雨想

 本当にただ、なんとなくだけれど。爪を紫色に塗った。
 仕事からの帰り道でドラッグストアに寄った時、爪のケア用品を見ていたんだった。やすりを手に取った瞬間、ちらりと視界の中に入ってきたネイルポリッシュたちのなかに、その紫色はぽつんといた。
 明日が一日オフだから塗ったにすぎない。一日も経たずに落としてしまう。自分でも何でこんなことをしているのかはわからないけれど、なんとなく、駅前に花屋ができたせいだろうな、とは思っている。
 ひまわりが高々と咲いていた。夏の風物詩、と黒板を用いた看板に絵が描かれていた。駅前の花屋でひまわりを買う人生。楽し気ではないか。なんとなく、それに対抗したくなったのだ。
 ネイルポリッシュの名前はなんたらバイオレットというものだった。バイオレット、すみれ。すみれって確か、先天的に香りを感じられない人がいたはずだ。
 花の香りの一種類が、生まれつき嗅ぎ取れない人。そういった人は、駅前の花屋でひまわりを買うだろうか。僕は雨彦さんに、紫色の爪でLINKを送った。
「明日会えませんかー? いつもと違うところがひとつあるよー」
 誰に見せるためでもないのに、やっぱり見てもらいたいだなんて。女性たちの心理が少しわかった気がする。
 僕は部屋の電気を消し、ベッドに入った。布団の中でスマホを弄る。軽快な音楽を流してみる。睡眠導入にはいささかうるさかった。紫色の爪が画面を滑る。
「会おうか」
 ぽこん、と通知が届いた。たったその一言だけに、僕の胸は熱くなる。どうせすぐにばれてしまう秘密だけれど、彼はこの爪を見つけた時に何と言ってくれるだろうか。僕が紫に囚われているのは、あなたの瞳の色のせいだよ、とは教えてやらない。
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