漣タケ

 ずっと段ボールを触っていたから、手がかさかさしてきた。指先の水分が全部吸い取られてしまったかもしれない。
 近頃、もっぱら買い物を通販で済ませているせいで、家に段ボールが増えた。毎週のゴミ出しの日をすっかり忘れてしまい、かさばっていくそれらに溜息をつくのも飽きた頃、やっと前日に思い出すことが出来たのだ。明日、ランニングに行くときについでに出そうという算段である。
 段ボールに張り付いている伝票を剥がしながら、牙崎、という名字が目に留まる。俺のだけじゃなくて、アイツの通販も俺の家に届くようになっていた。アイツ自身が買い物をしているわけじゃない。アダルト商品を買うのに、十八歳以上でないといけなかったから、名前を借りているに過ぎない。だいたいはコンドームだけど、その他にも、数種類、必要なものを買った。本来、入れるべきでないところに入れているわけだから、いろいろ準備が必要なのだ。思い出すのも恥ずかしく、俺は手回しシュレッダーに伝票をつっこむ。
 段ボールについているガムテープには二種類ある。紙っぽいのと、布っぽいの。べりべりと剥がすのが楽しいのは布っぽいほうだ。真ん中から二つに裂いていく。大きな箱をぱたぱたと畳んでいく。
「なにやってんだ」
 ガラ、と音を立てて、浴室のドアが開く。アイツが風呂から上がり、タオルで長い髪を拭いていた。髪が長いのって、洗うのが大変そうだなあ、といつも思う。我が家のリンスは俺よりアイツが使う量の方が多い。
「段ボール、明日捨てようと思って」
「フーン」
 プラスチックのコップに水道水を注ぎ、ぐびりと飲むアイツは、さして興味がなさそうだった。オマエの物も注文してるんだから、少しくらい手伝ってくれてもいいのに。まあ、アイツにそんな期待するだけ無駄だ。
「俺にも水くれ。水道水じゃなくて、冷蔵庫の」
「命令すんなっつの」
「オマエの分まで片付けてるんだ、こっちは」
 仕方ねーなとぶつぶつ言いながら水を注ぎ、ぶっきらぼうにこちらに渡す。ほかほかと蒸気を纏った指先はあたたかに薔薇色で、この水をやるかわりに手伝わねーからな、という意思を感じた。
 サンキュ、と口にして、俺もぐびりと水を飲んだ。身体の隅々までいきわたる感覚がする。段ボールって意外と手ごわい、手だけじゃなくて全身が干からびそうだ。
 俺もいったん風呂に入った方がいいかな、でも片付けを全て終わらせてから入りたい、と考え込んでいると、アイツが気まぐれに手回しシュレッダーに手を伸ばした。取っ手が付いている小さなサイズのそれも、通販で買ったものだった。防犯のためにも使いなさいというプロデューサーの言いつけを守っているものの、この作業はずいぶん骨が折れる。俺は些細な作業が苦手だ。
「……チビって、チビだよな。一人で買い物できねーし」
「通販で名前を借りてることか? 誕生日が来たら俺だって買える」
「まだあのドンキのカーテンの向こう入れねーし」
「オマエは何も知らずに入って驚いて帰ってきただけで、何も買ってない」
 それに、入りたいとも思わない。何故あんなところが存在しているのかもわからないし、学生服を着た男女がそわそわしていたり、年齢不詳の男性が出てきたりするのが、不思議でたまらない。
 恥ずかしい、ことなんだろうか。営みって。やっぱり隠すべきものなんだろう。こうやって、手回しシュレッダーに入れて、俺の名前もアイツの名前も消している。アイツが俺の家に入り浸って、俺よりリンスを使っていることも、誰にもバレてはいけない――プロデューサーと円城寺さんには知られているけれど。かさかさになった手で、俺はアイツの濡れた髪に触れる。
「チビがジューハチになったら、もう、オレ様の名前、使わなくなるのか」
「そうだな。自分で買えるからな」
「……オレ様の名字になればいいのに」
「は」
「そうしたらいつだって、オレ様の名前使えんのに」
「……なに、いってるんだ」
 くるくると、シュレッダーが名前を刻む。その伝票が大河だったか牙崎だったか、どちらの記名なのか、もうわからない。プラスチックの硬いケースのなかで、ふたつの名字が混ざり合う。
「大河より牙崎の方がかっけーだろ」
「……そんなこと、ない。大河の方が圧倒的にかっこいい」
 アイツの髪の毛から俺の指先に、しゅわしゅわと水分が昇っていく感覚がする。美しい、銀色の髪。彼が髪に触れるのを許すようになったのは、いつからだったか。営みのときに上から落ちてくる髪が愛しくなったのは、いつからだったか。
「……てっきり、プロポーズかと、思ったのに」
「……そーだっつったら?」
 ぶすっとした、それでいてどこか挑発的な声に、じゃあ、と思わず声を荒げてしまう。じゃあ、もっと、なんかこう、ちゃんとした場面で言え。
「……チビも風呂、入って来いよ」
「……そうする」
 段ボールを片付けるのは後でにしよう。赤くなった頬を隠す様に浴室へ急ぎながら、相変わらずシュレッダーをくるくる回す彼に、ぽそっと一言、呟いてみる。
「……いつか、な」
 いつか、同じ名字になれたらいいな。俺はさっさと服を投げ捨てアイツの返事を待たずに風呂に入った。
 かさかさの身体に染み渡るお湯よりも、頬の熱の方が熱かった。
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