雨想(〜2024.2.18まで/以降はtopから)

 本日三度目のカフェ。喉が渇いて仕方ない。
 連日、雨彦さんに血を分け与えているからだと思う。カフェインばかり摂るなと眉を顰められたから、ブラッドオレンジジュースにするけれど、どうして僕がこんなに気を遣わなければならないんだろう。
 きっかけは本当に些細なことで、雨彦さんが吸血しているところを見てしまったのだ。撮影してた建物の、外に続く非常階段の踊り場。外の空気が吸いたくなって、と一人でぷらぷら出ていったら、ばったり。スタッフの一人がこっそり喫煙しているところを口説いたらしい。吸血された時の記憶は消せるから、特に騒がれもせず、こうして撮影やロケのたび、事に及んでいたという訳だ。
「時折ふらふらとどこかに行くのは、そういう訳だったんですねー」
「ああ。この業界は女性が多いからな、特に困らずに過ごせるぜ」
「雨彦さん、普通に食事もするのに」
「吸血鬼って言っても、ほとんど人間みたいなもんさ。人間の生活をする」
 血を吸うのは、どうやら精気を得るためらしい。まあ、器用な人だから、今までもバレずにやってこれたんだろうけど。
「ねえ、それってさー、男性の血でも大丈夫なのー?」
「ああ、若ければ同じだけ精気を吸えるな」
「じゃあ、僕にしたらー? いつでもどうぞー」
「……いいのか?」
 こうして、この関係の出来上がり。
 下心が無いと言ったら嘘になる。どこの誰かも知らない女性に嫉妬も覚えたかもしれない。だけどこれで、彼を繋ぎとめられる、と思った。僕から離れられなくなればいいのに、と唱えながら、でも、僕だって歳を取る。雨彦さんだって、毎度同じ食事では飽きるだろう。束の間の戯れなんだ、どうせ、きっと、たぶん。こめかみのあたりがじんじんする。血を吸われすぎただろうか。
「北村」
「……雨彦さん?」
 名前を呼ばれた方を見上げれば、そこには見知った顔があった。特に待ち合わせをしているでもなかったのに、こんな偶然があるのか。
「外から見えたからな。お邪魔じゃないかい?」
「ええ、どうぞー」
「……酷い顔色だぞ」
「……え」
 おかしいなー、と下手に笑って見せて、それが下手過ぎたことを知る。雨彦さんの険しい顔。運ばれてきたカフェラテの香りに、頭がくらくらする。
「……悪いな、俺のせいだ」
「そんなことないですよー」
「いや、俺の責任だ。すまない」
 ああ、そんなに謝らないで。僕は嬉しかったんだから。なんて、そんなこと言えるはずもなく。
 彼に吸血されてる間、彼のものになれた気がするのだ。彼の腕の中で、彼の体温を、心音を聞きながら、生きてるなあ、と感じるのが、ぞくぞくして気持ちよかったのだ。愛しい、という感情が、血潮から彼に伝わらないように願わずにはいられなかった。
 雨彦さんが僕の頬をそっと撫でる。その手のひらの大きさに、僕は身を委ねた。ブラッドオレンジジュースはすっぱくて、もう随分氷が融けてしまっている。
「控えるよ」
「そんな」
「お前さんにそんな辛い思いをさせたかった訳じゃない」
 優しい人だ。それにつけこんで甘えようとする僕は、とんだ悪人だ。
「……嬉しかったんだ」
「何がですかー?」
「北村の血が吸えて。自分のものに出来たみたいで、浮かれちまった。……引いたかい?」
 いいえ、そんな、そんなこと。口は慌てるばかりで、何の言葉も紡げない。顔が赤くなるのを感じた。僕がずっと秘めていた言葉を、この大人はあっけらかんと簡単に口にして。僕ばかりが子供じみている。
「……僕、だって。……はじめから」
 はじめから、ずっと、嬉しかったんですよー。そんな言葉は、彼の指先に消されてしまった。僕の唇に充てられた彼の指先は、秘密を誓うようにするすると彼の唇に戻り、幼子にやるように、しー、と息を吹きかけられた。
「知ってた」
「……なっ」
 ああ、もう、この、食えない人は! 悪戯を仕掛けた後のような微笑みに、恥ずかしさが一周まわって怒りとなり込み上がる。
「弄んでたってわけー?」
「違う、嬉しかったんだ。だが、ま、当分控えるさ」
 どうせなら健康的な血が吸いたいからな、と余計な一言をカフェラテで流し込みながら、雨彦さんはからからと笑った。全く、僕の心配をしてたんじゃないのか。
「……いつから、知ってたんですかー?」
「ん? はじめから」
「……ばか」
 もう吸わせませんよ―、と言ってやりたいけれど、それは無理だ。僕がもう、彼に抱きしめられる心地よさを覚えてしまったから、今更手放せない。……これから先、関係性が変わるのかはわからないけれど。
「しかし、あれだな。こうして互いの思いを伝えあった後は、味は変わるものかね」
「試してみますー?」
「俺に抱かれた後の味は、処女性が無くなるんだろうな」
「……ばか!!」
 水っぽいブラッドオレンジジュースと、冷めたカフェラテが飲み干されるまで、僕の頬の熱は引かない。
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