雨想
基本は節約メニューの我が家でも、「もういいや!」となることはある。
僕が表紙を飾る雑誌の発売日ともなれば、雨彦さんは「お祝いしよう」としきりに言って聞かない。これからそんなのいくらでも出るんだから、毎度毎度祝ってたらキリないでしょー、と言っても、「祝いたいんだ」と微笑まれちゃ、それ以上は口を噤むことしか出来なかった。
「で、お寿司ってわけー?」
「出前じゃなくてスーパーのパックで我慢したんだ、節約だろ?」
「そりゃまあ、そうですけどー」
雨彦さんはお寿司に醤油をかけながら、ほら、好きなのをとりな、と僕を急かす。二人で揃えた食器、箸、コップ。おなかがぐうと鳴ったので、仕方なく、という風を装ってサーモンをとった。雨彦さんはイクラに手を伸ばす。
「いただきます」
たまに食べるお寿司は、やっぱり美味しい。この程度で満足できるなんて随分安上がりかもしれない。いつか回らない寿司屋に雨彦さんを連れて行って奢ってやるんだ、と企みながらガリを摘まんだ。あまずっぱさに目が細まる。
「北村が飲めるようになったら、日本酒を酌み交わそうな」
「楽しみだなー」
雨彦さんは一人で発泡酒を開けていた。僕のお仕事のお祝いにかこつけて飲みたいだけだったんじゃない? と言いたいところをぐっとこらえる。いいんだ、今日は、笑顔で食卓を囲めれば。
十一月も後半となれば、空気はぐっと冷える。ついこの間まで半袖だった気がするのに、どうして急にこんなに寒くなるのだろうか。夏と秋の間にグラデーションはあったはずだ、秋と冬の境目がわからない。今日は「もういいや!」の日だったのでついに暖房をつけてしまった。冬到来、そろそろ僕の誕生日。その日は何を食べるのだろう。クリスさんが張り切っているのなら、またお寿司になったりして。
「いつか」
「なあにー?」
「いつか、毎日寿司が食えるようになるといいな」
「……雨彦さん、そんなにお寿司好きだったっけー?」
何を言いたいのかわかるけれど、例えがあんまりだったから、つい笑ってしまった。それじゃあただの食いしん坊だ。
「そうじゃなくて」
「わかってるよー。毎日お祝いしよー? たくさん、たくさん、お仕事して」
「……ああ。たくさん」
その頃には僕もお酒を飲めているだろうから、きっと何度も乾杯するのだろう。おめでとう、まだまだ歩んでいこう、と言いながら、明るい未来に対して。
酔っぱらったのか、少し顔を赤らめた雨彦さんは、陽気に鼻唄を唄いだした。めずらしいな、これもお寿司パワーかな。「もういいや!」の日だから、今日は何をしたって良いのだ。僕はその鼻唄に鼻唄を重ねた。二重のハミングが部屋を満たす。賑やかさで寒さなど消えてしまえばいい。
外から聞こえていた雨音は、いつのまにか止んでいた。明日は晴れると良いな。冬の寒さは辛くもあるけれど、そのツンとした空気は好きだ。凛とした季節。人の温もりを感じる季節。
「ねえ、雨彦さん。僕、秋と冬の間に生まれたんだねー」
「おっと、その先は誕生日に聞かせちゃくれないかい。ちゃんとプレゼントも用意してあるんだ」
雨彦さんの大きな手が僕を撫でる。そうしてまた奏でられる、二重のハミング。
もういいやの日。小さな乾杯。積み重なっていく幸せをたっぷり味わって、僕は大満足だった。
僕が表紙を飾る雑誌の発売日ともなれば、雨彦さんは「お祝いしよう」としきりに言って聞かない。これからそんなのいくらでも出るんだから、毎度毎度祝ってたらキリないでしょー、と言っても、「祝いたいんだ」と微笑まれちゃ、それ以上は口を噤むことしか出来なかった。
「で、お寿司ってわけー?」
「出前じゃなくてスーパーのパックで我慢したんだ、節約だろ?」
「そりゃまあ、そうですけどー」
雨彦さんはお寿司に醤油をかけながら、ほら、好きなのをとりな、と僕を急かす。二人で揃えた食器、箸、コップ。おなかがぐうと鳴ったので、仕方なく、という風を装ってサーモンをとった。雨彦さんはイクラに手を伸ばす。
「いただきます」
たまに食べるお寿司は、やっぱり美味しい。この程度で満足できるなんて随分安上がりかもしれない。いつか回らない寿司屋に雨彦さんを連れて行って奢ってやるんだ、と企みながらガリを摘まんだ。あまずっぱさに目が細まる。
「北村が飲めるようになったら、日本酒を酌み交わそうな」
「楽しみだなー」
雨彦さんは一人で発泡酒を開けていた。僕のお仕事のお祝いにかこつけて飲みたいだけだったんじゃない? と言いたいところをぐっとこらえる。いいんだ、今日は、笑顔で食卓を囲めれば。
十一月も後半となれば、空気はぐっと冷える。ついこの間まで半袖だった気がするのに、どうして急にこんなに寒くなるのだろうか。夏と秋の間にグラデーションはあったはずだ、秋と冬の境目がわからない。今日は「もういいや!」の日だったのでついに暖房をつけてしまった。冬到来、そろそろ僕の誕生日。その日は何を食べるのだろう。クリスさんが張り切っているのなら、またお寿司になったりして。
「いつか」
「なあにー?」
「いつか、毎日寿司が食えるようになるといいな」
「……雨彦さん、そんなにお寿司好きだったっけー?」
何を言いたいのかわかるけれど、例えがあんまりだったから、つい笑ってしまった。それじゃあただの食いしん坊だ。
「そうじゃなくて」
「わかってるよー。毎日お祝いしよー? たくさん、たくさん、お仕事して」
「……ああ。たくさん」
その頃には僕もお酒を飲めているだろうから、きっと何度も乾杯するのだろう。おめでとう、まだまだ歩んでいこう、と言いながら、明るい未来に対して。
酔っぱらったのか、少し顔を赤らめた雨彦さんは、陽気に鼻唄を唄いだした。めずらしいな、これもお寿司パワーかな。「もういいや!」の日だから、今日は何をしたって良いのだ。僕はその鼻唄に鼻唄を重ねた。二重のハミングが部屋を満たす。賑やかさで寒さなど消えてしまえばいい。
外から聞こえていた雨音は、いつのまにか止んでいた。明日は晴れると良いな。冬の寒さは辛くもあるけれど、そのツンとした空気は好きだ。凛とした季節。人の温もりを感じる季節。
「ねえ、雨彦さん。僕、秋と冬の間に生まれたんだねー」
「おっと、その先は誕生日に聞かせちゃくれないかい。ちゃんとプレゼントも用意してあるんだ」
雨彦さんの大きな手が僕を撫でる。そうしてまた奏でられる、二重のハミング。
もういいやの日。小さな乾杯。積み重なっていく幸せをたっぷり味わって、僕は大満足だった。
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