その他

「憧れで蝶が殺せるかって話だよ」
 驚いて隣を見ると、きらきらとした瞳はそのままに、みのりさんは微笑んだ。
「他人だからいいんだよ。アイドルって」
 俺はまた彼の知らない一面を見てしまい、なんと表現したらいいのかわからない動揺を飲み込んで、机の上のコーラを見る。グラスが汗をかいている。パーティだもんね、これはパーティだよ、と言いながら注いだ彼は口をつけていない。
 ピエールを見送って、そのままいつものようにコンビニに行き、いつものように俺の家に来たみのりさんは、今日はいいものがあるんだよとライブBlu-rayを取り出した。俺は作詞作業の続きをするもんだと思ってたからノートを取り出していたけれど、大人しく引き下がることにする。みのりさんがいなければ、こういう勉強は自分から出来ない。「ここだけでいいから」という部分まで慣れた手つきで飛ばされ、「ここだけ見て」と強調してきたその画面の向こうのアイドルはたおやかに笑っていて、アイドルが「偶像」に振られるルビだということを思い出す。作り上げられた神のようだ、と思った。
「みのりさんは、こういう人の隣に立ちたいって思うんすか?」
 それはふと口をついて出た言葉だった。自分でも何を言ってるかわからない。彼の隣は自分とピエールだ、という譲れない思いがどこか嫉妬心を湧き上がらせたのかもしれない。だけどみのりさんから返ってきた言葉は、「憧れで蝶が殺せるかって話だよ」というものだった。
「俺を個として見てないというか。そりゃ握手会でお話できたらアガるし、アイドル同士としてお仕事ができるなら願ったり叶ったりだけどさ。スポットライトの中の別次元を、こちら側として見ているのがいいというか」
 みのりさんはリモコンを手に取り、一時停止を押した。俺は客席から自分を見上げるところを想像する。何度も想像したことはあるが、蝶として見たことはない。
「想いが届かないからこそ、アイドルなんだよ」
 もちろんファンのみんなの気持ちは受け取ってるけどね、難しいね、何と言ったらいいんだろうね。みのりさんはわたわたとリモコンを振る。俺としては気軽にきいただけだったので、責めているようになってしまい申し訳ない。
 少しの間があって、二人してコーラを手に取る。今日は作詞をするつもりだったので酒は買っていない。二人で酒を飲むとピエールに「密会!」と言われてしまうのだが、はやくピエールもその密会に参加してほしいと願う。しゅわしゅわと炭酸が弾け、口の中が痛い。
「……たとえばさ。恭二が一人でアイドルデビューしてても、俺はきっと見つけてたと思うよ。でもそこでの世界では、俺は絶対に恭二と交わらない。他人だからいいんだよ、アイドルって」
 甘い液体が喉を刺激する。彼に出会えない世界を飛ぶ蝶は、同じだけ美しいだろうか。俺にはその世界が見えないからわからない。みのりさんだけがデビューしてても、俺は見つけられてなかったろう。みのりさんのいない世界。偶像じゃなくて、隣にいて欲しいだけなのに。
「……俺さ。恭二に出会えてよかったって思うよ。もちろんピエールも、プロデューサーも」
 ふふ、と笑うみのりさんに、どくんと心臓が鳴る。みのりさんはずるい。俺の言いたいことをいつもさらりと言ってしまう。だから俺はコーラを一気飲みすることしか出来ない。食道が燃えそうだ。
「……俺!」
「ん?」
 みのりさんの手からリモコンを奪い、電源ボタンを押す。画面が暗くなり、反射して俺たちの顔が映った。俺はなんとも情けない顔をしていて、偶像からはかけはなれた姿だった。
「俺は……みのりさんの隣に、ずっと居たいって、思います」
 憧れで蝶は殺せない。目の前にいるこの人も、俺の憧れの気持ちなんて知らんぷりで、いつだって涼やかで。
 彼のきらきらした瞳が好きだ。影のない言葉が好きだ。
「俺もだよ」
「そうじゃなくて」
 みのりさんの手を取る。捕まえなければ、飛んで行ってしまうかもしれない。数多あるスポットライトに吸い寄せられてしまうかもしれない。そうじゃなくて、今この瞬間、ここにいる俺を見て欲しい。
「……すき、です」
 しゅわしゅわ。ぱちぱち。みのりさんの手の中のコーラが音を立てて弾ける。たっぷり五秒息を止めた俺を見て、みのりさんは面白そうにけらけらと笑った。
「恭二、顔真っ赤!」
「か、からかわないでください!」
「あはは、ごめんごめん」
 だって、おかしくて、と笑う彼に釣られて真っ暗なテレビ画面を見てみると、確かに沸騰しそうな自分がいて、俺はさらに顔を熱くさせる。役としていくら甘い台詞を言っていようが、慣れないものは慣れない、仕方ないじゃないか。うつむいていると、みのりさんのあたたかな手が俺の手を握り返した。
「あのね、恭二。俺も恭二が好き」
「……え」
「アイドルとしてじゃなくて。もちろんアイドルとしても好きだけど。ずっと一緒にいたいって、そう思うよ」
 みのりさんは嬉しそうに笑っていて、俺もへにゃりと笑い返す。いいや、今は、これだけで。ここまで言えたなら我ながら上出来だ。
 手を口元にあてながらくすくす笑う彼の、なんと美しいことか。この蝶は憧れを吸って輝いているのかもしれない。
「……綺麗だなあ」
「え?」
「あ、いや、みのりさんの笑ってるとこ見てなんか……すんません」
「……恭二、そういうとこ!」
 今度はみのりさんが真っ赤になる番だった。彼のスイッチがわからない。ただ熱くなる手を愛しく思った。
 結局その日は作詞作業も進まず、事情を知ったピエールにまたしても「密会!」と羨まれてしまうのだった。
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