その他
ドラマの撮影が、うまくいかなかった。
俺が号泣するシーンを1カットで撮らなければならなかったのだが、うまく泣けず、泣けても「その泣き方じゃない」とリテイクを繰り返され、そのまま目が腫れ顔がむくみ、後日撮り直しとなってしまったのだった。
非常に悔しく思う。まだ感情の繊細なコントロールが苦手だ。ただ泣けばいいのではない。俺はもうその段階にはいない。
はあ、と溜息をこぼしながら、いや、溜息をこぼしているところなんて誰かに見られてはいけない、と姿勢を正した。俺はアイドルだ、いつだって輝いていないと。
しかしどうにも沈んだ気分は晴れず、まっすぐ帰る気にはなれなかった。少し、遠回りをして帰ろう。俺は錦糸町で電車を降りる。曇り空は重たく、今にも雨が降ってきそうだった。
昨日はダンスレッスンの調子が悪かった。昔よりも身体の動かし方はわかったつもりでいても、円城寺さんやアイツに遅れをとると焦ってしまう。無理をして怪我をするのもよくないけれど、少しでも早く上達したかった。食欲は沸かず、アイツにふっかけられた大食い競争でも、アイツよりラーメンを食えなかった。円城寺さんに「めずらしいな」と言われた時、肩がすくむ思いだった。
ああ、雨が降りそうだ。リュックサックから折り畳み傘を取り出しながらふらふらと歩いていると、賑やかなメロディが耳に届く。
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。ざりざりのアナウンスと、豪快な音楽。「呼び込み君」と呼ばれるやつだ。妙に耳に残るこの曲。驚安の殿堂、ドン・キホーテが、目の前にあった。
黄色と黒の看板の下で、俺は少し意識が遠のいた。店の威圧感というか、生命力に。ここにいる人間はみな少しでも安いものを求めていて、店員はめまぐるしく対応していて、店自体が生き物みたいだった。俺という存在の場違い感。溜息も引っ込んでしまう。
焼き芋が売っていたら買いたいな、と思って店頭を見渡すと、ぽつりと青い影が見えた。人形か? 落とし物だったら店員に届けないと、と近付く。見てみると、それは青い丸い身体に赤い帽子を被ったペンギン――ドンペンさんだった。
「落とし物か? かわいそうに……」
手に取ろうとした瞬間、その物体が微かに動く。ドンペンさんはゆっくりと身体を起こし、俺と目を合わせた。間違いない、ドン・キホーテの公式マスコットキャラクター、ドンペンさんだ。
「どうしたんだドンペンさん。たしかドンペンさんは身長98cmのはずだ、こんなに小さくなっちまって」
ドンペンさんはふるふると顔を振った。今のドンペンさんは両手に納まるくらいのサイズだ。
「……どこか行きたいのか? 雨が降りそうだぞ」
ドンペンさんは空を見上げる。言ってる合間にも、雫が額に当たりだした。冬の雨は寒い。俺は折り畳み傘をさした。
ドンペンさんはそっと、俺の足元にやってきて、ズボンの裾をひっぱった。俺は彼が何を言いたいのか必死に汲み取る。呼び込み君の喧騒も今だけは聞こえなかった。
「……もしかして、家出か?」
こくり、と頷かれ、俺は途方にくれてしまった。この雨の中、ドンペンさんを放っておけるわけがない。
「よければ、うちに来るか? もてなせるようなもん、ないけど……」
ドンペンさんは少しだけなにかを考えて、もう一度こくりと頷いた。目を覗き込んでも、彼が何を考えているのかはわからなかった。けれど、言ってしまえばちょうどよかった。俺もひとりの家に帰りたくなかったのだ。
ドンペンさんにリュックサックの中に隠れて貰って、焼き芋を買った。ドン・キホーテから俺の家まで、二人で焼き芋を半分こして食べながら歩いた。ほくほくと甘い芋は身体を芯からあたためてくれて、冬の雨のなかでも足取りが軽くなった。一人で食べるよりずっとうまい。ドンペンさんも嬉しそうだった。
俺の家は質素だ。狭いし、家具家電も必要最低限のものしかない。ドンペンさんに身体を拭くタオルを渡しながら、さてどうしたもんんか、と考える。とりあえずヒーターを点け、あたたまってもらうことにした。
「いま、お茶淹れるからな」
ドンペンさんはありがとうと言うようにニコッと笑い、ヒーターに足をむけて温まりだす。足の裏が冷えちまったか。南極生まれのペンギンでも、冬はやっぱり寒いんだな。
俺は貰い物の紅茶を淹れ、二つのカップに注いだ。アールグレイは華やかすぎて普段飲まないけれど、客人にはちょうどいいだろう。ドンペンさんにカップを渡すとあつそうにフウフウ息をふきかけ、ちびちびと飲んでいた。
「火傷に気を付けろよ」
二人でヒーターにあたりながら、窓の外の雨を見ていた。東京を濡らす雨。誰もが俯き、足元しか見ない雨。その足先も濡れてしまっては、行く先なんかもわからなくなってしまうのに。
「どうして、こんな雨の日に家出なんか……いや、野暮なこと聞いちゃダメだよな。悪い」
ドンペンさんはふるふると首を振る。俺はあの呼び込み君のメロディを思い出した。頭の中に居座り続ける愉快な音階。俺がさっき感じた威圧感、生命力の源。
「ドンペンさんはえらいな。毎日頑張ってて」
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。ざりざりの音声、黄色と赤のPOP。クリスマスセール、年末大特価。
ドンペンさんは、そっと俺の背中を叩いた。やさしく、あたたかい、小さな青い手。俺は彼の苦労を知らない。
「……俺さ。今日、撮影うまくいかなくて。何度もリテイクになっちまって、結局撮り直しになって。みんなに迷惑かけた、プロなのに……情けねえ」
小さく頷かれる。わかるよ。そう言われた気がした。口に出してしまうと、俺の悩みなんてずいぶんちっぽけで、あっけない。
「悪い、今日会ったばかりなのに。ドンペンさんだって、大変だったろうに」
にこ、と笑い、ドンペンさんは俺の背中を撫でた。人――ペンギンに話を聞いてもらうのって、こんなに心が軽くなるんだな。俺も笑い返すと、ドンペンさんは満足そうだった。
「ありがとな」
きっと、誰かが応援してくれているんだ。この世界のどこかで。
ファンがいるから、味方やライバルがいるから、頑張れる。
店だって、お客と店員がいるから成り立っている。
俺たちは、ひとりじゃないんだ。
「大事なこと、思い出した」
ドンペンさんは、またこくりと頷いた。きっとドンペンさんも、大切なことを思い出したのだろう。
「なあ、一緒に風呂に入らないか。いま溜めてくる」
ドンペンさんはぱあっと顔を輝かせて、嬉しそうに踊りだした。ああ、俺、小動物って好きだな。いや、ペンギンは小動物ではないのだが。
二人で湯舟に浸かりながら、年末年始は忙しくなるな、と笑い合った。待っている人がいる。その人の笑顔のために、俺たちは働くんだ。
その日は夜まで語らった。結局ドンペンさんが悩んでいたのはドンコさんとの関係についてだったようで、少し落ち込んでしまったところに呼び込み君が追い打ちをかけたようだ。たまには離れないと、見えるモンも見えなくなっちまうよな。俺がそう言うと、晴れ晴れとした顔で頷いた。布団に並んで寝ると、合宿みたいでなんだかワクワクした。
翌朝、雨はあがっていた。ドンペンさんはずいぶんとすっきりした顔をしていた。俺はまたリュックサックを背負って、ドンペンさんを送りに錦糸町のドン・キホーテへ一緒に向かう。
冬の朝の空気は好きだ。ツンとしていて、きらきらしていて。ドンペンさんもどこかキリっとしていた。これから年末商戦がはじまるのだ。自分になんか負けていられないよな。
店の前で、俺たちはグータッチをして別れた。昨日撮影で泣き腫らしたむくみもすっかり消えている。俺も前に進まなければならない。
これから、ここに来るたびに思い出すのだろう。ドンペンさんと語り合った夜のことを。そして、焼き芋を買うのだろう。また半分こできる日はくるだろうか。その時には、もっと成長した姿を見せてやるんだ。
さあ、やるぞ。俺は勇ましく歩き出した。呼び込み君のメロディも、今だけは行進曲のようだった。
俺が号泣するシーンを1カットで撮らなければならなかったのだが、うまく泣けず、泣けても「その泣き方じゃない」とリテイクを繰り返され、そのまま目が腫れ顔がむくみ、後日撮り直しとなってしまったのだった。
非常に悔しく思う。まだ感情の繊細なコントロールが苦手だ。ただ泣けばいいのではない。俺はもうその段階にはいない。
はあ、と溜息をこぼしながら、いや、溜息をこぼしているところなんて誰かに見られてはいけない、と姿勢を正した。俺はアイドルだ、いつだって輝いていないと。
しかしどうにも沈んだ気分は晴れず、まっすぐ帰る気にはなれなかった。少し、遠回りをして帰ろう。俺は錦糸町で電車を降りる。曇り空は重たく、今にも雨が降ってきそうだった。
昨日はダンスレッスンの調子が悪かった。昔よりも身体の動かし方はわかったつもりでいても、円城寺さんやアイツに遅れをとると焦ってしまう。無理をして怪我をするのもよくないけれど、少しでも早く上達したかった。食欲は沸かず、アイツにふっかけられた大食い競争でも、アイツよりラーメンを食えなかった。円城寺さんに「めずらしいな」と言われた時、肩がすくむ思いだった。
ああ、雨が降りそうだ。リュックサックから折り畳み傘を取り出しながらふらふらと歩いていると、賑やかなメロディが耳に届く。
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。ざりざりのアナウンスと、豪快な音楽。「呼び込み君」と呼ばれるやつだ。妙に耳に残るこの曲。驚安の殿堂、ドン・キホーテが、目の前にあった。
黄色と黒の看板の下で、俺は少し意識が遠のいた。店の威圧感というか、生命力に。ここにいる人間はみな少しでも安いものを求めていて、店員はめまぐるしく対応していて、店自体が生き物みたいだった。俺という存在の場違い感。溜息も引っ込んでしまう。
焼き芋が売っていたら買いたいな、と思って店頭を見渡すと、ぽつりと青い影が見えた。人形か? 落とし物だったら店員に届けないと、と近付く。見てみると、それは青い丸い身体に赤い帽子を被ったペンギン――ドンペンさんだった。
「落とし物か? かわいそうに……」
手に取ろうとした瞬間、その物体が微かに動く。ドンペンさんはゆっくりと身体を起こし、俺と目を合わせた。間違いない、ドン・キホーテの公式マスコットキャラクター、ドンペンさんだ。
「どうしたんだドンペンさん。たしかドンペンさんは身長98cmのはずだ、こんなに小さくなっちまって」
ドンペンさんはふるふると顔を振った。今のドンペンさんは両手に納まるくらいのサイズだ。
「……どこか行きたいのか? 雨が降りそうだぞ」
ドンペンさんは空を見上げる。言ってる合間にも、雫が額に当たりだした。冬の雨は寒い。俺は折り畳み傘をさした。
ドンペンさんはそっと、俺の足元にやってきて、ズボンの裾をひっぱった。俺は彼が何を言いたいのか必死に汲み取る。呼び込み君の喧騒も今だけは聞こえなかった。
「……もしかして、家出か?」
こくり、と頷かれ、俺は途方にくれてしまった。この雨の中、ドンペンさんを放っておけるわけがない。
「よければ、うちに来るか? もてなせるようなもん、ないけど……」
ドンペンさんは少しだけなにかを考えて、もう一度こくりと頷いた。目を覗き込んでも、彼が何を考えているのかはわからなかった。けれど、言ってしまえばちょうどよかった。俺もひとりの家に帰りたくなかったのだ。
ドンペンさんにリュックサックの中に隠れて貰って、焼き芋を買った。ドン・キホーテから俺の家まで、二人で焼き芋を半分こして食べながら歩いた。ほくほくと甘い芋は身体を芯からあたためてくれて、冬の雨のなかでも足取りが軽くなった。一人で食べるよりずっとうまい。ドンペンさんも嬉しそうだった。
俺の家は質素だ。狭いし、家具家電も必要最低限のものしかない。ドンペンさんに身体を拭くタオルを渡しながら、さてどうしたもんんか、と考える。とりあえずヒーターを点け、あたたまってもらうことにした。
「いま、お茶淹れるからな」
ドンペンさんはありがとうと言うようにニコッと笑い、ヒーターに足をむけて温まりだす。足の裏が冷えちまったか。南極生まれのペンギンでも、冬はやっぱり寒いんだな。
俺は貰い物の紅茶を淹れ、二つのカップに注いだ。アールグレイは華やかすぎて普段飲まないけれど、客人にはちょうどいいだろう。ドンペンさんにカップを渡すとあつそうにフウフウ息をふきかけ、ちびちびと飲んでいた。
「火傷に気を付けろよ」
二人でヒーターにあたりながら、窓の外の雨を見ていた。東京を濡らす雨。誰もが俯き、足元しか見ない雨。その足先も濡れてしまっては、行く先なんかもわからなくなってしまうのに。
「どうして、こんな雨の日に家出なんか……いや、野暮なこと聞いちゃダメだよな。悪い」
ドンペンさんはふるふると首を振る。俺はあの呼び込み君のメロディを思い出した。頭の中に居座り続ける愉快な音階。俺がさっき感じた威圧感、生命力の源。
「ドンペンさんはえらいな。毎日頑張ってて」
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。ざりざりの音声、黄色と赤のPOP。クリスマスセール、年末大特価。
ドンペンさんは、そっと俺の背中を叩いた。やさしく、あたたかい、小さな青い手。俺は彼の苦労を知らない。
「……俺さ。今日、撮影うまくいかなくて。何度もリテイクになっちまって、結局撮り直しになって。みんなに迷惑かけた、プロなのに……情けねえ」
小さく頷かれる。わかるよ。そう言われた気がした。口に出してしまうと、俺の悩みなんてずいぶんちっぽけで、あっけない。
「悪い、今日会ったばかりなのに。ドンペンさんだって、大変だったろうに」
にこ、と笑い、ドンペンさんは俺の背中を撫でた。人――ペンギンに話を聞いてもらうのって、こんなに心が軽くなるんだな。俺も笑い返すと、ドンペンさんは満足そうだった。
「ありがとな」
きっと、誰かが応援してくれているんだ。この世界のどこかで。
ファンがいるから、味方やライバルがいるから、頑張れる。
店だって、お客と店員がいるから成り立っている。
俺たちは、ひとりじゃないんだ。
「大事なこと、思い出した」
ドンペンさんは、またこくりと頷いた。きっとドンペンさんも、大切なことを思い出したのだろう。
「なあ、一緒に風呂に入らないか。いま溜めてくる」
ドンペンさんはぱあっと顔を輝かせて、嬉しそうに踊りだした。ああ、俺、小動物って好きだな。いや、ペンギンは小動物ではないのだが。
二人で湯舟に浸かりながら、年末年始は忙しくなるな、と笑い合った。待っている人がいる。その人の笑顔のために、俺たちは働くんだ。
その日は夜まで語らった。結局ドンペンさんが悩んでいたのはドンコさんとの関係についてだったようで、少し落ち込んでしまったところに呼び込み君が追い打ちをかけたようだ。たまには離れないと、見えるモンも見えなくなっちまうよな。俺がそう言うと、晴れ晴れとした顔で頷いた。布団に並んで寝ると、合宿みたいでなんだかワクワクした。
翌朝、雨はあがっていた。ドンペンさんはずいぶんとすっきりした顔をしていた。俺はまたリュックサックを背負って、ドンペンさんを送りに錦糸町のドン・キホーテへ一緒に向かう。
冬の朝の空気は好きだ。ツンとしていて、きらきらしていて。ドンペンさんもどこかキリっとしていた。これから年末商戦がはじまるのだ。自分になんか負けていられないよな。
店の前で、俺たちはグータッチをして別れた。昨日撮影で泣き腫らしたむくみもすっかり消えている。俺も前に進まなければならない。
これから、ここに来るたびに思い出すのだろう。ドンペンさんと語り合った夜のことを。そして、焼き芋を買うのだろう。また半分こできる日はくるだろうか。その時には、もっと成長した姿を見せてやるんだ。
さあ、やるぞ。俺は勇ましく歩き出した。呼び込み君のメロディも、今だけは行進曲のようだった。