舞握

 俺の家には冷蔵庫がないから、夏に遊びに行くのは嫌だ、と言われた。だから俺たちはいつもカフェで待ち合わせをする。
 カフェオレとカフェラテの違いがよくわからないなんて話をどちらかがして、どちらかが解説するのを、なんど繰り返しただろう。メニューを見ながら思いつく話は限られてて、でもラテアートのサンプル写真はどの店でも違ってて、やっぱりこれにしようって二人して選んで。異なるハート柄が運ばれてきて、小さく乾杯した。
「冷蔵庫、買わないのか?」
「んー、ミスターやましたんち行けばいいし……」
「それで事足りるんだもんなあ……」
 ははは、と笑いながら口元に泡の髭をつくるミスターあくのは、店内をくるりと見渡して「いい店だな」と呟いた。仄暗いオレンジ色で照らされた隠れ家的な室内はシックなジャズがかかっていて、きらきらとした音色に観葉植物が泳いでいる。カウンター内にはアンティークのカップや皿が一面に飾られていて、曳きたてのコーヒーの香りが広がっていた。うん、いい店だね、と頷いて、俺は自分の部屋のことを思い出す。毎日蒸し暑いから洗濯が億劫で、ミスターやましたのとこにつっこんできたけど、大丈夫かな。またあとでなんか言われるかな。
「何考えてんだ?」
「ミスターやましたに洗濯おしつけてきたから」
「……俺と一緒にいるのに」
 俺のこと考えてくれよ、と不機嫌そうに眉をしかめるミスターあくのがかわいくて、ついいじめたくなってしまう。ラテアートのハートマークはすっかりかき混ぜられて消えてしまったから、かわりに俺が愛を囁くしかない。
「いつだってシンクしてるよ」
「嘘つけ」
「本当だってば」
「じゃあ今俺が考えてること当ててみろ」
 ハートマークを飲み干したミスターあくのはむすっとしながらこちらを見つめる。綺麗な空色の瞳が嫉妬に染まってるのを見るの、好きだ。もっともっと、俺のことだけ見てればいい。
「このあとどうするか相談したい?」
「……まあ、そんなところだ」
「もしかして、ホテル行きたかった?」
 テーブルの上に置かれていたミスターあくのの手にそっと触れる。ぴく、と過敏に反応したその指を捕まえて、手のひらにハートマークを書き撫でる。
「バレバレだよ、ミスター」
「……嘘つけ」
「嘘じゃない」
 だって君ってとってもわかりやすいもの。そう言ってウインクをすれば、オレンジの照明でもわかるほど彼は赤面した。空色の瞳がうろうろと所在なさげで、俺はそれをじっと見つめているだけで愉快だった。
「どうせならスゴいとこ行きたい! プール付きのところとか」
「……そんなん、あるのか」
「アイドンノウ! チェックしてみよ!」
 仕方なく、というていで、彼はスマホを取り出す。俺もそれに倣って検索するけれど、ふわふわと指が滑ってうまく見つからなかった。頭の中はとっくに、ミスターの甘い顔で埋め尽くされていた。
「……マイホーム、くる?」
「それだけは絶対に嫌だ」
 だよね、と笑うと、彼はいくつか画面を見せてきた。くっつけるならどこだっていい、と言うのを我慢して、一番上にイイネを示す。
「泊まれたらなあ」
「明日も仕事なんだから」
「わかってるよ」
 帽子と眼鏡を装着しながら、ああ、この冷え冷えの冷蔵庫みたいな空間から出るのは惜しいなあ、と溜息を零した。次の冷蔵庫に辿り着くまで、カンカン照りの中を歩くと考えると、それだけで汗が流れてきそうだ。夏は好きだ、嫌いじゃない。だけど、暑さに参ってしまっては、元も子もない。
「よし、じゃあ早歩きで行こう!」
「はあ? 余計暑くなるだろ!」
 カフェを出ながら、俺はスキップしそうになるのを堪える。体力は温存しておかないとね。
 胃の中に流しいれたハートマークが俺の代わりに跳ねまわる。ミスターあくのもそうだったらいいな。俺たちは日陰を探しながら、次の冷蔵庫へ向かうのだった。
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