漣タケ

 人差し指を差し出すと、小さな手のひらで全力で握られる。湿っていてあたたかな、そして少しでも力を加えれば壊れてしまいそうなその行為を数度繰り返し、俺はくすりと笑みをこぼした。おでこにおでこをつけ、鼻に鼻をつけ、愛してる、と鼓動を送る。届いているかはわからないけれど、腕の中の命がこくりこくりと眠りに誘われだし、胸の辺りがほかほかとしてきた。赤ん坊の体温って本当にあたたかい。とん、とん、と背中を叩きながら、身体をゆらゆら振り、入眠を促す。しばらくすると深い呼吸が聞こえてきた。よかった、無事に眠れたようだ。ほ、と一息ついたところで、ガチャリとドアノブが静かに回った。
 赤ん坊が生まれてから一番驚いたことは、アイツが乱暴な仕草をしなくなったことだった。相変わらずガサツではあるけれど、ドアを大きな音を立てて開け放ち、足で蹴飛ばして閉める、そういったことを控えている。彼なりに赤ん坊の生活を守っているのがわかった。今日だって、玄関が開く音はわからなかった。
「……たでーま」
「おかえり、今寝たとこ」
 小声で会話をし、寝顔を彼に見せる。少し安堵した表情で、アイツはそろそろと指で赤ん坊の頬をつついた。
「起きちまうだろ」
「大丈夫だろ」
「……抱っこするか」
「ん」
 両手を広げた彼に身体をつけ、ゆっくりと手の中の命を預ける。無事に起こさず抱くことが出来て、アイツの強張りが解けたのがわかった。
「……あったけぇ」
「さっきミルクのんだからな」
 この子を抱く時の漣は、なんともいえない表情をする。壊れ物を扱うような慎重さと、反対に丈夫であることを信頼している大胆さの両方で接しつつ、見せる表情は形容し難い。興味津々、ぎこちない笑顔、切なそうな顔、そのどれもを内包している、シンとした横顔。
 ずっと抱っこしていたから上半身が疲れてしまった、俺は大きく伸びをする。アイツはその間も、静かに静かに我が子を抱っこしていた。
「円城寺さんとの収録、どうだった」
「別に。フツー」
「フツーじゃわからないだろ……」
「差し入れもらった。ソコ」
 視線の先を辿ると、アイツの荷物の横に、白い紙袋が置かれていた。中を見るとビニール袋にくるまれたタッパーが二つ、おそらく日持ちする惣菜だろう。子育てで手一杯の今、家事が疎かになっており、こういった食事の差し入れは本当にありがたい。あとでお礼の連絡をしよう。
「今のうちに哺乳瓶洗っちまうから、もう少し抱っこしててくれるか」
「ん」
 座布団の上に座ったアイツは、相変わらず指で頬を突いていた。確かに触りたくなる触感をしているから気持ちはわかる。俺は机の上を片付けて、洗い物をシンクに運んだ。アイツに背を向けた時、水を流すほんの一瞬前、アイツが小さく赤ん坊の名前を呼ぶのが聞こえた。
「さくら」
 当然返事はない、けれどその声色のあまりの優しさに、俺は思わず振り返りそうになるのを堪える。
 今は、きっと、二人の世界だ。アイツの胸に温もりが広がり、その指先は愛しさに溢れている。
 彼の声に気づかなかったフリをして、俺は洗い物をする。さっきまで掴まれていた指先を流水に浸しながら、二人の輪郭を思い出す。
 三人分の呼吸で満たされたこの小さな部屋で奏でられる鼻歌は、世界一優しい音色だった。
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