漣タケ

 十年経っても、チビはチビのままだった。
 詳しく言えば、チビもあの頃より背は伸びたものの、オレ様の方が多く伸びたので、差がさらに開いたのである。いまはチビの頭にアゴを乗せられる。
 ガチャ、とドアノブを回すと、ぱたぱたと駆けてくる音がする。住処に帰ってきたのだ、という安心感が一気に広がるこの瞬間の、得も言われぬ幸福。チビがエプロン姿のまま、おかえり、と出迎えてくれた。
「ただいま」
「寒かったろ」
「そーでも」
 コートを脱ぎ、チビに抱きつく。このコートはチビに選んでもらったやつだ。スタイル良いなら似合うから、とおだてられるままに買ったロングコートはペラいくせいに重く、本当はいつものジャンパーがいい。しかしこれを着ていると仕事先で好評なのも事実。似合っていると褒められるのは気分がいいから、結局着てしまうのだ。
 チビはあたたかい。オレ様の腕のなかにすっぽりとおさまる。ふさふさの髪がやわらかく、これをアゴや頬で堪能するのが好きだ。まるで小動物のようだと思いおかしくなる。オレ様の背に腕を回したチビは「外の匂いがする」と言って深呼吸した。チビだって昼まで仕事で外にいたろうに。
「今日は豚汁だ」
「大盛りにしやがれ」
「わかってる」
 エプロン姿は、正直そそられる。数年前に引っ越し祝いで貰ったこのエプロンをチビはずっと愛用しており、家事をする時はかならず身に着けている。曰く、スイッチが入るのだそうだ。「ニイヅマみたいっすね」と耳打ちしてきた四季のせいで、オレ様はしばらくその言葉の持つ魔力から逃れられなかった。
 一度、プレイ中につけてほしいと言ってみたことがあるが断固拒否された。そんなことしたらもう料理つくってやんねーとまで言われたら引き下がるしかない。今度、プレイ用のエプロンを買ってやろうか。それはそれでものすごく嫌がりそうだ。
「チビだなあ」
「だから、うるさいって」
 これでも、今だって少し伸びてるんだ、と頬をむくれさせながら、チビはオレ様の腕のなかから脱出する。チビがチビで困ることなんて特にない。演技の仕事でも需要はあるし、女子の平均よりは高いわけだから、世間的にはそこまでチビじゃない。
 だけど、オレ様からしたらチビはチビなのだ。ずっと。それが何よりも愉快で心地よく、嬉しいのだ。チビにはチビのままでいてほしい。
 しいていえば、ひとつだけ大変なことがある。大変と言っても些細なことだが、キスをする時、オレ様が屈まなくてはならないということだ。必死に背伸びをするチビの爪先は大変可愛らしく、ぷるぷると目を閉じている様は愛しくて仕方ないのだが、それだけじゃオレ様に届かない。いつもひとつ笑ってから、チビの高さに唇を合わせるのだが、チビはどうにもそれが悔しいらしい。タイミングがオレ様任せだからだそうだ。オレ様は主導権を握れて大変楽しい。
 あとは食って寝るだけ、にするのが楽だと気付いたオレ様たちは、帰宅してから即風呂に入るという生活リズムをとっている。外出着を脱ぎ、シャワーを浴びていると、チビの鼻歌が聞こえてきた。いつもライブで歌う曲だ。一番オレ様たちの身体に浸透している曲だから、鼻歌と言ったらついこれになるのもわかる。オレ様も鼻歌を重ねながら部屋着に着替え、いい匂いのするリビングへと向かった。
 たっぷりよそられた豚汁を前にチビが得意げな顔をしていたので、どうやら自信作のようだとわかった。オレ様は濡れた髪のまま、またチビに抱き着く。
「ちょっ、濡れるだろ」
「ちーび」
 チビをチビと呼べるしあわせは、シャワーでは流せない。頬を撫で、上を向かせる。オレ様が何をしたいのか悟ったチビはオレ様の肩に手を添えた。
 背を屈め、チビの唇に唇を合わせる。啄むようなキス。十年前は乱暴にしすぎた。歯が当たって痛かった頃もあった。チビもオレ様も、キスが気持ちいい行為だということに気付くのに随分かかった。不器用でがむしゃらな毎日だった。
 向かい合わせで座り、豚汁に向き合う。エプロンを外したチビはすがすがしそうだ。食べる前に髪を乾かしたらどうだと言われたが、そんなことより早く食事にありつきたい。いただきますを唱え頬張った豚汁は、幸福な食卓にピッタリだった。
34/69ページ
スキ