雨想

 深夜も深夜、人通りの少ない道でのみ、雨彦さんは手を繋ごうとしてくる。
 それは別に良いのだけど、冬だと「ホラ」と言ってポケットの中に誘導されるものだから、僕のひじは変な位置で固定されてしまう。これなら腕を組んだ方が恋人っぽいのではないかと思うが、僕らは指先の交わりだけで充分だった。
「ん? 今日はあたたかいな」
 ポケットの中で、僕の指先を遊びながら雨彦さんが言う。僕はにんまりと笑い、左手に持っているそれを掲げてみせた。
「ホッカイロですー」
「なるほどな」
 右手に雨彦さん、左手にホッカイロ。冬だけど、無敵だ。
 さっと、目の前を白いなにかが通り過ぎた。猫だ。この辺にはノラが数匹いる。黒いのと、白いのと、茶のまだら。白いのはとびきり人懐こいから、僕も数度おなかを撫でさせてもらったことがある。今日はご機嫌ななめなのか、家の隙間に入り込んで、こちらをキッと睨んできた。
「しろー」
「勝手に名前をつけちゃあいけないぜ」
「おりこうだろうから、あだ名だってわかってるよー」
 にゃあ。しろはひと鳴きして、家々のすきまにするりと入っていってしまった。宵闇の中で黄色の瞳が眩しかった。
「手を繋いでるところ、見られちゃいましたねー」
「猫のネットワークは広いからなあ」
 僕はホッカイロを振って、しろに別れを告げる。今度、僕らが手を繋いでいたことはどうか内密にと言うために、にぼしか何か持ってこようかな。ノラにあげてはまずいだろうか。
「さて、そろそろだな」
「つかのまの 逃避行かな 冬の空」
「はは、何から逃げてるんだろうな、俺たちは」
 それはきっと世間の目とか、喧騒とか。雨彦さんは、逢瀬のあと、僕を家まで送り届けてくれる。少し遠くに車を止めて、わざと裏道を通る、その時だけ手を繋ぐのだ。
 次はいつ繋げるだろう。マンションが見えてくる頃、ポケットから引き抜いた手に、ホッカイロを握りなおした。離れた温もりが恋しくならないように、早くあたためなければ。
「それじゃあ、おやすみ」
「ありがとうございましたー。おやすみなさいー」
 往来じゃ、キスのひとつもできない。しろにやったのと同じように、僕はホッカイロを振った。雨彦さんがするりと闇夜に消えていくのを見守っているあいだ、吐く息の白さが、特段濃い気がした。
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