漣タケ

 アイツのくしゃみは二パターンある。大地を揺るがすようなでかいやつと、子供がしたみたいな小さいやつ。今はささやかなほうが漏れた。
「寒いか?」
「さむくねえし」
 嘘つけ、と笑って毛布を渡す。薄手とはいえ、一人一枚必要な季節になってきた。外ではすっかり秋の風が吹いている。
 いい加減はだかでいることを諦めた方がいいのだろう、だけど心地いいのだ。つながった後、汗も精も尽きて一息ついて、二人でこうして寝ころんでいるのが。時折思い出したようにキスをするのは、なんだか犬と戯れているみたいだった。
「オマエってさ」
「あ?」
「コーラ飲めるか」
「飲めるにきまってんだろ」
 何を言ってるんだと心底不思議そうな顔をされてしまった。俺はどうしても小さい頃聞いた「歯が溶ける」という話が頭をよぎって、避けてしまうのだ。
「今日、事務所でもらっちまって。冷蔵庫にあるから」
「勝手に飲めってか」
 しめた、というようにニヤリと立ち上がり、全裸のままドカドカと冷蔵庫に向かう。その背中に俺が付けた爪の跡が残っていなくてよかった。以前つけてしまったときの罪悪感は半端なかった。
 アイツがペットボトルを傾けているのを見ながら、とりとめないことを思う。埼京線に久しぶりに乗ったら酷く揺れたこととか、車内広告に恭二さんがいたこととか、コンビニで一番安い水よりも、お茶の方が一円安かったこととか。
「うまいか?」
「ん」
 ごくごくと喉を鳴らして飲むアイツの涼しそうな目元に、毛布を掴む力が強くなる。あの目が好きだ、と思う。はちみつ色の、射貫くような視線。俺の上で汗をかいている時の必死さ、殊勝さ、そういったものの傲慢な輝き。抱かれてる時、俺だけを見ていればいいのに、と何度も考えるし、恐ろしいことに実際に伝えたこともある。その時のアイツはなんともいえない顔をしたあと不機嫌になったので、もう言わないようにしているけれど、どうしたって思ってしまう。俺だけを見てればいいのに。
 くしゅん、とまたくしゃみが聞こえた。コーラで身体が冷えたか。
「そろそろ服着るか。ていうか風呂入るか」
「明日でいーだろ」
 いつもなら終わってすぐ風呂に行くものの、今日はすっかりまどろんでしまい、汗は完全に乾いている。今から風呂に入るのは正直面倒くさいので、俺も同意見だった。アイツの匂いを身体に纏ったまま寝ることになるのも、まあ、たまにはいいかもしれない。
「ふう」
「もう飲み切ったのか」
 コーラを一気飲みしたアイツは満足そうにペットボトルを放った。それを片付けるのは俺なんだぞ。ベコンとシンクが音を立てる。
「なあ」
「なんだ」
「もう一回」
「え」
 もう無理だ、身体は冷めている、そう伝えようと起き上がったのに、はなから俺に選択肢なんてなかった。コーラ味のキスは強引で、それは今日エスカレーターで目の前にいた女の子の髪型がぴっちりと丸いお団子だったこととか、総菜のポテトサラダがいつもは十パーセント引きなのがニ十パーセント引きになっていたこととか、目まぐるしい日常を溶かしてく。
「ん、う」
「ふ」
 冷え切った身体を熱くなった血流が回っていく。寒さで鼻が詰まって、息が苦しい。
 苦しいのに。もどかしいのに。口内がコーラ味に染まっていく。動悸で耳がうるさい。心臓がうるさい。
 その背中に再び爪をたてる。爪は短く切りそろえているから、跡なんかつかないのだけれど。
 歯でもたててやろうか。体内に侵入してくる指の先が擦れるたび、俺は掠れた声を噛み殺した。
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