その他
大きく伸びをして、そのままひっくり返ってしまった。布団にどすんと頭がぶつかる。
今日こそはポケモンを進めようと思っていたのに、集中力が切れてしまった。ジムリーダーって手ごわい。手持ちのポケモンをもっと育てないと。でももう、今日はここまででいいや。セーブをして、そのままゲーム機を布団に放り投げる。どすん。
誰かの声が聞きたい気分だった。北斗は今日、デートだと言っていた気がする。エンジェルちゃんに申し訳ないから電話をかけるのはやめておこう。隣の部屋のミスターやましたはラジオ収録だ。空っぽの部屋に行ったって意味はない。ゲストにミスターくずのはが来るとか言ってたかな。あの二人の話は聞いていて飽きないから、視聴者の反応もきっといいだろう。お便りでも送ってみようかな? プロデューサーちゃんに怒られるだろうか。
SNSを適当に見つめてみる。ピカチュウがアイスを持っているイラストが流れてきた。いいな、アイス。俺も食べたい。コンビニにでも行こうかな。
「――というわけなんだ」
「何が、というわけ、なんだ」
ミスターはざまは溜息をついて、やれやれと俺を家にあげてくれた。うふふ、彼は突然お邪魔しても、断らないことを知っている。コンビニの袋をがさがさ言わせながら、俺は勝手知ったるリビングに向かった。
「バニラアイスと、チョコミント、それからウイスキー、ポッカレモン、ソーダ」
「こんな時間から酒を飲むと……」
「いいでしょ、ミスター、トゥモローもオフでしょ」
俺はミスターのキッチンで大きめのグラスを二つ取り、勝手に製氷皿の氷を入れた。ウイスキーとソーダをうまい具合に混ぜて、ポッカレモンを数滴、スプーンで二度ステア。それぞれのグラスにバニラとチョコミントを乗せて、乾杯の用意は万全だ。
「ハイボールにチョコレートミントか」
「意外とヤミーだよ! チアーズ!」
グラスをかちんと言わせて、俺たちは喉を鳴らす。はあ、この家に来てよかった。俺の家には冷蔵庫すらないから、アイスも溶けてしまうのだ。
「……ふむ、うまいな」
「でしょ! トレードしよ」
チョコミントの爽やかさを味わいながら、俺はミスターはざまをじっと見つめる。彼に似合うポケモンはなんだろう。そもそもポケモンを知ってるのかな。
ミスターは湯上りのようで、頬が少し上気していた。髪も心なしかしっとりしている気がする。彼の無防備な姿はなかなか見られないから貴重だ。浴衣が似合いそうだ、と考えて、そうだ、温泉。温泉にいきたい、と思った。ミスターやましたも入れて三人で。
「ミスター、この夏やってみたいことって、帰省だけ?」
「む、そうだな。現実的に考えると、なかなか旅行に行くほどの時間は――」
「ドリームの話しようよ! 俺はスケボーがやりたい」
現実的、なんて、そんな話どうだっていいのだ。バニラアイスがソーダのしゅわしゅわと混ざっって、頬のなかで弾ける。その冷たさたるや、夏が夏でよかったと喜べるひとつの嬉しさだ。
「ね、ミスターは?」
「そうだな、私は……トランポリンをやりたい」
「エキサイティング!」
温泉も、スケボーも、トランポリンも、全部やろう。俺たちは無敵だから、何だって出来る。
ミスターはハイボールを半分飲んだところで目が据わってきたので、とりあえずグラスを奪った。チョコミントを最初に考えた人はどうしてこの素晴らしい組み合わせを思いついたのかな。俺は口の周りがべとべとになるのもかまわずグラスを傾ける。チョコがぱきぱきと歯の間で踊り、ミントがすうっと鼻に抜けていく。
「それでね、個体値ってなんなのかわかんなくて」
「こたいち……?」
ミスターはやっぱり、ポケモンの話を振ってもぽかんとしていた。あはは、だろうね。ミスターやましたもそうなんだよね。ゲームの話はゲーム部のみんなにするとして、俺たちは俺たちにしか出来ない話をしよう。二十三時の電灯は眩しくて、それでいてどっしりとしている。この灯りを消せば、この賑やかな部屋も闇に包まれるだなんて、なかなか考えられなかった。
「ね、今日、泊まっていってもいい?」
「はなからそのつもりだろう。布団を敷くのを手伝ってくれ」
「オフコース」
ミスターやましたの家もそうだけど、どうして俺の分の布団があるのが当たり前になっているのだろう。もはや俺の寝床はどこにでもあると言って過言ではない。どこに行っても、彼らはみんな受け入れてくれる。俺が夜、人恋しくなって、こうやって訪ねていくことを、受け入れてくれる。
俺、小さい頃、独りじゃ寝られなかったんだ。眠ってしまったら、夢の中の怪獣に食べられちゃう気がして、泳いでも走っても、向こう岸に辿り着けない気がして。
そんな話を、ここでするつもりはない。ここにあるのは賑やかな乾杯だけ。大人の時間、アルコール、ポッカレモンの強い酸味。それだけでいいじゃないか。俺たちはお酒はほどほどにして、残ったアイスを片付けることに専念した。カップを持っている手がひんやりとしてきて、身体がぶるりと震える。歯が冷たい、頬が冷たい。
「真夜中の晩餐会ってかんじ」
「二人きりの晩餐会か」
「ねえ、晩餐会のさんの字、書けない」
「……今なら私も書けない」
「モーニングなら?」
「書けるかもしれない」
ミスターやましたのラジオが始まる。ミスターはざまのスマホで再生して、俺は自分のスマホからメールフォームを開いた。たまにはいいだろう、メールのひとつやふたつ。本当にだめだったら読まれないわけだし。
『続いてのおたよりは――ええ、るい?』
『ほう、舞田と硲サン、今聞いてるのか』
ミスターやましたとミスターくずのはの声が、俺たちからのメールを読み上げる。夜更かしがバレちゃいけないとっておきのスパイスだった子供の頃のわくわくを思い出しながら、ミスターはざまからチョコミントアイスを貰う。
『グッドイブニング、ミスターやました、ミスターくずのは。はい、こんばんは。二人は、子供の頃、自分だけの秘密にしていたことってありますか。俺? 俺はシークレットだよ! はは、るいらしい』
『コレを聞きながら笑ってるんだろうな。目に浮かぶ』
二人の声を聞きながら、ご名答、俺たちはふたりでくすくす笑っていた。ねえ、ここから星って見えるかな。春も夏も秋も冬も、星の位置は変わっていくらしいけれど、きっと月だけは、俺たちのことを見放さない。
ミスターはざまがうつらうつらし始めたので、歯磨き、と言って揺り起こした。無理やり洗面所に連れて行きながら、以前、全く同じことをミスターやましたにやられたことを思い出す。るい、歯磨き。歯磨きするまで寝かせないから、と。
夢の中の怪獣は、歯磨きをきちんとしていればやってこない。泳いでも走っても向こう岸に辿り着かないなら、その間の冒険を思いっきり楽しめばいい。俺はいつからそれに気付けたんだろう。
今じゃ、俺がそういったことを、子供たちに伝えていかねば、と思う。
真夜中にアイスを食べてもいいんだよ、眠れない夜だって笑っていいんだよ、と。
ラジオからミスターたちの笑い声が聞こえる。俺はグラスを片付けながら、夏爛漫に微笑んだ。
これから夏がはじまるよ。バニラ味の、チョコミント味の、ちょっと酸味の強いレモン味の。晩餐のさんの字が書けなくたっていいのだ。流水が火照った手を冷やしていって、俺はまたぶるりと身体を震わせた。おやすみなさい、世界。電灯を消した先の闇はとろりと優しくて、独りじゃないことが嬉しかった。
今日こそはポケモンを進めようと思っていたのに、集中力が切れてしまった。ジムリーダーって手ごわい。手持ちのポケモンをもっと育てないと。でももう、今日はここまででいいや。セーブをして、そのままゲーム機を布団に放り投げる。どすん。
誰かの声が聞きたい気分だった。北斗は今日、デートだと言っていた気がする。エンジェルちゃんに申し訳ないから電話をかけるのはやめておこう。隣の部屋のミスターやましたはラジオ収録だ。空っぽの部屋に行ったって意味はない。ゲストにミスターくずのはが来るとか言ってたかな。あの二人の話は聞いていて飽きないから、視聴者の反応もきっといいだろう。お便りでも送ってみようかな? プロデューサーちゃんに怒られるだろうか。
SNSを適当に見つめてみる。ピカチュウがアイスを持っているイラストが流れてきた。いいな、アイス。俺も食べたい。コンビニにでも行こうかな。
「――というわけなんだ」
「何が、というわけ、なんだ」
ミスターはざまは溜息をついて、やれやれと俺を家にあげてくれた。うふふ、彼は突然お邪魔しても、断らないことを知っている。コンビニの袋をがさがさ言わせながら、俺は勝手知ったるリビングに向かった。
「バニラアイスと、チョコミント、それからウイスキー、ポッカレモン、ソーダ」
「こんな時間から酒を飲むと……」
「いいでしょ、ミスター、トゥモローもオフでしょ」
俺はミスターのキッチンで大きめのグラスを二つ取り、勝手に製氷皿の氷を入れた。ウイスキーとソーダをうまい具合に混ぜて、ポッカレモンを数滴、スプーンで二度ステア。それぞれのグラスにバニラとチョコミントを乗せて、乾杯の用意は万全だ。
「ハイボールにチョコレートミントか」
「意外とヤミーだよ! チアーズ!」
グラスをかちんと言わせて、俺たちは喉を鳴らす。はあ、この家に来てよかった。俺の家には冷蔵庫すらないから、アイスも溶けてしまうのだ。
「……ふむ、うまいな」
「でしょ! トレードしよ」
チョコミントの爽やかさを味わいながら、俺はミスターはざまをじっと見つめる。彼に似合うポケモンはなんだろう。そもそもポケモンを知ってるのかな。
ミスターは湯上りのようで、頬が少し上気していた。髪も心なしかしっとりしている気がする。彼の無防備な姿はなかなか見られないから貴重だ。浴衣が似合いそうだ、と考えて、そうだ、温泉。温泉にいきたい、と思った。ミスターやましたも入れて三人で。
「ミスター、この夏やってみたいことって、帰省だけ?」
「む、そうだな。現実的に考えると、なかなか旅行に行くほどの時間は――」
「ドリームの話しようよ! 俺はスケボーがやりたい」
現実的、なんて、そんな話どうだっていいのだ。バニラアイスがソーダのしゅわしゅわと混ざっって、頬のなかで弾ける。その冷たさたるや、夏が夏でよかったと喜べるひとつの嬉しさだ。
「ね、ミスターは?」
「そうだな、私は……トランポリンをやりたい」
「エキサイティング!」
温泉も、スケボーも、トランポリンも、全部やろう。俺たちは無敵だから、何だって出来る。
ミスターはハイボールを半分飲んだところで目が据わってきたので、とりあえずグラスを奪った。チョコミントを最初に考えた人はどうしてこの素晴らしい組み合わせを思いついたのかな。俺は口の周りがべとべとになるのもかまわずグラスを傾ける。チョコがぱきぱきと歯の間で踊り、ミントがすうっと鼻に抜けていく。
「それでね、個体値ってなんなのかわかんなくて」
「こたいち……?」
ミスターはやっぱり、ポケモンの話を振ってもぽかんとしていた。あはは、だろうね。ミスターやましたもそうなんだよね。ゲームの話はゲーム部のみんなにするとして、俺たちは俺たちにしか出来ない話をしよう。二十三時の電灯は眩しくて、それでいてどっしりとしている。この灯りを消せば、この賑やかな部屋も闇に包まれるだなんて、なかなか考えられなかった。
「ね、今日、泊まっていってもいい?」
「はなからそのつもりだろう。布団を敷くのを手伝ってくれ」
「オフコース」
ミスターやましたの家もそうだけど、どうして俺の分の布団があるのが当たり前になっているのだろう。もはや俺の寝床はどこにでもあると言って過言ではない。どこに行っても、彼らはみんな受け入れてくれる。俺が夜、人恋しくなって、こうやって訪ねていくことを、受け入れてくれる。
俺、小さい頃、独りじゃ寝られなかったんだ。眠ってしまったら、夢の中の怪獣に食べられちゃう気がして、泳いでも走っても、向こう岸に辿り着けない気がして。
そんな話を、ここでするつもりはない。ここにあるのは賑やかな乾杯だけ。大人の時間、アルコール、ポッカレモンの強い酸味。それだけでいいじゃないか。俺たちはお酒はほどほどにして、残ったアイスを片付けることに専念した。カップを持っている手がひんやりとしてきて、身体がぶるりと震える。歯が冷たい、頬が冷たい。
「真夜中の晩餐会ってかんじ」
「二人きりの晩餐会か」
「ねえ、晩餐会のさんの字、書けない」
「……今なら私も書けない」
「モーニングなら?」
「書けるかもしれない」
ミスターやましたのラジオが始まる。ミスターはざまのスマホで再生して、俺は自分のスマホからメールフォームを開いた。たまにはいいだろう、メールのひとつやふたつ。本当にだめだったら読まれないわけだし。
『続いてのおたよりは――ええ、るい?』
『ほう、舞田と硲サン、今聞いてるのか』
ミスターやましたとミスターくずのはの声が、俺たちからのメールを読み上げる。夜更かしがバレちゃいけないとっておきのスパイスだった子供の頃のわくわくを思い出しながら、ミスターはざまからチョコミントアイスを貰う。
『グッドイブニング、ミスターやました、ミスターくずのは。はい、こんばんは。二人は、子供の頃、自分だけの秘密にしていたことってありますか。俺? 俺はシークレットだよ! はは、るいらしい』
『コレを聞きながら笑ってるんだろうな。目に浮かぶ』
二人の声を聞きながら、ご名答、俺たちはふたりでくすくす笑っていた。ねえ、ここから星って見えるかな。春も夏も秋も冬も、星の位置は変わっていくらしいけれど、きっと月だけは、俺たちのことを見放さない。
ミスターはざまがうつらうつらし始めたので、歯磨き、と言って揺り起こした。無理やり洗面所に連れて行きながら、以前、全く同じことをミスターやましたにやられたことを思い出す。るい、歯磨き。歯磨きするまで寝かせないから、と。
夢の中の怪獣は、歯磨きをきちんとしていればやってこない。泳いでも走っても向こう岸に辿り着かないなら、その間の冒険を思いっきり楽しめばいい。俺はいつからそれに気付けたんだろう。
今じゃ、俺がそういったことを、子供たちに伝えていかねば、と思う。
真夜中にアイスを食べてもいいんだよ、眠れない夜だって笑っていいんだよ、と。
ラジオからミスターたちの笑い声が聞こえる。俺はグラスを片付けながら、夏爛漫に微笑んだ。
これから夏がはじまるよ。バニラ味の、チョコミント味の、ちょっと酸味の強いレモン味の。晩餐のさんの字が書けなくたっていいのだ。流水が火照った手を冷やしていって、俺はまたぶるりと身体を震わせた。おやすみなさい、世界。電灯を消した先の闇はとろりと優しくて、独りじゃないことが嬉しかった。