を埋めた。

小さな口いっぱいに本城のものを頬張り、ちゅぷちゅぷと音を立てる姫野の頭を、本城はずっと撫でていた。
少し怒ったふりをしただけですぐにこんなに服従しちゃうんだから。本当、かわいい。
誰にでもそうなのかな。
そもそも姫野を怒るやつなんか滅多にいない。みんな姫野を甘やかすばっかりで。
苛めればこんなにかわいいのに。
そこまで考えて、本城はまた仄暗い空想に更ける。
俺じゃなくても、もし姫野を襲おうとするやつがSだったら、姫野は嫌々でも従うのかな。
キスさせろとか、股を開けとか、後ろ向けとか、しゃぶれとか。
本城は興奮して思わず姫野の喉の奥にぺニスを突き入れた。

「んぐ」
「っああ、いいよ…姫野の口」

前髪を掴むと姫野が怯えたように見上げてきたので、それに笑顔を返してから、また喉の奥を突く。
そのまま出し挿れを繰り返した。

「ぐ、う、ん、ん、ん、ぅ、」

苦しそうな声が堪らない。更に激しく喉を突き続ける。

「姫野、っ、出る、」

口から引き抜いてぺニスを姫野の顔に向けると、ぶちゅ、と白濁がその頬を濡らした。
自慰をした時の空想の、犯されて顔射された姫野と目の前の姫野が重なり、本城は達してなお激しく興奮した。
絞り出すように扱きながら、ぺニスの先端を姫野の顔に擦り付ける。

「ああ、姫野の顔、汚くなっちゃった」
「んっ、ゆき、ゆき、」
「どうしてほしい?」
「…キス、して」

姫野が言った言葉に少し驚いた。犯してとか触ってとか挿れてとか、直接的なことを言われると思っていたから。
顔をティッシュで拭いてやってから、丁寧にキスをすると、姫野は本城にしがみついてきた。

「本城、好き」
「…俺も。大好きだよ、姫野のこと」

姫野の不安げな言い方は何だろう。もしかすると俺の中のちょっとした変化に気付いたのだろうか。
ごめんね姫野。俺は自分でも何を考えてるのかわかんないよ。

「姫野の中に挿れていい?」

姫野はこくっと頷いた。



「なぁ本城、最近あいつエスカレートしてるよ?」

数日後、学校の廊下ですれ違った中川が、潜めた声で話しかけてきた。

「あいつ?」
「市井だよ市井。たつき?だっけ?」
「キスでもされたの?」
「……いや俺にじゃねえよ」

中川が言う。

「姫にさ、2人で遊ぼうとかうちに来いとか、とにかく毎日来るんだ。姫は毎回華麗にスルーしてるけど、今日遂に『本城先輩と別れて俺と付き合って下さい』って」
「ふぅん」
「ふぅんてお前、お前おい、大丈夫?」
「大丈夫だよ。俺は姫野を信じてるし」

一瞬納得したような感心したような顔をした中川が、いやいや、と首を横に振った。

「姫の心変わりを心配してる訳じゃなくて。市井がどんなやつかよく知らないけどさ、無理矢理とかそういうの、ないとは言い切れないと思って」

本城は中川を見つめた。
俺はそんなの絶対に嫌だけど、でもそれをすごく見てみたいんだよ。中川にはわからないだろうけど。
だって俺にもよくわからないから。

「ちなみに、俺と別れて市井と付き合うことについては姫野は何て返してた?」
「本城がそんなこと許すわけないでしょ、って」
「……なるほどね」
「……本城の笑顔ってたまに怖い」

中川にだけは俺の本性がバレてるかもしれないな、と本城は思った。

「きっと姫野も身の危険を感じたら俺の所に来るし、まぁ、姫野も男の子だからね」
「そうだけどさぁ。……うん、そうだよな。後は任せる。なんかお節介ばっかでごめんな」
「中川ってほんといいやつだね」
「だろ?そうなんだよ!俺ってそうなの!なんで彼女いないの?」
「彼氏がいるから?」
「いねえよ!」

それにしても市井は思っていたより本気だな、と本城は思った。
しばらくは静観しようと決めて、中川と別れた。

さらに数日後、本城の空想が現実になる日が来た。

「あれ、姫野は?」

迎えに行った教室に、姫野の姿がなかったため、中川や土屋に聞くも、誰もその行方を知らない。
そこへ、どこからか阿部が戻ってきた。教室に入り本城を見つけるなり、阿部が言う。

「あ、本城、姫がさらわれてったよ」

なぜか朗らかに言い放った阿部に、皆が一瞬黙る。一番反応が速かったのは中川だ。

「誰に?」
「あれあれ。いっつも来る1年」
「市井か?どこで?」
「トイレ出たとこ」
「どこに?」
「知らねえ」
「何か会話聞いてねえの?」
「全部は聞いてないけど、1年が、なんとかかんとか何もできないんですね、とか言ったら姫が黙ってついてったよ。修羅場なグフッ」

阿部の口を手で塞いだ中川が本城の方をちらりと見た。
きっと市井は姫野の性格をわかった上で挑発したのだ。
『姫野先輩は本城先輩がいないと何もできないんですね』とか。
そんなことを言われたら姫野は反発するに決まっている。やっぱり市井は思っていたより本気だ。
それに、と思う。
少し俺と似てる。



一緒に探すと言ってくれた中川たちを制して、本城は1人で校内を歩く。
心はしんとした静寂に包まれている。
もし姫野が市井に何かされていたとして、それを見つけたら自分はどう動くだろう。どう感じるだろう。
もし、もしも止めるより見る方を選んだら、姫野は俺に幻滅するだろうか。幻滅した姫野の顔はどんなだろう。
考えながら、空き教室やトイレを見て回った。
2人はどこにもいない。
残すは正解のみ。
本城は、一番可能性が高いと思って後回しにしていた場所へ向かった。







どうしても2人だけで話がしたいと言われた。
本城が待ってるし、と断りかけると、市井は、また本城、と呟いた。
本城を呼び捨てにしたのを聞き咎めて市井の顔を見上げたら、本城先輩がいないと何もできないんですね、と言われてカッとなって、市井について来てしまった。

「姫野先輩、本城先輩のどこが好き?」
「別に」
「本当に好きなんですか?」
「さあ」
「んー、つまんない。先輩、俺の話全然聞いてない」
「俺だってつまんない。もう帰る」
「本城先輩のところに?本当、姫野先輩は本城先輩にべったりですね」

市井は、べったり、のところにアクセントをつけて言った。ムッとして振り返ると、すぐ後ろに市井がいた。うっすらと香水みたいな匂いが漂った。

「前も聞いたけど、本城先輩優しいですか?優しいふりだと思ったこと、ないですか?」
「ない」
「ふーん。俺には本城先輩は怪しくて仕方ないように見えるけど」

市井は人の良さそうな顔で笑う。

「えっちが変態なのは否定しないんですよね」

言われて固まると、また笑う。

「別にヤったり見たりしたわけじゃないですよ。想像つきますよ、本城先輩の考えとか、やりそうなこととか」

俺には本城の考えてることはよくわからない。でもいつも優しくて、大事にしてくれる。
俺の知っているその本城だけが、俺の、本城。

「姫野先輩って、本城先輩としかえっちしたことない?」
「……なんでそんなことばっかり聞くの?恥ずかしくないの?」
「他の人とのえっちも知っておいた方が、本城先輩に飽きられなくて済むんじゃないかと思って」

飽きる。本城が、俺に。
市井を見た。相変わらず優しげな笑みを浮かべている。
その笑顔の裏で、市井が俺を引っかけようとしていることはわかっていた。それも全部流してやろうと思っていた。
でも最近、ごくごく最近、本城の様子がおかしい気がしていた俺は、その言葉に囚われてしまった。
突き放そうとしてるように感じる時がある。今までにもからかい半分でそうされることはあったけど、なにか、種類が違うような気がした。俯瞰で見られているような。
それが、もし飽きられたからなんだとしたら。
不安に襲われたその時、市井がふんわりと抱きしめてきた。

「先輩、不安なの?」
「や、めて」

押し返そうと俺は暴れる。香水の香りがきつくなった。嫌いな感じの匂いではなかった。
でも、全然好きじゃない。こんな匂い。

「先輩が俺に抱かれること、本城先輩も望んでるかもよ?」
「そんなわけ、ないっ、やめ、」
「姫野先輩、いい匂い」

市井は力が強かった。中々逃れられない。

「じゃあ、ヤキモチとか妬かれて、愛が深まっちゃうかも」
「ふざけんな、そんなの、いらない」

がっちりと抱かれたまま顔を覗き込まれる。

「姫野先輩が犯されるの見て、本城先輩は興奮しちゃうかも」

目が合う。嫌だ。嫌だ。嫌だ。本城以外となんて、絶対に。

「……何かしたら噛むから」

一瞬目を丸くした市井が笑った。次の瞬間、物凄い力で肩を掴まれて、俺は地面に倒れ込んだ。







誰かに触れられている姫野を見たいなんて一瞬でも思った自分を心から呪った。
実際は少しも客観的に見られなかった。
屋上の扉を開けて、市井が姫野を抱きすくめて顔を近づけているのを見た瞬間、頭に血が上って、気づいたら、引き剥がした姫野が転倒するような勢いで、市井を突き飛ばしていた。
俺は本当に、自分のことを何もわかっていなかった。最低だ。
本当に。
最低だ。
倒れてしまった姫野を抱き起こして立たせると、彼が短く何か言った。
え、と問うと、機嫌の悪そうな声で姫野は繰り返す。

「遅い」

ごめん、と言いながら、姫野としっかり手を繋ぐ。市井が、いってぇ、と言って起き上がるのを無視して屋上を後にする。
階下に戻り、薄暗い階段の脇で、しっかりと抱きしめ直す。
抱き慣れたその形や匂いに心の底から安堵を覚えて、本城は言葉を溢した。

「だめ……やっぱりだめだ」
「何が」
「姫野に、誰も触って欲しくない」

耳にキスをして、好きだよと言うと、姫野が、うん、と言った。
姫野がもっともっとちっちゃくなって、自分の腕の中にぴったり収まってしまえばいいと思った。

「姫野、ここにいて」

勝手な自分を差し置いて、情けない声が出るのにも構わず、哀願する。

「俺だけのものでいて」

応える姫野の声は、本城のそれよりもずっと落ち着いていた。

「俺のいるところはずっと変わってないでしょ。本城が何を心配してるのか、ぜんっぜん意味がわかんない」

ああ、そうだった、と本城は思った。
俺は姫野を追いかけて、姫野を捕まえて、それで自分の思い通りになってるように感じてたけど、それは違った。
姫野はいつも待ってたんだ。俺が追いかけて、姫野を捕まえるのを。もし追いかけるのが遅れたなら、その歩幅を狭めて。
姫野だって自分の意志で、俺の腕の中に帰っていたんだ。俺が捕まえていたなんて、傲りだった。
姫野は俺の望む通りになっていたけど、そういうことを姫野に望む俺こそが、姫野の欲しい俺だったんだ。
お互い様だ。お互いに、望む通りになっていたんだ。

「本城も変わらないでしょ?俺のそばにずっといるでしょ?」

少し拗ねたみたいな、でもちょっと不安げな姫野の顔を見て、本城は一瞬息を止めた。
すぐそばでその漆黒の瞳を見つめる。

「姫野の一番そばで、ずっと、姫野を守りたい」

本城はそこで深く息を吸ってから、腹を括った。

「でもその前に、聞いて欲しいことがあるんだ」



「本城先輩はてっきり、姫野先輩が犯されるのを見たいんだと思ってた」

後日、本城が市井を呼び出すと、市井は開口一番そう言った。
本城が突き飛ばした時に屋上のコンクリートで擦ったらしく、市井の腕には派手な擦り傷の痕があった。

「だからわざわざこの間と同じ屋上で待っててあげたのに、いきなりずどーんだし。まじで痛かったんだけど。まぁ、もう治るとこですけど」

市井は笑わない。
こっちが本性だろ。俺にはわかる。お前は俺と似ているから。

「期待させて悪かったけど、自業自得だと思ってよ。今度お前が姫野に触ったら、思いっきり殴っちゃうかもな」

本城はにこりと笑った。市井はやはり笑わない。

「手を出されたかったんじゃないんですか」
「実際見たら全然違った。想像してたのと。だからそういうことは二度と望まないことにした」
「…ふぅん。つまんね。……本城先輩、俺はね」

市井は目をすっと細める。猫のように。

「屋上で先輩が姫野先輩を襲ってんの見て、平静を装ってたけど、内心グツグツしてたんですよ」
「お前もそれで興奮するタイプだと思ってたけど」
「自分でもこんなに本気になると思わなかった。それだけが誤算」

市井はむすっとした顔のまま立ち去りかける。
その背中に本城はとどめの矢を放つ。

「あとさ。俺、姫野に全部話したよ。襲われるとこ見たいとか思ってたことも。それで謝った。そしたら許すって。だからそのことで姫野を揺すろうとしても無駄だからね」

市井は振り返って本城を見た。
その顔を見たかったんだ。へらへらしたお前のその、やられたって顔を。だからわざわざ大嫌いなお前を呼び出したんだ。
本城は優しく笑いかけてやる。

「……正気ですか。姫野先輩が傷付くの目に見えてるのに」
「まあ。黙っていればいいこと全部話して謝ったのは俺の自己満足だけど、俺と姫野はちゃんと心で繋がってるからね」
「本城先輩ってすげぇムカつく」
「俺もお前に同じこと思ってる」

市井はすっと感情を引っ込めて、まだ諦めませんから、と言って去って行った。
その背中に、中川は恋人募集中だよ、と言ったら、うっせー、と返事が返ってきた。



本城はあの日、深呼吸をしたあとで、姫野に自分の歪んだ欲望のことを話した。
もし自分以外の人間が姫野に触ったら、と想像したら興奮したこと。
でも実際に見るのは本当に最低の気分で、深く反省していること。
そして、これを話すことで、姫野に嫌われても仕方がないと思っていること。
それでも話したのは、自分の中にそういう部分があったことを隠したまま、これから先付き合ってはいけないと思ったからだということ。
姫野は表情を変えず、いつもの少しキツそうに見える強い瞳で、じっと本城の目を見返して来た。
そして口を開いた。

「それってすごい変態的な考え」
「そうだね」
「訳わかんない」
「…うん」
「しかも実際見たら受け入れられなかったとか、想像力足りない」
「…本当に」

言葉に反して姫野の顔は穏やかで、それがなぜなのか、本城にはわからない。

「…それで本城、最近変だったんだ」
「変だった?」
「変だった。いつも変だけどいつもよりもっと変だった」

姫野の声は珍しく明るい。

「姫野、怒らないの?」
「本城は俺のことが大好きなんでしょ。それだけでしょ」

それだけ、と言ってのけた恋人の顔を、本城は見つめる。

「エロい俺の顔とか想像してたんでしょ」

今度は軽蔑したような目で見られて、本城はいたたまれない気持ちになる。
そして姫野は、挑発的な顔をして、大きな強い目で本城を斜めに見て言った。

「許す」

姫野が本城の唇を一瞥し、それに誘われるように、本城は姫野に口付ける。

私は二度と履き違えません。
理想と空想を。
愛情と欲望を。
間違った道を歩まず、姫を守ることだけを胸に、姫のお側に。
そっと、控え目に、厳かに。
王子は姫に、誓いのキスをした。

姫野の部屋で、本城はまた、ベッドにもたれている。
その膝には、向かい合わせに姫野が跨がって、何度も何度もキスをしていた。
姫野の右手と本城の左手は恋人繋ぎで繋がれ、本城の右手は姫野の腰や背中を撫でる。姫野の左手は本城の肩や胸にそっと触れていて、時折きゅっと握られた。

「ねえ」
「ん?」
「エロい俺ってどんなの?」

本城は固まる。

「本城が考えてたエロい俺ってどんなのなの?」
「えっ、と…」
「俺よりエロいの?」
「うー…んと…」

ひたすら言葉につまる本城の手を取り、姫野は指を口に含んだ。
温かく濡れた口でちゅぱちゅぱと舐めながら、もう片方の手が服の上から本城のものをさわさわと撫でる。

「舐めてほしい?」

姫野の目にいつもと違う光を感じて本城は聞く。

「やっぱり怒ってる?」
「いいえ、全然」
「いてっ」

指先を噛まれた。

「でもなんか、自分に負けた感じがして悔しい」

本城を睨む姫野の髪はさらさらしていて、指ですくと気持ちがよかった。

「姫野、舐めて」

一瞬得意気な表情を浮かべた姫野を、本城は思い切り抱きしめた。







「よかったね」

野島が安心したような顔をして言う。
俺は、ん、と応えて、水につけた足で水中をじゃぶじゃぶと蹴った。
学校から家とは反対方向に行った場所に川があって、みんなでふらっと寄ったのだ。
野島には、俺が市井といたら本城が助けに来てくれて、いろいろとにかく全部大丈夫になった、と言った。野島はそれ以上何も聞かなかった。
俺と野島が座っているコンクリートブロックの向こうで、中川と土屋が水鉄砲で阿部に総攻撃を仕掛けている。阿部が必死で本城に助けを求めてるけど、本城は既に安全な所まで逃げ去っている。
薄情者。

「僕に話してくれたの、嬉しい」

野島はこっちが恥ずかしくなるような顔で笑った。

「迷惑かけた、から」
「そんなことないよ、僕なんか何もできなくて」
「野島も、なんか困ることあったら……言えば」
「うん。ありがとう」

野島もぱしゃぱしゃと水を蹴った。

「足、気持ちいい?」

本城が俺の隣に来て座る。

「もう、べちゃべちゃですよ……」

阿部が悲惨な姿で野島の隣に避難してきた。

「なんだよもう死んだのか」
「つまんねーな」

中川と土屋も水鉄砲を置いて近寄ってくる。

「めちゃくちゃ天気いいな」
「ね」
「きもちいねぇ」
「くそっ、カップルだ」
「中川撃ってくれば」
「届くならやったかも」

みんなで川の向こう側を歩いていく男女を眺める。

「明日休みだー!」

阿部が叫ぶ。明日は土曜日。

「明日ライブ!かわいい女の子が俺にキュンてなりますように!」

中川が叫ぶ。

「野島さー明日バスケの試合観に来いよ」

土屋が野島を見つめる目が本気っぽくて怖い。

「土屋くん明日試合なの?うん、行く」

野島があっさり乗って、土屋は下唇を噛んだ。笑いを噛み殺しているに違いない。気持ち悪い。

「明日、姫野の予定は?」

本城が俺に聞く。

「別に何も」
「家に遊びに行ってもいい?」
「だめ」

本城が首を傾げる。

「アイス食べに行く」

じゃあ俺も行く、と言うと、本城は素早く俺の口にキスをした。
逃げる暇がなかった。

「お」
「わぁ……」
「いいなぁいいなぁ!ちゅー!」
「お前らやめろよそやってみんなの前でイチャイチャしたら周りが影響されてふわふわして王子と姫ごっこ流行ってなんか知らねえけど俺が被害を受けるんだからなバカか撃つぞ水鉄砲で撃つぞコラァ!」

みんなの視線を堂々と受け止めてから、本城は俺に優しい笑顔を向けた。
やっぱり俺には本城の考えていることはわからない。
でも、これが俺の好きな本城。
俺が知っている、目の前のこの本城だけが、俺だけの、大好きな人。





-end-
10/19ページ
スキ