漣タケ

 街中で、自転車に二人乗りする高校生を見かけた。
 交通ルール違反だとか、危ないとか、それらを思う前に、眩しいと感じた。
 自分達にも、あんな時代があった。自転車なんて乗らなかったけど。
 夜道を歩きながら、気配を消すのにも慣れたものだ。デビューして十年も経てば、人は成長する。変装用のマスクと帽子は肌身離さないし、面倒な週刊誌の盗撮の気配を察することも出来るようになった。じめじめと暑い夜風の中で、俺のことを気にする人なんていないだろうけど。みんな、日々を生きるのに一生懸命すぎて、周りなんて見ていないから。
 たまに、全てを置き去りにして走り抜けたい、と思うことがある。朝のロードワークとは違う、本当に、ただがむしゃらに走り抜けていきたい欲望。通り過ぎていく夜景を見るのが好きだ、電車でも、タクシーでも。人々の営みが垣間見れて、だけどひとりぼっちの感覚がする。助けを求めたくなるようなさみしさと、放っておいてほしい焦燥感。これだけは、いくつになっても変わらない。
 オートロックのマンションに帰宅して、アイツがいないことに気付く。まだ帰っていなかったか。夕飯は食べてくるのか聞こうとLINKを開き、とあることを思いつく。
「ドライブしないか」
 ドライブと言っても、車は持っていない。あるのはアイツのバイクだけ。俺はバイクはどうも慣れなくて、アイツしか乗ってないけど、一応二人の所有物ということになっている。アイツにとっては、電車で移動するよりも性に合っていたようだ。まさかアイツが交通ルールを理解する日が来るなんて、と随分驚いたものだが、そのおかげでドラマでもバイクに乗るシーンを挿入されたり、意外と世間からの印象も良い。
 物思いにふけっていると、ブ、とスマホのバイブレーションに手が揺れた。表示を見ると、アイツからの返信。
「した」
 相変わらずスマホの扱いが下手な奴だ。笑いながらヘルメットを手に取る。した、とは、家の下に着いたということ。すなわち、了解、すぐ来いということ。たった二文字で全てを伝えようとする彼にも、それをわかってしまう自分にも呆れながら、俺は再び鍵を回す。
「悪いな、いきなり」
「晩飯、チビのおごりな」
 エントランスの外に、アイツはいた。赤いバイクはつやつやとしていて、準備万端であることを隠そうとしない。
 アイツがヘルメットを被るのを見て、俺もそれに続く。独特の匂いが今は落ち着く。特別な夜が約束されていた。バイクに跨り、アイツの腹に手を回す。
「さっき、自転車の二人乗りを見たんだ。高校生の」
「そーかよ」
「なんか、感化されちまって」
「くはは、チビらしー」
 バイクのエンジンがかかる瞬間が好きだ。すべてが始まる音みたいで。手に力を籠め、アイツにいつでも出発していいことを伝える。
 行き先は決めていなかった。ドライブなんてそんなものだ。どこかでちょうどいい店でも見つけたら夕飯にありつける。アイツは店を見つけるのがうまい。全て任せて居ればいいだけの、心地よい振動。
 駆け抜けていく夜景を視界の端に捉えながら、ふと十年前のことを考えていた。俺はまだボロいアパートに暮らしていて、アイツも免許なんか持ってなくて、二人で早朝に競い合いながらランニングをしていた。とにかく舞い込んでくる仕事に必死で、カメラの前で緊張して、台詞を何度も噛んで。初々しかった、青春。自転車があったら、二人乗りをしていただろうか。
 ビルの灯りを見上げる。あそこに、まだ働いている人がいるんだと思うと不思議な気分になる。百万ドルの夜景って、どれほどの価値とされているのだろう。そりゃ百万ドルの価値なんだろうけど、だって、彼の背中から覗く街の灯りの方が、ずっと綺麗だ。
 そういえば、はじめてバイクに二人乗りをした時も、こうして行き先も決めずに夜道を走ったな。遠い昔のことのようだ。あの時も俺は晩飯を奢って、ノンアルコールで乾杯した。
 沢山の思い出がある。十年。長かったような、短かったような。全てが大切な思い出だ。アイツと出会って、競って、交わって、暮らしていく日々。バイクに乗せて駆け抜ける。
 世界中で二人ぼっちになれる、この瞬間が好きだった。左折を示すウインカーがちかちかと響いて、俺たちは左に身体を傾けた。
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