漣タケ

 事務所にプラスチックの笹が飾られた。どこかからの貰いものらしい。もふもふえんのみんなが作った折り紙の飾りが揺れる。
 七夕は毎年、雨な気がするのに、今年は晴れた。前日の雷雨がひどかったから、雲はそこで全ての雨を流し切ったのかもしれない。靴が乾ききらなくて、今日はサンダルを履いてきた。久しぶりに履いたから、足の甲に日焼け止めを塗るのを忘れてしまいそうだった。
「笹、まだあるから、欲しい人どうぞ」
 プロデューサーはそう言って、何人かに小さな笹を分けていた。俺は貰う予定はなかったのに、ほら、タケルも、と半ば押し付けられるような形で貰ってしまった。葛之葉さんから折り紙を数枚分けてもらい、かさかさと葉を鳴らしながら家へ持って帰った。
「んだソレ」
「七夕」
 帰ると、家の中が冷えていた。否、冷やされていた。勝手に我が家に上がり込んでいたアイツはタンクトップ姿で、髪を上にひとくくりにしている。所謂ポニーテールだ。髪形を変えているのは珍しい。俺の視線に気づいたのか、アイツは鬱陶しそうに「この方がすずしーんだよ」と言って麦茶を啜った。
 織姫と彦星が一年に一回会う日。俺も七夕についてはその程度しか知らない。スマホで検索しながら、七夕飾りを折っていく。
「事務所にもあったな」
「そうだ。それのおすそわけ」
「それ飾って何になるんだ」
「願い事をするんだ。星たちに祈るんだ」
 もくもくと作業する俺を、アイツは隣で黙って見ていた。冷房の音だけがごうごうと響く。施設にいた頃も、こういうものを作ったような気がする。七夕飾りを一通り作り終わって、あとは短冊に願い事を書くだけとなる。
「オマエも書くか? 短冊、二つあるから」
 プロデューサーは、おそらくアイツが我が家にいることも見越して二つ渡してきたのだろうと思う。今更そんなことで照れやしない。
 俺はスマホで願い事の例を検索してみる。どうやら何でもいいわけではなさそうで、織姫にちなんで芸事や習い事の上達を願うのがいいらしい。アイドル業は芸事として換算されるだろうか。
「……チビは、アイツらのこと書くのかよ」
 ペンを握ったまま動かさないアイツがぽそりと呟いた。俺は一瞬なんのことかわからず返答に困ってしまい、一拍置いてから、アイツらというのが誰をさしているのか気付いた。暑さで反応速度が鈍っているのかもしれない。
「弟と妹のことか。それは自力で叶えるから」
「……そーかよ」
「オマエは、何か書かないのか」
「カミサマなんていねーから」
 いつもと違う、神妙な声に、何故だか押し黙ってしまう。俺だって別に何かの宗教を信じているわけじゃないけど、サンタクロースはいたら嬉しいし、初詣だって行く。神様なんてもの、漠然とした存在としてしか考えたことなかった。
「……神様じゃなくて、星だから。星ならあるだろ」
「そんなもんに願わなくたって、オレ様はチビを打ち負かすし、テッペン取るんだよ」
「そんなの、俺もだ」
 俺とアイツのペン先は何も書くものが無いまま放置され、そのまま乾いてしまいそうだった。俺たちはしばらく逡巡したのち、ありきたりに次のライブの成功を願った。ベランダにくくりつけると、プラスチックの笹はそよそよと風に揺れて心地よさそうだった。
「なあ。神様なんていねーかもしれねーけど」
 アイツに話しかけると、振り向きざまに、ポニーテールも揺れた。銀糸がきらきらときらめいて、銀の折り紙みたいだった。
「だけど、もしいたとしたらさ。誇れる人生でありたい」
「……オレ様は、ざまーみろって言うな」
 オマエなんていなくても、オレ様はしあわせになんだよ、と勝気に笑うアイツは、それはもうありありと想像できる。願わくば、そこがテッペンであることを、その隣に俺と円城寺さんがいますように。
「今夜、このまま晴れそうだ。天の川、見られると良いな」
 窓ガラスをぼうっと見ていると、首筋がひやりとした。驚いてアイツを見上げると、いつのまにか口にアイスを咥えており、俺の首筋にもアイスが突きつけられていた。ソーダ味の、棒付きアイス。
「……オマエ、これ」
「やる」
「……サンキュ」
 アイツはポニーテールを揺らしながらどっかりと座り、ベランダの七夕飾りを見つめていた。俺の分まで買ってくれたその気まぐれさには触れないでおいてやろう。冷房代と思ってありがたく受け取る。
 ソーダ味の氷菓がしんしんと口の中を冷やしていく。一年に一度、今日しか会えない二人のことを思って、俺は空を見上げた。
 今、こうしてここにアイツと二人でいられることも、奇跡なのかもしれない。
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