鋭百

 机の上に飾っていた花が萎れてきた。うまいこといけばドライフラワーになるかなと思っていたけれど、花にその元気はなさそうだった。僕はバラだったものを指先でつまんで、そのままゴミ箱に放った。美しいままでいられたらよかったのだけど。花瓶を片付けながら、命をひとつ見殺しにしている気分になって、新しい花が欲しくなった。
 えーしんくんと映画を見に行く約束をしていた。しゅーくんは生徒会の仕事があって来られない(二人っきりじゃん。楽しんでよと言われた)ので、誰が何と言おうと、これはデートなのだ。だけど、気負う必要はない。えーしんくんに負担に思われたくない、ぼくのふわふわしたあいまいな感情なんて。ただ一緒に、映画を見るだけ。
 放課後、駅で待ち合わせて、そのまま映画館まで歩いていこうとした時――「ホラ」と、えーしんくんは紙袋を渡してきた。見たことがあるデザインの袋だ、と思って中身を見てみると、花束が入っていた。白とピンクのバラ、コスモス、鮮やかな紅葉の細い枝の、秋めいた色の束。そうか、あの街角の花屋さんで買ったのだ。だから見たことあったのか。袋から花束を取り出した。明るいオレンジの包み紙。レモンイエローのリボン。
「春に花束を持って歩いている人のことを、春を運ぶ人、と呼んでいただろう。百々人」
「え、うん、言った気がする」
「今日は、おまえが秋を運ぶ人だ」
 まったく予想外のプレゼントだ。僕が歩いた場所から、秋が始まるんだ。秋を運ぶ人。バラの香りが芳醇で、なんだか爪先がうかうかと浮いてしまいそうだった。
「ありがとう、えーしんくん。でもどうして今日?」
「……百々人の家にある花が、そろそろ枯れる頃かと思ったんだ」
「え、見てたの? 千里眼? エスパー?」
 けらけら笑ってみせると、むう、と照れた顔になる。知ってるよ。僕のことをしっかり考えていてくれること。
「さみしく思ってるんじゃないかと思って」
「……それは、どうかな」
 僕は花束を抱きしめて、うかうかしたまま歩き出した。えーしんくんは慌てて僕の隣に並ぶ。秋と一緒に歩いてるね。そう言うとどこか誇らしい笑顔になる。見ていて飽きないなあ。
「秋らしい映画?」
「話題になっている映画だ」
 日常の中の非日常を浴びに、秋を抱きしめながら向かった。大事に抱えているせいで、えーしんくんと手が繋げないのが難点だった。諦めて紙袋に花束を戻そうか。でも、この向かう道の間だけでも、堪能したい。なんだか愛の匂いに包まれている気がして、心がほかほかしてくる。
「あ、焼き芋」
 ドンキの店頭で、石焼き芋が売られている。そんな季節か。そうだ、僕が秋を撒いているのだから、秋だ。
「あとで食べるか?」
「さんせい」
 映画後のおやつが決まったところで、映画館が見えてきた。観念して紙袋に秋を入れ、館内に入った。これでやっとえーしんくんと手が繋げる、と思ったのに、彼は屋内では繋いでくれない。
「ポップコーンは」
「焼き芋のために、食べない」
「英断だ」
 映画に集中しようと思う。彼が隣にいることなんか忘れて。足元に秋が咲いていることも忘れて。そうして非日常が晴れた時、彼が隣にいることの驚きとときめき、秋を抱きしめられることの喜びを思い出そう。
 指定席に着席し、荷物をまとめて姿勢を正したところで、左から手が伸びてきた。その手は僕の左手を握り、しめっていてあたたかい。
「……えーしんくん」
「はじまるまで」
 ほんの少し微笑んで、ほんの少しの声量でこちらに目くばせをする彼の、なんとずるいことか。僕はなんてことない顔をしながらも、全神経が左手に集まって、わらわらと座席に集まるお客さんの足取りを見ていた。ポップコーン、コーラ、ホットドック。
 バラを捨てたの、早すぎたかなあ。ゴミ箱の中の花を思う。この花を弔ったことを知っているのは僕だけだと思っていたのに、えーしんくんにはお見通し。新しいバラには、きっとまた栄養剤が付いている。
 予告が流れ出すのと同時に、えーしんくんの手は離れていった。僕は代わりにハンカチを取り出す。いつでも握れるように。涙を拭えるように。
 映画が終わった頃には、世界はすっかり開けていて、やっぱり隣にえーしんくんがいることに驚き、秋の詰まった紙袋への喜びが舞い戻ってきた。
 ただいま、と言いたくなる。えーしんくんは、おかえり、ときっと言ってくれるだろう。紙袋をがさがさ言わせながら館内から出る。秋風にのって、バラの香りが鼻をくすぐった。
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