鋭百
誰にも言えやしない、こんな醜い気持ちなんて。
涼しさの塊みたいな電車の中で、僕は端の席に座っていた。端を好むのは日本人特有らしい、海外ではどっかりと真ん中に座ることが多い……何かの番組でそんな内容のものを見たことがある。別に、窓の外なら向かい側に見える。わざわざ真ん中に座る理由はなかった。
目の前に、しゃんと背筋を伸ばした女性が立っていた。椅子の横にある壁に背をつけて、進行方向とは反対側を向いて。山吹色のワンピースが鮮やかで、凛とした表情によく似合っていると思った。
いけない、あまりじろじろ見ては失礼だ。ドアの上の表示を見たかっただけなんです、行き先を確認したかったんです、と求められてもいないのに理由をつけて、ボクはその人から視線を逸らした。
お腹すいたなあ。家で何か食べてくればよかった。薄い爪をなぞりながら、空腹感に気付く。この後仕事なのに、もつだろうか。ケータリングあるかな。なかったらコンビニで買って行きたいな。最近のマイブームは、おこわのおにぎりだ。
昨日、またトロフィーを貰った。二位を祝うその縦長の置物はずっしりと重くて、だけどボクは涼やかな笑顔でそれを受け取った。嬉しいなあ、なんて上部だけの言葉を述べて。誰にも気づかれないのだから、嘘にも入らない。だってこんなの、もうどうだっていい。好きの反対は無関心。置く場所どうしよう、なんてふわふわと困るだけだ。
捨てたいなあ。こんなもの必要ないんだけどなあ。何に使えばいいんだろう。おもし? 文鎮みたいに? 邪魔なだけだ、そんなの。漬物石にしては軽すぎるし。まあ、漬物なんか作らないんだけど。食べたくなったら最寄りのスーパーで割引になっているのを買えばいい。いつ見ても、十パーセント割引のシールが貼ってある。
これで後ろから殴られたら、ひとたまりもないだろうな。恐ろしいことを思い付いてしまった。先端を握って、土台の角で、思いっきり。
日比谷線に乗り換える。さっき通り過ぎた六本木駅のことを考える。たぶんオシャレな人がオシャレなオフィスで働いてるんだろうな。そしてそこは、確実に百万ドルの夜景の一部になるんだろう。この世の「ロマンチック」は、ほとんど人工物だ。広大な海に落ちる夕陽は、ロマンチックというよりドラマチック、じゃないだろうか。あ、星空はロマンチックかも。都会からじゃあんまり見えないけど。
マユミくんと星が見たいなあ。ロマンチックなシチュエーションは、彼をとびきり引き立てるだろう。星空の下で、バルコニーで、ワインで乾杯なんかして。ボクらはまだお酒が飲めないから、お酒の力を借りずにキスしないといけない。甘い言葉は翌日までしっかり記憶されるだろう。恥ずかしいな、想像するだけで耳が熱くなる。
マユミくんと会ったら、伝えてみようかな。今夜、ボクの家で星を見ませんか、なんて。うわあ、ロマンチック。いや、ドラマチックかな。どっちだっていいや、恥ずかしいことに変わりはない。だけど彼はきっと、何だ突然、と言って微笑んだ後に、いいぞと言ってくれるだろう。いつだってボクを甘やかしてくれるんだから。おそらく本人に自覚はない。ボクはそこにつけこんでしまう。十パーセント割引の漬物みたいに? どっちもどっちかもしれない。
「あのね、マユミくん」
LINKの画面が目に眩しい。指は滑るようになめらかに動いた。渦巻く気持ち悪さを吐き出したくて、だけどぴいちゃんには言えないから、受け入れてくれる先に必死にしがみついた。
「ボクね、トロフィー、捨てなかったよ」
どんな甘い言葉より、それはずっしりと重かった。誰かを殴り殺せてしまうくらい重い。漬物石よりずっと重い。重い重い言葉は、あっさりと文字に化けて、ボクの心は軽くなる。
マユミくん、なんて言ってくれるかなあ。褒めてくれるかな、それとも困惑するかな。じわじわと汗ばむ額を拭った。もう七月も半ばなのだ。世界が熱されて火照ってる。ボクの耳裏よりずっと暑い。
誰にも言えやしない、こんな醜い気持ちなんて。エスカレーターで立ち止まって、ぐんぐんと上に進んでいく。止まってるのに、進んでいく。マユミくん、星空を見たいって、思ってくれるかなあ。隣にボクがいてもいいかなあ。ポケットの中のバイブ音に、気づかないふりをした。改札を出たら左へ。
汗が背中を伝った。ポケットの中は静かになった。星の見えない空を見上げた。太陽は容赦なく、ボクを殴る。
涼しさの塊みたいな電車の中で、僕は端の席に座っていた。端を好むのは日本人特有らしい、海外ではどっかりと真ん中に座ることが多い……何かの番組でそんな内容のものを見たことがある。別に、窓の外なら向かい側に見える。わざわざ真ん中に座る理由はなかった。
目の前に、しゃんと背筋を伸ばした女性が立っていた。椅子の横にある壁に背をつけて、進行方向とは反対側を向いて。山吹色のワンピースが鮮やかで、凛とした表情によく似合っていると思った。
いけない、あまりじろじろ見ては失礼だ。ドアの上の表示を見たかっただけなんです、行き先を確認したかったんです、と求められてもいないのに理由をつけて、ボクはその人から視線を逸らした。
お腹すいたなあ。家で何か食べてくればよかった。薄い爪をなぞりながら、空腹感に気付く。この後仕事なのに、もつだろうか。ケータリングあるかな。なかったらコンビニで買って行きたいな。最近のマイブームは、おこわのおにぎりだ。
昨日、またトロフィーを貰った。二位を祝うその縦長の置物はずっしりと重くて、だけどボクは涼やかな笑顔でそれを受け取った。嬉しいなあ、なんて上部だけの言葉を述べて。誰にも気づかれないのだから、嘘にも入らない。だってこんなの、もうどうだっていい。好きの反対は無関心。置く場所どうしよう、なんてふわふわと困るだけだ。
捨てたいなあ。こんなもの必要ないんだけどなあ。何に使えばいいんだろう。おもし? 文鎮みたいに? 邪魔なだけだ、そんなの。漬物石にしては軽すぎるし。まあ、漬物なんか作らないんだけど。食べたくなったら最寄りのスーパーで割引になっているのを買えばいい。いつ見ても、十パーセント割引のシールが貼ってある。
これで後ろから殴られたら、ひとたまりもないだろうな。恐ろしいことを思い付いてしまった。先端を握って、土台の角で、思いっきり。
日比谷線に乗り換える。さっき通り過ぎた六本木駅のことを考える。たぶんオシャレな人がオシャレなオフィスで働いてるんだろうな。そしてそこは、確実に百万ドルの夜景の一部になるんだろう。この世の「ロマンチック」は、ほとんど人工物だ。広大な海に落ちる夕陽は、ロマンチックというよりドラマチック、じゃないだろうか。あ、星空はロマンチックかも。都会からじゃあんまり見えないけど。
マユミくんと星が見たいなあ。ロマンチックなシチュエーションは、彼をとびきり引き立てるだろう。星空の下で、バルコニーで、ワインで乾杯なんかして。ボクらはまだお酒が飲めないから、お酒の力を借りずにキスしないといけない。甘い言葉は翌日までしっかり記憶されるだろう。恥ずかしいな、想像するだけで耳が熱くなる。
マユミくんと会ったら、伝えてみようかな。今夜、ボクの家で星を見ませんか、なんて。うわあ、ロマンチック。いや、ドラマチックかな。どっちだっていいや、恥ずかしいことに変わりはない。だけど彼はきっと、何だ突然、と言って微笑んだ後に、いいぞと言ってくれるだろう。いつだってボクを甘やかしてくれるんだから。おそらく本人に自覚はない。ボクはそこにつけこんでしまう。十パーセント割引の漬物みたいに? どっちもどっちかもしれない。
「あのね、マユミくん」
LINKの画面が目に眩しい。指は滑るようになめらかに動いた。渦巻く気持ち悪さを吐き出したくて、だけどぴいちゃんには言えないから、受け入れてくれる先に必死にしがみついた。
「ボクね、トロフィー、捨てなかったよ」
どんな甘い言葉より、それはずっしりと重かった。誰かを殴り殺せてしまうくらい重い。漬物石よりずっと重い。重い重い言葉は、あっさりと文字に化けて、ボクの心は軽くなる。
マユミくん、なんて言ってくれるかなあ。褒めてくれるかな、それとも困惑するかな。じわじわと汗ばむ額を拭った。もう七月も半ばなのだ。世界が熱されて火照ってる。ボクの耳裏よりずっと暑い。
誰にも言えやしない、こんな醜い気持ちなんて。エスカレーターで立ち止まって、ぐんぐんと上に進んでいく。止まってるのに、進んでいく。マユミくん、星空を見たいって、思ってくれるかなあ。隣にボクがいてもいいかなあ。ポケットの中のバイブ音に、気づかないふりをした。改札を出たら左へ。
汗が背中を伝った。ポケットの中は静かになった。星の見えない空を見上げた。太陽は容赦なく、ボクを殴る。