漣タケ

 やけに静かな朝だった。鳥の囀りも車のエンジン音も聞こえず、ぞっとするほどの静けさに、俺は畏怖感を覚えて起きあがる。
 ベッドの隣は空っぽだった。まだシーツの皺の跡が、アイツの形で残っている。さっきまでいたのだろうか? 消えた温もりのせいで、こんなに寂しくなっているのだろうか。
 ガチャ、と音がして、アイツの帰りを知る。なんだ、どこかに行ってしまったのではなくて、コンビニにでも行ってたんだ。そう思ってたのに、アイツの呼吸音もいつもと違っていた。
「誰もいねえ」
「……は?」
「みんな死んでる。生きてるヤツが誰もいねえ」
 何を言ってるんだ、コイツは。俺はまだ寝ぼけているのかもしれない。それとも、ドッキリか何かか。アイツの後ろにカメラを探すけれども、何もなかった。
「外出たらわかる」
「どうせ、ランニング……」
「出来るモンならしてみろよ」
 酷く冷たい、少し焦ったような、突き放した声色だった。俺はまだコイツの言っていることを何も理解できないまま、靴を履いて外に出る。
 空気の冷たさが、尋常じゃなかった。
 道の端に、倒れている人を見つける。叫び声をあげて駆け寄り、揺さぶっても返事はない。呼吸も鼓動も、熱もない。
「……死んでる……」
「言ったろ」
 救急車、と思ってスマホを取り出して、電波が入っていないことに気付いた。電話の意味を成さないソレは、途端に無意味な物体になる。
「コンビニも全員死んでた」
「……そ、んな」
「鳥も。猫も。みんな死んでる」
「そんな、わけ」
 でも、じゃあ、いったいこの静けさをどうやって証明する。
 冷や汗が背中をつたい、動悸がうるさい。俺は耐えきれず、近くの街路樹の根元に吐瀉した。
「うお、え」
 胃液で喉が焼け付きそうだ。涙も鼻水もそのままに、俺はアイツを見上げる。
「俺たちは」
「…………」
「俺たちは、なんで生きてるんだ」
「知るかよ」
「どうして、俺たちだけ」
 朝陽がどんどん昇っていく。ひっくり返った車も、折れた電柱も、何もかもが嘘に見えた。俺が生きているのも、幻覚なんじゃないのか。何も信じられなくて、手当たり次第に電話をかける。プロデューサー。円城寺さん。事務所のみんな、ジムの会長。
 誰にも、繋がらなかった。誰にも、届かなかった。
「……たぶんだけど」
 アイツの声が、震えている。俺と交差しない視線の先に、スズメが数羽、潰れていた。
「じきに、海が来る」
「は、どういうことだ」
「海に沈むっつってんだよ。死体も、この街も」
 ここは海から遠く離れている。それなのに、こんなところまで飲み込まれてしまうのか。この世界の七割は海だ。狂った世界なら、全てが海で覆い尽くされて、本当に水の星になってしまってもおかしくない。
「……他に、生きてる人がいたとしたら」
「そんなヤツ……」
「わかんないだろ。オマエだって、国中を歩いたわけじゃない」
 呼吸を整えて、涙を拭う。アイツも動揺を隠せていない。俺は必死で、ない頭を回転させた。なにか、目印になるもの。そこにみんな集まるんじゃないか。
「……電波塔」
「は?」
「電波塔。もしかしたら、電波が通じるかもしれない」
 目指して歩いていくには、十分すぎるほど朝早い。俺たちは一度、家に帰った。着替えと、食料と、必要ないかもしれないけど、財布。
「行こう」
 ラジオを流そう。この世のどこかに、通じる人がいるかもしれない。俺たちは履きなれた靴で、死体の転がる道を歩いた。線路に従って歩いていけば、いつか辿り着くだろう。
「……食料、食い放題だな」
「尽きるか、腐るかするもんな。早いうちに食べた方がいいのかもしれない」
 コンビニも、スーパーも、そこかしこに存在する。窓ガラスは脆い。飲食に困ることはないだろう。あとはこの足が動いてくれれば。
 いつか辿り着く電波塔へ。二人分の呼吸と、海が襲い掛かるのと、どちらが早いだろう。
 静かすぎる街に、二酸化炭素は少なかった。
29/60ページ
スキ