漣タケ

 腹の鈍痛は、軽い方だ。何故言い切れるかと言うと、今までそれで寝込んだり倒れたりしたことがないからだ。
 木の上で日向を堪能している時、股間に違和感を覚える。あ、きたな、と察する。毎月毎月、やっかいなものだ。染みを作るのは恥ずかしいことだと、最初に教わったのは誰からだったか。木から降りて、薬局を目指す。本当は食い物でもないものに出費をしたくない。でもこれがないと生活が出来ない。
 十月の秋風は、素肌に心地よかった。朝晩が冷え込むようになってきた。雨だったり晴れだったり忙しい空の上で、女性に苦しみを与えている存在がいるとすれば、いずれぶっとばしてやる、と思う。今に見てろよ、というこの思いも、どうやら生理のせいらしいというのも、最近知った。
 薬局でナプキンを買う。分厚いのがあればとりあえずいいだろう。薄い方は事務所にいつでも置いてあるからだ。下僕の計らいらしく、使えるところもあるじゃねーかと感心した。銀色の袋にわざわざ入れられ、ガサガサ言わせながらチビの家に向かった。らーめん屋は今日はロケだから、いない。
 チビの家でドアノブをガチャガチャやるたび、「チャイムを押せ」と怒られるのだが、どういうわけか今日は何も聞こえなかった。アイカギ、を使おうとポケットに手をつっこむ。さっき薬局で捨て忘れたレシートがくしゃくしゃになって入っていた。
 部屋に入ると静かだった。チビの靴はあるから「在宅」なのは確実なのに、電気もついていなかった。どかどかと居間に進むと、敷きっぱなしの布団が丸く膨らんでいる。無理やり引っぺがすと、部屋着姿のチビが現れた。
「……どしたんだよ」
「……来るときは前もって言えって……言ったろ……」
「せーりが突然きたんだよ」
「……」
「便所」
 チビの箪笥を勝手に開け、オレ様の下着を詰め込んである――いつからかそれが当たり前になった――ところから新しい下着を取り出し、狭いユニットバスに袋ごとナプキンを持ち込んだ。着替えながら、憂鬱さを溜息にのせて吐き出す。下着を洗う流水が冷たい。これもまた勝手に、チビの家の洗濯機に濡れたままの下着を放り込んだ。
「……ちーび」
「……」
 チビが動かない。怒っている風でもない。昨日までは普通だった。風邪でも引いたのかと思い近寄るが、顔色が真っ白なのをみて、あ、コイツもか、と悟った。
「……なあ」
「ん」
「オマエのナプキン、わけてくれないか……代金なら払う、から……」
 ふらふらと上体を起こしながら、チビはか細い声で言う。いつもならここで「それならば代わりに、」と何か勝負事や対価を求めるのだが、あいにくと『オタガイサマ』の状態だ。この状態で勝負をしかけるなんて野暮なことはしない。オレ様は黙って夜用と書かれたソレを差し出した。
「さんきゅ……」
 チビが立ちあがるのを何となく手伝って、ユニットバスに消えていくのを目で追い、そのあと布団に染みがついていないことを確認した。ついていたら、悲しむだろうな、と思った。この感情はなんなのかはよくわからない。なんで勝手にやってくるソレで、悲しくならなければならないのか。
 生理の時は腹を冷やすな、というのが、世間一般論だ。自分自身に気にしたことはないけれど、チビが更にチビになっているのは見ていて面白くないから、白湯でも作ってやろうとケトルを手に取った。水道水は冷たかった。真夏の間はぬるかったのに。
 戻ってきたチビはまたふらふらと布団に倒れ込んで、無言で腹を押さえていた。湯が沸いて、冷ます代わりに冷水を混ぜる。このマグカップ、この家に上がり込むようになった最初の日からあるな。長いことずっと使っているのだろう。青地に黒のラインが入っている。枕もとに置いて、チビの上体を起こした。
「オレ様が淹れてやったんだから飲みやがれ」
「……くすり」
「チッ、どこだよ」
「………あの棚の……一番した……」
 見ると銀の箱が口を開けて転がっている。白い錠剤を二つとって、チビの顎を掴んだ。口の中に突っ込むと、眉間に皺が寄せられる。マグカップを握らせて、白湯を飲ませた。
 ふう、と一息つくのを見て、額の汗をなぞった。チビの額は小さい気がする。撫でつけるのが好きだった。猫の首を撫でている時と少し似ていると思う。いつもなら振り払うのに、チビはされるがままになっていた。
「……レッスン、なくてよかった」
「そーだな」
「久々に重くて、動けなくて」
「だせえの」
「……オマエが来てくれて、助かった」
 チビは目を瞑った。身体じゅうの血の巡りに振り回されるのに疲れる感覚は、わかる。細い首だ。オレ様よりも細い。部屋着の下に下着は付けておらず、膨らんだ胸元が苦しそうに上下していた。チビのそこに顔を埋めた。チビの匂いがする。やわらかで、あたたかかった。
 月の引力と、海の満ち引きは関係があるのだという。じゃあ、この身体から出る血は、どこからやってきて、どこへいくんだ。オレ様たちは手を握りあって、浅い呼吸を聞きあった。白湯が冷めていく。青地に黒のラインが入った、マグカップ。
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