漣タケ

 たまに、夜中にふと目覚めることがある。それは夢と夢の狭間だったり、尿意だったりまちまちだけれど、今日はぱちりと覚醒した。
 隣に寝ているはずのアイツの気配が感じられなくて横を見やると、アイツは窓辺に立っていた。ああ目覚めたのは外の明かりが眩しかったのかと思ってから、カーテンの隙間から漏れる光がやけに明るいことに気付く。アイツは静かにカーテンの向こうを見つめている。
「どうした」
「起きたのか」
「何かあるのか……雪?」
 アイツの隣に立ってカーテンを開けると、窓の外にはちらちらと雪が舞っていた。どうりで寒いわけだ。布団の中にあった温もりと、肌で感じる冷気の差にくしゃみをすると、アイツはフッと鼻で笑った。
「笑うな」
「さみいかよ」
「寒いに決まってるだろ。雪ふってんだぞ」
 尻の奥がじんじんする。アイツは乱暴に突っ込むくせに、俺が痛そうにすると動きを緩めるのは意外だ。彼なりの優しさなんだろうが、それでも余裕なさそうな表情にそそられる俺も俺だ。事後って、どんな顔をすればいいのかちょっとわからない。普段通りにするのも、恥じらうのも恥ずかしい。アイツはそんなこと気にしてないだろうから、意識するだけ無駄なんだけど。
「……雪、見てて楽しいか」
「楽しいわけじゃねーよ」
「……ふーん」
 それでもアイツは、雪から目を離さなかった。街が白に染まっていくのを、俺たちはただ黙って見ていた。この調子だと、朝には積もっているかもしれない。道がべしょべしょだったら、ロードワークは中止だ。
「……むかし」
「ん」
「ガキの頃」
 アイツの声は少し掠れていて、寝起きのせいなのか、俺の上で声を押し殺していたからなのか、いつもより小さかった。
「ずっと歩いてた。雪の中」
「……ずっと」
「ずっと。止まったら死ぬんだと思った」
 きっとその時、道中無言だったんだろうな。俺はまっさきにそう思った。誰かと温かみを分け合えると、冬でも寒くなくなるのだが、その時はきっと。孤独、だったのかもしれない。彼の胸の奥底に焼き付いてあるであろう雪の情景が辛いものであるのなら、アイドルとしてはじめた冬の仕事の思い出で上書きされていってほしいと願った。だって、あんなに楽しそうだったじゃないか。雪の中。
「……雪がとけると何になるか、知ってるか」
「は? 水だろ」
「春になるんだ」
 アイツはゆっくりとこちらを見た。蜂蜜色の瞳が、静かに開閉する。信じて欲しい。いつだってそうだろ。何の本で読んだのか、人から聞いたのかも忘れたけれど、雪がとけたら、春になるんだ。
「……沢山、思い出を作ってこうぜ。冬の思い出も、春の思い出も」
「……生きてんな」
「は?」
 アイツは手をカーテンから離し、目の前で握ったり開いたりした。さっきまで俺の身体を手繰り寄せていた、熱い手のひら。
「……綺麗だな」
 それが雪なのか、街なのか、彼なのか、わからないように呟いた。生きていくことって、美しいはずなんだ。醜かったり汚かったり、痛かったり辛かったり悲しかったり色々あるけれど、全部ひっくるめると、たぶん、光っているはずだ。
 少なくとも俺は、そう信じている。
「……散歩するか」
「ハッ、スイキョウだな」
 そう言いながら、まんざらでもなさそうな顔をする。俺たちは靴下を履いてコートを纏い、寒空の下へ繰り出した。寒いな、寒みい、と繰り返しながらくすくす笑った。隣を歩く彼の足取りが軽やかであることが嬉しかった。
 頬に雪がとけていく。指先で拭うと、きんと冷たかった。春になるまでもう少し。街はしんしんと更けていく。
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