その他
潮の満ち引きは、月の引力に左右されているらしい。あいにくと俺は、月については詳しくない。太陽の光を跳ね返すことでしか光れない星のことなんて。
「どうした、秀。顔色が悪いぞ」
「……おはようございます、鋭心先輩」
音ゲーの途中で話しかけられてもミスをしないのが、俺のすごいところだ。ノーミスでクリアしてから、改めて鋭心先輩に向き直る。
「昨日夜更かししたからだと思います」
「近頃、毎日暑いだろう。体調管理には……」
「わかってますって」
鋭心先輩は「親なの?」と思うほど、時に過干渉だ。スマホの見すぎは目に悪いとか、フルーツを食べろとか。同年代のソレじゃないんだよな。まあ、見てて面白いからいいんだけど。次にプレイする曲を探しているうちに、百々人先輩が事務所に着いた。プロデューサーはまだ来ない、前の仕事が押しているのだろうか。
「おはよう。あれ、しゅーくん、顔色悪い?」
「……百々人先輩の第一声もソレなワケ?」
俺、そんなに顔色わるいかな。うまくごまかせてると思っていたんだけど。百々人先輩にも「夜更かししたからだと思う」と適当に嘘をついておいたけど、あと二、三日こんな調子だと、さすがにごまかせないかもしれない。俺はゲームを続けることを諦めて、大きく伸びをした。この事務所は日当たりも風通しもいい。伸びをするのにちょうどいい。百々人先輩はキッチンへ行き、冷蔵庫をごそごそしはじめたと思うと、振り返って俺においでおいでをした。大人しく彼の元に向かうと、手の中には真っ黒な液体。
「元気が出るドリンク、飲む?」
「アンタそれ何混ぜたんですか」
差し出されたおどろおどろしい飲みものを手で払ったとき、あれ、と百々人先輩の眉が動いた。やばいと思ったけど、あっけなく手を掴まれてしまう。背中がひやっとする。彼の手はあたたかいのに。
「……しゅーくんて、低体温だっけ」
「どうした、百々人」
「手が冷えっ冷えなの。氷みたい」
鋭心先輩まで近寄ってきて、俺の手を取る。あーあ、二人してそんな目で見ないでよ。今に始まったことじゃないんだし。事務所のキッチンで三人で手を取り合って、一体何をしているんだか。百々人先輩の左手のコップの中身が、しゅわしゅわと弾けている。コーラでも混ぜたのかな。
「……冷房で冷えたか」
「体調悪いなら、今日のレッスン休む?」
「あー、違う。そうじゃなくて」
俺は盛大に溜息を吐いた。いずれこの時はくるんだろうと思っていたから、仕方ない。むしろ今まで気づかれなかったことが奇跡みたいなものだ。この日とあの日だけ、極力注意していたにすぎないけれど。
「俺、変温動物なんです」
「……は?」
さらっと言ってみたけれど、予想通りの反応だ。二人ともぽかんと口を開けている。謎コーラのしゅわしゅわだけがその場に響いて、例えばアニメならここで3カメくらい使われそうだなって思った。他人事みたいだ。
「明日、新月でしょう。月の満ち欠けにあわせて、俺の体温は変化するんです。嘘だと思ったら半月後、俺の手触ってみてよ。四十度くらいあるから」
「……Pちゃんは知ってるの」
「当たり前。最初に話してある。握手会だけは新月をずらしてもらうように調整済み」
「……知らなかった」
二人は俺の手を離さないまま、黙ってしまった。そりゃそうだ、だって言ってなかったんだから。だけど俺のすごいところは、新月でも体力を失わないところだ。まるでノーミスでリズムゲーをクリアするくらいの簡単なことだけれど、これって希少らしいんだよね。まあ、この体質がそもそも希少なんだけど。
「まだまだ僕たち、しゅーくんのこと知らないんだ」
「あらかた言いましたけどね。そこはお互い様って言うか。親密度が上がってくゲームみたいで面白いんじゃない?」
ていうか、体質のことに突っ込んでよ。なんでそこは素直に受け入れてるの。二人は僕の手を強く握って、まるで体温を分けようとしているみたいだった。
これは今後も月に一回、手を握られるな。そう確信したところで、あー、なにしてるの、ともふもふえんのみんなが事務所にやってきた。今日は俺たちがもふもふえんの番組にゲスト出演する回についての打ち合わせの日。かのんも手つなぐ、と言われて焦ったけれど、そこは百々人先輩がうまいこと自分に誘導してくれたので助かった。
遅れて部屋に入ってきたプロデューサーと目が合う。うん、バレちゃったんだ。俺の秘密。
まあ、バレたって、何がどうってことないんだけど。
それからきっかり半月後、またしても事務所のキッチンで、三人で手を取り合っていた。来来美食の振り入れでも、こんなことしなかったのに。今日も二人は眉をしかめている。満月の日、俺の体温は四十度を超えていた。
「……あつい」
「あついな」
「だから言ったでしょ」
先輩たちは目を合わせて、それからくすくすと笑った。手を繋いでいることに、今更おかしくなったらしい。恥ずかしい気がしているのは俺だけなのか。今日は謎コーラはないから、しゅわしゅわの拍手は聞こえない。
「ね、満月の時は、僕たちのことあたためてよ。特に冬」
「新月の時は、俺たちがあたためよう。特に冬」
冬の約束を夏にするだなんて、なんだか芸能人みたいだ。なんて、もうとっくに芸能人なんだけど。俺までおかしくなって、三人で笑い合った。こんな体質、笑いに結びつくとは思わないじゃん。
熱いだろうに、二人はいつまでたっても俺の手を離さなかった。遅れて部屋に入ってきたプロデューサーに驚かれるまで、俺たちはそのままの姿勢で新曲を口ずさんでいた。
潮の満ち引きは、月の引力に左右されているらしい。あいにくと俺は、月については詳しくない。二人の太陽によって両側から照らされたら、とんでもなく光ってしまうんじゃないかって、考えたことなかったくらいに。
「どうした、秀。顔色が悪いぞ」
「……おはようございます、鋭心先輩」
音ゲーの途中で話しかけられてもミスをしないのが、俺のすごいところだ。ノーミスでクリアしてから、改めて鋭心先輩に向き直る。
「昨日夜更かししたからだと思います」
「近頃、毎日暑いだろう。体調管理には……」
「わかってますって」
鋭心先輩は「親なの?」と思うほど、時に過干渉だ。スマホの見すぎは目に悪いとか、フルーツを食べろとか。同年代のソレじゃないんだよな。まあ、見てて面白いからいいんだけど。次にプレイする曲を探しているうちに、百々人先輩が事務所に着いた。プロデューサーはまだ来ない、前の仕事が押しているのだろうか。
「おはよう。あれ、しゅーくん、顔色悪い?」
「……百々人先輩の第一声もソレなワケ?」
俺、そんなに顔色わるいかな。うまくごまかせてると思っていたんだけど。百々人先輩にも「夜更かししたからだと思う」と適当に嘘をついておいたけど、あと二、三日こんな調子だと、さすがにごまかせないかもしれない。俺はゲームを続けることを諦めて、大きく伸びをした。この事務所は日当たりも風通しもいい。伸びをするのにちょうどいい。百々人先輩はキッチンへ行き、冷蔵庫をごそごそしはじめたと思うと、振り返って俺においでおいでをした。大人しく彼の元に向かうと、手の中には真っ黒な液体。
「元気が出るドリンク、飲む?」
「アンタそれ何混ぜたんですか」
差し出されたおどろおどろしい飲みものを手で払ったとき、あれ、と百々人先輩の眉が動いた。やばいと思ったけど、あっけなく手を掴まれてしまう。背中がひやっとする。彼の手はあたたかいのに。
「……しゅーくんて、低体温だっけ」
「どうした、百々人」
「手が冷えっ冷えなの。氷みたい」
鋭心先輩まで近寄ってきて、俺の手を取る。あーあ、二人してそんな目で見ないでよ。今に始まったことじゃないんだし。事務所のキッチンで三人で手を取り合って、一体何をしているんだか。百々人先輩の左手のコップの中身が、しゅわしゅわと弾けている。コーラでも混ぜたのかな。
「……冷房で冷えたか」
「体調悪いなら、今日のレッスン休む?」
「あー、違う。そうじゃなくて」
俺は盛大に溜息を吐いた。いずれこの時はくるんだろうと思っていたから、仕方ない。むしろ今まで気づかれなかったことが奇跡みたいなものだ。この日とあの日だけ、極力注意していたにすぎないけれど。
「俺、変温動物なんです」
「……は?」
さらっと言ってみたけれど、予想通りの反応だ。二人ともぽかんと口を開けている。謎コーラのしゅわしゅわだけがその場に響いて、例えばアニメならここで3カメくらい使われそうだなって思った。他人事みたいだ。
「明日、新月でしょう。月の満ち欠けにあわせて、俺の体温は変化するんです。嘘だと思ったら半月後、俺の手触ってみてよ。四十度くらいあるから」
「……Pちゃんは知ってるの」
「当たり前。最初に話してある。握手会だけは新月をずらしてもらうように調整済み」
「……知らなかった」
二人は俺の手を離さないまま、黙ってしまった。そりゃそうだ、だって言ってなかったんだから。だけど俺のすごいところは、新月でも体力を失わないところだ。まるでノーミスでリズムゲーをクリアするくらいの簡単なことだけれど、これって希少らしいんだよね。まあ、この体質がそもそも希少なんだけど。
「まだまだ僕たち、しゅーくんのこと知らないんだ」
「あらかた言いましたけどね。そこはお互い様って言うか。親密度が上がってくゲームみたいで面白いんじゃない?」
ていうか、体質のことに突っ込んでよ。なんでそこは素直に受け入れてるの。二人は僕の手を強く握って、まるで体温を分けようとしているみたいだった。
これは今後も月に一回、手を握られるな。そう確信したところで、あー、なにしてるの、ともふもふえんのみんなが事務所にやってきた。今日は俺たちがもふもふえんの番組にゲスト出演する回についての打ち合わせの日。かのんも手つなぐ、と言われて焦ったけれど、そこは百々人先輩がうまいこと自分に誘導してくれたので助かった。
遅れて部屋に入ってきたプロデューサーと目が合う。うん、バレちゃったんだ。俺の秘密。
まあ、バレたって、何がどうってことないんだけど。
それからきっかり半月後、またしても事務所のキッチンで、三人で手を取り合っていた。来来美食の振り入れでも、こんなことしなかったのに。今日も二人は眉をしかめている。満月の日、俺の体温は四十度を超えていた。
「……あつい」
「あついな」
「だから言ったでしょ」
先輩たちは目を合わせて、それからくすくすと笑った。手を繋いでいることに、今更おかしくなったらしい。恥ずかしい気がしているのは俺だけなのか。今日は謎コーラはないから、しゅわしゅわの拍手は聞こえない。
「ね、満月の時は、僕たちのことあたためてよ。特に冬」
「新月の時は、俺たちがあたためよう。特に冬」
冬の約束を夏にするだなんて、なんだか芸能人みたいだ。なんて、もうとっくに芸能人なんだけど。俺までおかしくなって、三人で笑い合った。こんな体質、笑いに結びつくとは思わないじゃん。
熱いだろうに、二人はいつまでたっても俺の手を離さなかった。遅れて部屋に入ってきたプロデューサーに驚かれるまで、俺たちはそのままの姿勢で新曲を口ずさんでいた。
潮の満ち引きは、月の引力に左右されているらしい。あいにくと俺は、月については詳しくない。二人の太陽によって両側から照らされたら、とんでもなく光ってしまうんじゃないかって、考えたことなかったくらいに。