その他

 近頃、プロデューサーの態度が変な気がする。じーっと俺のことを見ていたかと思えば慌てて目を逸らすことが多くなった。俺はそのたびに顔に何かついているのか確認したり、服にタグがつけっぱなしなのかと心配したり、背後に霊でもいるのかと悩んだりしていたのだが、まあ考えすぎだろう、というところに落ちついた。プロデューサーは激務だ、きっとただ疲れているだけだろう。ぼーっとしてしまうことくらいある。
 よく晴れた暑い日だった。俺は家で水分補給をしてくるのを忘れてしまい、事務所で何か飲もうと息を切らしていた。まずは顔を出さねば、とドアノブに手をかけたところで、中からなにやら大きな声が聞こえてくる。
「あ~~~~タケルのおっぱい揉ませてくれないかな~~~~!!」
 ……聞き間違いだろうか。俺は呼吸を整えるのに精いっぱいで、ドアノブを捻ることが出来なかった。中からプロデューサー以外の声は聞こえない。
「タケルのデカパイ揉ませてくれたら元気でるのになあ~~~~!!」
 ……聞き間違いではなさそうだ。俺は混乱する頭を振って、なんとか言葉の意味を理解しようと努めた。俺は女じゃないから、揉めるような乳房はないのだが。確かに胸筋はある方だから、デカイと言えばデカイのかもしれないけれど。
 俺の胸筋を触ったら、プロデューサーは元気になるのか? そんなことで? みんなに平等に「君の一番のファンだよ」といつも言っているからには、俺の一番のファンではあるだろうから、推しアイドルの身体に触れると元気になるといったところか?
 聞いてみないことにははじまらない。俺は呼吸を正して、ドアノブを回した。
「おはようございます」
「…………お、おはよう! 早いねタケル」
「ああ。……あ、の」
「暑いよね! なにか飲み物いれようか!」
「さ、サンキュ」
 ひどく焦っているように見える。やはり聞かれちゃまずい発言だったのかもしれない。聞こえてなかった振りをしたほうがよかっただろうか。でも今更もう遅い、きっと気付かれている。ばっちり聞こえていたことが。
「はい、麦茶」
 プロデューサーは自分の分のコップも持っていた。二人で一緒に喉を潤しているあいだの沈黙がいたたまれなくて、俺は思い切って尋ねてみる。
「なあ。さっき、俺の胸を揉みたいって聞こえてきたんだが」
「ブーーーーーーッ」
 大きく咳き込んだプロデューサーの背中をさする。噴き出した麦茶を拭くための台拭きを用意したら、プロデューサーは今にも死にそうな顔をしていた。
「誰もいないと思って……忘れてください……」
「い、いや。アンタがそれで元気が出るなら、って……」
「え……?」
「いや、だから……も、揉むか? 俺の胸」
「えっ。嬉し……、いややっぱりなんでもない」
 プロデューサーは大きく頭を振って深呼吸しだした。さっきの俺と一緒だ。冷静になろうと努めている。俺は構わないのだから、いくらでもその程度叶えてやれるのに。
「アイドルの身体にいたずらに触れるなんてね、だめだから」
「俺はいいぜ」
「う……ッ」
 今度はスクワットをしだした。これは冷静になろうと努めてると言えるのか? 彼の奇行は今にはじまったことではないが。
 俺は麦茶の入ったコップを机の上に置いて、プロデューサーの手を取った。ほんのり汗ばんでいる。スクワットの疲れで判断が鈍っているうちに、俺は自分の胸筋へプロデューサーの手を導いた。
 むにっ。
「ほら……ど、どうだ」
「……?」
 ああ、固まってしまった。プロデューサーはスクワットの予備動作のポーズで息もせずに硬直してしまった。俺はどうしたらいいのか分からなくて、再度自分の胸にプロデューサーの手を押し付ける。
「……これで、アンタは元気になるのか?」
「き……キャーーーーーーッ!!!」
 プロデューサーは我に返ったかと思うと、女性みたいな叫び声をあげて、ばたばたと走って行ってしまった。俺は何か間違っていたか? 彼の望みを聞いただけにすぎないのに……。
 とりあえず麦茶を飲み干して、俺は台拭きを洗った。流水に手を浸していると、思考がクリアになっていく。
 俺は一体、何をしているんだ。触られた箇所がどっと汗をかきだした。俺は一人で、もう一杯麦茶を飲んだ。
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