漣タケ

 痛みに蹲っていると、上からぱさりと毛布がかけられた。せっかく家に来てくれたのにこのざまだ。大人しく帰ってもらった方がよかったのかもしれない。
 家、来れば、という誘いに、「今日は出来ない」と伝えた時の、先輩の顔。ぱちくりと目を瞬かせて、「ああ」と何かに納得したように溜息をついた。
「そういう意味で呼んでねえよ。そんな年中サカッてると思ってんのか」
「だって、毎回するから……」
「辛いなら、やめるけど」
 それが、毎回の行為をさすのか、今日行くことをさすのか聞く前に、う、と腹痛に苛まれる。薬を飲んでいるのに、今回は重い。今日、部活が無くてよかった。
「……今日は帰っとくか。送る」
「や、だ」
「は?」
「一人で、いたくない……」
 私は母子家庭だ。母親は深夜まで働きに出ている。今家に帰っても一人だ。心細さを消すことは苦難の業だ。二人の沈黙の押し問答のあと、玲央先輩が閃くように呟いた。
「じゃあ、オレが虎斗んち邪魔するわ」
「え……」
「オレんち来ても、帰るとき大変だろ」
 先輩が家に来てくれる。それならどんなにか安心だろう。私は頷いた後にほんの少し後悔をした。部屋の掃除、してない。
 毎日の食事と洗濯だけで手いっぱいで、掃除まで回らないのだ。でもそんなこと先輩に言ったって「気にしない」としか言わないだろう。ここは腹をくくるしかない。――痛みが増す一方の腹を。
 帰り道で初夏なのにホッカイロを買って(意外と売っているもんだ)、追加で薬とスポドリも買った。まるで看病だ、先輩は私のカバンまで持ってくれた。
 家に着いてから、なにかお茶とお菓子でも出した方がいいかとうろつく私を、玲央先輩はベッドに転がした。
「なんもしなくていーから」
 そう言って背中をさすってくれる。今日ばかりはお言葉に甘えようと思う。せめて会話を、と口を開いた私を制すように、玲央先輩が先に口を開く。
「……女バス、最近どーなんだよ」
「……林が足くじいた」
「メンバー入れ替えか」
「そうっすね」
 施設の関係上、男子バスケと女子バスケは合同で部活をしている。女バスのユニフォームがノースリーブなせいで、男子学生からのいやらしい目線がたまに気になるけれど、そういう奴はきまって女子より下手だ。玲央先輩は部活をさぼりがちなのに誰よりもテクニックがあるから、男子部員全員から一目置かれている。
「女バスの王子様は調子どーなんだ」
「その呼び方、やめてください……」
 男勝りな見た目と言動のせいで、私はそう呼ばれている。私に憧れを持つ後輩もいて、そんな時はどうにも背中が痒くなる。私なんてなんてことないのに――1ON1で、玲央先輩に負けたことがないくらいだ。
 いつか、負ける日がくるんだろうか。腹痛に蹲りながら、そんなことを思う。1ON1だって、女バスのボールサイズに合わせてくれた。女だからって手を抜くようなことはしないだろうけど、絶対ファウルにならないようにしてくれている――と感じる。
 やだなあ。このまま女になっていくのは。
 ――私がハジメテを捧げたのも、先輩だった。
 ライバル、だったはずなのに。気が付くとお互い目で追っていて、よく会話するようになって(と言っても、憎まれ口だけれど)。部活のない放課後に会うようになって、初めて行った先輩の家で――あとは、なし崩しに。
 あの時も、痛かったなあ。処女じゃなくなったことなんて、世界中で先輩しか知りえないのに、帰り道は世界中が私のことを女扱いしているように思えて恥ずかしかった。女バスの王子様が聞いて呆れる。
「白湯、いれるか」
「……はい」
 先輩のこんな優しい姿を知っているのも、世界中で私だけだ。ケトルに水をそそぐ先輩の背中に目をやりながら、その服越しの肌を思った。鍛えられた筋肉、しなやかな肉付き。身体を重ねた時、嫌と言うほどに、男を感じる。
「……先輩は」
「ん?」
「私のどこが、好きなんすか」
 ケトルをセットした先輩が、ぶわっと赤くなってこちらを見た。変なところで恥ずかしがるのだから、見ていて飽きない。
「ん、だよ、いきなり」
「女なんて、他にもいっぱいいるし」
 私の横たわるベッドに座りながら、先輩は私の短い髪を撫でた。髪の長い女も、短い女も、この世には沢山いる。
「虎斗は、世界に一人だろ」
「…………」
「こんな、ナマイキな女」
「ナマイキで悪かったっすね」
 私は、知っている。私が「王子様」と呼ばれる前まで、先輩は男バスのマネージャーの子と仲が良かった。引き割いたのはきっと私だ。あの子だって、たぶん玲央先輩が好きだった。なのに、私は――
「オレに張り合える女じゃねーと、つまんねーよ」
 覆いかぶさって、キスをする先輩にしがみついた。今更、手放したくない。私を女にしたこの人のことを。
「……おなか、いたい」
「白湯持ってくる」
 もう一度私の髪を撫でた彼が腰を浮かせたその瞬間、私は小さく「好き」と呟いた。
 玲央先輩はまたぶわっと赤くなって、目をうろうろさせた後、私にぶっきらぼうなキスをしてそそくさと白湯を取りに行ってしまった。
 不器用な人。痛みよりも微笑みが勝つ瞬間、私は無敵だった。
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