漣タケ
普段と、ぐっと視界が変わった。
足を上げようとすると少し重くて、段差に気をつけねば転んでしまいそうだ。俺は嬉しくて、辺りをキョロキョロ見渡した。
「これが今日の衣装です」
スタイリストさんが運んできた衣装は、クールカジュアルといったところか、ダメージ加工のされたTシャツとズボンで、黒いスニーカーの厚底がずいぶんと高かった。
「みんなの身長差はそんなに変わらないけど、ワイドパンツだから靴の先まで一体化してる感じで、脚が長く見えますよ」
なるほど、鏡の前に立つと、いつもより脚が長い。単純に身長が伸びたと言うより、スタイルが良く見えるんだ。俺はワクワクしてその辺を歩き回った。いつもより低いドアノブ、机、床との距離。
「ハッ、いつものオレ様の視界がそんなに楽しいかよ」
俺と同じだけ身長を嵩ましたアイツが居丈高に鼻を鳴らす。アイツだって180cm近くなって、内心ウキウキしているだろうに。
「自分はもう、頭をぶつけそうでヒヤヒヤだ」
と笑う円城寺さんが、共演者に知り合いがいるというので楽屋を出て行くと、アイツはニヤリと立ち上がった。
「ちーび」
「んだよ」
「いつものオレ様の視界はどーだよ」
「……べつに。ちょっと高くて楽しいけど」
「くはは! オレ様はチビの視界を味わえないからなあ」
何が言いたいんだ、と睨むと、アイツは笑いながら座り直した。座っても、脚がすごく長く見える。衣装の力ってすごい。
「トクベツ、味わわせてやろーか」
「……何だ」
「立ったままオレ様にキスしてみやがれ」
「なっ」
いつ円城寺さんが帰ってくるかわからないんだぞ。アイツのいいなりになるだなんてごめんだったけど、俺は一瞬ためらったのち、素直にアイツのそばへ行った。この身長で出来ることをやってみたかったのだ。
「…………」
「な」
「なんだ」
「ずいぶん屈むだろ」
「……ああ」
ずいぶん屈んで、キスをした。触れるだけの簡単な。これからメイクだから、なおさらバレないように、そっと。思ったより身体を深く折り曲げないといけないし、腰や首が痛くなりそうだった。アイツの唇は冷たかった。
「オレ様がチビにする時のキブン、わかったか」
「……わか、った」
顔を近づけるまでの、息を止めるほんの数秒が、いつもより長かった。胸がバクバクして、顔があからんでないか焦った。鏡を見て、大丈夫そうだと胸を撫で下ろしていると、アイツは俺を見上げて呟いた。
「チビはチビの方がいーな」
「なんだと」
「いつもの眺めがいい」
見上げるアイツも、首の角度に違和感があるのかもしれない。俺はざまあねえなと笑って、持ち込んだ緑茶を一口飲んだ。ほろ苦くてみずみずしい、キスの余韻なんか消し去ってしまう味。
今日だけの身長で、何が出来るだろう。本番で転んでしまわないよう、俺は相変わらずソワソワと動き回り、アイツは余裕そうにドッカリ座っていた。
172cmの視界。アイツの視界。俺はわけもなくドアノブを触る。いつも我が家に勝手に来る時のアイツのことを考えながら。
足を上げようとすると少し重くて、段差に気をつけねば転んでしまいそうだ。俺は嬉しくて、辺りをキョロキョロ見渡した。
「これが今日の衣装です」
スタイリストさんが運んできた衣装は、クールカジュアルといったところか、ダメージ加工のされたTシャツとズボンで、黒いスニーカーの厚底がずいぶんと高かった。
「みんなの身長差はそんなに変わらないけど、ワイドパンツだから靴の先まで一体化してる感じで、脚が長く見えますよ」
なるほど、鏡の前に立つと、いつもより脚が長い。単純に身長が伸びたと言うより、スタイルが良く見えるんだ。俺はワクワクしてその辺を歩き回った。いつもより低いドアノブ、机、床との距離。
「ハッ、いつものオレ様の視界がそんなに楽しいかよ」
俺と同じだけ身長を嵩ましたアイツが居丈高に鼻を鳴らす。アイツだって180cm近くなって、内心ウキウキしているだろうに。
「自分はもう、頭をぶつけそうでヒヤヒヤだ」
と笑う円城寺さんが、共演者に知り合いがいるというので楽屋を出て行くと、アイツはニヤリと立ち上がった。
「ちーび」
「んだよ」
「いつものオレ様の視界はどーだよ」
「……べつに。ちょっと高くて楽しいけど」
「くはは! オレ様はチビの視界を味わえないからなあ」
何が言いたいんだ、と睨むと、アイツは笑いながら座り直した。座っても、脚がすごく長く見える。衣装の力ってすごい。
「トクベツ、味わわせてやろーか」
「……何だ」
「立ったままオレ様にキスしてみやがれ」
「なっ」
いつ円城寺さんが帰ってくるかわからないんだぞ。アイツのいいなりになるだなんてごめんだったけど、俺は一瞬ためらったのち、素直にアイツのそばへ行った。この身長で出来ることをやってみたかったのだ。
「…………」
「な」
「なんだ」
「ずいぶん屈むだろ」
「……ああ」
ずいぶん屈んで、キスをした。触れるだけの簡単な。これからメイクだから、なおさらバレないように、そっと。思ったより身体を深く折り曲げないといけないし、腰や首が痛くなりそうだった。アイツの唇は冷たかった。
「オレ様がチビにする時のキブン、わかったか」
「……わか、った」
顔を近づけるまでの、息を止めるほんの数秒が、いつもより長かった。胸がバクバクして、顔があからんでないか焦った。鏡を見て、大丈夫そうだと胸を撫で下ろしていると、アイツは俺を見上げて呟いた。
「チビはチビの方がいーな」
「なんだと」
「いつもの眺めがいい」
見上げるアイツも、首の角度に違和感があるのかもしれない。俺はざまあねえなと笑って、持ち込んだ緑茶を一口飲んだ。ほろ苦くてみずみずしい、キスの余韻なんか消し去ってしまう味。
今日だけの身長で、何が出来るだろう。本番で転んでしまわないよう、俺は相変わらずソワソワと動き回り、アイツは余裕そうにドッカリ座っていた。
172cmの視界。アイツの視界。俺はわけもなくドアノブを触る。いつも我が家に勝手に来る時のアイツのことを考えながら。