漣タケ
撮影で、赤いマスカラを塗った。撮影後に化粧を落とすとき、赤い涙を流してるみたいになって、すこし怖かった。
家に帰り、風呂に浸かっていると、アイツが無遠慮に浴室に入ってきた。追い炊き機能もない、狭い狭い浴槽に、無理やり身体をねじ込んでくるから、窮屈で仕方がない。だけど俺は文句も言わず、ただされるがままになっていた。身体はもう充分あたたまっていたけど。
「狭い」
「男二人で入るのには無理があるだろ」
アイツが濡れた手で豪快に髪をかきあげる。ヘアアレンジでもされない限りなかなか見ることのない彼の額が、てらてらと美しく濡れた。
「何見てんだよ」
「向かい合わせに座ってんだから仕方ないだろ」
アイツの体積の分だけ溢れたお湯が、排水溝に流れていく。どこまで流れていくんだろう。下水へ、川へ、ダムへ、海へ。ゆらゆらと揺れる水面を、ぱしゃ、と手で掬う。アイツが入ってるせいで肩までつかれない。
「チビ」
「なんだ」
「……どーした」
帰りの車の中では、無言だった。俺は寝たふりをしていた。仕事は順調にこなしたし、いい画が撮れたと喜んでもらえたし、プロデューサーもご機嫌だったし、円城寺さんも嬉しそうだった。
そんななか、ただ一人、アイツだけが俺を見ていた。青いマスカラが彼岸花みたいだった。
「……なんでも、ない」
「なんでもなくねーだろ」
ばしゃ。視界がぼやける。アイツがお湯を顔にかけたのだと気付いた時には目が痛かった。前髪がしっとり重くなる。鼻先がツンと切なくなる。
「しけたツラしやがって。オレ様にはバレバレなんだよ」
もう一度、お湯が飛んできた。手で庇いきれないから、顔がぐっしょり濡れた。いいんだけど、もう、洗った後だから。でも、してやられてばかりでは悔しい。
「……なにすんだ!」
アイツにも、ばしゃ、と大きくお湯をかけてやった。ぶ、と間抜けな声が聞こえてきたかと思えば、彼は目を拭ってニヤリと笑い、更に攻撃をしかけてくる。俺たちはしばらく、一糸纏わぬ姿で、水しぶきを上げ続けていた。
お湯を足そう、とどちらからともなく言ったのは、肩の下だったお湯がすっかり少なくなり、腕が重くなってからだった。俺たちは少しだけ息切れをしていて、流したはずの汗をかいていた。せっかくの風呂なのに、何をしているんだ。
「……気ぃすんだかよ」
「……どーだか」
俺はまぶたをこすって、手を開いてみる。もうそこには赤はなかった。マスカラはしっかり落としてるから、あるはずなんかなかった。昔の怪我の記憶なんか、仕事中に思い出したくなかった。
「……視力、昔より落ちてんだよ。俺」
「……フーン」
「オマエは視力よさそうだよな」
「どこまでも見渡してやるぜ」
「オマエらしい」
「……チビのことも」
ごぽ、とお湯が溢れる。慌てて蛇口を閉めるために身体を浮かせると、がっしりと腕を掴まれてしまった。
「見てるからな」
「……え」
「だから」
ごぽぽ。お湯が、浴室の床を満たしていく。排水溝へ。下水へ、川へ、ダムへ、海へ。
「ちゃんと前、見てろ」
アイツの金色に見抜かれるたび、生きる意味を考える。俺の夢とか希望とか、そういうこととは全く関係なく、コイツは俺を追いかけてくる。事務所でも、路地裏でも、時にはこうして、浴室にも。
アイツの不器用な優しさがこそばゆかった。蛇口を捻って、座りなおして、俺は両手でお湯を掬った。
「……青いマスカラ、似合ってた」
「オレ様は何でも似合うにきまってんだろ」
お湯を顔にぶつける。撮影を終えてから、はじめて肺で呼吸をした気がした。俺たちはエラでは呼吸できない。大きく吸った空気は、浴室独特の匂いだった。
家に帰り、風呂に浸かっていると、アイツが無遠慮に浴室に入ってきた。追い炊き機能もない、狭い狭い浴槽に、無理やり身体をねじ込んでくるから、窮屈で仕方がない。だけど俺は文句も言わず、ただされるがままになっていた。身体はもう充分あたたまっていたけど。
「狭い」
「男二人で入るのには無理があるだろ」
アイツが濡れた手で豪快に髪をかきあげる。ヘアアレンジでもされない限りなかなか見ることのない彼の額が、てらてらと美しく濡れた。
「何見てんだよ」
「向かい合わせに座ってんだから仕方ないだろ」
アイツの体積の分だけ溢れたお湯が、排水溝に流れていく。どこまで流れていくんだろう。下水へ、川へ、ダムへ、海へ。ゆらゆらと揺れる水面を、ぱしゃ、と手で掬う。アイツが入ってるせいで肩までつかれない。
「チビ」
「なんだ」
「……どーした」
帰りの車の中では、無言だった。俺は寝たふりをしていた。仕事は順調にこなしたし、いい画が撮れたと喜んでもらえたし、プロデューサーもご機嫌だったし、円城寺さんも嬉しそうだった。
そんななか、ただ一人、アイツだけが俺を見ていた。青いマスカラが彼岸花みたいだった。
「……なんでも、ない」
「なんでもなくねーだろ」
ばしゃ。視界がぼやける。アイツがお湯を顔にかけたのだと気付いた時には目が痛かった。前髪がしっとり重くなる。鼻先がツンと切なくなる。
「しけたツラしやがって。オレ様にはバレバレなんだよ」
もう一度、お湯が飛んできた。手で庇いきれないから、顔がぐっしょり濡れた。いいんだけど、もう、洗った後だから。でも、してやられてばかりでは悔しい。
「……なにすんだ!」
アイツにも、ばしゃ、と大きくお湯をかけてやった。ぶ、と間抜けな声が聞こえてきたかと思えば、彼は目を拭ってニヤリと笑い、更に攻撃をしかけてくる。俺たちはしばらく、一糸纏わぬ姿で、水しぶきを上げ続けていた。
お湯を足そう、とどちらからともなく言ったのは、肩の下だったお湯がすっかり少なくなり、腕が重くなってからだった。俺たちは少しだけ息切れをしていて、流したはずの汗をかいていた。せっかくの風呂なのに、何をしているんだ。
「……気ぃすんだかよ」
「……どーだか」
俺はまぶたをこすって、手を開いてみる。もうそこには赤はなかった。マスカラはしっかり落としてるから、あるはずなんかなかった。昔の怪我の記憶なんか、仕事中に思い出したくなかった。
「……視力、昔より落ちてんだよ。俺」
「……フーン」
「オマエは視力よさそうだよな」
「どこまでも見渡してやるぜ」
「オマエらしい」
「……チビのことも」
ごぽ、とお湯が溢れる。慌てて蛇口を閉めるために身体を浮かせると、がっしりと腕を掴まれてしまった。
「見てるからな」
「……え」
「だから」
ごぽぽ。お湯が、浴室の床を満たしていく。排水溝へ。下水へ、川へ、ダムへ、海へ。
「ちゃんと前、見てろ」
アイツの金色に見抜かれるたび、生きる意味を考える。俺の夢とか希望とか、そういうこととは全く関係なく、コイツは俺を追いかけてくる。事務所でも、路地裏でも、時にはこうして、浴室にも。
アイツの不器用な優しさがこそばゆかった。蛇口を捻って、座りなおして、俺は両手でお湯を掬った。
「……青いマスカラ、似合ってた」
「オレ様は何でも似合うにきまってんだろ」
お湯を顔にぶつける。撮影を終えてから、はじめて肺で呼吸をした気がした。俺たちはエラでは呼吸できない。大きく吸った空気は、浴室独特の匂いだった。