漣タケ
※死ネタ。老いた漣とアンドロイドのタケル
随分と皺だらけになったものだ。オレ様は自分の手を見つめて、今まで駆け抜けてきた年月に思いを馳せる。
「どうした」
十七歳のチビが、オレ様の枕もとで微笑んだ。あの頃と変わらない、あの頃のままのチビ。オレ様のバイタルをチェックしているのだろう。古い型のアンドロイドでも、未だその機能は健在だ。
「チビは、チビだったな」
「そうだな。オマエの背は越せなかったな」
チビの手がオレ様の手を包む。この手と暮らしだして何年、何十年経つ。コイツもすっかりオンボロだ。
なのに、どうして、手放せないのか。
あの日、チビがこの世からいなくなってから。オレ様の世界に意味がなくなって、ぽっかりと穴が開いて、生きる意志を失ってしまってから。当時の最新技術を詰め込んだアンドロイドのテスト用の試作を宛がわれ、オレ様は幻想を手に入れた。
ずっと手に入れたかった、あの頃のチビ。オレ様は毎日歳をとるのに、ついぞ最後まで十七歳のままのチビ。
アンドロイドのチビは、オレ様の手を愛おしそうに撫でている。違う、チビはそんなことしない。なのにオレ様には、もう振り払う気力もない。
そろそろかな、と思う。命の灯が消える音がする。世界最強の座につけた。親父にオレ様の存在意義を認めさせた。充分すぎる人生だった。――チビを失ったこと以外。
ああ、もうすぐそちら側に行ける。やっと本物のチビに会える。会ったら開口一番、何て言ってやろうか。オレ様を置いて行きやがって、と説教垂れてやろうか。それともチビに、そんなに俺に会いたかったのかよなんて言われてしまうだろうか。
何でもいい。チビに会えるなら。
「……もうすぐ、お別れだとか考えてたろ」
「そーだな」
「オマエがいなくなったら、俺、ひとりだ」
「……そうだな」
「でも、オマエはやっと夢が叶うんだな。よかったな」
「ああ」
「一緒の墓に、埋めてやるから」
チビはオレ様の手を離さない。アンドロイドに寂しいなんて感情はあるのか。最新型ならあるかもしれない。だけどコイツはもう、模倣型アンドロイドとして最古の機体だ。オンボロの、ところどころ不具合の出ている、それでも懸命にオレ様を支えた一人だ。さみしいくらい思ってくれても、いいかもしれない。
「なあ。俺といて、楽しかったか?」
「……ああ」
「よかった」
視界が霞んでいく。声が遠く聞こえる。重力に引っ張られる心地がする。ああ、ついにか。このままどこまでも深く眠っていって、そうして、消えていくんだろう。最後に見たチビはあの頃のチビのままで、オレ様はついぞ手に入れられないままだったことを悔しく思った。
「……さい、ごに」
「ああ」
「呼んでくれないか……なまえ」
世界が真っ白になった。呼吸が出来ない。それでもチビの声だけは、オレ様の胸の中に届いた。
「…………漣」
いってらっしゃい。そう送り出されて、オレ様は意識を手放した。
軽やかになった身体で、あの頃の姿になったオレ様を、あの頃のチビが待っていた。
「行こう」
差し出された手を掴んで、空を駆けていく。ずいぶんと気持ちよかった。自由になれたと感じた。
求めていたチビの手は、人生で一番あたたかに感じた。
墓場にひとり、アンドロイドが佇んでいた。
彼は存在しうる模倣型アンドロイドの最後の型で、ところどころ、もう修復パーツのない状態異常を起こしながら、それでもひとりで動いていた。
アンドロイドは、よかったな、と呟いて手を合わせる。目の前の墓には、生涯仕えた男と、その男の最愛の男が一緒に眠っていた。この瞬間のためだけに、このアンドロイドは存在していた。
「……おれ、ひとりだ」
このまま誰も引き取り手がいなければ、スクラップになってしまう。アンドロイドは、主人の顔を思い浮かべて、とても寂しく思い、涙をひとつ零した。
「俺は、俺になれてたのかな」
アンドロイドに、涙の機能があったことは、誰も気づかなかった。はじめて流したのだ。自分にこんな感情が芽生えることを、アンドロイドははじめて知った。
ふいに、背後に人の気配があった。墓参りに誰か来たのかもしれない。アンドロイドは涙を拭いて振り返った。そこには見慣れた顔があった。年老いた円城寺道流だ。
「お前さんも来てたんだな」
道流は丈夫な足腰を屈ませて手を合わせ、静かに立ち上がった後、アンドロイドに向き直る。
「なあ、円城寺さん。俺、自分でスクラップの手続きがとれない仕組みなんだ。悪いんだが、頼まれてくれないか」
「そうか……漣が亡くなった後、お前さんをどうするか、話し合わなかったからなあ」
道流はその場でうーんと考え込み、抱えていた花束を墓標の前に置くと、いいことを閃いたと言わんばかりに顔を綻ばせた。
「お前さん、うちの店で働かないか」
「え」
道流の経営するラーメン店は、三号店までもが常に大繁盛している有名店だ。自身の老いを感じ、道流が店頭に立つことは少なくなっていた。
「でも俺、性能がもう、ポンコツだし」
「客の注文聞いて、ラーメンを机の上に置くだけだ。チャーシューを切るくらい出来るだろう? 人手が足りなくて困ってたんだ」
道流は、さあ決まりだ、と大きな声を出し、アンドロイドの手を引いた。
「漣を看取ってくれて、ありがとうな」
「……ああ」
最古の型のアンドロイドが働くラーメン屋。おもしろそうじゃないか。道流はそっと呟く。
「自分もな、寂しいんだ。だから、そばにいてくれ」
「……俺でよければ」
こうしてアンドロイドは、ひとりではなくなった。
流した涙は、あれが最後だという。
随分と皺だらけになったものだ。オレ様は自分の手を見つめて、今まで駆け抜けてきた年月に思いを馳せる。
「どうした」
十七歳のチビが、オレ様の枕もとで微笑んだ。あの頃と変わらない、あの頃のままのチビ。オレ様のバイタルをチェックしているのだろう。古い型のアンドロイドでも、未だその機能は健在だ。
「チビは、チビだったな」
「そうだな。オマエの背は越せなかったな」
チビの手がオレ様の手を包む。この手と暮らしだして何年、何十年経つ。コイツもすっかりオンボロだ。
なのに、どうして、手放せないのか。
あの日、チビがこの世からいなくなってから。オレ様の世界に意味がなくなって、ぽっかりと穴が開いて、生きる意志を失ってしまってから。当時の最新技術を詰め込んだアンドロイドのテスト用の試作を宛がわれ、オレ様は幻想を手に入れた。
ずっと手に入れたかった、あの頃のチビ。オレ様は毎日歳をとるのに、ついぞ最後まで十七歳のままのチビ。
アンドロイドのチビは、オレ様の手を愛おしそうに撫でている。違う、チビはそんなことしない。なのにオレ様には、もう振り払う気力もない。
そろそろかな、と思う。命の灯が消える音がする。世界最強の座につけた。親父にオレ様の存在意義を認めさせた。充分すぎる人生だった。――チビを失ったこと以外。
ああ、もうすぐそちら側に行ける。やっと本物のチビに会える。会ったら開口一番、何て言ってやろうか。オレ様を置いて行きやがって、と説教垂れてやろうか。それともチビに、そんなに俺に会いたかったのかよなんて言われてしまうだろうか。
何でもいい。チビに会えるなら。
「……もうすぐ、お別れだとか考えてたろ」
「そーだな」
「オマエがいなくなったら、俺、ひとりだ」
「……そうだな」
「でも、オマエはやっと夢が叶うんだな。よかったな」
「ああ」
「一緒の墓に、埋めてやるから」
チビはオレ様の手を離さない。アンドロイドに寂しいなんて感情はあるのか。最新型ならあるかもしれない。だけどコイツはもう、模倣型アンドロイドとして最古の機体だ。オンボロの、ところどころ不具合の出ている、それでも懸命にオレ様を支えた一人だ。さみしいくらい思ってくれても、いいかもしれない。
「なあ。俺といて、楽しかったか?」
「……ああ」
「よかった」
視界が霞んでいく。声が遠く聞こえる。重力に引っ張られる心地がする。ああ、ついにか。このままどこまでも深く眠っていって、そうして、消えていくんだろう。最後に見たチビはあの頃のチビのままで、オレ様はついぞ手に入れられないままだったことを悔しく思った。
「……さい、ごに」
「ああ」
「呼んでくれないか……なまえ」
世界が真っ白になった。呼吸が出来ない。それでもチビの声だけは、オレ様の胸の中に届いた。
「…………漣」
いってらっしゃい。そう送り出されて、オレ様は意識を手放した。
軽やかになった身体で、あの頃の姿になったオレ様を、あの頃のチビが待っていた。
「行こう」
差し出された手を掴んで、空を駆けていく。ずいぶんと気持ちよかった。自由になれたと感じた。
求めていたチビの手は、人生で一番あたたかに感じた。
墓場にひとり、アンドロイドが佇んでいた。
彼は存在しうる模倣型アンドロイドの最後の型で、ところどころ、もう修復パーツのない状態異常を起こしながら、それでもひとりで動いていた。
アンドロイドは、よかったな、と呟いて手を合わせる。目の前の墓には、生涯仕えた男と、その男の最愛の男が一緒に眠っていた。この瞬間のためだけに、このアンドロイドは存在していた。
「……おれ、ひとりだ」
このまま誰も引き取り手がいなければ、スクラップになってしまう。アンドロイドは、主人の顔を思い浮かべて、とても寂しく思い、涙をひとつ零した。
「俺は、俺になれてたのかな」
アンドロイドに、涙の機能があったことは、誰も気づかなかった。はじめて流したのだ。自分にこんな感情が芽生えることを、アンドロイドははじめて知った。
ふいに、背後に人の気配があった。墓参りに誰か来たのかもしれない。アンドロイドは涙を拭いて振り返った。そこには見慣れた顔があった。年老いた円城寺道流だ。
「お前さんも来てたんだな」
道流は丈夫な足腰を屈ませて手を合わせ、静かに立ち上がった後、アンドロイドに向き直る。
「なあ、円城寺さん。俺、自分でスクラップの手続きがとれない仕組みなんだ。悪いんだが、頼まれてくれないか」
「そうか……漣が亡くなった後、お前さんをどうするか、話し合わなかったからなあ」
道流はその場でうーんと考え込み、抱えていた花束を墓標の前に置くと、いいことを閃いたと言わんばかりに顔を綻ばせた。
「お前さん、うちの店で働かないか」
「え」
道流の経営するラーメン店は、三号店までもが常に大繁盛している有名店だ。自身の老いを感じ、道流が店頭に立つことは少なくなっていた。
「でも俺、性能がもう、ポンコツだし」
「客の注文聞いて、ラーメンを机の上に置くだけだ。チャーシューを切るくらい出来るだろう? 人手が足りなくて困ってたんだ」
道流は、さあ決まりだ、と大きな声を出し、アンドロイドの手を引いた。
「漣を看取ってくれて、ありがとうな」
「……ああ」
最古の型のアンドロイドが働くラーメン屋。おもしろそうじゃないか。道流はそっと呟く。
「自分もな、寂しいんだ。だから、そばにいてくれ」
「……俺でよければ」
こうしてアンドロイドは、ひとりではなくなった。
流した涙は、あれが最後だという。