漣タケ
チビから合い鍵を渡されたのが一ヶ月前だった。これから冬を迎えるんだから、外で寝てたら風邪ひくだろ、毎日円城寺さんの家に泊まるのだっていい加減迷惑だろうし、と。
「らーめん屋は何も言わねえぞ」
「遠方ロケだってあるだろ。しょうがないから俺のところに泊めてやるんだ、ありがたく思え」
「まだチビの厄介になるなんて言ってねえ!」
そんなことを言いつつ、でも寝床がひとつ増えるのはありがたい、と思った。選択肢が増えるというのは、生きていく上で重要だ。悩んだ時、迷ったときに、正解への手段が一つ増えるのだから。
それから、何回かチビの家に泊まった。らーめん屋の家と同じくらい狭くてボロいが、雨風が防げればそれでいい。あたたかい布団があればそれでいい。
迎えた冬。オマエが風邪を引かないように寝床を提供してやっているんだ、と何度も言っていたチビが風邪を引いた。朝早くロードワークに出て行く音は聞こえていたが、帰ってきてから玄関にブッ倒れた音で目が覚めた。
「チビ、おいチビ!」
返事がない。顔が真っ赤で、呼吸も荒い。走ってきただけにしては異様だった。オレ様はとりあえず布団にチビを突っ込み、下僕とらーめん屋に連絡をした。
昼頃、下僕の代わりにらーめん屋が飲み物や食べ物を大量に持ってきた。粥を作り、オレ様に「漣の分はこっちだからな」と普通のメシも炊き、あらかた家事をしていったあと、「頼むぞ」と言ってらーめん屋は帰っていった。午後から収録があったらしく、長居出来ないとのことだった。
チビは布団の中でフウフウと呼吸を繰り返し、ときおり咳もしていた。顔は依然真っ赤なままで、らーめん屋が貼っていった熱さましシートが痛々しかった。
弱ってるチビなんてチビらしくねえ。つまんねえ。――早く治ればいいのに。
チビがころりと首を動かし、うっすらとまぶたを持ち上げてこちらを見る。
「んだよ」
「……みず、のみたい」
からからの声に、オレ様をこきつかうな、とは言えなかった。しぶしぶコップに水を汲んでやる。チビを抱き起し、その熱さに驚きながらもコップを渡したが、ふらふらの手は危なっかしく、口に運ぶのも手伝ってっやった。
「ん、う」
チビの小せえ口から水が零れる。袖で拭ってやると、けほ、と咳をした。
「わりぃな」
「……ありがたく思え」
「うつっちまったらゴメン」
「オレ様はそんなに弱くねーよ」
チビはヘラ、と笑ってから、そうだな、と呟く。そうだな、オマエは強いもんな。
「……オレ様に風邪引くなとか言っときながらこのザマかよ」
「ゆだん、した。つかれもでたかもしれない」
「……せーぜーゆっくり休みやがれ」
チビを寝かせ、その場を去ろうとすると、ふらふらの手が俺の裾を掴んだ。コップも持てなかったくせに。
「……もうすこし、いてくれ」
「……」
何か言ってやろうかと思ったが、やめた。仕方ねえな、とだけ言って、側に座った。チビは安心したように目を閉じた。フウフウと荒い息、真っ赤な顔。
オレ様はそっとチビの頬に触れた。湿っていて熱かった。チビは、すり、と頬を撫でつけた。オレ様の手、冷たくもなんにもねえのに。
「……ありがとな」
「……な、にが」
「いつも」
チビはからからの声で呟いた。何と返していいのかわからず、チビの頬を摘まんだ。いて、と笑ったチビは無力で、今なら勝てるのに、それをしないなんてオレ様も情に絆されたものだと思った。弱っているヤツと戦ったってつまらない、ぶつかりたいのは本気のチビとだ。
「……早く治しやがれ」
「ああ」
「そんで早くオレ様と勝負しろ」
「ああ」
チビの声が小さくなっていく。チビの頬を撫でると、眉から力が抜けていった。そのままスウスウと寝息を立て始めたが、オレ様はその場から動かなかった。
なんとなく、見ていたかった。弱くなった様をではない。いつもがむしゃらに前を向いているチビじゃなくて、ただのちっぽけな十七歳のチビを、見ていたいと思った。
幼い顔立ち、大きな瞳、小さな唇。逞しい身体、チビの身長。布団の中で、熱さましシートの下で、必死に生きている。
なんとも、胸がむずがゆい。ずっとこんな寝顔でいて欲しいと願ってしまった自分がよくわからなかった。いつも無理やりに前を見ているコイツが、寝ている時くらい安らかでいてほしいだなんて、自分らしくないことを考えてしまった。
オレ様が勝負したいのは本気のチビとだけ。だから、早く元気になってもらわないといけない。それだけだ。べしんと自分の頬を叩いた。オレ様までコイツの弱っちさに引っ張られてどうする。
チビの頬は、ずっと熱かった。指先で撫でると、チビの口元がほんのりと上がった気がした。冬は寒い。あたたかな寝床で、あたたかな夢でも見ていればいい。
お望み通り、そばにいてやるから。
「らーめん屋は何も言わねえぞ」
「遠方ロケだってあるだろ。しょうがないから俺のところに泊めてやるんだ、ありがたく思え」
「まだチビの厄介になるなんて言ってねえ!」
そんなことを言いつつ、でも寝床がひとつ増えるのはありがたい、と思った。選択肢が増えるというのは、生きていく上で重要だ。悩んだ時、迷ったときに、正解への手段が一つ増えるのだから。
それから、何回かチビの家に泊まった。らーめん屋の家と同じくらい狭くてボロいが、雨風が防げればそれでいい。あたたかい布団があればそれでいい。
迎えた冬。オマエが風邪を引かないように寝床を提供してやっているんだ、と何度も言っていたチビが風邪を引いた。朝早くロードワークに出て行く音は聞こえていたが、帰ってきてから玄関にブッ倒れた音で目が覚めた。
「チビ、おいチビ!」
返事がない。顔が真っ赤で、呼吸も荒い。走ってきただけにしては異様だった。オレ様はとりあえず布団にチビを突っ込み、下僕とらーめん屋に連絡をした。
昼頃、下僕の代わりにらーめん屋が飲み物や食べ物を大量に持ってきた。粥を作り、オレ様に「漣の分はこっちだからな」と普通のメシも炊き、あらかた家事をしていったあと、「頼むぞ」と言ってらーめん屋は帰っていった。午後から収録があったらしく、長居出来ないとのことだった。
チビは布団の中でフウフウと呼吸を繰り返し、ときおり咳もしていた。顔は依然真っ赤なままで、らーめん屋が貼っていった熱さましシートが痛々しかった。
弱ってるチビなんてチビらしくねえ。つまんねえ。――早く治ればいいのに。
チビがころりと首を動かし、うっすらとまぶたを持ち上げてこちらを見る。
「んだよ」
「……みず、のみたい」
からからの声に、オレ様をこきつかうな、とは言えなかった。しぶしぶコップに水を汲んでやる。チビを抱き起し、その熱さに驚きながらもコップを渡したが、ふらふらの手は危なっかしく、口に運ぶのも手伝ってっやった。
「ん、う」
チビの小せえ口から水が零れる。袖で拭ってやると、けほ、と咳をした。
「わりぃな」
「……ありがたく思え」
「うつっちまったらゴメン」
「オレ様はそんなに弱くねーよ」
チビはヘラ、と笑ってから、そうだな、と呟く。そうだな、オマエは強いもんな。
「……オレ様に風邪引くなとか言っときながらこのザマかよ」
「ゆだん、した。つかれもでたかもしれない」
「……せーぜーゆっくり休みやがれ」
チビを寝かせ、その場を去ろうとすると、ふらふらの手が俺の裾を掴んだ。コップも持てなかったくせに。
「……もうすこし、いてくれ」
「……」
何か言ってやろうかと思ったが、やめた。仕方ねえな、とだけ言って、側に座った。チビは安心したように目を閉じた。フウフウと荒い息、真っ赤な顔。
オレ様はそっとチビの頬に触れた。湿っていて熱かった。チビは、すり、と頬を撫でつけた。オレ様の手、冷たくもなんにもねえのに。
「……ありがとな」
「……な、にが」
「いつも」
チビはからからの声で呟いた。何と返していいのかわからず、チビの頬を摘まんだ。いて、と笑ったチビは無力で、今なら勝てるのに、それをしないなんてオレ様も情に絆されたものだと思った。弱っているヤツと戦ったってつまらない、ぶつかりたいのは本気のチビとだ。
「……早く治しやがれ」
「ああ」
「そんで早くオレ様と勝負しろ」
「ああ」
チビの声が小さくなっていく。チビの頬を撫でると、眉から力が抜けていった。そのままスウスウと寝息を立て始めたが、オレ様はその場から動かなかった。
なんとなく、見ていたかった。弱くなった様をではない。いつもがむしゃらに前を向いているチビじゃなくて、ただのちっぽけな十七歳のチビを、見ていたいと思った。
幼い顔立ち、大きな瞳、小さな唇。逞しい身体、チビの身長。布団の中で、熱さましシートの下で、必死に生きている。
なんとも、胸がむずがゆい。ずっとこんな寝顔でいて欲しいと願ってしまった自分がよくわからなかった。いつも無理やりに前を見ているコイツが、寝ている時くらい安らかでいてほしいだなんて、自分らしくないことを考えてしまった。
オレ様が勝負したいのは本気のチビとだけ。だから、早く元気になってもらわないといけない。それだけだ。べしんと自分の頬を叩いた。オレ様までコイツの弱っちさに引っ張られてどうする。
チビの頬は、ずっと熱かった。指先で撫でると、チビの口元がほんのりと上がった気がした。冬は寒い。あたたかな寝床で、あたたかな夢でも見ていればいい。
お望み通り、そばにいてやるから。