雨想

 身長しかり、靴のサイズだって結構大きい方だ――と、思う。左右に立つ者が異様なだけで。
 僕は玄関で今日の靴を考えあぐねていた。小雨となると、スニーカーは避けた方がいいだろう。撥水加工のあるローファーにするか、それともいっそレインシューズにするか。
 レインシューズは、梅雨に向けて最近購入したばかりのものだった。つやつやと光る黒、爪先の丸み。ショートブーツの形で、歩くとがぽがぽする。指の関節がすこし擦れるような感覚があるが、もう一サイズ小さいのは窮屈だったから仕方ない。
 予報では雨は一日降る。ならば、うん、レインシューズで行こう。とっておきをおろすというのはどこかワクワクする。広げた靴たちを靴箱に収め、カバンを持ってドアを開けた。世界が広がったと同時に雨の音が耳に入ってくる。やはり部屋の中というのは世界から遮断されているのだ。
 梅雨限定の和菓子があると知って、覗きに行くつもりだった。あとは、梅雨の期間家に籠って読む用の本。雨の日のカフェや図書館も好きだが、持っていくまでに本が濡れてしまう可能性がある。ああだけど、このレインシューズは使いたい。カフェの探索もしてしまおうか。
 雨粒は金平糖のように空から落ちて来て、その気まぐれさを傘で受け止める。六月の色をした空は雲に陽が混じって眩しくて、思わずめをほそめた。日焼け止めを塗ってくるのを忘れたことを思い出す。この折り畳み傘は晴雨兼用だから、まあいいか。
 レインシューズを鳴らして歩いていると、首から下げていたスマホが震えた。手に取るとそれはLINKではなく電話で、あわてて耳元にスマホを運ぶ。
「もしもしー?」
「北村、俺だ。いま大丈夫か」
「散歩中だけど、大丈夫だよー」
「はは、雨の日に散歩とはお前さんらしい」
 からからと笑う彼の声色に合わせて、足取りが軽くなる。散歩だなんて言ってないのに、お見通し。彼の方に雨の音は届いているだろうか。車が横を通り過ぎて、生ぬるい風が僕を包んだ。
「仕事が早く終わってな。家の用事もないし、久方ぶりのポッカリ空いた時間というわけだ」
「そのポッカリを埋めたくて、僕に電話してきたのー?」
「ご名答。ポッカリを埋めちゃくれないかい?」
 都合のいい人と思われていたら心外だけれど、違うことは知っているから、言わない。少しでも空いた時間を僕に使ってくれようとしているのだ。先日僕が、「これって、付き合ってるって言えるのかなー?」と呟いたから。
 文句や我儘のつもりはなかった。ただたんに、あまり自分達は世間で言う恋人らしくはないな、と思っただけなのだ。いつでも一緒にいて、デートを重ねて、寝る前に電話する、なんていうのは、一人の時間を謳歌する僕らとは程遠い。だから、果たして僕らは恋人なのだろうか? という、至極真っ当な疑問が口をついてしまった。僕は少し慌てて、「嫌ってわけじゃないけどー」と付け足したけれど、雨彦さんの耳にその言葉が届いていたかは知らない。
「あのねー、雨彦さん。無理に僕と会おうとしなくてもいいんだよー」
「恋人の我儘は聞けないかい?」
「はぐらかさないでー」
「はは、無理なんてしてないさ。ただ雨の音を聞くと、傘をさしてるお前さんが見たいな、と思うだけだ」
 変なのー、と返しながら、その気持ちは少しわかる、と思った。僕も、傘をさしている雨彦さんを見るのが好きだ。自分一人の結界を持っているようで、周りの景色が滲んで。
「北村はどこに行くつもりだった?」
「和菓子屋さんと、本屋さんだよー」
「ご一緒しても?」
「構わないよー」
 恋人の我儘、なら仕方ない。僕らは待ち合わせ場所を指定して、電話を切った。さて、時間を潰すカフェを探さないといけない。
「……結界、かあ」
 持ち運べるタイプの結界。パーソナルスペースとはちょっと違う、傘の中の、ほんの少しの空間。雨粒の金平糖が侵入できない、太陽が少し翳るところ。
 そこに入る権利を、僕は持っている。
 駅近のドトールに空席を見つけ、温かい紅茶を頼んだ。僕の持つ結界は折り畳まれ、足元に置いている。金平糖が床に散らばってしまうが許して欲しい。
 和菓子屋さんに行って、本屋さんに行って。雨の日のちょっとした散歩のつもりが、レインシューズが喜ぶようなデートコースとなった。こんなものをデートと呼べるかはわからないけれど、ちょっとだけ、恋人として浮かれたっていいじゃないか。
 指先をあたためながら、僕は恋人が来るのを待つ。レインシューズの中で指先が擦れて、雨彦さんのポッカリを埋められる喜びの痛みみたいに思えた。
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