漣タケ
季節風というのだったか。北風が頬を切り裂くように吹いていく。おそらくこちらが北で間違いないと思う。太陽の照りが頼りないから。
指先が氷のように冷たいとは表現するものの、本当に氷と同じだけ冷たいのかは比べたことがない。チビの家の冷蔵庫の製氷皿を思い出す。氷が詰まってたり、詰まってなかったりする、白い受け皿。夏に「コーラを入れたらコーラ味の氷になって美味いんじゃないか」と二人して閃いたが、出来上がったそれは薄まった味でたいして美味しくはなかった。あれはもう半年前の出来事なのか。カレンダーは下半期になった途端に早く走り出すような気がする。
チビとの待ち合わせ場所の目印はポストだった。赤い四角は街中にうまく溶け込み、けれど一度目立つと途端に目を引く。何かの合図みたいだと思った。ポストの隣に立った時、横を歩いていた親子連れが「ここまで来たらだいじょうぶ」と言っていた。なにかから逃げているのかと思わせる言葉だ。でも、きっとポストが境目だったのだろう。なにかから守ってくれるおまじないなのだろう。
「悪い、待たせた」
チビは赤いマフラーをしていた。めずらしい。チビと言えば青のイメージだ。ポストと同じ色を纏わせたチビは両手をポケットに突っ込んでおり、チビの体格がよけいチビに見えた。
「はは、オマエ鼻が真っ赤だ」
チビはそう言って笑ったが、マフラーの下のチビの鼻も真っ赤なことに気付いているのだろうか。オレ様はチビの鼻を摘まんでそのことを教えてやるが、チビは「なんだよ」と言って眉に皺を寄せた。
「西高東低、って言うんだと」
二人で歩いていると、なんとなく行き交う人々の目線がチビに吸い寄せられているように感じる。マフラーの色のせいだと思う。いつもはオレ様に「目立つな」と言って帽子を被せるくせに、なんで今日はこんなに目立つアイテムを身につけているんだ。
「冬型の気圧配置」
「気圧って、下僕がよく頭痛いって言ってるやつか」
「それだ。まあ俺たちはほどんど関係ない体質だと思うけど」
らーめん屋から「おつかい」と言われて渡されたメモ用紙が風でへなへなと曲がる。チビは手の中のそれを何度かまっすぐに折りなおしているが、それならばスマホのメモ帳にでも書けばいいのにと思ったことは言わないでおいてやる。チビはらーめん屋から貰ったものを大切にするからだ。
どこかからか鼻唄が聞こえる。聴いたことのあるメロディだが、タイトルは思い出せない。チビも同じことを考えているのか、少しの間だけオレ様たちの間は無言だった。
「さっき」
沈黙を破ると、チビはこちらを見上げる。チビはいつまでチビなんだろうか。大人になってもこのままの目線がいい。
「ハハオヤがガキに言ってたんだよ。ここまで来たらだいじょうぶ、って」
「へえ。何かから逃げてたのかな」
チビは予想通り、オレ様と同じ疑問を呟いた。あの親子はもう、遠いところまで歩いて行ってしまった。無事にポストに辿り着けたその幸運を貰っている気がして、なんだかチビにそれを自慢したくなった。
「チビ、なんで今日、そんな目立つモンつけてんだよ」
「これか? 円城寺さんがセーターにしそこねたとか言って、くれたんだよ。誕生日プレゼントとは別に。せっかくならと思って」
「……フーン」
ポストのおまじないは、このマフラーにも効くだろうか? このマフラーをつけている限り、チビはずっと「だいじょうぶ」なんじゃないだろうか。
くしゃみをふたつすると、耳がキンと冷えた。白い息はゆるゆると宙に消えていき、人々の二酸化炭素と混ざる。
「ふ。だからオマエ、鼻真っ赤だって」
チビはそう笑うと、自分が巻いていたマフラーを外し、オレ様の首に巻く。オレ様は途端に赤を纏う。見慣れた色だ、しっくりくる。
「ああ、やっぱりオマエ、赤似合うな」
どうせすぐ暑くて外してしまうのに、その温もりは手放し難く、オレ様はあっというまに暖まってしまった。代わりに寒々しくなったチビの首がさみしそうだったので、オレ様は体温のホドコシをくれてやる。チビの手をそっと取ると、オレ様と同じくらい冷たかった。
「夏にさ、コーラ飲んだろ」
「薄かった氷な」
「それ思い出してさ。よかったら今日、甘酒も買っていかないか。あったまるぜ」
西高東低のなかを、真っ赤な鼻の二人が通る。オレ様が暖まったら、またチビにマフラーを巻いてやろう。交互に真っ赤なおまじないを身につけていたら、どこに行ったって「だいじょうぶ」だ。
正月の残り香みたいな商店街はどこか浮かれ調子で、人々の鼻唄が交差する。そのひとつひとつに思い出せないタイトルがついているように、オレ様たちのおまじないにも、いつか名前がつくだろうか。チビは手の中のメモを見ながら、「こっちだ」とオレ様の手を引っ張った。
指先が氷のように冷たいとは表現するものの、本当に氷と同じだけ冷たいのかは比べたことがない。チビの家の冷蔵庫の製氷皿を思い出す。氷が詰まってたり、詰まってなかったりする、白い受け皿。夏に「コーラを入れたらコーラ味の氷になって美味いんじゃないか」と二人して閃いたが、出来上がったそれは薄まった味でたいして美味しくはなかった。あれはもう半年前の出来事なのか。カレンダーは下半期になった途端に早く走り出すような気がする。
チビとの待ち合わせ場所の目印はポストだった。赤い四角は街中にうまく溶け込み、けれど一度目立つと途端に目を引く。何かの合図みたいだと思った。ポストの隣に立った時、横を歩いていた親子連れが「ここまで来たらだいじょうぶ」と言っていた。なにかから逃げているのかと思わせる言葉だ。でも、きっとポストが境目だったのだろう。なにかから守ってくれるおまじないなのだろう。
「悪い、待たせた」
チビは赤いマフラーをしていた。めずらしい。チビと言えば青のイメージだ。ポストと同じ色を纏わせたチビは両手をポケットに突っ込んでおり、チビの体格がよけいチビに見えた。
「はは、オマエ鼻が真っ赤だ」
チビはそう言って笑ったが、マフラーの下のチビの鼻も真っ赤なことに気付いているのだろうか。オレ様はチビの鼻を摘まんでそのことを教えてやるが、チビは「なんだよ」と言って眉に皺を寄せた。
「西高東低、って言うんだと」
二人で歩いていると、なんとなく行き交う人々の目線がチビに吸い寄せられているように感じる。マフラーの色のせいだと思う。いつもはオレ様に「目立つな」と言って帽子を被せるくせに、なんで今日はこんなに目立つアイテムを身につけているんだ。
「冬型の気圧配置」
「気圧って、下僕がよく頭痛いって言ってるやつか」
「それだ。まあ俺たちはほどんど関係ない体質だと思うけど」
らーめん屋から「おつかい」と言われて渡されたメモ用紙が風でへなへなと曲がる。チビは手の中のそれを何度かまっすぐに折りなおしているが、それならばスマホのメモ帳にでも書けばいいのにと思ったことは言わないでおいてやる。チビはらーめん屋から貰ったものを大切にするからだ。
どこかからか鼻唄が聞こえる。聴いたことのあるメロディだが、タイトルは思い出せない。チビも同じことを考えているのか、少しの間だけオレ様たちの間は無言だった。
「さっき」
沈黙を破ると、チビはこちらを見上げる。チビはいつまでチビなんだろうか。大人になってもこのままの目線がいい。
「ハハオヤがガキに言ってたんだよ。ここまで来たらだいじょうぶ、って」
「へえ。何かから逃げてたのかな」
チビは予想通り、オレ様と同じ疑問を呟いた。あの親子はもう、遠いところまで歩いて行ってしまった。無事にポストに辿り着けたその幸運を貰っている気がして、なんだかチビにそれを自慢したくなった。
「チビ、なんで今日、そんな目立つモンつけてんだよ」
「これか? 円城寺さんがセーターにしそこねたとか言って、くれたんだよ。誕生日プレゼントとは別に。せっかくならと思って」
「……フーン」
ポストのおまじないは、このマフラーにも効くだろうか? このマフラーをつけている限り、チビはずっと「だいじょうぶ」なんじゃないだろうか。
くしゃみをふたつすると、耳がキンと冷えた。白い息はゆるゆると宙に消えていき、人々の二酸化炭素と混ざる。
「ふ。だからオマエ、鼻真っ赤だって」
チビはそう笑うと、自分が巻いていたマフラーを外し、オレ様の首に巻く。オレ様は途端に赤を纏う。見慣れた色だ、しっくりくる。
「ああ、やっぱりオマエ、赤似合うな」
どうせすぐ暑くて外してしまうのに、その温もりは手放し難く、オレ様はあっというまに暖まってしまった。代わりに寒々しくなったチビの首がさみしそうだったので、オレ様は体温のホドコシをくれてやる。チビの手をそっと取ると、オレ様と同じくらい冷たかった。
「夏にさ、コーラ飲んだろ」
「薄かった氷な」
「それ思い出してさ。よかったら今日、甘酒も買っていかないか。あったまるぜ」
西高東低のなかを、真っ赤な鼻の二人が通る。オレ様が暖まったら、またチビにマフラーを巻いてやろう。交互に真っ赤なおまじないを身につけていたら、どこに行ったって「だいじょうぶ」だ。
正月の残り香みたいな商店街はどこか浮かれ調子で、人々の鼻唄が交差する。そのひとつひとつに思い出せないタイトルがついているように、オレ様たちのおまじないにも、いつか名前がつくだろうか。チビは手の中のメモを見ながら、「こっちだ」とオレ様の手を引っ張った。