その他

 ただいま、の声に、私はキッチンでほくそ笑んだ。我ながら幼稚かもしれないけれど、この手の中にあるものの方がよっぽど幼稚だから別にいいのだ。
「おかえり、ね、見てみて」
「ん?」
 はやく、と急かすと、なんだなんだと笑いながら彼は靴を脱いだ。疲れて帰ってきてるだろうに、愉快そうに私に付き合ってくれる。私は彼がリビングに来るまでこの場を動かない。わざわざ出迎えてカバンを受け取る甲斐甲斐しさでもあれば可愛らしいのだろうけど、そんなの私たちには似合わない。廊下を覗き込みながら、私はまた彼を急かした。はやくはやく。
「何だっつうんだよ」
 リビングに入ってきた輝に、私は背中に隠していたソレを突き出した。
「じゃじゃーん」
「……え、ドラスターズ!? なんだコレ、わたあめ?」
「そう、わたあめ」
 ソレは、袋に入ったわたあめだった。抜き身で持って帰ろうかと思ったけれどそれはあまりにも無謀なので、袋入りのを買おうとしたら、たまたま店先に並んでいたのを発見したのだ。
「駅前で、お祭りやっててさ。ほら、先週のお祭り、台風で延期になったんじゃない? 屋台が並んでて、見つけたんだ」
「へえ。ありがとな。今どきこんなんやってるんだなあ」
 輝はしげしげと袋を眺めて、懐かしいなあと微笑んだ。私は隠し事をとっとと披露できて満足したのでキッチンに戻り、味噌汁に豆腐を入れる作業を再開させる。
「お風呂にする? ごはんにする? それともわたあめ?」
「そこは私? って聞いてくれって」
「そんなこと言いませーん」
 我々は「早く帰った方が夕飯の仕事をする」「手の空いてる方が家事をする」というルールに則って生活している。輝は変則的な生活をしているから、それでほどほどに手は回っている。今日私は定時上がりだったので、料理をする気力が残っていた。鮭のムニエルと、ほうれんそうのバター炒め。
 リビングに付いている給湯器から、人形の夢と目覚めのメロディが流れた。お風呂が溜まった合図だ。本当に、ごはんもお風呂も支度が整っている。あとは輝の気分次第だ。
 輝の仕事内容は、全ては知らない。彼からざっくりとどんな仕事をしたかは聞くけれど、守秘義務のあるものも多い。体力も気力も遣うだろうなあとは察せるから、彼の心地よいように暮らしてもらえればと思う。だから、お風呂もごはんも、好きにしてくれて構わない。
「おまえは?」
「んー、お風呂にゆっくり浸かりたいかなあ」
「一緒に入るか」
「それでもいいよ」
 この家のお風呂は少し広い。二人で入ってもそんなに窮屈さを感じない。フライパンと鍋に蓋をして、私はエプロンを脱いだ。
「お風呂からあがったらごはん。そのあと、わたあめ」
「今日はご馳走だな」
「わたあめ持ったままドラッグストア寄るの、ちょっと恥ずかしかったのよ」
「そりゃそうだ。おまえは勇者」
 お互いを労わりあいながら服を脱いでいくのは、一日の鎧を解いていく気分になる。私は彼の上裸に手を添えて、「おかえり」と改めて唱えた。「ただいま」と返す彼の鼓動は、私の好きなメロディだ。人形の夢と目覚めより、ずっと。
 このあと交わされる、いただきますとごちそうさま、おやすみなさいのどの言葉も、大好きだなあと思う。彼の生活のなかに私がいられること。それはわたあめよりも甘く。
 だからわたあめを買ったのかな? 一人でくすくす笑ってると、輝が「先に入るぞ」と浴室に入ってしまったので、私は慌てて追いかける。シャワーの音は祭囃子みたいだった。夏の落とし物。九月。秋が始まっていく。
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