雨想(〜2024.2.18まで/以降はtopから)
死ぬ時に笑っていられたらいいなぁ、というのが、僕の目下の目標である。人生にはたくさんのレールが敷いてあって、どの道を歩くかは僕次第なのだけど、行き止まりだったり崩れ落ちてたり、途中で合流したりするその道の先は、想像することしかできない。
暗闇の先、どうか終着点が笑顔でありますように、と願ってやまないのだ。
納得したい。僕の選択全てを。何故こんなことを思うかというと、きっと不安で足元がぐらついているからだ。クォーターライフクライシスになるには、まだ若すぎるだろうか。安心したい。確かな安心が欲しい。
「また難しいことを考えてるな」
「……そんなに分かりやすいですかー?」
「眉間に皺が寄ってた。跡になるぜ」
僕の眉と眉の間を親指で数度撫で、雨彦さんは微笑んだ。素肌にシーツの波が気持ちよく、甘い気怠さに包まれた僕はその手を振り払うこともしなかった。水は? と聞かれ、欲しい、と答える。キッチンに立った彼の腰骨を見ていた。大きくてがっしりとしている。
「ほら」
「……開けてもらえますかー? 力が入らなくてー」
「はは、どうりで背中が痛いわけだ」
そんなに力強く抱き寄せていた自覚はないのだけど。昨日のうちに爪を切っておいてよかった。
雨彦さんはペットボトルに口をつけ、ぐっと上を向き、無言で僕の頬を摘んだ。寝転んだままの僕は事態を察し、うっすらと唇を開ける。
雨彦さんの唇が僕の口内をこじ開け、そのまま生ぬるい水が流れ込んできた。ゆっくりゆっくりと頬の内側に増える水を、こくりと飲み込んでいく。
「……ぷは」
「足りたかい?」
「普通に飲ませてくれればいいのにー」
「起き上がるのも億劫かと思ったんだがな」
もう一口飲むか? と聞かれて、ふるふると頭を揺らした。彼の大きな手のひらが僕の髪を遊ぶ。汗はすっかり冷えていた。さっきまであんなに火照っていたのに。
「何を考えてたんだ?」
「……火は一瞬で消えるってこと」
「水をかけるのか、消えるまで燃やし続けるのか、薪をくべるのか、迷ってるってとこかい」
「ううん。迷うのはその都度なんですけどー。……選択した瞬間、別の未来のことを考えてしまうなー、って」
「はは。若さだな」
「またそれですかー?」
じゃあ、そんなに若さを唱えるなら、この呪いは歳と共に消えていくんですかー? 僕は彼の頬を摘んだ。水を飲んだ後だからか、ひんやりしている。
「人類にあまねく降りかかる呪いだからな。時には加齢とともに強くなる。でも北村の頃は、いっとう強いだろう」
「……雨彦さんは、薄まったー?」
「お前さんたちのおかげでな。見えなかった道の先を、考えられるようになったぜ」
ポンポン、と手のひらが頭の上で跳ねる。彼はきっと、僕より多くのレールを見てきただろう。振り返ることも多かったろう。だけど、きっと、見晴らせる世界が増えたんだろうな。それは経験と自信という財産だ。僕は立ち寄れる港ばかり探してしまって、息継ぎに必死だというのに。
「こんなこと言うと傲慢かもしれないけどな。北村にとって、いつでも帰って来れる場所でありたいと思ってるよ」
「……どんなに迷子になっても?」
「どんなに泣いてても、どんなに走ってても」
僕は布団の中からのそのそと出て、雨彦さんの肩に頭を置いた。身長差のせいで、そこは肩というより、ほとんど胸だけれど。
「……僕は、なれてますかー? 雨彦さんの、帰る場所に」
「ああ、もちろんさ」
優しい声に、どうせなら嘘だと言ってくれればよかったのに、と視界が潤んだ。優しい嘘をついていてよ。僕ばかり必死で、本当に子供っぽい。早く大人になって、この不安から抜け出したいのに。法律で成人の年齢が変わったって、精神年齢まで変わるわけじゃないのに。
「例えば俺は、視界に北村がいるだけですごく嬉しいし、勇気が湧いたりするぜ」
「……うそ」
「ほんとさ。愛しくなって、笑顔になる」
「うそ」
「ほんとさ」
雨彦さんは僕の頬を拭い、大きく屈んで唇を触れさせた。彼の吐息が熱かった。
「俺はもう、お前さん無しじゃ歩けない」
「……」
「北村は?」
雨彦さんに抱きしめられて、僕は肺に溜まってた息を細く細く吐き出した。二十になったら、たばこでも吸ってみようかな。アイドルだからやめた方がいいに決まってるけど。
「……雨彦さんは大きいから、どこにいても目に入るんですー」
「そりゃあそうだろう」
「だから、僕の半径二メートルは、いつも賑やかですよー」
「にぎやか?」
心臓がどくどくしたり、そわそわしたり。手先までポカポカしたり、腹が疼いたり。鼻がツンとしたり、口がもの寂しくなったり。賑やかと言わずして、なんと言えばいい。
「……やっと笑ったな」
もう一度キスをしながら、雨彦さんも笑う。しばらくは、これがお守りでいいや、と思った。
彼の笑顔に帰れるなら、どんなレールでも選べるだろう。
「……また、喉乾いちゃいましたー」
「ほらよ」
ペットボトルを渡されそうになり、僕はふるふると頭を揺らす。
「もう一度、キスしてくれませんかー?」
「仕方ないな」
雨彦さんが水を口に含むのを見上げながら、僕は雨彦さんに腕を回した。たっぷりと水を飲みたかったのと、彼の鼓動を聴きたくなったからだ。
願わくば、彼の最期も笑顔でありますように。僕が共に歩いた道を、誇りに思ってくれますように。
生ぬるい水が流れ込んでくるのと同時に、僕は目を瞑った。もうそこに涙はなかった。
暗闇の先、どうか終着点が笑顔でありますように、と願ってやまないのだ。
納得したい。僕の選択全てを。何故こんなことを思うかというと、きっと不安で足元がぐらついているからだ。クォーターライフクライシスになるには、まだ若すぎるだろうか。安心したい。確かな安心が欲しい。
「また難しいことを考えてるな」
「……そんなに分かりやすいですかー?」
「眉間に皺が寄ってた。跡になるぜ」
僕の眉と眉の間を親指で数度撫で、雨彦さんは微笑んだ。素肌にシーツの波が気持ちよく、甘い気怠さに包まれた僕はその手を振り払うこともしなかった。水は? と聞かれ、欲しい、と答える。キッチンに立った彼の腰骨を見ていた。大きくてがっしりとしている。
「ほら」
「……開けてもらえますかー? 力が入らなくてー」
「はは、どうりで背中が痛いわけだ」
そんなに力強く抱き寄せていた自覚はないのだけど。昨日のうちに爪を切っておいてよかった。
雨彦さんはペットボトルに口をつけ、ぐっと上を向き、無言で僕の頬を摘んだ。寝転んだままの僕は事態を察し、うっすらと唇を開ける。
雨彦さんの唇が僕の口内をこじ開け、そのまま生ぬるい水が流れ込んできた。ゆっくりゆっくりと頬の内側に増える水を、こくりと飲み込んでいく。
「……ぷは」
「足りたかい?」
「普通に飲ませてくれればいいのにー」
「起き上がるのも億劫かと思ったんだがな」
もう一口飲むか? と聞かれて、ふるふると頭を揺らした。彼の大きな手のひらが僕の髪を遊ぶ。汗はすっかり冷えていた。さっきまであんなに火照っていたのに。
「何を考えてたんだ?」
「……火は一瞬で消えるってこと」
「水をかけるのか、消えるまで燃やし続けるのか、薪をくべるのか、迷ってるってとこかい」
「ううん。迷うのはその都度なんですけどー。……選択した瞬間、別の未来のことを考えてしまうなー、って」
「はは。若さだな」
「またそれですかー?」
じゃあ、そんなに若さを唱えるなら、この呪いは歳と共に消えていくんですかー? 僕は彼の頬を摘んだ。水を飲んだ後だからか、ひんやりしている。
「人類にあまねく降りかかる呪いだからな。時には加齢とともに強くなる。でも北村の頃は、いっとう強いだろう」
「……雨彦さんは、薄まったー?」
「お前さんたちのおかげでな。見えなかった道の先を、考えられるようになったぜ」
ポンポン、と手のひらが頭の上で跳ねる。彼はきっと、僕より多くのレールを見てきただろう。振り返ることも多かったろう。だけど、きっと、見晴らせる世界が増えたんだろうな。それは経験と自信という財産だ。僕は立ち寄れる港ばかり探してしまって、息継ぎに必死だというのに。
「こんなこと言うと傲慢かもしれないけどな。北村にとって、いつでも帰って来れる場所でありたいと思ってるよ」
「……どんなに迷子になっても?」
「どんなに泣いてても、どんなに走ってても」
僕は布団の中からのそのそと出て、雨彦さんの肩に頭を置いた。身長差のせいで、そこは肩というより、ほとんど胸だけれど。
「……僕は、なれてますかー? 雨彦さんの、帰る場所に」
「ああ、もちろんさ」
優しい声に、どうせなら嘘だと言ってくれればよかったのに、と視界が潤んだ。優しい嘘をついていてよ。僕ばかり必死で、本当に子供っぽい。早く大人になって、この不安から抜け出したいのに。法律で成人の年齢が変わったって、精神年齢まで変わるわけじゃないのに。
「例えば俺は、視界に北村がいるだけですごく嬉しいし、勇気が湧いたりするぜ」
「……うそ」
「ほんとさ。愛しくなって、笑顔になる」
「うそ」
「ほんとさ」
雨彦さんは僕の頬を拭い、大きく屈んで唇を触れさせた。彼の吐息が熱かった。
「俺はもう、お前さん無しじゃ歩けない」
「……」
「北村は?」
雨彦さんに抱きしめられて、僕は肺に溜まってた息を細く細く吐き出した。二十になったら、たばこでも吸ってみようかな。アイドルだからやめた方がいいに決まってるけど。
「……雨彦さんは大きいから、どこにいても目に入るんですー」
「そりゃあそうだろう」
「だから、僕の半径二メートルは、いつも賑やかですよー」
「にぎやか?」
心臓がどくどくしたり、そわそわしたり。手先までポカポカしたり、腹が疼いたり。鼻がツンとしたり、口がもの寂しくなったり。賑やかと言わずして、なんと言えばいい。
「……やっと笑ったな」
もう一度キスをしながら、雨彦さんも笑う。しばらくは、これがお守りでいいや、と思った。
彼の笑顔に帰れるなら、どんなレールでも選べるだろう。
「……また、喉乾いちゃいましたー」
「ほらよ」
ペットボトルを渡されそうになり、僕はふるふると頭を揺らす。
「もう一度、キスしてくれませんかー?」
「仕方ないな」
雨彦さんが水を口に含むのを見上げながら、僕は雨彦さんに腕を回した。たっぷりと水を飲みたかったのと、彼の鼓動を聴きたくなったからだ。
願わくば、彼の最期も笑顔でありますように。僕が共に歩いた道を、誇りに思ってくれますように。
生ぬるい水が流れ込んでくるのと同時に、僕は目を瞑った。もうそこに涙はなかった。
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