その他

 みのりさんが腹を抱えてじっとしている。面白さを耐えているわけでもないし、重い一撃をくらったわけでもない。月に一度のあれだ。俺も重い方だからわかる。でも、みのりさん、いつも軽い方なのに。
「ホッカイロとかいります?」
「うーん、夏にそれは……熱中症になりそう」
 寒気はないのか。みたところ、腹部の痛みだけらしい。俺は事務所のキッチンで白湯を沸かす。今日は打ち合わせだけの予定だ。ダンスレッスンがなくてよかった。
「めずらしいですね、みのりさんがそんなに重いの」
「最近コーヒーたくさん飲んでたからかなあ……ありがとう」
 俺から白湯を受け取ったみのりさんは、両手でマグカップを包み込んで、その熱を味わっていた。顔も青白い。同じ痛みを知っている者として、さぞかし辛いとわかるのだが、こんな時なにも出来ないのが歯がゆい。
 人類よ、この身体の仕組み、いらなくないですか。男も女も、等しく苦しまねばならないなんて。
「子供とか……俺たぶん作らないのにな、この歳で」
「さすがにそれはなんとも……四十で頑張る人もいるわけだし」
 みのりさんは白湯をゆっくり飲みながら、恭二も座ったら、とソファをぽんぽん叩いた。この仕草はよくピエールにするものだ。彼にとっては俺もピエールも同じ年下なんだな。俺は自分の分の麦茶を用意して、隣に座った。香ばしい、夏の匂い。隣で白湯がほかほかと湯気をたてている。
「ライブと被ったらすごい嫌じゃん、生理って。バレリーナとかどうしてるんだろうってすごく謎なんだよね、身体を使う競技の人とか」
「薬で調整してるとは思うんすけどね」
 聞く所によると、薬にはいろんな種類があって、なかには数ヶ月生理を止める物もあるらしい。それで大会の日程とかと合わさらないようにしているのだと思う。
 みのりさんがそっと手を開いて、自分の前にかざす。爪は綺麗に真四角で、整えられていて綺麗だ。
「こんなところにも血は通っててさ、身体中巡ってるのに、毎月一定量剥がれ落ちてくなんてね。なんというか、むなしくなるよね。大人になったら諦めもつくかなあなんて思ってたのに、全然慣れないし」
 そういえばバファリンあるんだった、とカバンを漁りだしたみのりさんは、ごそごそと手を動かし、その流れで右こぶしを俺の目の前に差し出した。
「飴あったから、あげるね」
 受け取ると、ころんと手の中に転がったそれは、どうやらレモン味らしかった。俺はさっそく口の中に放り込む。じゅわっと爽やかな味がひろがって、すこし酸っぱい。麦茶色だった舌が塗り替わっていく。
「昨日、チョコ買っちゃったんだけど、こんだけ重いと食べない方がいいよねえ。冷蔵庫に入れっぱなしにしてるけど、恭二食べにくる?」
「そんな賞味期限早いんすか」
「わりかし。ちゃんとしたやつ買っちゃったんだ」
 このあとピエールと食べにおいで、と微笑んで、みのりさんは白湯を飲み干した。彼の体内で早く薬が溶けることを祈る。
 しばらくしてプロデューサーとピエールが到着し、今後のレッスンスケジュールについての打ち合わせがはじまった。みのりさんは腹を抱えた姿勢のままいつもの笑みを絶やさずにいて、心配かけさせまいとする努力が痛々しかった。ピエールが途中で気付き、みのりさんの背中をさすった。
「みのり、いたいのいたいの、とんでけ」
「ふふ、とんでったよ、ありがとう」
 ピエールは心配そうに顔を覗き込む。プロデューサーが「今日はこのくらいにしておきましょうか」と言ってお開きになり、俺とピエールはみのりさんに言われるがまま、チョコを食べるために彼の家に向かった。
「チョコって、お腹いたく、なる?」
「なるらしいな。肉とかカフェインとかも」
 ピエールは軽い方なので、どうして痛んでしまうのか不思議でしょうがないようだった。そう、と呟いてうつむいた彼のうなじを太陽が焼く。夏の日差しは暑い。今年の異常気候が俺たちを襲う。
「帰ったら冷房きんきんだからね~」
「みのりさんが辛くないですか、それ」
「毛布かぶるもん」
 やっぱりホッカイロ買っていきましょうよ、とドラッグストアを指さすと、大丈夫、と首を振られてしまった。まあ本人がそこまで言うのなら仕方ない。ピエールはふうふうと汗を拭きながら、またみのりさんの腰をさすっていた。
「みのり、指先つめたい」
「今ばかりは太陽がありがたいけど、あんまり浴びても熱中症になっちゃうしなあ」
 もどかしいな、夏の生理は。あっためた方がいいのに、身体は冷ましてないといけないなんて。
 みのりさんとピエールは、あついあついと「あついのうた」を歌いながら、日陰を繋いで歩いている。日向を歩いていると「恭二、負けね」と言われてしまったので、仕方なく俺も日陰から日陰へ飛び移った。
「小さい頃もしたよね、白線から落ちたらマグマとか」
 ちょうど横断歩道に差し掛かったので、俺たちは三人で白線から白線へ大股で歩いた。ここから落ちたら地獄なら、今いる場所は天国なのかもしれない。
「チョコレートと一緒に飲めるように、牛乳も買おうか」
「そうしたらみのり、ホットミルクできる!」
 あついあついと「あついのうた」を歌いながら、俺たちは太陽にあらがった。みのりさんはすっかり笑顔だった。
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